第152話 偽りの続き
ちょっと前のことである。
陽愛の父親の前で、恋人同士を装ったのだ。
要約すると……どっかの金持ちに、陽愛が目をつけられた。求婚される。断りたいので、彼氏がいるという嘘を吐いた。その証拠に、俺を交えた対面式もあった。
ここまでは……ここまでは良い。まだ大丈夫だ。
しかし、だ。求婚というハードルを越えるために、俺もレベルの高いを嘘を吐いた。
この場合のレベルは、質の問題ではない。大きさのレベルである。
俺は将来、陽愛と結婚しようと思っているらしい。
◇
「ちょ、ちょ、ちょちょっと、ちょっと待って下さい!」
自分でも気持ち悪いと分かるぐらい、俺は狼狽えながら言った。
横目でチラッと見ると、陽愛は顔を真っ赤にして俯いている。耳まで真っ赤だ。
「ん? どうしたの?」
暢気そうな陽毬さんに、俺は右手を顔の前で強く振って見せた。
「違うんですよ、その話は! その……深い事情があってですね……!」
首を傾げる陽毬さんに、詳しく事情を説明しようとして、俺はグイッと右袖を引っ張られた。陽愛が、俯き加減で立っている。
「な、なんだよ……」
陽愛の口元に耳を近付けると、少し躊躇いがちな答えが返ってきた。
「こ、これ……教えちゃって大丈夫かな?」
「はあ?」
聞き返すと、少し強めな口調で、陽愛が続けてきた。
「説明すれば分かってもらえるとは思うんだけど……嘘ってなると……」
「え……いや、だって……父親にバレなきゃ、大丈夫だろ?」
「だ、だけどさ……ちょっと心配っていうか……」
よく分からないが……誤解を解いちゃまずいってか?
嫌だよ、誤解が広まりそうで。
そもそも、父親に嘘を吐く必要性だって感じない。それこそ、事情を説明すれば分かってもらえるだろう。いくらお偉いさんの息子だろうと、今まで顔さえ見せなかった父親が、強く出れるハズがないのに。
「お二人さん、どうしたの?」
陽毬さんへ、なんて返答すれば良いか分からなくなってくる……。
その時、陽愛が体を反転させ、スッと前に出た。
俺が驚いて振り返ると、陽愛は深く息を吐いてから、堂々と言葉を発した。
「私と黒葉が付き合ってるってこと、誰にも秘密にして欲しいんだけど!」
えええええーーーーー!!??
「お、お、おいおいっ!?」
慌てて割り込もうとするが、陽愛に押し留められた。
「ん、どうして?」
暢気に訊く陽毬さんに、陽愛は滑らかに返答した。
「私が昔から、恋愛事情で揉め事に巻き込まれるのは知ってるよね? だからもし、このことが知れ渡っちゃったら、また何か起こりそうでしょ? 黒葉を危険に晒したくもないし」
お前、嘘に嘘を重ねる気かぁっ!?
俺としては、そっちの方が心配っていうか、不安なんだけど!?
「う~ん……なるほど。確かにね。言いふらすことでもないし」
「だ、だよね……」
安心したような声で、陽愛も首を縦に振る。
ただ一人、俺だけが取り残されている状態だ。
「ひよ――」
「じゃあそういうことだから!」
誤解を解くどころか、言葉を発する隙さえもらえず、俺は陽愛に引っ張られていく。
笑いながら手を振ってくる陽毬さんに、とりあえず頭を下げて、俺は陽愛の隣に並んだ。
「おいおい……どうする気だよ……いつかバレるぞ」
「その時はその時……私だって、混乱しちゃったし」
俺が半ば呆れたように言うと、陽愛は俺から顔を背け、ぶっきらぼうに返してきた。
まあ……俺も対策というか、対応を考えていなかった訳だし、お互い様だが。
それより、陽愛があらかじめ、陽毬さんに説明しておけば良かった話じゃないか?
