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0820 ~パラドックス~  作者: 加藤水城
第六章 如月竜也という反逆者
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第六章 如月竜也という反逆者(4)



 

 竜也は拳を抑えながら、グラウンドで悶絶していた。

「う、ぐぅぁっ……!」

 理由はいたって明快だ。

「い、ってぇぇぇえよマジで!」

めちゃくちゃ痛い。

 おかしな力の入れ方をしたのか、小指がロクに動かない。その上、ここからどうするかのプランもなかった。九条にでも連絡を取れば良いのだろうか。

 しかしとにかく、増岡には勝利した。

 ギリギリのところで騙しまくった上での勝利だが、心身ともにボロボロだ。

 最後の最後、竜也が使い切った筈の『異能』を何故使用出来たかと言えば、増岡が言っていた通りミスカウントをさせていた為だ。具体的に言うと、増岡が『ボクの「異能」を教えてあげようか』などと言っている時に、増岡が言いながらカウントをしているのが視線で分かった竜也は、『膜』を一旦解いたようだ仕草をしたのだ。実際には、その前の会話の冒頭からずっと解除していた為、カウントには二分以上のズレが生じたということだ。

「しっかしまあ、自主嘔吐までするとは思わなかったなあ……」

 と、かなりどうでもいいことを呟く竜也。

 五メートル先には、殴られて失神した増岡が倒れている。

 この男は、きちんと法で裁いてもらいたいと竜也は願う。短絡的な暴力では、根本的なものは何も解決しない。たとえ今、竜也が自己満足で増岡を殺しても、悲しむ人が更に増えるだけだ。

(…………って、あれ)

 竜也は、自分が逮捕されて悲しむ人がいると自分で断言出来ることが不思議だった。ほんの少し前までは、自分が死んでも悲しむ人どころか、反応する人すらいないと思っていた時もあったというのに。

「ま、とにかく」

 わざとらしく、口に出して竜也は宣言する。

 

 

 柊 優華は守りきった。

 

 

 そのことに安堵して、竜也は思わずグラウンドに寝転がる。

 嫌なくらい、雲がない。

 星が僅かに見える。しかし星以上の輝きを放つ月が、圧倒的存在感を持ってそこにいる。

 増岡が嫌いと言った、月が。

「…………」

 なんとなく、だが。

 竜也は、運命という言葉が好きではない。

 例えば、竜也と増岡が戦うことが運命だとしたら、他にどのようなパターンで戦うのだろう。普通に料理対決とかも有り得ただろうし、ただの喧嘩だって有り得た。しかし、増岡と戦わないという運命はないということだ。

 それはつまり、全ての争いは、起こるべくして起こっている、ということになる。

 しかしそうとは思えない。どう考えたっていらないものは、世界に沢山ある。

 それすら運命だと言うなら、その運命とやらを管理している連中はどんな神経をしているのだろうか。人間と同等の思考ではないだろうが、必要と不必要の区別も付けられないような連中に……この世界に従って生きるしかないというのは、どうも腑に落ちない。

 そんな、壮大な空想を頭の中で広げていると、僅かに地面が揺れたような気がした。

「っ。……地震、か?」

 呟くと、少々感知出来るぐらいに揺れは拡大していく。

 僅かな揺れは、徐々に大きくなり。

 そして、それは。

 一瞬で、轟音が鳴り響くほどの大きな揺れとなった。

「な、」

 竜也は、驚愕する。

 この突然の揺れに対してもだが、それ以上に、

「なんだよ、あれ……!」

 旧体育館の方向。

そこには、天に向かってそびえ立つ、巨大な青い柱があった。

 

 

 疲労が溜まった足で走り、旧体育館へ通じるドアを体当たりで開ける。

 時は一分一秒を争う。早く、確認しなければ。

 ―――まさか。

 嫌な予感が、胸を過ぎる。

 それを振る払うようにして手を横へ薙ぐと、その青い柱の根元が見えてくる。

 ――――そんな、本当に。

 そこには、人影があった。

 誰かが柱の中心にいるようだ。

 ―――――嘘だ、そんな筈は無い。

 走り、走り、自分の息が切れようと走り、全速力で走り。

 そして待っていたのは、希望とは程遠いものだった。

 

 

 そこにいたのは、

「…………ぇ、」

 青い柱の中心に浮いている、

「……う、そ、だろ」

 苦しそうにもがく、

 

 

