第145話 聖なる魔装戦~全て戻りゆく――last happening
医務室では、少し荒い話し合いとなっていた。
「とにかく、小鈴に『完全消去』を使わせる訳にはいかない」
断固として、登吾が繰り返す。
その回数は一桁では収まらない。
「なぜですか!? あなた自身も、可能性があると言っていたのに!」
ムキになったように、悠が訊き返す。
少し離れた場所で、陽毬が厳しい表情でそれを静観していた。
栢は何も言わず、鋭間たちの傷の具合を確かめている。
陽愛と栄生は小鈴の髪を撫でながら、チラリと気絶したままの星楽を見た。
時折、星楽が目を覚ましそうな兆候はある。その前に、この話し合いならぬ、言い合いを収めたいと、誰もが思ってはいるのだが……。
「白城くんが心配なのは分かるし、一刻も早く、事態を収拾したいのも分かる。だが、遅すぎた。今更、何をしても変わらない。それならば、サーフィスとの戦闘の危険性を考え、待機すべきなんだ」
ゆっくり噛み砕くように説得する登吾に、悠は拳を握り締めた。
「試合時間は、もう五分もない……それなら、どうするんですか?」
「簡単なことさ。君たちがお得意なことをしてればいい」
皮肉めいた言い方で、登吾が笑みを浮かべた。
「白城くんを信じて待てばいい」
◇
それから、数分……いや、数十秒だったかもしれない。
星楽が目を覚ました。
武器は全て取り上げていたため、危険性は低かったが、誰もが警戒を怠りはしない。
「……つまり……君は……仮にも、妹である夜長三月音を、実験体として提案したのかい?」
登吾の確認に、星楽は諦めたように頷いた。
厳しく問い詰め、今回の始まりを少しだけ話させたのである。
星楽がサーフィスのメンバーとなった日は浅い。自分一人しかいない場面で、厳しく尋問されているのだ。今回の情報は、それを跳ね除けてまで守りたいものではない。
そもそも星楽は、研究者間では希少である戦闘要員として重要であり、プロジェクトに密接に結び付いていた訳ではない。
「……あなたは、そんなことをして良心が咎めないんですか?」
声に怒りを滲ませ、栄生が問いかける。
しかし、星楽はそれを一笑に付した。
「ははっ……良心、ねえ……? 良心ってなんなの? 交神魔法なんていう、明らかに国際魔装法条例に違反したものを創り上げるのに、良心なんて意味ないの」
それを聞いて、陽毬と登吾以外の全員が首を傾げた。
「交神魔法……?」
確か、黒葉からそんな言葉を聞いたことがある、と思った陽愛が呟く。
その様子に気付いた星楽が、見回してから鼻で笑った。
「信じられないねぇ……ここまできて、知らないっていうのは……江崎さんは、やっぱり知られたくないのかなあ?」
全員の視線が、登吾へと注がれる。
斜め下に視線を逸らし、登吾はため息を吐いた。
「……まあ、ここまで巻き込んでおいて、説明もなしじゃ文句も出るとは思っていたけれど……まったく、余計だよ」
睨みつけられて、星楽は肩を竦めた。
「みんなも気付いてはいると思うんだが……この、闇夜の空間魔法を創り出しているのは、夜長三月音だ。この規模を、一人で」
再びため息を吐いて、登吾が続ける。
「そんな力は通常じゃありえない。そして、そのありえない力こそ、交神魔法なんだよ」
「それは……魔装法、なんですか?」
悠の疑問を、登吾は首を縦に振って肯定した。
「少なくともその枠からは出ないだろう。交神魔法というのは最初、誰か一人が発動させるものじゃない。別の魔装法使いが、少なくとも十人……それ以上が集まり、誰か一人に使うんだ」
室内の静寂が、登吾の耳には痛かった。
いつかは知られるとは理解していても、自分の口から、しかも複数人に語るとは思っていなかった。
「それが成功することで、その誰かが使えるようになる……しかし、それは恐ろしく非人道的な意味合いなんだ」
「えっと……どういうことなんですか?」
陽愛の質問に対して、登吾は肩を竦めた。
「使う本人は、その交神魔法を体内に宿すんだよ。身体の一部のようになり、離れない。消えない。なくならない。つまり、人の存在が、魔装法の条件である、物へと変わるんだ」
絶句する一同を見て、登吾は後悔していた。
やはり、話すべきではなかった……これではいずれ、黒葉の身体の事情にも、繋がってしまう、と……。
「僕は宿してもいなければ、発動さえしたことはない。まず、できない。だから……あまり詳しくは知らない。あくまでも、紙面上の、文字と数列の並びを読んだだけさ」
その時、室内の静けさを嫌がったかのように、ガラスが割れるような音が響いた。
暗く重かった空気が、少しずつ溶けていく。
言葉もなく、しかし申し合わせたかのように、陽愛たちは医務室を飛び出していった。
残ったのは、床に座り込んだままの星楽と、壁にもたれた陽毬だけだ。
「……どうやら、あなたは放免らしいよ? 無罪放免じゃあ、ないけど」
陽毬が静かに言うと、ゆっくりと星楽が立ち上がった。
「ま、それならそれでいい。今回は、サーフィスの負けにしといておく」
「代表で敗北宣言しちゃうの? 怒られない?」
軽口で返す陽毬を、星楽は無視した。
「それに、試合場に行ったら意外と大変かもよ? 黒葉くんが死んでて、最強の吸血鬼が誕生してる! みたいな」
おどけた口調で続ける陽毬を、星楽は気怠そうに見た。
「……そう思ってないじゃないか。私も思ってないけどさ。まず、それならば……こんな風に、空間魔法が崩れたりはしない。やはり、不死鳥が勝った」
「だろうね。それでも、どちらかが進化すればいいとか思ってるんでしょ? でも、黒葉くんは君たちを敵視してるんだよ? 利用なんて出来ないじゃん」
「別に、利用というのは、首輪を付けて飼い慣らすだけじゃない」
天井を見つめ、陽毬はわざとらしくため息を吐いた。
「そんなことを思ってると、近い内に終わるよ?」
しかし、既にその場に星楽はいなかった。
「……間違ってる……そんな力の求め方は……間違ってる……」
呟いた陽毬に、応える者はいない。
◆
……ここは……どこだろう……?
