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0820 ~パラドックス~  作者: 加藤水城
第七章 時間遡行という矛盾点
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第七章 時間遡行という矛盾点(5)

 

 眼を覚ますと、竜也は未だに旧体育館の外にいた。

 頭を振り意識をはっきりさせると、後頭部に鈍痛が宿っているのに気付く。

 思わず手で触れると、そこから少量だが血が滲んでいた。

「…………痛っ」

 振り返ると、そこは旧体育館の壁だ。

 今まで頭を預けていた部分に僅かな凹みがあり、そこに血が付着している。おそらく、この壁に頭をぶつけて気絶していたのだろう。

(……そ、そうだ、柊!)

 慌てて壁に向けていた視線を目の前へ戻すと。

そこには、絶望が顕現していた。

「……………な、ぁ」

 思わず、首を絞められたような声を出してしまう。

 そこにいたのは、間違いなく柊 優華だった。

 ただし、その例えは正確ではない。

 何故なら彼女は、既に地に足をつけてすらいなかったのだ。

 空中に静止する彼女は、僅かに淡く発光している。人体の発光がまず有り得ないことだが、それだけに留まらない。

 彼女の両脇には、『水の竜巻』としか言いようのないものが生み出されていた。

 実際に水がとぐろを巻いて、空中でこれも回転し続けている。

 彼女の足元には、『水の槍』としか言いようのないものが生み出されていた。

 これは『時間の槍』の二倍近いリーチがありそうなものが、完全に静止している。

 彼女の両肩には、『水の膜』としか言いようのないものが生み出されていた。

 まるで水を薄いスリットから噴出したようなものは、完全に肩に固定されている。

 変化は、それだけに留まらない。

 彼女の美麗だった髪は、色素から全てが変貌していた。次々と、水色に染まっている。

 水色のメッシュがどんどん増えるように見えるが、実際には次々に地毛が染まっている。

 常識では有り得ない色へと、変貌を遂げている。

「な、ん……なんだ……?」

 彼女は、途轍もない量の『水』を従わせ全身に纏わせている。

 見る影もないその顔は、既に魂を宿しているとは思えない程に無表情だ。

 これは、何だ。

 今までの何とも違う。

 今までの全てと違う。

 これほどまでに変貌し、凶悪になったことはない。

 これが、『暴走』。

 言いようのない戦慄が竜也を襲う。が、ここで立ち止まってはいられない。あと数時間もしないうちに、自分がこの世界にいられるリミットは過ぎる。

 竜也は歯噛みすると、彼女の方へ向き言葉を投げ掛ける。

「なあ、ひいら――――」

 瞬間、竜也の右肩が嫌な音を立てた。

 それは、

「…………ぁ、?」

 脱臼した音だ。

「あ、ぁぁぁぁぁあぁぁあああああ!!?」

 増岡に水分を蒸発させられたときにも似た、唐突なる激痛。

 爆発的な熱さが、右肩にどんどん広がっていく。

 発狂しながら目の前を見据えると、何時の間にか『水の槍』の一本が竜也の右肩から遠ざかっていくのが分かった。優華に言葉を投げ掛ける前に『膜』を張っていなければ、今頃竜也の右半身は吹き飛んでいたことは想像に難くない。

(なんて、圧力―――っ!?)

 竜也は瞬間的に、この『水の異能』に対して『膜』は意味を成さないと判断した。さきほどの超スピードでの『水の槍』の攻撃もそうだが、桁外れの圧力を秘めた攻撃が可能な『異能』なのだろう。竜也の『膜』は単純な圧力に対して、かなり不利となるのだ。

 戦慄による冷や汗を無視し、竜也は右肩を抑えながら目の前に『時間の障壁』を作る。前の世界では藤木が使っていたものだが、実際に使うのはこれが二回目だ。

 この『障壁』はその空間の時間を止めており、動く人体の表面を止める『膜』とは違い圧力はいくらでも耐えられる。自分の前方一メートルにそれを展開すると、竜也は痛みに耐えながら叫んだ。

「柊ぃっ!!」

『…………』

 また、彼女は言葉を返してくれない。だが、今度は軽口で返せる状況でもないのだ。

 しかし、竜也は決めていた。どんなことがあろうと、自分の気持ちに嘘はつかない。

 思いを全てぶつけるだけだ、と。

「一つだけ、一つだけだ!! 聞いて欲しいことがある!!」

 そこで彼は、信じられない行動に出た。

 自分の右肩の時間を、停止したのだ。

(…………っ!?)