「柊……っ!?」

 柊 優華だった。

 

 

 頭の中で、何かが外れた音がした。

 今まで味わったことのない、感覚だった。

 その感覚の名は、絶望感。

「ひ、いらぎ!」

 息が切れているにも関らず叫び、声が裏返りかける。

 しかし、それでも叫ばずにはいられなかった。

 その青い柱に――膨大な量の『水』で構成された柱に駆け寄ると、中に手を突っ込んで優華を出そうとする。

「柊っ!!」

 しかし、指先が触れただけで弾かれた。

 しかもあまりの衝撃で、肩ごと後ろへ吹き飛ばされたくらいだ。

 痛みが走る。しかし痛いだけで、怪我は負っていなかった。

「柊ぃっ!!」

 しかし、怪我を負おうと負わないとどちらにせよ、竜也は青い柱にただ突っ込んでいく。

「柊!」

 獣のように、

「ひいらぎぃっ!!」

 動物のように、

「ひ、いらぎ!!」

 ただ、愚直に。

 ひたすらに、目の前の少女に手が届くまで。

 しかし、その姿はあまりにも滑稽で、

「柊!!」

あまりにも、

「柊ぃぃっ!!」

無様だった。

 そして、もう何十回と青い柱に弾かれ、

 ――――もう分かってんだろ。

また詰め寄り、弾かれを繰り返した時。

――――認めろよ。

 ついに悟った。

 

 

彼女はもう、『暴走』しているのだと。



 彼は、青い柱の目前で弱々しく両膝を突く。

 前のめりに倒れそうになるが、なんとか手で支えられた。しかし、その手もショックで痙攣に近い形で震えており、いつ崩れるか分からない。

 その顔に、先ほどのような毅然とした表情は消えていた。

 口は歪み、噛み締めないと嗚咽が漏れるから、必死に噛み締める。

 せめて、彼女の前では格好良くありたかった。

 しかし現実は非情で、無情だった。

 彼女はもう、竜也を見てくれない。

「…………畜生っ……!!」

 彼の頬を、熱い液体が濡らす。

 彼は、泣いていた。

 いつでも、どんな時でも堪えていた涙。

 しかし今、彼に圧し掛かる重い現実には、耐え切れなかった。ついに、その涙腺の限界を突破し、零れたのだ。

 せめて誤魔化さないように、竜也はこの現実をきちんと目視する。

 彼は……如月竜也は、柊 優華を救うことに失敗した。

 

 

 

 絶望に打ちひしがれる、とはこのことなのだろう。

 事実、何もやる気が起きない。目の前に優華がいるのに、竜也はもう一度立つ体力すら残っていないのだ。しかし、たとえ増岡との戦いの後でなくとも、気力はとうに尽きているだろう。

 彼女はもう、暴走状態に入っている。

 九条には宣告されていた筈だった。今日まで何もアクションを起こさなかったら、優華の『異能』は暴走すると。それを忘れ、ただ増岡を倒して自己満足をしていた竜也の甘さが原因だ。

 自分の、甘さの所為で。

 優華が、一つの命が、一人の女の子が、竜也の惚れた女の子が、死ぬ。

 これ以上辛く、非常な現実があるのだろうか。

 あるとしても、竜也は知りたくないし知る気もない。これ以上辛い現実があるとすれば、それが圧し掛かった瞬間に竜也は圧死するに決まっていた。

 もう、駄目だ。

 こうなれば、止められない。

 せめて、暴走状態に入った優華の体感時間を止めればなんとかなったかもしれない。しかし、もう『異能』は本当に底を尽きたし、もし時間の経過と共に回復しても、再び使うだけの気力がない。

 もう、嫌だ。

 辛いこんな現実からは、逃げたい。

 幸せだった昨日へ行きたい。

 それは、昨日まさに青木詩音が柏木 紫にお説教されたことそのままだった。

 しかし今なら、その気持ちが分かる。

 一気に絶望へ叩き落された時の、どうしようもない無力感。

 こんなのを味わうくらいなら、最初から目を背けていれば良かったのに。

 そこへ、一つの足音が響く。

 わざと響かせて竜也に気付かせようとしているのだろうが、もう振り向いて確認する気にさえなれない。その僅かな動作さえ、煩わしい。

 そして相手は痺れを切らしたのか、自分から口火を切った。

 

 

「やあ。生き残りさんとやらは倒したのかい?」

 

 