「なんとかするよ……巻き込んだのは私だし」
かなり投げやりに、陽愛が呟いた。
そうしてもらうと、ありがたいのだが……失礼ながら、期待はできないだろうな。
陽愛は、こういうことに関して、交渉とかが下手すぎる。
トラブルに巻き込まれてきたことから、恋愛関係は避けて生きてきたんだろうが……だからこそ、上手く事態を収めたりするのが苦手なんだ。
そう遠くない過去に、交渉が失敗して暴行されてるしな。
「あ~……じゃあ、あれだ。俺に話させてくれよ。陽毬さんと」
信用してないと思われたくなくて、少し言葉を濁しながら言うと、陽愛はチラッと俺を見てくる。
数秒の沈黙の後、小さく陽愛が頷くのが見えた。
◇
麺父に戻ると、そこには既に駒井がいた。
いや、それだけじゃない。
俺の顔見知りでない、俺や輝月先輩達より年上と思われる男女数名が、座敷でくつろいでいた。
「輝月先輩、戻りました」
「鷹宮さんだね? 今日は応援等ありがとう」
俺が輝月先輩に声をかけると、すぐに陽愛への労いの挨拶が返ってきた。
陽愛が慌てて挨拶の返しをしている間に、俺は視界の端で、数名の男女を少しだけ見させてもらう。
っと……そういうことか。
この人達は、輝月先輩達の師匠役だったのだろう。
今はくつろいでいるため、ハッキリと分からないが……それでも、かなりの存在感だ。
「とりあえず、乾杯しましょう」
そこそこ揃ったようで、輝月先輩がグラスを持ち上げた。
全員がそれに倣い、各々のグラスを持ち上げる。
乾杯、の掛け声に全員が続く。
「白城くん、お疲れ様」
駒井が、笑顔で俺の側へやって来た。
「おう、ありがとう。わざわざ呼び出して、迷惑だったか?」
「ううん、大丈夫。本当に、今日はすごかったよ」
話しながら、俺は今日の出来事を思い返していた。
俺と月音の試合中、裏でネクストプロジェクトの研究者が動いていたのは分かる。
しかし……どうも納得いかないことが多い。
まるで、俺の知らないピースがあって、それが重要な役割を果たしているようで……。
「なあ……今回の騒動の中に、俺と会ってない人がいないか?」
陽愛の服を引っ張り、小声で訊ねる。
「会ってないって、どういうこと?」
「ほら、試合が終わった瞬間、江崎や小鈴ちゃん達と一緒に来ただろ? あの中にいなかった人で……」
聞き返されたので、分かりやすく言い直すと、陽愛は得心したように頷いた。
「うん、いるよ」
「教えてくれよ……正直、それが重要かもしれないんだし」
かも、じゃないだろうが。
俺の知らない、持ってないピースと言えば、それぐらいなのだから。
「でも、知らない人がいたよ? 星楽さん……とか言ったかな? 後は、私のお姉ちゃん」
「え!? 陽毬さん!?」
予想だにしていなかった人物が出てきて、俺は思わず声を上げた。
しまった……さっき逢った時に訊けば良かったんだ。
知らなかったとはいえ、俺のミスだな……。
「後、黒葉のお兄さんかな?」
へえ、兄さんが……。
…………。
「はあっ!? 兄さん!? な、な、なんで兄さんが出てくるんだよ!?」
「え……だって、あの場にいなかった人でしょ? だから言ったんだけど……」
陽愛が、俺が驚いている意味を誤解して、困惑気味に説明してくれている。
そうじゃないんだよ、陽愛……。
俺の兄さんが、なぜそこにいたんだ? なんで、何も言わずに……急に現れては、すぐにいなくなるんだよ……。
兄さん……あんた、何をやっているんだ?
「えっと……ね……私もよく分からないんだ。あまり気にしないで?」
俺の雰囲気が変わったことに気付いてか、陽愛が取り繕うように言ってきた。
まあ……なんだかんだ言って、俺は何もやってない訳だしな……。
これはもう、仕方ないな……。
日常にだけ逃げ続けて、問題を先送りするべきじゃない。
この打ち上げが終わったら、俺も本格的に動こう。
「……ありがとう、陽愛。あ、それと……陽毬さんに連絡をとってくれるか? 話したいんだが」
俺が言うと、陽愛は頷きかけてから、少し複雑な表情をした。
「ん? どうかしたか?」
「えっ……いや、大丈夫だけど……ほら、さっきのこともあるし……」
「……」
しまったな……先送りすべきではない問題が、ここにも発生していたんだった。




