第一章 柊 優華という暴走女(3)
という訳でまた投稿です。
四話目、よろしくお願いします。
一時限目はどうやら理科らしかった。というか『仮装準備大会』の所為で一、二時限目しか今日のカリキュラムには存在しない。
何故理科と分かったかと言えば、理科主任の祭文先生(名前に反し祭りは嫌いらしい)が何故か持ってきた実験器具でこれまた何故か異様な臭いを漂わせているからだ。
階段を鎖で首を絞められながら降りつつ、竜也は顔をしかめた。
「うへぇ………。今日はキツいアルコールか?」
「如月君、酔って変な事しないでよね」
「こんなんじゃ酔わねぇよ――――というか真面目に顔を少し赤らめるな。反応に困る」
「だって、朝だってスカート盗るし」
「わざとじゃねえ」
「へー着替え覗いてビックリしてスカートパクってトイレ駆け込んだのが偶然ねへー」
「も、もうやめてくれ……っ! それはもう黒歴史だ! 今日の朝だけど!」
という叫びを最後に、二人は自然と分かれた。
階段の踊り場に放り投げた(優華が)鎖も気になるが、それ以前にここからは二年の生徒が多くなる。あまり良いウワサも流れない方がお互いの為だろうと判断したのだ。
教室に近寄った途端、男女混合で総勢八人の生徒グループにワラワラとたかられた。
「うおっ!? 何だお前ら!?」
「で、カシワギさんとはどうだったの!」
「ヒメラギさんの純白を穢したって相当な事したんでしょアンタ!」
「クソ、どうしてお前みたいな地味なヤツとサキラギさんが!」
「どうしてコイツなんですキメラギさん!」
………という感じで詰め寄られたのだが、誰一人として優華の事をヒイラギと呼んだ人間は存在しなかった。記憶から自分を消す超能力でもあるのかと錯覚したぐらいだった。
ソイツらを振り払いながら教室に入ると、なるべく不機嫌オーラを出しながら自分の席に着いた。イスに座るときにガタンと音を鳴らすのも忘れない。
そしてそのまま物思いにふけろうとした時、
「竜也ァァァァァァァァァァッ! お前、柊さんとはどうだったんだゴラァァァァッ!!」
うるせぇのがキター。
「…………なんだよ桜崎」
「なんだよもこうもクソもどうしようもねえよ!」
「色々混ざってんぞ」
「なら一言で表してやる! 『羨ましいぃぃぃぃぃぃっ!!』」
「結局そこに行き着くのな」
バカみたいにハイテンションなヤツの名前は、桜崎凰火という。
言った通り中身も完全なるバカで、女にも男にも分け隔てなく接する事から学年の連中にも妙にウケが良かった。竜也とは今年初めて顔見知りになったのだが、もう四月ぐらいからずっとハイテンション以外見たこと無いレベルだった。この調子だと、万年このハイテンションキャラを固定しているのだろう。大変疲れそうなキャラ設定である。
「お前隣のクラスだろ。もう授業始まんぞ」
「D組は一時限目自習タイムだそしておいコラ答えろ柊さんとはどう言った―――」
「わ、わわわ分かった! 答えるから離せ襟首が伸びる伸びるから!」
咄嗟に掴まれた襟首を理由に付けたが、本当は斜め前の席に座っている優華が背中越しから凄いオーラを出しているから口止めをしたのである。
「…………………その、あれだよ」
「どのあれだ」
斜め前の優華と肩が少しだけ、強張る。
それを一瞥すると竜也は、
「………………ほら、今日って『仮装準備大会』だろ? 俺達、昇降口の飾り付けだから作戦会議だよ。三時限目からだから前もっての会議をしてたんだ」
「…………何か上手く言いくるめられた感はあるが、今日は引っ込んどくぜ」
「ありがとよ」
「あ! そこでお礼とはやっぱり何か他に――」
「何だよもう面倒臭ぇヤツだなっ!」
強張った肩がホッと解き解されるのを視界で確認すると、ホラホラお前はエロ本読んで保険の自習でもしてろと桜崎を教室へ帰し、無事に自分の席に戻った。
(……………そうだ。『目先の問題よりも、まずは今日』だしな)
自分にとって鎮静剤のような言葉を唱えながら、竜也は取り敢えずこのアルコールの臭いを乗り切ろうと決意を固めた。固める所が違うんじゃねとか言ってはいけない。