 こんな時でも妙に気の抜けた口調が、無性に頭に来た。

 言うまでもなく、旧体育館から姿を現した九条だ。しかし、こんな時まで平常運転の九条に竜也も堪忍袋の緒が切れたらしい。ゆらゆらと不安な挙動で立ち上がり、九条の襟首をこれでもかというぐらいに握り締める。

 そして、泣き腫らして真っ赤に腫れた目で九条を睨みつけながら、

「九条っ、どういうことだッッ!!」

 怒りが宿ったからか、叫びだけは大きく張り上げられた。

 意味の無い八つ当たりだということぐらい、自分でも理解している。

 しかし止められない。

 確かに竜也は成長したが、しかし行き場のない感情を押し殺せるほど大人でもないのだから。

「なにがだい? ああ、もしかしてこの子のことかな?」

「当たり前だろっ!!」

「まあ落ち着きなよ。どんな時だって、落ち着くのが肝心だよ?」

「落ち着いていられるか馬鹿ッ!! 柊が……柊が―――!」

「希望は残ってるよ」

「…………………っ、」

 その九条の一言で、竜也の目の色が変わった。

 襟首から手を離すと、わなわなと言葉を発する。

「どう、いう……ことだ?」

「だから、希望は残ってる。けど最初に言っておかなきゃいけないことが一つだけある」

「な、なんだよ」

「この暴走は、かなり危険な状態だ。こうして至近距離にいて俺達が死なないのが奇跡なくらいにね」

 九条が天空を指差す。

 それに釣られて上を見上げると、青い柱は夜空に直撃し、そこに巨大な波紋を描いていた。水面に柱を垂直に静めた場面を想像すれば、分かりやすいだろうか。

「なに……やってんだ、あれは」

「簡単だよ。全世界に大量の『水』をばら撒いてるのさ」

「ばら撒いてるって……そんな簡単に……っ!」

「大量って言っても、量は尋常じゃない。軽くノアの箱舟状態の地球が五百年は続くレベルの量だ」

「五百、って……」

 想像を絶し過ぎていて、イメージが追いつかない。地球を全て水で覆ったまま、五百年。

「率直に言えば、このままじゃあの子は世界を滅ぼすよ」

 瞬間的に、竜也はもう一度九条の襟首を掴んだ。

 ほとんど締め上げるようにして、竜也は怒りのあまり叫ぶ。

「ざけんな!! 何が希望は残ってるだ! 世界が滅ぶんだろ!?」

 しかし、そんな鬼気迫る竜也の表情にも九条は眉一つ動かさない。

 そして、はっきりとした口調でもう一度言う。

「……希望は残ってるよ。こんな絶望だけの時こそね」

「どこに希望があるってんだよ! 世界は絶望だらけだろうが!!」

 九条は竜也に向けて、いつになく真剣な眼差しで、

「確かに、君にとって『異能』ってのはパンドラの箱だったんだろう。『異能』は災禍しか振りまかないってのも事実だ。けど、パンドラの箱だからこそ、君はまだ諦めないでいられる」

「回りくどいんだよ!! ちゃんと話せよ、最後ぐらい!!」

「だから、最後じゃないんだって。『異能』というパンドラの箱から放たれたモノのほとんどが災禍を振りまく中、唯一箱の中にあった……いや、災禍を振りまかなかった君の『異能』こそ、希望だ」

 九条お得意の、何かに例えての説明だ。

 しかし今回ばかりは納得出来ない。いくらパンドラの箱に最後に残ったのは『希望』だけと言っても、それに例えただけの話だ。『時間の異能』が最後の希望になるなんてのは、ただの空想に過ぎない。

