第155話 再対話
月音と会うために、俺は第二の都市へ行こうとしたのだが……どうやら、その必要はないらしい。
メールで、月音は、喫茶店『きのまま』にいるという。
それでも離れていることに変わりはなく……『きのまま』の営業時間二十二時半のことも考え、急いで向かった。
店に入ると、一番奥の席に月音が座っているのが見え、俺はゆっくりとそこへ向かう。
「ごめんなさい……こんな時間に……」
最初に頭を下げてきた月音を、俺は手を振って制し、店内の鳩時計をチラッと見た。
急いだが……やはり、距離があったな。二十二時十五分……話の内容にもよるが、店内でゆっくりする訳にはいかないだろう。
どうやら、月音にもそれは分かっているようで……俺と目を合わせて、はにかんだ。
「とりあえず、ギリギリまで……いいですか?」
首を傾げた月音に、俺は軽く頷いた。
向かい側に座って、コーヒーを頼む。ラストオーダーを少しオーバーしてしまっていたから……馴染みの店で良かった。
「それで、どうしたんだ?」
用件があるなら優先させるべきだろうと思い、問いかけると、ちょっとだけ月音は顔を下げた。
「いえ……その……私……」
よく見ると、その肩が震えている。
眉をひそめていると、月音は顔を上げた。
その顔は……今にも泣き出しそうで、必死に堪えている表情である。
「ご、ごめ……ん、なさい……私のこ、こと……嫌いに、なりましたよね……気持ち悪い、って……」
言葉を発すると、抑えきれなかったのであろう涙が、月音の頬を伝った。
面食らったが……よく考えると、意味は分かる。
月音は、自分が吸血鬼であるという事実を、今日、初めて自覚したんだ。いや、知った、という方が正しいのだろうか。
それだけじゃなく、もしかするとだが……俺や、他の人を、夜に襲ったことも、思い出してしまったのかもしれない。
吸血鬼との同調が、僅かな時間の中だけだが、かなり進んでいたからな……記憶の方も、遂に共有してしまった可能性がある。
それらが全て、その通りなら……言っていることは、理解できる。
さて、どうしようか……。
同じ、と言えずとも、似たような境遇の身だ。俺が不死鳥である、ということを知らせて、少しは安心させるべきか? いや、知ったところで、安心するとは限らんが。
…………。
「そんなことねえよ」
できるだけ素っ気なく、本当に気にしていない、という口調で言い返す。
揺れていた月音の肩が、少しだけ、その震えを止めた。
「そんなことない。別に、月音の意志であんなふうになったんじゃないんだ。それに……いや、そうだったとしても、俺は月音を嫌ったり、気持ち悪いなんて思わないよ」
あ~あ……卑怯な奴だよ、まったく。
自分はこんなこと言いながら、内心、自分が嫌われることを恐れている。
言い出せない……俺は、同じような傷を背負った少女にさえ、言い出せないんだ。
「……本当に……本当に、そう、ですか……? そう思って……くれているんですか?」
目に涙を溜め、縋るような目つきで俺を見てくる。
うわお……小説で読んだことがある気がする……女の子の涙には、男を弱くする力があるとかないとか……。
「本当だ、信じてくれ」
端的に告げると、月音は目を閉じ、溜めていた涙を落とした。
「……ありがとうございます……本当に、ありがとう……」
俺が笑いかけると、やっと月音も、笑った。
それは……月音が吸血鬼に冒されていた時に、初めて逢った時に、その時に感じた美しさや可愛さより……ずっと魅力的に映った。
◇
「私……今日、飛斗梶スタジアムから帰る前に、小鈴ちゃんと、会ったんです……」
俺は頷いて、コーヒーを啜った。
店長の計らいで、俺と月音のために、営業時間終了から十五分だけ、店を開けてくれるという。
月音の目は赤くなっているが、今はもう泣き止み、普通に話せている。
「そこに、可野杁さんも来て……あ……と言うよりは、可野杁さんが、私を呼んでくれたんです。そこで、二人と話しました」
「じゃあ……知ってるんだな? その……小鈴ちゃんとの、関係を」
静かに頷いた月音に、俺はなんと言えばいいか分からなくなった。
待てよ……もしかすると……。
「星楽さんのことも、聞いたのか?」
思わず訊いてしまってから、俺は後悔した。
その名前に、月音は辛そうに顔を歪めたからだ。
とはいえ、あの人の話をしなければ、この件は――少なくとも俺の気持ちは――収まらないだろう。
「お姉ちゃんは……もう、家には返ってこないそうです。それに……今日の件で、警察に追われてるみたいなんです。秘密裏にですけど」
……自業自得といえど……さすがに、一人で責任を負わされるとはな。
しかし、どこかホッとしている俺がいる。
警察に追われているといえど、秘密裏にならば……戸籍上は妹である月音に、迷惑はかからないだろうから。
「そうか……つうか、全部聞いた話みたいだが……直接話してないのか?」
月音の、伝達的な口調が気になっていた。
「すみません……話す勇気がなくて」
小さい声で認めてきた月音に、いや、と首を軽く振った。
……だろうな。
あっちがどう思ってたかは知らないが、月音としては、姉に、憧れや尊敬の念を持っていたんだろう。
それが急に、本当の姉じゃないと知らされたり、自分を実験台にしただのと……衝撃的な話が多すぎる。気持ちの整理がつかなくて当然だ。
これって……俺の家に小鈴ちゃんがいるって、伝えた方がいいのだろうか?