結局クラスの四分の一がリタイアしたアルコールを耐え切った竜也は、今朝とは違う男子トイレで深呼吸をしていた。
何せ廊下にまでアルコール毒ガス(そう命名していいだけの威力はある)の猛威が迫っているのだ。換気扇があるこの場所こそ実は一番空気が新鮮なのかもしれない。
「…………………し、死ぬ……………祭文の野郎、その内裁判沙汰になるぞ…………」
窓を開け放ち、外の空気を吸い込むと、喉元を少々乱暴に空気が抜ける。
この男子トイレは二年用のではなく、同じフロアの端っこにあるが誰も使っていないといういわゆる『曖昧な場所』にあるトイレだ。結果、人が殆ど寄り付かない。
それに端っこなだけあってあのアルコールの臭いも少ししか(する事はするが)しない。まさに竜也は絶好の穴場を見つけた物である。見つけたのはほんの三日前だが。
「掃除のおばちゃんは一応来るし、結構キレイだしな」
トイレと言えば不潔と思うだろうが、それは単なるイメージでしかない。
普通に『学校のトイレ』といえば床がタイル張りの冷たいアレをまず連想するだろうが、このトイレは床には何か大理石みたいなのが埋め込まれているし、壁のタイルだってとてもキレイに磨いてあるし、さらに換気扇はあるし軽い暖房まで付く。臭くもない。
あとここにテーブルとイスがあれば、竜也は間違いなくここで暮らせる自信がある。
「……………………さて、と」
そこで竜也は個室のドアに寄り掛かると、少し思案顔で目を瞑った。
(―――――――――俺、柊と上手く話せるかなあ?)
正直な所、ノリで話せば先程のように話せるだろう。
だが、いざあんな頓珍漢な話をされたら全く竜也は適応する事が出来ない。
それ以前に、ここ最近で身の周りが物騒になってきているのだ。さらに頭に危険要因を叩き込めと言われても、身体がそれを受け付けない。磁石のように反発するのだ。
「……………………………磁石のように反発する、ねえ」
不意に、背後。
「磁石なら普通くっつくんじゃねーの?」
「うあっ!?」
慌てて振り向くと、竜也が背中を預けていたドア……その奥から声がした。らしい。
「だ、だだだだ誰だアンタ!?」
「オイオイ、そんなビビんねーでくれよ。こっちも君が気になって来たんだから」
「声からして男だろ! なんだ気になったってこのホモ野郎!」
「そっちじゃねーよ」
冷静なツッコミが入った所で、内側からドアが開いた。
出てきたのは、やはり男子………というか男だった。
まず制服を着ていない時点で怪しいのだが、制服の代わりになんか黒くてデカいコート……というかこの大きさだとマントを羽織っている。中には更に白衣が着こんであった。
顔は以外と端整な顔立ち……なのだが、年齢を結構食ってそうだった。ギリギリ二十代後半と言えばそんな気もするが、三十代前半と言えばそんな気はしてくる。しかしその銀と白の間というかグレーの髪の毛は如何なものか。それに、ヒゲをジョリジョリと手でいじっている辺りやはりオッサンの気があるようだ。
そのグレーオッサンはこちらを見ながら、
「……………というか、君が例の如月竜也君か。結構イケメンだねぇ」
「………………………………………は?」
目の前のヤツが、とても怪しく見えた。
イケメンとかいう言葉に動転しているのではない。
動転している原因となる言葉は、別にある。
「……お、お前………今、俺の事、『例の』って………………?」
「うん。言ったねぇ。君が『例の』如月竜也君か、って言った」
「…………お、俺を知ってるのか?」
「知ってるも何も、有名人だよ」
「なっ、」
するとグレーオッサンは片手を竜也の前に突き出した。
「おっと、面倒だからそういうリアクションはナシだ。俺ぁ面倒なのは嫌いなんでね」
「め、面倒って………」
「とにかく、だ。君も見ただろう? あの『水』」
「っ!」
一瞬で、喉が干上がった。
恐怖で、ではなく。
コイツになら、あの水を見たコイツになら、何か分かるかもしれないと思ったからだ。
「あ、あれの事を知ってるのか!?」