「君は一つ、その『異能』の大事な特性を忘れている」

「特性……?」

 しかしそこで、竜也のポケットが振動した。

 携帯のバイブ音だ。

「…………」

 竜也が少しばかり黙っていると、九条が、

「出なよ。それが『希望』さ」

 ――――何が希望だ。

 心中で思いながら、竜也は着信に出る。深夜とは言えない時間なので、桜崎とかが電話してくることも有り得る。そうなれば、最後に何を言おうか。

 そんな破滅的な考えを浮かべながら、

「もしもし?」

 電話を耳に当て、通話の常套句を放つ。

 そして返ってきた声は、

『……もしもし』

「―――――!?」

 強烈な違和感があった。

 それ以前に、強烈な既視感ならぬ既聴感に襲われた。

 知ってるようでいて、しかし知り合いの中にこんな声をしている人物はいない。しかし、ほぼ毎日聞いているであろう声だ。

 なのに、分からない。声の主が。

「お、お前……誰だ?」

『……諦めるな。諦めた途端、運命から外れるぞ』

 また、回りくどい言い方のヤツだ。

 いつもなら竜也は冷静に流したかもしれないが、今は絶望や悲哀、困惑などの感情が混ざり合っていて、意味も分からず焦りを感じていた。その為、少々雑な返答をしてしまう。

「なんのことだ! お前は誰なんだよ!?」

『俺の名前は―――』

 途端に、世界が凍った気がした。

 いとも容易く、通話の相手が言った言葉。

 名乗ったそれは、

「な、」

 声が上手く出ない。

 意味すら、理解出来ない。

 しかし、同時に納得した気がした。

 知り合いでもない、毎日聞いている声。

「お、お前は……?」

『そうだ。俺は……』

 それは他ならぬ、

 

 

竜也おれ、なのか……?」

竜也おまえだ』

 

 

自分の声だった――?

しかし、竜也の中の常識がそれにダウトを示している。

「あ、有り得ないだろ! どうして俺が二人いる!? クローンか何かか!?」

『……落ち着いて聞け。良いか、よく聞けよ。まず俺は、未来から来た』

 明らかに自分の声である相手は、しかし自分では到底言うとは思えない頓珍漢なことを言い出した。未来から来たというのなら、この竜也を名乗る男は光速を超えでもしたのだろうか。

 少しだけ可能性を考慮するが、しかしそれはないだろうという結論が一秒で出る。当たり前だ。

「……は、はぁ!? んなの、それこそ有り得ないだろ!」

『お前、今から自分がそれをやる自覚があるか?』

 今度こそ、竜也が完全にフリーズした。

 たっぷり十秒後、竜也は大声を上げる。

「は、はああああああああ!!? お、俺が過去に行くってのか!?」

『理解が早いな、流石俺だ。そして大方……九条に何も説明を受けてなかったな?』

「よ、よく分かるな」

『自分のことだ、自分が一番よく分かるさ』

 妙に納得してしまう物言いだった。やはり、自分の声だからなのだろうか。

「ちょ、ちょっと待てよ。そもそも、俺はどうやって過去に行くんだ?」

『お前の……というか俺達の「異能」は、ある特性があった。そうだな?』

 九条もなにやらさっき言っていたが、具体的なことを言う直前でこの電話が掛かってきた為、なんのことを指しているのかは分からない。

 しかし九条に素直に聞くのも癪な為、自分で思い出そうと試みる。

 キーワードは、『異能の特性』。

 しかも忘れているということは、少なくとも九条にこの一週間の中で聞かされた筈だ。

 一日目は、違う。

 二日目は……違う。

 三日目も、違う。

 四日目は…………、違う。

 五日目は、九条に怒鳴りつけてしまっている。

「…………そんなのは、分からない」

 無意識に降参を口にしていた。しかし、相手は答えてくれない。

 しかし代わりに、九条が口を入れてきた。

「君は、いつの一週間を今、思い出したんだい?」

「そりゃあ、この一週間を思い出し―――」

 言いかけて、竜也は気付いた。

 今、竜也が回想したのは、全て『この』一週間での出来事。

 しかし、そこではない別の時間で『異能の特性』は告げられていた。

 それは、四日目の朝。

 正確には、『巻き戻る』前の四日前。

 そこで九条は、竜也の『時間の異能』を、『自分と周囲の人間の精神力の力で時空を操る力』だと表現した。

 しかし、それは恐らく別の意味で捉えられる。

「……俺の『異能』は、『自分と周囲の人間の「仝」の量に比例した時空を操る力』。そうなんじゃないか、九条」

「おやおや。いつの間にやら、いつもの鋭い君に戻っているじゃないか。まあ、それで正解だよ。『仝』は『異能』を有す可能性がある人間なら誰もが微弱に持っているからね。流石に『妄想』の子みたいなイレギュラーはあるけど」

 竜也自身言われて気付いたが、確かに自分の心が静まっている。先ほどまで悲しみと怒りで荒れ狂っていた心の波が、今はただ静かに揺らめいているだけだ。

 無意識のうちに、期待しているのだ。

 未来からやってきたというもう一人の自分。そして自分も過去へ行けるというのならば、それはつまり、

(柊を助けるチャンスが、もう一度ある――――)