 直後に襲い掛かる嫌悪感や嘔吐感に驚愕しながら、同時に納得もする。

 九条が『すれば死ぬ』と言っていたこの行為は、確かに危険なようだ。

 だが、今すぐに死ぬ訳ではない。

 痛覚神経のみを止めるとか、そういった器用な真似は竜也には不可能だ。しかし、この痛みに耐え続けるというのも些か無理な感じがする。

 だから、こうするしかないのだ。

 こんなもの、世界に……惚れた女に較べたら、安いものだ。

「俺はお前が―――」

 素直な感情。

 それをぶつけようとした瞬間、

『――――――言わないで!!』

 唐突に、彼女の叫びが聞こえた。

 瞬間的にだが、彼女の顔が無表情ではないものになった気がする。

(……戻って、きた!?)

 少しの希望的観測を抱く竜也だが、しかしそれはすぐに無へと戻る。

 同時、『水の竜巻』がその回転を巻き込むように頭上から襲ってくるのが見えた。

「!!」

 完全に無防備だった上方に『障壁』を作ると、『水の竜巻』は全て弾かれ、優華の下へと戻っていく。それを見届けると、もう一度竜也は口を開く。

「頼む、柊! 聞いてくれ!!」

『言わないでったら!!』

 普段とは違う口調の、悲痛な叫びが響き合う。

 直後、優華の咆哮に呼応するかの如く『水の槍』が一斉に竜也へと射出された。

「っ、」

 竜也とて『障壁』に全て阻まれるのは分かっているが、反射的に身構えてしまうのは仕方がないことだと言えよう。

 しかし、竜也は次々と襲いかかる槍に眼もくれず、真っ直ぐに空中へと留まる優華を見つめた。

「いくらでも言う! 一度だけでいい、聞いてくれ!!」

『やめてって言ってるの…………やめてよ、巻き込まれに来ないでよ!!』

 瞬間、だった。

 いくら『障壁』とはいえ、右肩を脱臼した後の動揺した精神でしかも即興で作ったものだ。精密に、隙間を無くすようなことは出来なかったのだろう。

 その僅かな隙間から、『水の槍』が変幻自在に形を変え奇襲してくる。

 形状を変えたことによる超スピードの減速はありがたかったが、それでも竜也の反応速度を大きく凌駕していたそれに対処するのは、不可能だ。

 直後、蛇のような形状をした槍が、竜也の胴体へ直撃する。

「……うぐぅぅあっ!!」

 瞬間、竜也の足が地から離れる。

 形容できないような怪奇なる音が、胴体のあちこちから聞こえた。

 一瞬とは言え竜也は確実に、直撃の衝撃のみで空中を舞ったのだ。

 地面へ落下すると、激しく咳き込んだ。むせ返って胃液などが出なかったのは僥倖と言えるだろうが、確実に腹の奥からくる吐血を見た瞬間、初めて攻撃されたのを実感する。

 それほどの、速さ。

 僅かな変形で減速しても尚、認識すら遅れる程のスピード。

 しかし竜也は零れた血を制服の袖で拭うと、よろめきながらも立ち上がる。

「…………巻き込まれに、来ないでだと?」

『……いや…………やめてよ、…………立たないで!』

 竜也は再び、もう攻撃されることなどお構いなしに告げる。

「ざけんなっ! いくらでも巻き込まれてやるよ!!」

『言わないで、それを言われたら…………っ!!』

 悲痛すら越えた、彼女の懇願。しかし、竜也は応じなかった。

「俺は、お前が…………」

 彼はどこまでも自己中野郎で、どこまでも彼女が、

 

 

「好きなんだから!!」

 

 

 素直な感情。

 それをぶつけた瞬間、明らかな変化が彼女の周囲に起こった。

『…………っ、』

 嗚咽とも、呼吸とも取れない彼女の僅かな声。

 少しだけの沈黙が続き、そして竜也は目撃する。

『竜也、君…………』

「…………」

 いつもなら、これで終わる筈だった。

 ただし、いつもとは圧倒的に違う事が一つだけある。

 相手にしているのは、『水の異能』と柊 優華だけではない。

 竜也が今、相手にしているのは――この世界の運命そのもの。

 考えてみれば、

『竜也君…………』

 これで終わる筈が、

『…………竜也君っ!!』

 なかった。

 三度の叫びの直後、優華の周囲で浮遊していた水の武装達は姿を変えた。いや、本来の水流に戻ったと言うべきか。平崎の暴走の時にも似た、半液体半固体のスライム状のように、空中を水が浮かんでいる。