「うん、知ってるよ。凄くすっごく、深い所までねぇ。………ま、結局は君も知る事になるんだろうけど、教えといてあげるよ」
「『水』の正体を知ってるんだな!? ―――――なら、アイツ呼んでくる!」
思わず歓喜に震え、竜也は教室から優華を呼び出そうとした。
しかし、
「やめといた方がいいよ。きっと後悔する」
「……………………………………へ?」
目の前のグレーオッサンは、それを平気な顔で止めにかかった。
「君が、じゃなくて彼女が、だけどね」
「………お前、柊の事まで知ってんのか………………?」
「元々、俺がここに来たのはそれが理由だ」
「…………お前が柊になんかしたのか?」
「心外だなあ。仮にも今からあの『水』の解決策を伝授してやろうって人に対して、その態度はいささか社交性に欠けると俺ぁ思うね」
「社交性はどうでもいい。……お前らが何かしたのかって聞いてんだ!」
「いつのまにか『お前』が複数形に変わってるけど、やっぱり組織的な何かを感じ取ったのかな? 流石は、如月家の生き残りだね」
プチッ、と。
竜也の頭の中で。
何かが、切れた。
「……………………俺の家族は、死んでねえッ!!」
なりふり構わず、人をマトモに殴った事もない右拳を振り上げる。
しかし、その手はいつのまにか差し出された左手で受け止められ、軽く小突かれただけで竜也は尻餅をついてしまった。
「……別に、そんな意味は含んでいなかったんだけど。気を悪くしたなら謝るよ」
竜也は、返事出来ないでいた。
怖い、とかそういう事で返事が出来ないのでも言葉が詰まっているのでもない。
ただ、呆然としていた。
こんなチャランポランなオッサンが、とんでもない身のこなしをしている。
こんな非日常みたいな光景、ゲームでしか見たことがなかった。
しかし、実際に遭遇してみて分かった事がある。
マトモじゃない。
マトモじゃないヤツはマトモじゃないし、マトモなヤツはマトモだ。それが分かる。別に変な設定なんて無くても、その場の雰囲気で、仕草で、何より表情で窺える。
目の前のグレーオッサンにしたって、突然拳を振り上げられても眉一つ動かしてない。
竜也は苦々しげに立ち上がると、無表情をグレーオッサンに向けた。
「………こっちも悪かったな。いきなり殴りかかったりして」
「いやいや、俺が悪いフシもあるからねぇ。俺だって家族馬鹿にされりゃあ嫌だし。今の失言は謝るよ」
するとグレーオッサンは辺りを見渡し、
「しっかし、時代と共にトイレも進化したモンだねぇ」
「ここが特別なんだよ」
「ここ隠れ家にしようかな」
「何とんでもない事言ってんだ!」
「いやー、俺って一応寝床はあるけど、隠れ家も必要な身なんだよね」
「………ますます怪しく見えてきたな。まあいい、とにかく『水』の事を―――」
そこで、竜也の言葉を遮るようにチャイムが鳴り響いた。
「…………チッ」
「行って来いって。俺ぁここで待ってるから」
「絶対いろよ? いれなくなってもせめてメモ紙に『水』の事は書いておけ」
「はいはい」
それだけ聞くと竜也はトイレのドアを蹴り開け、教室へダッシュで向かい、二時限目もぶっ続けで理科だと知り、アルコールとエタノールの混ざった臭いを嗅がないように息を止めながら祭文先生に保健室行きます要請出してトイレにダッシュで戻ってきた。
「………………はぁ、はあ……………っ!!」
「………………何で戻って来たの?」
「も、もう授業はやめだ。話を聞かせろ」
「やれやれ。とんだ不良生徒に芽生えたみたいだねぇ。厄介だなぁ……」
「あ?」
「いやいや、こっちの話さ」
それで、とグレーオッサンは続け、
「君は彼女の―――柊 優華、だっけ? それの『水』について知りたいんだろう?」
「ああ」
「簡単に言ってしまえば、あれはバケモノだ」
「――――――――――――――――――――――――――――ホワイ?」
「何故って? そんなの決まってるじゃないか」
グレーオッサンは片目を瞑り、
「――――君は、手の平から水を噴出するヤツを人間って認めるのかい?」