 思いながら、奮える心を抑えると、もう一人の竜也に返答する。

「周囲の人間の『仝』すら変換して力に変える、だろ?」

『その通りだ。そして今、運命的に条件は揃えられている。強制的にな』

「強制的に、揃えられているって……」

『お前は、一〇二七回目だ』

「……ッ!」

 また、一〇二七回目。

 増岡も言っていたワードだ。

「その、一〇二七回目ってのは何なんだ!?」

 しかし相手は取り合わない。ただ、自分の言葉を続けるだけだ。

『俺もまた、今のお前と同じように絶望した。救えないのかと、何とかして柊を救いたいと、そう思った。不思議じゃないだろう? お前は、俺なんだから』

「…………」

『だからこそこうやって、一週間前に戻った。タイムトラベルってヤツだ。別に、不思議じゃないだろ? 現にお前は、既に記憶が跳ぶ体験をしたって話だからな』

「話だからなって……お前も体験したんじゃないのかよ?」

『俺の経験では、先輩は九条に聞いたこっちの一週間の先輩よりも脆い人間だった。だから俺は「巻き戻る」前に全てのことを阻止出来たし、「亡霊」も倒すことができた』

「倒す……?」

 成仏じゃなくてか、と言い掛けて、竜也は口を噤んだ。

 自分のことだから、何となくで分かる。『この自分』は、『亡霊』を消し去る方法を短絡的に倒すことでしか見つけられなかったのだ。佐藤 楓はそこまで、強くなかったのだ。

 だから、敢えてそこは無視して続ける。

「……けど、やっぱり信じられないな。記憶だけが跳んだんじゃなくて、肉体ごと過去に跳んだ訳だろ?」

『だから言ったろ。強制的に条件は揃えられてる。……この俺だけじゃない。数々の俺が一週間を遡り、そして失敗して次の俺にこんな風に説明しての繰り返しだ。もう、トータルしたら何十年になるか分かったモンじゃない。運命はいつしか俺達「如月竜也の失敗」を前提とした運命を組み上げて、この一週間を流れさせるようになった』

「ち、ちょっと、ちょっと待ってくれ!」

 慌てて竜也が静止をかける。

 あまりにも唐突過ぎた。あらゆることが、唐突過ぎた。

 これまでにも、数々の如月竜也が柊 優華を救うべく一週間前へ跳躍し、そして失敗するということを繰り返してきたということなのだろう。恐らく一〇二七回目というのは、『今の竜也』が一〇二七回目の跳躍をする運命にあるということ。

 しかしそれは、よくよく考えれば、

「この世界は、この一週間をずっと、一〇二七回も繰り返してたってのか……!?」

 先ほどのノアの箱舟の時などとは比較にならないほど、壮大で、壮大だった。

 歴史は進まなければならない。それはどうなったって、当たり前のことだ。

 いや、歴史は進んでいるのだろう。あくまでそれぞれの『竜也達』の視点で見れば、この一週間が繰り返されているということに過ぎない。第三者からの視点で見れば、世界は全て『水』で覆われて終わるという歴史が一〇二六回続いたに違いない。

 しかしそれは同時に、こういう裏づけがあるとも言えた。

「……なあ俺よ」

『どうした』

「柊を……柊を救うのは、一〇二六回繰り返しても、無理だったのか?」

『…………っ。……すまない』

「お前、助けようとはしたんだろ。なら近くにいるんだろ。電話じゃなくて、面と向き合って話そうぜ」

「それは止した方が良いと思うよ」

 そこで九条は、忠告なのか無理矢理割り込んできた。

「君ともう一人の君が会うのは、恐らく重大な歴史の矛盾を引き起こす。世界がそれこそ、滅びるんじゃなくて消えかねない『時間の矛盾タイムパラドックス』だ」

矛盾パラドックス、か。つくづく、世界は面倒なシステムを組み上げるな」

『確かに面倒だ。だが、だからこそこうして、お前にチャンスを与えてやれる』

「……正直、自信がないぞ。俺はどうやったって、千回以上繰り返した結果以上のことは出せないと思う」

『俺も最初は、そう言ったさ。だけど、それでも俺は諦め切れなかった。僅かでも良い、柊を助けられる可能性があるのなら、俺はそれに賭けてみたい』

「自分でも、無理だったのに?」

『お前は、他の俺とは違う。臆病でもなければ勇敢でもない、ちょっとのことでショックを受けて、しかし立派に成長した。そうなんだろう、九条』

 するとその通話の声が聞こえたらしく、九条は何故か得意気な顔をして、

「いやーまあね。特に彼は、自分自身で危機を乗り越える能力よりも、周囲の人間に勇気を与える能力の方がありそうなんだよ。この一週間、彼は見事に全ての『異能』に関する事件を解決してきた。しかもそれらは全て、過去千回以上に渡るリープの中でもまったくなかった新しい切り口の解決法だった」