 そして、それは全て優華の腕の動きに連動して向きを変えているようだ。

 彼はここで、気付くべきだったかもしれない。

 彼女の顔は未だに、無表情だということを。

 優華は、自分の右腕を竜也の方へと向けた。

 そして、

『―――竜也、君―――』

 そのだらりと下げていた右腕の指を、一斉に開く。

 そして、次の瞬間だった。

 

 

 旧体育館が、一瞬で崩壊した。

 

 

 あまりに突然すぎて、再び脳がついて行かなくなった。

 竜也は呆然と、自分の背後を見る。そこにはさっきと同じ、旧体育館の壁があった。

 しかし、その少し横へ顔を向けると。

(……………………は?)

 鉄骨すら残っていなかった。

 竜也の『障壁』によって破壊を免れた箇所以外は、全てが消し飛んでいた。

 先ほどの、恐らくは滞空していた水の射出。それによって、竜也の背後の壁を残し全てが消し飛んだのだろう。

 遅れて、途轍もない爆音が竜也の鼓膜を叩いた。

「い、ぎっ、~~~~~~~っ!!?」

 慌てて両手で耳を塞ぐが、もう一瞬でも聞いた爆音は脳内を反響する。それは最早、痛みとなって竜也の脳内を揺さ振った。

(……まさ、か)

 あの『暴走』は、音よりも早く水を射出したのか。

 有り得ない、と理性と長年の常識が叫ぶ。そもそも水は音速以上の動きに対してどういった反応をするのか竜也は知らないが、確実に液状から何らかの変化がある筈だ。

 有り得る、とここ約二週間の経験が叫ぶ。『異能』なんてもの自体、普通の目で見れば十分に『有り得ない』のだから。音速以上で飛来する水があっても不思議ではない。

 だが、この思考は何の意味も持たなかった。結果として、目の前の彼女は音速以上で水を飛来させて旧体育館を瓦解させている。

 しかし、いくら古いとはいえそれなりの大きさだ。一瞬で瓦解したということはつまり、一気に崩落するような音が響いたということ。この時間の竜也が来ても不思議ではない。

 そこで不意に、まだ疲弊しても正気だった優華の言葉を思い出す。

『――――――逃げ、て』

 咄嗟に体を動いた。

 不意なタイミングを突き、方向転換をすると一気に地面を蹴る。

 最早、人間の道理から外れた性能を目の前の少女は得てしまった。

 だからこそ、竜也は走る。

 旧体育館……いや、旧体育館跡地から、逃走を図る。

 無論、無防備な背中を見せるなど自殺行為だ。だからこそ、彼は策を考えた。

 走る方向は、

(…………道路の方……!)

 勿論、この場から今すぐ脱出するには道路へと戻り、民家の間を潜り抜けたりすればもしかしたら窮地を脱することは出来るかもしれない。

 だが、それでは駄目だ。

 世界は、また目の前の彼女を殺す。

 竜也が思うに、運命に抗うという考え自体を変えるべきなのかもしれなかった。

 運命に、抗うのではなく。

 運命を受け入れ、それを変える。

 だから竜也は、そこから大きな跳躍をした。

 何も方向転換とは、道路の方へ向かうことを指すのではない。

 むしろ、まったくの逆。

 竜也が向かうのは、先ほど優華が『切り開いてくれた』道だ。

 つまりそれは、

(旧体育館跡地……! 校舎へ繋がるあの地下通路を使う!)

 幸い、先ほどの怒涛の攻撃は旧体育館の床までも剥がしてくれたようで、地下へは飛び込めば行ける。雲ひとつない夜空の月光が幸いしてか、落下地点をよく照らしてくれていた。無数の入口がある部分の天井(というか地面)は剥がれてはいないので、ここを通過中に攻撃を受ける……ということにはならなそうだ。

 着地に備え、『膜』を張ると同時に先ほどまでの『障壁』を全解除する。先ほどまでの消費で、『膜』五分ぐらいの量を消費してしまった。使いどころを間違えば、確実にあの暴走に竜也は殺されるだろう。