「っ、……………そ、それは…………………………」
「ここまで言って難だけどね、正直、単なる同情なら今聞かない方が良い。言ったろう?いずれ知る事にはなるんだ」
「…………なら、それが早まるってだけだろ? それに越した事はない」
「それが、君の結論かい?」
「そうだ」
「……………なら、別に止めはしないけどね。俺ぁ悪人でも善人でもないし」
するとグレーオッサンは、片手を竜也の方へ向けてきた。
「という事で、俺は九条 蓮という者だ。よろしくね、如月君」
「………………………………………………、」
竜也は何も答えず、ただそれに応じるように向けられた手を握った。
「はい、握手成立という事で君は依頼人だ。依頼料は頂くからね」
「はあ!?」
「情報を『売る』んだ。金は少しぐらい貰ってもバチは当たらないだろう?」
「…………………………………いくらだ?」
「ざっと二十万」
「俺の通帳が消し飛ぶぞ!」
「ハハハ、冗談だよ冗談。そんな安い訳ないじゃない。十倍ぐらいかな?」
「二百万持ってる高校生いたら探して来いお前! 見つけてきたら一千万やるよ!」
「おや、目の前にいたぞ」
「俺はそんな格好のカモになるような金持ちじゃねえっ!」
「……じゃあ仕方ないなぁ。特別に初回はタダって事にしといてあげるよ」
すると九条は歩き、窓枠の方に視線を向けた。
「まずは、君にとっても馴染み深いワードから行こうか」
「何だよ?」
「『池袋〇八二〇事件』」
「……………………まさか、」
「まあ、信じられない現象かもしれないけど、ここからは常識という概念を一切合切取っ払って聞いてくれ」
九条は、視線を窓枠から壁のタイルへと移す。
「今年の八月二十日………つまり事件の日に、何らかの心的ストレスや肉体的重傷になった未成年の男女が、超常現象を人為的に起こす力を発現するようになったんだよ」
「……………じゃあ、柊も?」
「そうさ。彼女は確か………施設で全員水死体だったかな? それだけのショックが一度に来れば、重度の心的ストレスになってもおかしくはないねぇ」
「で、でもどうして『水』なんだ!? せめて、もっと便利な力なら―――、」
「その力……まあ、僕らの間では『異能』って呼んでるけど。それは、その心的ストレスか肉体的重傷の原因に起因したモノが関連して発現するんだ。………まあ、施設の人間が全員水死体なんて事になったら、当然ながら『水』に対してのショックも大きくなるだろうね。『水』の『異能』が発現するのは十分に考えられる」
「………じ、じゃあよ、この学校でもあの事件で身内を失ったヤツは何人もいる。そいつら全員が、あんな人間離れした事出来るのか……?」
「いいや。結局はアトランダムな選択で発現するらしいからねぇ。正直、法則性なんてこれっぽっちも見当たらない。発現した人は正に運命のイタズラってヤツだ」
それと、と九条は付け足しながら更に説明を続ける。
「その『異能』は君達のような未成年の男女が発現する訳だが―――、一度発現したら、それは一生元には戻らない。というか、もう『異能』があるのが元になっちゃうんだよね。だから、例えば三十年前の八月二十日とかに何かあれば、そこらへんのオッサンだって凄い『異能』を持っている可能性もある。よくテレビとかに出てる超能力者モドキの経歴でも調べてみれば、大体は何年か前の八月二十日に『何か』が起きてる。ま、大体は決まって殺人か失踪か事故か。交通事故のケースが過去最多だね」
「………………ま、待ってくれ」
竜也は額を抑えながら、クラクラしてきた頭を必死に回した。
八月二十日に心的ストレス、または肉体的重傷を受けるとアトランダムな確率で『異能』と呼ばれる、超常現象を人為的に起こす力が発現する。
それはいい。いや、良くはないがこの際だ。実際に『水』を見た竜也からすれば状況を呑み込むのは容易であったと言えるだろう。
ただ。
八月二十日に、何らかの事件で心的ストレスか肉体的重傷を受けた未成年の男女。
この条件には、
自分も…………如月竜也も十分に当てはまるのではないか?