 聞きながら、竜也は僅かに思う。

 過去千回以上の俺は、平崎に『友達になってやる』とも言えなかったのだろうか。

 過去千回以上の俺は、峰崎との約束を取り消すことも出来なかったのだろうか。

 過去千回以上の俺は、先輩の精神の防壁を崩し、『亡霊』を成仏させられなかったのか。

 過去千回以上の俺は、自分の幼馴染を信じて、素直に頼ることも出来なかったのか。

 そう思うと、少しだけ残念でもあり、希望を持てる。

「自信を持ちなよ、竜也君。君は過去千回以上の全てにおいて出来なかったことを既に成し遂げている。過去千回以上での君は、九割の確率で一週間を過ごすうちに誰か一人を殺してしまっていた。『異能』の暴走を防げずに、ね。ところが君はどうだい、誰も殺していないどころか、その全てを笑顔にしてきた。君は歴代の中でも、最高の『如月竜也』さ」

 そう言われて、しかし竜也は少しだけ鋭い目をした。

 何かを、深く考える時の表情だ。

「それは……多分、違う」

 自分はただ、必死なだけだ。そして、過去の如月竜也も同じく。

「俺は、最高なんかじゃない。『巻き戻り』なんてズルをして、『異能』の暴走を止めるのだって、他人に押し付けたんだ。過程がどうであれ、それは変わらない。最高どころか、多分最低の如月竜也なんだよ、俺は」

 けど。

 いくら最低の自分でも、やっぱり柊を好きになった。

 そして、この気持ちはずっと、一〇二七人の如月竜也が共通し、共有していること。

 これは一目惚れなんかじゃなかった。

 多分、ずっと受け継がれてきた、壮大な運命の中でただ一つ子供っぽい、だけど霞むことない『好き』という感情が、一〇二六回分積み重なった『好き』が、竜也の『好き』と重なったのだ。

 時間的に見れば、それは一時の感情である、軽い恋。

 だがしかし運命の中では、それはこの世界の何よりも重い、深い愛。

 幾千もの如月竜也達は、諦めなかった。

 だから、

「おい」

『話は、終わったか?』

「ああ。……俺は過去に行って、」

 如月竜也も、諦めない。

「柊を、助けてくる」

 

 

 これで、竜也は決意した。

 彼は、たとえ存在が矛盾パラドックスになろうと、過去へ遡る。

 そして今度こそ、この千二十七回目で、この運命に終止符を打つ。

 柊 優華は、必ず救ってみせる。

 

 

 

 竜也はもう一人に竜也に、過去へ跳躍する具体的な手順をレクチャーされた。

 簡単に言ってしまえば、膨大な量の『仝』を発生させている優華から『時間の異能』の特性を用いて『仝』を大量に吸い取る。そして、『仝』の過剰吸収により『時間の異能』をわざと暴走させ、時間跳躍の能力を付与するという力技だった。

 しかし、レクチャーを終えた途端に、もう一人の竜也がいきなり押し黙ったのだ。

「……? どうしたんだ、おい?」

 電話に向かって語りかける竜也に、九条は少しだけ残念そうな顔で言った。

「あー、もう時間切れだ。喋れないよ」

「あ? 公衆電話か?」

「違う違う、時間切れっていうのはそういうことじゃあない。『この世界』にいる時間切れってことさ」

「…………へ? ど、どういうことだ? 消えたのか?」

「そうだ。どこの世界からも消滅したのさ。彼は既に、矛盾パラドックスした存在だったからね」

 竜也は、苦虫を噛み潰したような表情で、

「……失敗したら、消えるのか?」

「というか、成功しても消える。考えてもみなよ、成功しても失敗しても、同じ時間内にいつまでも如月竜也が二人いたら困るだろう? 消えるのは勿論、違う時間から遡ってきた方だ」