 それを分かっていながらも、竜也は少しも躊躇いを見せない。

 迷うだけ迷った。

 葛藤はもうし尽くした。

 後は、進むだけだ。

 竜也は、自分の記憶を頼りに校舎へと通じる通路を見つけ出すと、そこへ飛び込んだ。トンネル状のこの通路は、地下ならではの利点がある。

 飛び込んだ瞬間、竜也は通路の入口を塞ぐように『膜』を張った。障壁とも呼べない薄さの膜だが、いくら音速とはいえこれを突破するのは不可能だろう。

 同時に、自分の体の『膜』を解除する。

 飛び込み、倒れこんだままだった状態から起き上がると、わき目も振らず走り出す。

 最短で、迷わず、確実に。

 右肩の時間は依然止めたままだが、未だに体に深刻な症状は出ていない。もしかしたら、奥の方の血流はちゃんと流れている可能性がある。

 しかし確認している暇も余裕もない。

 右腕を不自然に揺らしながら、竜也は七分間走り続けた。

 

 

 実際のところ、この逃走は竜也の声に暴走状態でも応じた優華の理性に賭けた行動だった。

 少し考えれば分かることだが、いくら一撃で旧体育館の地下通路の天井を破壊できなかったとは言え、二撃目を撃たれたらそれでおしまいだったのだ。むしろ、竜也の姿が上からは見れないので流れ弾で死ぬなんてことも有り得る。

 しかし実際にはそんなことは起こらず、竜也は無事に学校一階のタイルから顔を出していた。夜は警報機やらセンサーやらが作動しているので、教職員はいないはず。

 彼は一階の床に這い出ると、すぐに廊下の窓からグラウンドを見た。最悪、暴走した優華があちらへ乱入とかしたらまずいなとか思っていたが大丈夫なようだ。

 だが同時に、それは竜也へ死の恐怖を実感させた。

 つまり今、どこからあの音速越えの攻撃がきてもおかしくないのだ。

 竜也は辺りを警戒(無駄と分かりつつも)しながら、階段を駆け上がる。目指すのは屋上だ。前の世界と同じなら、消火器の裏に鍵は隠してあるはず。屋上へいけたら、ここら一帯を一望できるはずだ。

 二階へ上がるが、何もない。

 三階へ上がるが、何もない。

 四階へ上がるが、何もない。

 警報が鳴っていないから当然なのだが、優華は校舎内にはいないようだった。

 屋上まで続く階段を上る。

 上がりきり、真横にある消火器の裏に手を伸ばす。すると、そこに鍵の冷たい感触があった。

「よし……」

 慎重に鍵穴に鍵を差し込み、回す。

 ロックが解除された音が鳴るのを聞き、少しだけ安堵の息を吐く竜也。何に緊張していたのか、自分でも分からない。だが全身の弛緩をすぐに正すと、少しずつ屋上へと続く扉を開ける。

 そして、少しだけ開いた隙間から見えた光景は、

 

 

 優華が、こちらへ手の平を向けているというものだった。

 

 

「……………………………ッ!!!」

 竜也の喉が干上がった。

 瞬間、彼女の手の平から『水』が超高速で射出される。

(『膜』を―――間に、合え……っ!!)

 彼女の攻撃が届くのが先か、竜也の身体中が『膜』に覆われるのが先か。

 結果は、言うまでもなかった。

 彼女の射出した水は、屋上のドアを全て巻き込みながら破壊し、そのまま直線上にいる竜也に直撃する。さらにそれだけに留まらず、彼を後方へ吹き飛ばす。

 竜也はドアに押されながら大の字で、五メートル後方にある壁へ激突した。

「ぅぐぁっ!!?」

 あまりの衝撃で舌を噛みそうになるも、ギリギリで回避する竜也。

 彼の運動エネルギーをそのまま受け取った後方の壁は、そのまま綺麗に崩れ去る。だが、運動エネルギーを伝え尽くしたのか竜也はそのまま床へと落下した。

 そしてそのまま、彼は動かない。

 三秒、五秒と時間が過ぎる中で、竜也は身じろぎ一つ起こさなかった。

 

 

『…………』

 完全に水色に染まった髪を揺らしながら、優華は竜也を見下ろす。

 その瞳は、何を思っているのかをまったく理解させようとしない色を持っていた。

 未だに『異能』に取り込まれたままの優華は、しかし口を開く。

『た やく 』

 呼びかけようとするが、途中で何かが邪魔をする。

 逃げて、と言いたい。

 自分に言ってくれた気持ちは嬉しかった。だが、だからこそ、こんなところで死んで欲しくは無いのだ。自分の起こした不気味な力で、自分を好いてくれる人を殺したいなどと思う訳がない。