面倒なことになりそうだが、実姉だしなあ……。
でも、下手に関わり合いを持たせると、また巻き込まれるかもしれんし。
どうすべきか……。
「あの、小鈴ちゃんは今、どこにいるんですか?」
うわお、きたよ。このタイミングで。
知らぬ存ぜぬ、で通そうかな? 気の毒な気もするけど。
「江崎と行動してるんじゃないか? 知ってると思うけど、研究者の奴らと無関係じゃないし」
すっとぼけた答えに、月音は普通に頷いてくれた。
「そうですね……少なくとも、私と一緒に生活したりするよりは、きっと安全でしょうから……」
辛そうな声で言う月音に、俺は思わず本当のことを言ってしまおうかと思った。
会おうと思えば会える……そう伝えれば、少しは気休めにもなるかもしれない。
だが、俺の不容易な、感情的な発言で、江崎達の行動を無にしてしまったり、月音や小鈴ちゃんを危険に晒してしまうのは避けたい。
「大丈夫、また会えるよ」
せめての気休めに。
何かを察したのか、月音は何も言わずに、ミルクティーを飲んだ。
◇
店長に謝り、俺と月音は『きのまま』を出た。
俺達は、無言で駅へと向かって歩いている。
少し細かい話はしたが……俺が聞きたい話の一つ、重要な一つを、俺はまだ聞いていない。
それを切り出すには……どうすればいいんだろう?
「黒葉くん……その、すみませんでした。こんな時間に呼び出して」
「いや、別に構わないよ。相談があったら、いつでも乗るよ」
俺の言葉に、はい、と答えた声は、小さい。
少し寂しそうに、月音は空を見上げた。
「空、綺麗ですね」
釣られた空を見上げた俺は、初めて月音と逢った日のことを思い出した。
「あの日も、こんな夜でしたね」
月音も同じことを思ったようだ。
いや……あの日、とは……もしかすると……。
ふわっと、空を見上げていた俺の胸に、月音が飛び込んできた。
「え……え、え?」
顔を下に向けると、月音が、少し下から俺を見上げていた。
「う、動かないで、下さいね……?」
そう言って、月音は、少し背伸びをしたようにして……。
俺の首筋へと、口をつけた。
「え?」
それだけ言った俺の首に、チクッとした痛みが走る。
動けないでいると、月音が口を離し、数歩下がった。
首へと手を当てると、指先に少量の血が付いている。
「急に、すみません……」
月音が、謝ってきた。
理解の外だ。
月音は右手で、口元に付いた血を拭いた。そして、恥ずかしそうに俯いた。
「でも……こっちの話、聞かなきゃいけないんですよね?」
そう言った月音の身体が、僅かに、黒く輝いた。
月音の身体は、そのまま後ろへと倒れそうになる。
「お、おい!」
慌てて駆け寄り、その身体を支える。
月音の閉じられた目が、ゆっくりと開かれた。
『不死鳥の男……白城 黒葉か。戻って来たぞ』
バッと、俺は離れる。
これは正に……吸血鬼……!
数時間前、俺を本気で殺そうとした、月音に憑いた、纏われた魔法。
もう一つの人格……!
「な、なんでお前が……ッ……!」
パラを抜いて向けると、吸血鬼は両手を挙げた。
『おいおい……月音の気持ちを無駄にする気か』
「なんだと?」
こいつが、月音、という名を、まともに呼ぶのは初めて聞いた気がする。
どういうことだ?