暗く、何もない。ただ、遠くに炎が見える。
ゆっくりと近付くと、その中で大きな鳥が燃えていた。
『いずれ失う……絶対的な力と生命には、犠牲がいる……それを求める先で、お前はいずれ、失っていく……』
その鳥が、静かに語りかけてきた。
「それはなんだ? 俺が、何を失う?」
訊いた途端、一際大きく炎が燃え上がり、鳥を焼き尽くした。
そこに積もった灰の中から、小さな雛が顔を出す。
『失うものは選べる……だが、失わないことは選べない……お前は、大切なものを失う……誰かの為に、何かを捨てなければならなくなる……』
「それは……捨てるものは……俺、自身か? 命なのか?」
俺の問いに、雛は甲高く笑った。
『そんなに、お前に対して甘くはない。いつの時代も、英雄が失うものは……己ではなく……しかし、己よりも己を苦しませるものなのだ』
◇
目を開けると、空は快晴だった。
雲は過ぎ去ったらしい。
曇り空でもなければ、まして夜でもない。月は輝きに隠れ、太陽が照りつけている。
「……今のは、夢……で、いいのか……?」
身体を起こそうとして、違和感に気付いた。
いや、違和感という感じじゃない。重さ、というべきか?
倒れている俺に折り重なって、月音が覆い被さっているのだ。
抱き着くように、しがみつくように。
「……月音」
肩を掴んで揺すったが、閉じられた瞼は開かない。
嫌な考えが脳裏を掠め、俺を揺さぶった。
疲れ切った身体を無理に動かして、月音の身体を起こす。その身体を仰向けに寝かせ、胸の傷を確かめる。
制服は無残に斬られ、血で真っ赤に染まっていた。
「お、おい……月音ッ!」
叫んだ瞬間、首筋に痛みを感じた。
反射的に右手を、左の首筋に当てる。
歯の痕がある……それを上書きするように、牙の痕も。
どうなったんだ?
この様子から、吸血鬼は復活していないようだが……。
制服の胸元の切れ目に手をかけ、乱暴に引き裂く。ワイシャツのボタンを数個外し、傷を確認する。
「……まったく……世話かけさせんなよ……」
治っている。
完全に。傷跡も残らないだろう。
ったく……世話焼かせてくれて、ありがとう。
自分で、自分が笑みを浮かべているのが分かった。
良かった……無事に、全てが終わったんだ……。
「黒葉ぁーーー!!」
突然の叫び声に、俺は驚いて周りを見る。
観客席の人たちは、まだ気を失っているようだし……。
そう言えば、吸血鬼は最初に言っていた……自分が顕現したことによって、会場の人が気絶した、と。
だが、それだけじゃないような気がする……おかしい……何か、人為的な何かが……。
「――黒葉っ!!」
「うおっ!?」
すぐ近くから怒鳴られ、思わず飛び退く。
しまった……考えに没頭していて、さっきの叫び声の正体に気が回っていなかった。
「って……陽愛? な、なんで……? それに、品沼もいるし……不舞さんも……」
もう一人、第二の制服を来た女子がいるが、見知ってはいない。
つうかまあ、それより――
「江崎っ……!? なんでお前まで……それに、小鈴ちゃんも」
混乱する俺の前に、おずおずと小鈴ちゃんが進み出てきた。
「あの……私、話さなきゃいけないことが……いえ、謝らなきゃいけないことが……」
「?」
首を傾げる俺に、小鈴ちゃんは顔を真っ赤にしてモジモジし始めた。
「それより!」
微妙な空気を引き裂くように、陽愛が声を張り上げた。
驚いてその顔を見ると、小鈴ちゃんの比じゃないぐらい、顔を真っ赤にしている。
「なんで……夜長三さんの服を脱がしてるの?」
その場にいた全員の視線が、一気に倒れた月音へと注がれる。
それから、沈黙する俺へと移った。
「白城くんは、本当にすごいと思うよ」
品沼が苦笑いする。
睨んでくる陽愛に、俺は、丁寧に頭を下げるのだった。