 逃げて。

『逃げ 』

 お願い、立って。

『 願 、立っ 』

 そのまま、私を見殺しにして。

『その ま 私  殺 に  』

 いくら言っても、伝わらない。

 伝わるはずもない。

 自分はおかしな力を制御出来ない化物だと知っていたのに、人に好意を向けられただけで動揺して、更には好意を向けてくれた人を半殺しにしている。

 自分がやってるんじゃない、という言い訳は簡単だ。

 だけど優華は、そうやって割り切れない。

 実際にやっているのは自分なのだ、自分じゃないとは死んでも言えない。

 だから、伝わらない筈なのだ。

 なのに。

「…………まだ、逃げろとか言うのかよ」

 彼は、如月竜也は起き上がりながら、喉を絞りながらも告げていた。

「ああ、立ってやるよ。けど、お前を見殺しにする為に立つんじゃない」

 彼には、伝わっていた。

 どうしようもなく凶悪な力は、少女が手を振る度に周囲を無に返す。

 しかし、目の前の男だけは。

 竜也だけは、全てを受け止めても崩れずに、立っていた。

 途轍もない根気。常人では受け入れられないような痛みすら、許容する。

 だが、なんということだ。

 自分の肉体はまた、竜也の体へ危害を加えようとしている。

 

 

 

 竜也はギリギリで、『膜』を張ることに成功していた。

 しかし、あくまで音速は音速。胴体に直撃し、壁とサンドイッチになれば激痛を走るというものだ。

 だが竜也としては、ようやく納得がいったというものだ。

(……この暴走は、何かがおかしい)

 通常の……今までの『異能』の暴走は、ここまで凄まじいものではなかった。増岡が特別と評していた平崎の『異能』さえ、ここまでの暴走には至らなかった。

 しかし、それに納得のいく説明がつく一つの仮説を、竜也は頭の中で完成させつつある。

 そのためには、まずこの状況から脱する必要があるのは明白だ。

 何せ、もう今すぐにでも音速越えの攻撃が飛来してくるのは間違いないのである。

(さて。…………胆を据えていくか)

 竜也は敢えて身体のバランスを崩し、後方へと倒れた。

 壁が崩れた、後方。

 その方向へ倒れればどうなるか、赤子にでも分かるというものだ。

 数瞬後。

 竜也の体は超大な地球の重力に誘われ、自由落下を始める。

 次々と遠ざかる風景と、絶叫マシンに乗ったかのような浮遊感。一番頭に食い付く恐怖を、竜也はそれ以上の感情で塗り潰す。

 それは、痛み。

 一瞬だけ、脱臼したままの右肩の『膜』を解除したのだ。

「ァ、ァァああぁあぁぁああああああ!!」

 叫びなのか悲鳴なのかも分からない大声を上げながら、竜也は頭の中を必死で働かせる。

(明らかにおかしい『暴走』。……これは多分、『異能』発現のきっかけが問題だ)

 その視界は相変わらず上を向いたままで、破壊された壁から躊躇なく飛び降りる優華の姿を捉えていた。

(柊の『水の異能』発現のきっかけは、恐らく一つじゃなく二つある)

 竜也は『膜』張りっぱなしの腕を校舎の壁に突き立てると、手首の辺りまで壁に突き刺さった。手首に途轍もない重圧がかかるが、減速する為には仕方がない。

(一つは言うまでもなく、『ひまわりパーク』での一件。もう一つは、多分……)

 減速し、壁から手を引っこ抜くと、彼は丁度二階部分に降り立った。

 しかし、降り立ったそこは少々特殊なスペースらしく、畳み四枚半ぐらいの広さしかない。ここで色々と暴れられれば、それは面倒なことになるだろう。

 脱臼したままの肩の『膜』を張りなおし、竜也は静かに上を見上げる。

 すると丁度、水色の髪を靡かせながら優華が落下してくるところだった。

(……ここからだ。ここから一つでもミスをすれば、終わる……!)

 竜也はまず、優華の落下してくるであろう地点に先回りする。野球で跳んできたボールを受け止めるような動作に似ていた。そこから真上に『障壁』を出現させると、優華の落下ギリギリまでそれを展開し続ける。こうして待っている間に攻撃されて死んだのでは、元も子もない。

 あと、十メートルぐらいか。

 どんどん落下速度は増していく。慎重に目を凝らし、その瞬間を見極める。

 そして、優華の体が目前に迫った瞬間。

「―――おらぁっ!!」

 竜也は一気に『障壁』を解除すると、優華の体に『膜』を張り衝撃を相殺する。竜也も『膜』を張ったままの腕で受け止めたが、一瞬触れ合うだけなら『膜』同士で弾きあうようだ。