「―――――――――――――――――――――なあ九条」
「何か気付いたみたいだけど、敢えて答えてあげるよ。……なんだい?」
「俺にも、『異能』はあるのか?」
「……………………………………………………………………………………っ」
九条は、右手の人差し指を竜也の方へ向けた。
そして、告げる。
「あるよ」
冗談みたいな返答だった。夢でも見ているのかと思った。夢ならこれは悪夢に等しい。
しかし、いくら頬を抓ってもまったく世界から離脱出来ない。ここは現実なのだから。
今の一言で、こういう事になってしまった。
如月達也は、『異能』を有している。
「……………………ウソ、だろ…………………………………?」
「残念ながら、真実だよ。俺が君に接触したのは何の為だと思ってる?」
「わ、分かる訳ねえだろ………」
「お仕事を手伝って欲しいのさ。まあそれはいいとして、とにかく君の『異能』を一応だけど報告しておいてあげよう」
九条は、指を指していた方の手に付いている腕時計を見せると、
「君の『異能』は…………まあ、簡単に言えば『時間』だね」
「じ、かん?」
「そうさ。と言っても…………時間を数秒止めるってだけの雑魚さ」
「雑魚って………」
「まあでも、この『異能』は銃弾でさえ止まって見える―――いや、数秒間は止められるんだから、それなりに使えるとは思うけど」
「……………だ、だけど、俺にはそんなの使えた試しがねぇ―――――――」
そこで、竜也はふと思い出した。
朝、優華の着替えをうっかり覗いた時の事だ。
あの時、咄嗟に放たれた優華の『水』を見て、反射的に手で顔を庇おうとした瞬間の事。
あの灰色の世界で、ただ呆然と突っ立っていたのはどこのどいつだ?
「あれは、時間が止まってたのか…………?」
「止まってたよりは区切っていたの方が正しいね。全世界の『時間』なんて止めたら、それこそ君の精神力が根こそぎ奪われて廃人にでもなってるよ。あくまで………まあ、君が朝に体験した事として例えるならあの時は『教室内』の時間だけ止まってたのさ」
「で、でも、俺は何の意識もしてなかったんだぞ?」
「そう。そこが俺のお仕事を手伝える要因さ」
「?」
「ハハ、何のこっちゃって顔してるねぇ。別に良いよ、普通に教えてあげるから」
九条は竜也に向けた人差し指を、そのまま自分の頭に向ける。
「いいかい? そもそもその『異能』っていうのは、超常現象を引き起こす力だ―――だけど、超能力みたいに便利な代物じゃない」
「………………は? 超能力と似たようなモンじゃねえのか?」
「本質的に違う。世間一般的に信じられてる超能力は……まあ、言ってしまえばマジックだね。元からあるモノを元からなかったように見せて、それを出現させる―――――言うなれば、似非マジシャンと同族って所だね」
「……それで、『異能』は?」
「…………『元からなかったモノをあった事にする』。事象を騙すのが超能力なら、事象をそのまま捻じ曲げるのが『異能』って感じかねぇ」
なんとなくだが区別が付いてきた竜也は、そこで話の筋が大幅にズレているのを今更ながら感じ取った。
「って、じゃない。俺が聞きたいのはどうすれば『水』を抑え込めるかだ」
「………ああ、そっか。『水』の対処法を聞きたいんだよね」
「そうだ」
「ま、表現するなら当人の心の在り処を掴んで、その情報を元に心の在り処のすぐそこに潜む暗闇を打ち払えば、今みたいな不安定な精神状態から抜け出せるんじゃないかな?」
「………九条君? 人に説明をする時はもっと単純明快にハキハキとくどい言い回しをせず言いましょうって先生に習わなかったかなー?」
「なら、もっと単純明快にハキハキとくどい言い回しをせずに言うとだね」
九条は、こう続けた。
「君が彼女の精神を不安定にさせている何かを見つけて、その不安を埋めてあげてよ」
竜也は、正面玄関に続く廊下を小走りで通過していた。
もう二時限目も終わり、ここからは『仮装準備大会』が開催されるのだから。
「……ったく、九条のヤツ。不安なんてアイツが抱えてるモンなのかよ……?」
竜也は階段に差し掛かった所で少し歩調を緩めて、階段を降りながら右手で握っている小さなメモ紙のような物を凝視する。
これは九条から渡された物だ。不安を埋めろと言われしばらく呆然とし、更にはチャイムまで鳴った所で、
『とにかく、何か聞きたい事があったら何でも聞いてくれ。俺ぁ君の肩を持つよ』
という意味不明な言葉と共に渡されたのである。中にはアドレスらしき羅列が並べられており、ご丁寧に如月竜也君へとまで小さく記されている。いい迷惑だ。
メモ紙を少し乱暴にポケットに仕舞うと同時、階段が終わり一階に下りた。
ここからまた軽い小走りを再開しつつ、時間を確認しようとしても辺りに壁時計がなかったから携帯を取り出した。
時間を確認すれば、まだ十時三十五分だった。正面玄関は飾りが豪華な代わりに一つ一つのパーツが大きく、時間も大してかからないない為、他の所より多少だが集合時間が遅く設定されているのだ。
(……………………というか、柊のヤツに言っといた方が良いのかなぁ?)