『もう私は、夜長三 月音の支配下だ。彼女の交神魔法なんだよ』
眉をひそめながらも、俺はパラをしまう。
確かに……こいつが出てきたのは、月音が俺の血を吸ったからだ。しかも、それは月音の意志による行動に見えた。
『あの闘技場で、重傷を負った月音は、君の血を吸った。その時……彼女は私と、精神の中で対話、対決したのだよ。私は敗れた。彼女の精神は……私の力を上回った』
「……それで?」
『だからこそ、私の意志は目覚めず、身体の傷のみが回復した。それと同時に、私の力は、彼女のものとなったのだ』
なるほど……納得がいく。
俺も、不死鳥と経験したことだ。理解はできる。
「今はなんで出てきた?」
『君が聞きたいことを、知っている限り答えるためさ』
「……!」
……月音は、分かっていたんだ……俺が聞きたいことを。
そのために、呼んだんだ。
『しかし、私も最初は興味がなかったことだ。知っていることは、君達が交神魔法と呼ぶ存在だけさ』
「充分だ。……と、最初は興味なかったって、今はあるのか?」
月音の顔だが、月音なら普通はしないであろう、皮肉ぶった笑みで、吸血鬼は頷いた。
『当然さ。月音は君の側についた。君のためなら、協力は惜しまないだろう。そうなると……私も使われることになる。ならば、主を守るということで、私も知識が必要だろう?』
こいつ、割り切るの早いな~……。
という言葉は引っ込め、俺は頷き返す。
別に、月音を危険に巻き込むつもりはない。だが、吸血鬼の力を宿しているだけで、リスクはある。そのために、吸血鬼の力を使うというならば、むしろ安心だ。
「それなら、知っていることを教えてくれ。奴らが刺客として送ってくるであろう、交神魔法を。その使い手も」
今は正に、吸血鬼の時間。
月光に照らされた吸血鬼は、軽く返事をして、近くにあった手すりの上へと座った。
『使い手、というのはよく分からない。話でしか聞いてないからね――研究者達の話だと、知名度の高いものじゃなければいけないそうだ。イメージだよ、想像力さ』
「それは分かっている。吸血鬼なんて、上位入賞だろうさ。しかしあいつら、そんな頻繁に、交神魔法の植え付けができるのか?」
サーフィスがやろうとしていること……実は、イマイチ理解できていない。
不死鳥の魔法についての研究は続けていながら、それを殺せる能力を持つ別の交神魔法を創り出したり、何が最終目標なのかがハッキリしないのだ。
『無理に決まっているだろう。私を創った者は、九人だったが……私の意識が初めて目覚めた時、その者達は気絶していた。相当な力を使うようだよ』
「なら、どうしてるんだ?」
『今のところ、私の直後に創った、七つの交神魔法を使うつもりだろうさ。それが限界だと思うけど、まだ隠し玉やら、奥の手というものがあるなら、増えているかもしれないね』
「七つ……ッ……!」
予想以上だ。
今更だが……研究者達が、吸血鬼が負けた後のことを考えていない訳がないんだ。俺と月音がぶつかる前に、別の交神魔法を創っておくというのは、当然かもしれない。
しかし、逆に考えれば……七つも創らなければならないほど、サーフィスが受けた被害は大きいのだ。
『私は夜に数回だけ、研究所と呼ばれる場所に出向いてやった。だからこそ、その七つの交神魔法を知っている。だが……彼らは、七つで一括りの存在だったため、七人同時に交神魔法を使われたようだ。人や、力が足らなかっただけかもしれないがね』
皮肉ぶった口調で言って、吸血鬼は脚をぶらぶらとさせ始めた。
「それはつまり……その七つは、交神魔法ではあるが、お前ほどの能力はないってことか?」
さあね、と吸血鬼は首を傾げた。
『あくまでも、誕生の瞬間を見ただけさ。能力については知らないが……確かに、不完全に見えたね。だけども、甘く見るなよ? 不完全というのは、その存在と、能力の安定さであって、その能力値じゃあない。値だけなら、そう変わらないよ』
バランスは悪いが、パワーはあるってか。
そもそも、吸血鬼との戦いで弱った俺を狙って来ないなら、まだ本調子ではないのだろう。吸血鬼だって、月音の身体を奪うのに、相当苦労してたしな。
「分かった……忠告、覚えておくぜ」
『賢明だね。そろそろ、私は引っ込まなきゃいけないようだ……っと、言い忘れていた』
「ん? どうした?」
『言い忘れていたよ。七つの交神魔法の原型は……七つの大罪、悪魔、だそうだ』
七つの大罪……?
聞き返す前に、月音の身体が僅かに揺れた。
もう一度、その身体を支えようと駆け寄ったが、月音はすぐに意識を取り戻したようだ。
「……え、えっと……その……私、今はまだ、吸血鬼さんの時の記憶があまりなくて……大丈夫でしたか?」
吸血鬼に、さん付けときたか……すげえな……。
「ああ、大丈夫だよ……色々と聞かせてもらった」
七つの大罪……聞いたこと、ある気がする。