 そして一瞬の静止の後、竜也は優華の体を抱え込むようにして床へと下ろした。

 仰向けに寝た状態となった優華の上に乗りかかると、竜也はまず優華の右手首を自分の左手で押さえつける。その間に、優華の右手首に手錠のような形で『時間の異能』を出現させた。『時間の輪』とでも言うべきそれは本当の拘束具のように、優華の右手首を床へと押さえつける。続いて左手首にも同じことをすると、そこでふうと息を吐いた。

(な、んとかやれたか…………)

 しかし、すぐに今の状況というか態勢を思い出すと、少しだけ苦い顔になる。

(……夜中に女子高生を押し倒したっていう感じだよな、これは)

 事実そうなので全く言い訳出来ないが、優華が手の動きで音速を超える『水』を操っているのは明白なのでこれは仕方のない拘束である。そう自分に言い聞かせた。

 しかし、すぐにそういった思考を頭から離れさせると、竜也は優華へ問いかける。

「おい、柊。聞こえてるんだろ!」

『よ も押し倒 た ね』

「第一声がそれかよ!」

 思わずツッコミを入れてしまい、自分で竜也はし切りなおす。

「…………柊。お前は、嘘を吐いてるな」

『……な のこと』

「お前は、この暴走をある程度操れている」

 特有の鋭い眼光で、優華の目を射抜きながら。

「この凄まじいまでの力、その暴走だ。これで会話が成立しているなら、ある程度操れているとしか思えない」

 なまじ今までの暴走は、ここまで直接的な凄まじさはなかった。範囲が大きいものもあったが、それらは全て『異能』の効力の域を出ないものだった筈だ。だから、会話が成立してもおかしくはない。

 だが、これは。

 音速まで届く力を暴走させながら言語能力を保つのは、そうおいそれとは出来ないだろう。

「何故か。……答えは簡単だ。お前は一度、前に『暴走』してるんだよ」

『!!』

 瞬間、何故か優華は必死に体を動かした。もがき足掻いたが、男に馬乗りになられている時点で自由が奪われているのは明白。無駄な足掻きとなるのは、目に見えていた。

「いつ、どこで暴走してしまったのか。…………それは、」

『や なさ っ!!』

 途切れ途切れの、しかし確実な反抗。

 しかしそれを竜也は、自分の意思で断ち切る。

「『ひまわりパーク』での一件。水死体あれは全て、お前の暴走だな」

 瞬間。

『あああ ああ あああああ あ あ ああああ ああ あ あああああ  っ!!』

 その大いなる咆哮が、全てを埋め尽くした。

「っ!!」

 馬乗りになっている竜也を押し上げ、優華の背中から『水の翼』とでも言うべき水の噴射が起こっていた。『時間の異能』による束縛を無理矢理通り抜ける。両手首から嫌な音が響いてくるが、もはや表情を失った優華の顔には涙の一滴すら浮かんでいない。

 彼女は再び浮遊すると、竜也に向けて手を向ける。

 今度こそ、竜也を殺す気だ。

 三メートルほど押し上げられ落下した竜也は呻き声をあげながら、ふらついた動きで立ち上がる。

「けど」

 竜也は、言葉をやめなかった。

「暴走したってことは、きっかけはその前にもあった。……いや、そもそも、あのきっかけさえなければ、『ひまわりパーク』のことさえ絶対に起こらなかった」

『や なさ っ!! 本 に……殺  よ!?』

 優華は激しい感情の昂ぶりのあまり、その手から音速を超える水を射出した。

 だが。

 それは、竜也の目の前に出現した『時間の結界』とも言うべき灰色の立方体に閉じ込められた。応用編、その二だ。

 今までもこうやって対処すればよかったのだろうが、如何せん不測の負傷が多すぎた。この技術を今さっき思い出したとしても無理はない。

 ともかく、竜也は再び言葉を紡ぎ始める。

「お前が増岡に、そこまで絶対的な恐怖心を抱いているのはどうしてだ? 確実に増岡の『異能』を見る機会なんてそうないだろうし、あってもお前はそういう場所にいないはずだ」

『た 也君…… 当に、お  。やめて、ください』

 最後の頼みだけは、鮮明に聞こえた。途切れ途切れでも意味は確実に竜也に伝わっているが、それでも本当に伝えたいことは、形になっているのだろう。

 

 

「お前は、増岡に…………家族を殺された」

 

 