一応当事者なんだし、と思いつつ正面玄関に続く靴箱の方へ曲がった瞬間。
ドンッ、という鈍い衝撃と共に。
柊 優華の身体が、竜也の身体と共に倒れ込む。
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
同時に驚きながら、そこで竜也は少し湿っぽい感触を覚えた。
ギョッとした顔で竜也は自分の上に倒れ込んでいる優華の制服、その二の腕辺りを触る。
「……………濡れ、てる………………………………?」
一瞬だけ例の『水』が頭をよぎったが、あれは確か手の平からしか射出されない筈だ。どう考えてもそれ以外の水がかかったのだろう。
そして唐突に、優華が息を呑む音が聞こえた。
「っ!」
優華は少しだけ、小刻みに震えながら、
「ご、ごめんなさい………っ!」
それだけ言うと、優華は少しだけこちらにすがるような目をして、それからすぐに竜也が来た道を辿るように走っていってしまった。
「な、なんだ………?」
とにかく微妙に濡れた制服が多少だが嫌な臭いを醸し出しているのだが、トンデモ話をされた後の竜也の頭はちっとも回らない。
と、竜也の呆然とした思考を遮るように、カラン、という音が聞こえた。
音からしてプラスチック製の何かが落ちた音だが、何が落ちたかまでは分からない。
音のした方向―――つまりは正面玄関の方を向くと、そこにはバケツが落ちていた。よく目を凝らさないと分からないが、軽く濡れている。
(…………まさか)
そして、そのバケツのさらに奥。
正面玄関の柱の影に隠れている、人陰があった。
その人影はみるからにほくそ笑んでいるぞ的なオーラを出していて、相手にして良い事にはならなさそうなのだが、
「おい」
自分でも、何をしているんだと思う。
どうしてわざわざ、火に油を注ぐような状況で声を掛けてしまったのか。
「んー? なんだろー?」
妙に間延びした、九条のような喋り方……だが、九条と比べれば何もかもが劣りそうな中肉中背の男子が柱の影から出てくる。制服のネクタイの色を見ると、三年生らしい。
「アンタなんですか? 彼女に水かけたの」
「何の事だろ?」
「ウチのクラスの柊 優華の事です」
「あー、誰? 知らないんだけどなあ」
「アンタが知らなくても俺は知ってるんです。それで、かけたんですか?」
「何をー?」
「水をってさっきから言ってるでしょ。どんだけ脳味噌軽いんですか」
「…………君、センパイに随分と生意気な口聞くねー?」
「今頃気付くんですか。脳味噌軽いレベルじゃないですね。……なら、失礼しました。訂正します。どんだけ頭の中空っぽで何も詰まってない空洞バームクーヘンなんですか?」
すると相手の男子は、何か必勝の言葉でも言うように、
「君こそ知ってた? その柊って人、俺らの間じゃバケモノだってウワサされてるんだ」
「なんだ、柊の事知ってるじゃないですか」
「…………………ッ!」
しかし、誰でも食いついてきたウワサに一切触れず、逆に揚げ足まで取る竜也に苛立ってきたのか、
「……うん。まー、彼女の事は知ってるよ。僕の・・・だもんね」
「は?」
いきなり出てきたとんでもないワードに、思わず疑問系で返す竜也。
「アンタ、なんつった?」
「んー? 聞こえなかった?」
男は、呟く。
「ド・レ・イ………って言ったんだよー?」
今度こそ、言い切った。
竜也の鼓膜も、しっかりと音を捉えた。
そして何より、
「そうさ。彼女に水をかけたのも俺。いやー、彼女の弱みを握ってからさ、何でも言うこと聞いてくれるんだー。だから今度、試しに胸でも揉ませてもらおうと思うんだけどさー、でも、ステップ飛ばしていきなりヤっちゃっても問題ないと俺は思うんだよね」
「…………センパイ。その弱みって、何か『水』に関する事ですか?」
「そうだよー、よく知ってるねーって…………どうしたのー? 怖い顔してー」
「いや、少しお話が出来まして」
竜也は少しだけ額に血管を浮かばせながら、こう続けた。
「―――――――――――――そこまで面貸して下さいこのクソ野郎」




