第101話 深夜の訪問者
軽い目眩を感じながら、俺は身体を起こした。
どうやら、倒れていたようだ。
なぜ、自分の身体の状態に関して、どうやら、などという表現を使っているのかというと……さっきまで、自分の意思で動いてなかったからである。
そんな表現を使うと、無責任だが……。
「ん……」
今更気付いた。
陽愛が、俺に抱きつくようにして寄りかかっている。
「そういや、そうだったな……」
この発言も無責任だ。陽愛は俺を助けるために危険を冒してくれたんだから。
両手を俺の背中に回し、頬を胸に当ててきている。目を瞑り、気を失っていた。
陽愛の長い黒髪を、そっと撫でた。
床に、ゆっくりと仰向けに寝させる。
「これ、か……」
陽愛の怪我を知って――というか、見ていたが、それでも慌てなかった。その理由は、あいつが約束を守ってくれるということだったからだ。
陽愛の左胸の傷。その傷口が、水滴に覆われている。
正確には、涙、らしいのだが。
「さすがに、できねえなあ……これは」
その涙が傷口に吸い込まれ、その傷を塞いでいく。
「ん、がっ……」
顔だけ振り向くと、輝月先輩が起き上がって頭を振っている。
「あ……おはようございます……」
俺が頭を下げると、輝月先輩は一瞬、眉を寄せた。そして、すぐに納得したように頷いた。
「おはよう。君も、起きたんだろ?」
「はい、お陰様で。すみませんでした……迷惑かけて」
輝月先輩は立ち上がって、首を振った。
「いや……俺も、色々迷惑かけてきたしな……清算ってことにしよう」
それだけ言って、特に言及もせずにアリーナから出て行った。
すげえな……不死鳥の涙で回復はしたんだろうけど、すぐに動けるとは。さすがって感じだ。てか、あの人に何回、さすがだ、って感じてんだろ。
「ん……ぁ、ん……」
陽愛が小さく吐息を漏らして、軽く身を捩った。
そして、ゆっくりと目を開いた。
「よ、よう」
俺が片手を挙げると、こっちを見て、一瞬キョトンとした。
「く、ろ……ば?」
「ん? あ、ああ……そうだけど?」
状況が飲み込めないのか……気絶すると、その前の記憶を失うって聞くしな。
しかし、それは少しの間だけで終わったらしく――
「黒葉っ!」
「へ? おわっ!」
いきなり飛び起きて、そのままタックルしてきた。というよりは抱きついてきた。
そのまま倒れてしまい、俺が身体を起こした直後と、ほぼ同じ状態になってしまった。
「ひよ――」
「……心配した」
小さく、陽愛が呟くように言った。
「それに……怖かった。もう、黒葉と会えなくなるんじゃないか……いなくなっちゃうんじゃないか、って……」
涙で俺の制服を濡らしている。
「……ごめん。悪かった……でも、本当に――」
おそらく、この涙は――
「ありがとう」
――不死鳥の涙よりも、俺には効くんだろうな。
◇
その後、意識を取り戻した品沼と陽毬さん、羽雪さんは、アリーナを出て行った。
その際、三人は俺に、信じていたよ、とだけ言ってきた。
かなりむず痒くもあったが……まあ、嬉しくない訳でもないしな。
少しだけでも後片付けをして、俺もアリーナを出た。
落ち着いた陽愛は、先に、桃香と瑠海の所に行かせている。
「ああ……無駄に銃弾使っちまったか……」
拳銃を確認して、ため息をつく。
そんな場合じゃなかったのだが、終わった後だとそんなことを考えてしまう。
適当なことを思っていると、下校時刻を告げる放送が響いた。
「おっと……やべえな」
急いで教室に駆け込んだ瞬間、俺の鞄が飛んできた。慌てて取る。
「やあ」
「品沼……」
俺に片手を挙げ、薄笑いを浮かべている。
「お疲れ様ってとこかな……お互い」
「品沼……悪い、俺――」
「いいよ。今は、話さなくても」
素晴らしい気遣いのできる同級生は、俺の肩を軽く叩いて、教室を出た。
「ほら、急ごう。二つの意味で、早くした方がいいよ?」
「もう、遅いよ!」
靴を履き替えて玄関を出た瞬間、そんな声がかけられた。
「品沼くんも、早く連れてくるって言ったのに~」
「あはは……ごめんごめん」
瑠海に言われ、品沼は困ったように後頭部に手を当てた。
桃香が後ろにいるが……陽愛は、いない。
そんな俺の考えを察してか、桃香が近付いてきた。
「陽愛なら、お姉さんと一緒に帰っちゃったよ?」
「あ、ああ……そうか。それなら、いいんだ……」
なんだ……これ……。
「ほら、帰ろうよ」
瑠海の声に押され、俺たちは家路についた。
◇
簡単な煮物を盛り付けながら、あることを思いついた。
拳を握って目を閉じ、炎の……不死鳥の炎、あの魔装法のイメージをする。
数秒後に目を開けたが……出ていない。
「なんでだ……俺にも、使えたハズ……あの空間だったから……?」
だとしたら、結構ショック。
え~……あいつに申し訳なくなってしまう。
「……お兄ちゃん?」
「え?」
顔を上げると、青奈が不安そうな顔をしてこっちを見ていた。
「どうしたの?」
「い、いや……なんでもない。気にすんな」
曖昧に誤魔化して、俺は皿を持ち上げた。
◇
目を開けると、青奈の顔があった。
うん。自分で何を言ってるか分からない。いや、まず何が起こってるか分からないんだから仕方ない。