『やめて、よぉっ!!!』

 もはや、泣き声だ。

 優華にとっては言いたくない、聞かれたくない、言われたくない過去を、勝手に穿り返されている。それがどれほどの苦痛か、竜也にも分からない。

 だが、それでもこうする他ないのだ。

「柊! 俺は、お前の過去をどうこうしよってことで言ったんじゃない! 言ったろ! 俺は、お前」

『やめて、やめてやめてやめてやめてやめてっっ!! 好かれたいんじゃないの、私は別に悲劇のヒロインになりたい訳じゃないっ!! 私はただ増岡に殺されるだけの――!』

 声がいつのまにか、全て鮮明に聞こえるようになっている。『異能』の侵食よりも、自身の激情が勝ったということか。

 きた、と竜也は思った。

 煽りに煽ったが、優華の本音を聞くためならこうでもしなければならない。

『大体、好かれたところでどうしようもないのに! 私は今日、殺される! こんな凄い力になっても、結局のところ増岡には勝てないのよっ!!』

「やれるさ」

 竜也は、それでも肯定した。

「お前なら、勝てる」

『根拠もなしに言わないで!! あなたは、もう……どうして助けに来るの!! 一回は知らないって言ったくせに、どうして……!!』

 優華自身、気付いていないだろう。

 この場所が、どこなのか。

「柊」

『なによっ!!』

「下、見てみろ」

『……………?』

 真意を計りかねたのか、大人しく下を見る優華。

 そこには、予想外の光景があった。

『…………これ、って』

 なつかしい飾り付けがあるから、竜也は落下した直後から気付いていた。

 ここは優華と飾り付けをした正面玄関の、屋根部分だったのだ。

 優華の頭の中で、そして竜也の頭の中でも、ここで交わした言葉が思い出される。

 世界は違くとも、その約束だけは変わらなかったようだ。

「俺はいつかきっと、お前を名前で呼ぶ。……でも、まだだ」

『なん、で…………呼んでくれないの』

「今のお前は、柊 優華じゃない。お前はそんな蛍光色な髪だったのか? そんな錯乱するような脆い女だったのか? 水を音速で飛ばすような女なのか? ……違うだろ」

『……私は、私よ。家族でもないのに、勝手に決めないでよ……』

 竜也は、ここで宣言をした。

 運命が、あるいは、因果が変わる分岐点を。

 

 

「なってやるよ」

 

 

 一瞬、優華はポカンとしたような表情になり、

『……なに、言ってるの?』

 と思わず聞き返してきた。

 それに竜也は、迷わずこう答える。

「聞いてなかったか? 俺はお前が好きだ。だから、いつか必ず―――」

 優華はそこで、久しく顔が赤く熱を帯びるのを感じた。

 

 

「―――俺が、お前の家族になってやる!」

 

 

 高らかに宣言したその瞬間、途轍もなく大きな『分岐』の感覚が彼を襲った。

 しかし、足りない。

 体が収縮されたような感覚に見舞われようと、優華の『異能』は収まらない。あくまでも世界を終わらせるレベルの暴走は阻止されたというだけだ。

 だからあと、一押し。

 竜也は地を蹴り上げ、優華のいる空中までジャンプで到達する。すぐ近くに浮いているというだけなので、近づくのは用意だった。

 そして、未だに呆然としている彼女の方を掴む。両手を使えないのが心残りだったが、片腕でも出来ないことはない。

 静かに優華の体を自分へと引き寄せ、そして、

 

 

 優華の唇を、自分のそれで塞いだ。

 

 

『―――――――――――――――――――――ッ!!?』

 目の前、というかもう肉薄するぐらい近い優華の顔が、茹蛸ゆでだこの如く赤く染まっていくのが見えた。

 直後、彼女の背中から噴射していた水は、霧散して消えていく。

 ゆっくりと、ただゆっくりと竜也の方へと優華は体重を預け、唇も塞がれたまま。

 二人仲良く、正面玄関の天井に倒れこんだ。

 いったい、いつまでそうしていたのだろう。

 優華は唇を離すと、静かに呟いた。

「……………………………変態」

 至近距離な為、僅かな息遣いさえ分かる。

 そんな距離で、竜也は苦笑しながら応じた。

「………それはひでぇな」

 優華もそれに倣うように笑みを浮かべると、紅潮した顔のまま、うっすらを涙を流す。

「…………………でも、ありがとう」

 そういうと、彼女は目蓋を閉じたままになってしまった。

 数センチ単位での顔の距離なため、寝息さえ聞こえてしまう。

 どうやら、暴走が収まったことで寝てしまったようだ。

 彼はそのまま、夜空へ目を向ける。遡る前の世界でも確か、こうして夜空を見た。

 その時にした言葉を、今なら確信を持って誰にでも言える。誇りすら持って、言える。

 柊 優華は守りきった。

 一〇二七回目で、世界の終わりを断ち切った。

 如月竜也は、やり遂げたのだ。





 竜也はその後、余った『異能』を消費して即席の階段を作ると、柊を片腕で抱えたまま降りた。取り敢えず柊は正面玄関に寝かせておいたが、この後どこか、目立つ場所へ移動させる必要があるだろう。

 もうすぐ、竜也はこの世界から消滅する。

 近くにあった時計台を見上げると、自分が前の世界で遡った時間まであと数分しかない。

 それまでに、どこかへ移動させなければ。

(……つーか、九条は大丈夫か? あいつ、『水』の一撃で死んだりはしないと思いたいけど…………)

 今更ながら心配してみるも、しかしあまり不安は抱かなかった。なんだかんだいって、そのうちひょっこり顔を出しそうな男だ。そうそう死にはしないだろう。

「……じゃねぇ、柊を校庭にでも移さないとな」

 言いながら再び片手で抱え上げようとするも、あまり左腕は力んでくれなかった。

 溜まった疲労の所為だろうか。それとも、さっきの減速手刀の所為だろうか。

 いずれにせよ、これでは困る。

「どーすっかな……」

 左手でポケットを弄ると、『存在が矛盾する携帯』を取り出す。が、その白いフォルムにはあつこちヒビが入っており、画面にも大きな亀裂が走っていた。

(まあ、音速で叩きつけられれば無理もない、か……)

 実際の所、疲労はピークだ。しかし、もうすぐそんな概念ごと竜也は消える。存在がどこかへ移動するのではなく、完全に消滅するのだ。だからこそ、多少の無理も出来ていた。

「しゃーない、誰か別のヤツを呼ぶか……」

 と呟いたところで、竜也は校舎を挟んだ向かい側に人だかりが出来ているのに気付いた。

 野次馬、とでも言うべきだろうか。

 考えてみれば、いきなり進入禁止になった建造物が崩落したのだ。人が集まらない方がおかしいというものだろう。

 この人だかりなら、いずれ優華も見つけてくれるだろう。

 そう思うと、抱えかけていた優華をまた静かに下ろした。

 ――――このまま、消えよう。それが最善だ。

 不思議と、恐怖はなかった。

 あるのはただの、達成感。愛する相手を守れたという、充実感。

 彼は最後に、優華の顔を静かにみつめた。

「…………こっちの俺と、仲良くやってくれよ」

 静かにそう呟き、竜也は顔を上げる。

 もう一度時計台を見上げると、消える時刻まであと三十秒もなかった。

 その時。

 不意に、横合いから足音が聞こえた。

 それも、かなり急いでいる様子だ。走ってきている。

 その足音は、竜也の数メートル前で立ち止まった。

 思わずそちらを向くと、少しだけ竜也は眼を見開く。

「………………!」

 

 

 そこには、この世界の竜也が息を荒げて立ち尽くしていた。

 

 

 どういった状況か、理解できていないのだろう。当然だ。竜也自身もそうだったから。

 だから竜也は、最後に自分へ向けてこう言い遺した。

「柊のこと、泣かせたら承知しないからな」

「…………………!」

 そして、その時間はやってくる。

 仮に時間がやってこなくても、竜也はこの世界の竜也と遭遇してしまった。九条が何度も言っていた、『時間タイム矛盾パラドックス』が起こり竜也の存在は消えるはずだ。

 これで、終わる。

 そう思うと、竜也の心中はふっと軽くなった。

(―――――じゃあな)

 最後に思ったそれは、誰に向けた言葉なのかは分からない。

 

 

 つい二週間前までは、運命に翻弄されていた如月竜也は。

 最後の最後で、運命を変えた者としての終わりを迎える。

 

 

 時間遡行をした瞬間にも似た、眩いまでの閃光が竜也の周囲を包み込み、竜也の視界は純白一色に塗り潰される。

 そして竜也は、

 

 

 再び、夜の正面玄関前へと戻っていた。

 

 

 認識が追いつかない。

 ただ、事実のみがそこに存在していた。

 視界の横にいるもう一人の自分が、何やら怪訝そうな表情を浮かべるが気にして入られなかった。

 今、竜也は大前提を崩すかのような事象に見舞われたのだ。

 つまり、

 

 

「『時間タイム矛盾パラドックス』が……起こらない?」

 

 

 


 最終章中編、これにて終わりです。

 ついに次章、全ての元凶が浮き彫りに。

 もう少し、お付き合い下さい。

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