「お、おい……青奈……何してんだ……?」
チラッと時計を確認すると、時刻は夜中の一時。
完全に眠っていたのに、ふと目が覚めて……青奈が俺に覆い被さっているのが目に飛び込んできた。
「ぉ、にい……ちゃん……」
暗闇(しかも青奈が上なので、その顔は影になっている)で目を凝らすと……青奈の目はトロンとしていて、頬が赤い。
震わせるような声音で、呼んでくる。
「ど、どうしたってんだ……おい……」
状況が理解できず、混乱するしかない。
……声とかもあって……なんか、妙に青奈が色っぽい――って、おいおい。妹だぞ? 何を勘違いしているんだ、俺。
とりあえず起き上がろうと、青奈の両肩を掴んで上体を起こそうとした。
その瞬間……おもむろに、青奈が自分のパジャマのボタンに指を寄せて外し始めた。
「うっえっ!? は、ははっいぃ!?」
自分でも意味の分からない声を上げて、なんとか青奈を押し退けようとするが、体勢からして不利な状況だ。
その間に、青奈は少しずつボタンを外し……その中が、チラッと見えてしまった。
いや……別に、妹だから? 大丈夫だよ? うん……大丈夫なハズ……うん……。
しかし、胸の辺りが見えた瞬間……俺の頭が一瞬で冷静になった。
「なあ……」
「なぁに……?」
俺は軽くため息をついて、力を脱いた。
「誰だよ、お前」
正直……確信が持てるほどの証拠はなかったが、この方が納得いく。
「青奈じゃないだろ?」
数秒だけ固まって、突然、小さく笑い始めた。
「くふ……うふふ……さすが、お兄ちゃん、っていったところですか?」
「まったく……妹で色仕掛けとか、誰だか知らんが正気かよ」
すると、相手は少し身体を起こして、可笑しそうに口元に手を当てた。
「あら、意外と効いていたようですが?」
「――っ! そ、それは……」
「ちょっと意地悪でしたか? でも、すぐに気付いたのではないでしょう? 私だって、自分の能力については少しぐらい自信がありますし」
たじろぐ俺に、本当に不思議そうに訊いてくる。
俺は再びため息をついて、相手の胸の辺りを指差す。
「いや……青奈は、寝る時にブラは着けねえんだよ……てか、キャミソール……だっけ? ああいうのも着ないんだよ。暑いからって」
パジャマを直接着ている。
そこまでいくと、色々とどうなのだろう……と、不安になってるお兄ちゃんだが、本人はお構いなし。
さすがに相手も、意外な理由にキョトンとしたが、また笑い始めた。
「ああ、そうでしたか! それはそれで、兄妹って感じですわね。下着は着けないでおくべきでしたか。私の油断ですわ。まあ……確かに、青奈はブラジャーは必要ないかもしれませんね」
「……それだけは、この頃意外と気にしてるらしいから、言ったら殺されるぞ」
うん……あいつにもコンプレックスがあったって話だ。
女子として気にしてるんだったら、もっと別の所に気を遣うべきだと思うのだが……。
「それは恐いですわ。――と、今は楽しくお喋りしてる時間はないのでした」
その言葉に、俺は眉をひそめる。
色々なことがありすぎて、無視しまくっていたが……まず、この少女は、本当は誰なんだ? そして、なんで俺たちの家にいて、俺の部屋にきて、青奈に化けて、俺に乗っかってたんだ? てか、どうやって化けてる? 目的はなんだ?
「まあ、そう構えずに聞いて下さいまし。別に、争いに来た訳ではありませんので」
「……じゃあ、何が目的なんだ?」
「目的、というほどでもありません。ただの、お報せですわ」
肩を竦める少女に、俺は更に不信感を募らせる。
これです、とパジャマのポケットから紙束を取り出した。
なんだこれ……捜査資料……?
「おい、これって……」
驚く俺に、少女は事も無げに頷いてみせた。
「警察の捜査資料です。あの、通り魔事件の」
「!」
通り魔事件――魔装三大都市で次々と起こっている、連続無差別通り魔事件の事だ。
俺も、その事件の被害者である。
「これをお渡しするために、この姿になって来たのですわよ」
「なんで……これを……俺に?」
すると少女は、悪戯っぽく目を細めた。
「だって、小鈴ちゃんにも頼まれているでしょう?」
「! なんで、それを――!?」
しかし、その問いには首を軽く振るだけだった。
「私は、裏で大きく動ける、数少ない諜報員みたいなものですわ。そして……彼女の身に起きていることは、私からは言えません。彼女を救うためにできることは、これぐらいです」
唖然としながらも、少女からその資料を受け取る。
彼女の身に起きていること……? 小鈴ちゃんに、何かあったのか?
「それでは」
ハッとして見ると、窓が開いていて、その窓枠に少女が座っていた。
「またいつか、お会いしましょう」
「お、おい!」
スッと少女は身を躍らせると、そのまま月夜に消えていった。
なんだったんだ……彼女は。
一応、青奈の安否を確認しに部屋に入ると、静かな寝息を立てて寝ていた。
パジャマのボタンは外れていて、かなりはだけていた。胸元が微かに見えている。
「まったく……確かに、これじゃあなあ……」
呆れて笑い、なんとか服を整えてやった。
自室に戻り、資料を広げる。
厄介事が増えちまったよ……ったく。