「つまり何をしても、今ここにある世界は変わらないのか?」

「君の主観は、時間遡行をした瞬間からこの世界じゃなくなる。そして、時間遡行をして一週間が……というか、ここで時間遡行を開始した時刻になれば君は消え、君の主観は永遠に消滅する」

「消滅って……死ぬってことか?」

「死ぬよりも酷いかもね。ただ消えるのさ。君という存在がいたことは、世界にとってなかったことになる。君自身でさえ、自分が消えたことを認識出来ない」

 竜也はしばらく黙ると、しかし心境の変化はなかったようで、顔を上げた時は元の毅然とした表情となっていた。

「ま、この話題はいい。それよりも九条、時間遡行はかなり荒業っぽいし原理もこじつけっぽいけど、本当にいけるのか?」

「失敗した例はないね。一度でも失敗すれば、この因果は終わる訳だし」

「それもそれで困る……か。あ、あと九条。お前に関しての疑問なんだが」

「ん? 身の上ならこの前言った気がするけどねぇ」

「そうじゃない」

 竜也は人差し指をこめかみに当て、

「いや、こんがらがってんだけど、一番大きな疑問があるんだよ」

「ありゃ、どうしたんだい」

「お前は一昨日の『分岐』が起こった時、俺の『仝』があったからこそ『分岐』を認識出来たって言ったよな?」

「うん? それが?」

「なら、どうして千回以上繰り返した前の俺のことも知ってるんだ?」

「!」

 九条が初めて見せる、多少焦りの混じった顔だった。

「お前が一緒に時間遡行してる訳じゃないから、お前の主観ではこの世界が唯一無二の筈だろ。なのに、お前は得意気に、『俺が他の俺とは違う』ってことを言っていた。俺以外の俺なんて、知らなくて当然のお前がだ」

「…………あー、まー、うん。そうだね」

 やはり間の抜けた声と少し意地の悪そうな笑みで、九条は言う。

「『成功』したら、教えてあげるよ」

「言いやがったな」

 苦笑で返す竜也。

 最早、二人の立場は対等だった。

 九条は笑みを引っ込め、真剣な顔で竜也に言う。

「……あとは時間遡行について、注意を説明しておくよ」

「おう、頼む」

「なるべく未来に影響を与える行動はしないこと。まあつまり、極力用事が無いなら外をウロウロするなってことだね。あと、原理は言えないけど時間遡行後の君は、今まで経験した一週間の事柄をいつでも詳細に思い出せる。君はこの一週間で、どうやっても『異能』と関連性がない事象にいくつか遭遇しているんだよ。ま、今思い出さなくても良いけど」

 すると九条は、コートの下に来ている白衣のポケットを漁りだした。

 そしてその中から、真っ白い携帯を取り出した。

 それを竜也に突き出し、受け取れと言わんばかりに凝視する。

「……なんだ、これ」

 受け取りながら、竜也は携帯を開く。待ち受けはデフォルトの模様のままだった。

「名称は、『存在が矛盾する携帯』。過去千回以上にも渡って時間遡行をしてきた君達が、ずっと受け継いできたものさ。これの使い道としては、『失敗』した時に自分の携帯番号に電話をしてさっきみたいにレクチャーをすることだけど……まあ、使わないことを祈るよ」

「ああ。絶対、使わない」

 その携帯をギュッとポケットに押し込むと、これで準備は完了だ。

「さて、と。それじゃあ、そろそろ行くかい?」

「……よし」

 静かに肯定をすると、竜也は青い柱の方を向いた。

 思えば、時間遡行を最初から分かっていたから、九条は制服で来いと指定したのかもしれない。しかしそれも、今更どうでもいいことだ。

 彼は青い柱へ手を伸ばし、静かに、しかしゆっくり手繰り寄せるような仕草をする。

 フリではない。本当に、イメージを固めて『異能』の特性を引き出し、『仝』を吸い取る。

 その行為を三〇秒続けると、竜也の周囲が白い光に包まれた。

「っ!?」

 恐らく、これで準備は完了だ。竜也が過去に飛ぶという運命の強制力が後押ししてくれたのか、驚くぐらい簡単に『異能』の暴走を操れていた。しかし、いきなり夜の暗闇の中に眩い光が入り込むと、目が痛くなるというものだ。

 思わず目を庇い、しかし九条が何か言いかけていることに気付くと、すぐにそちらを見る。

 別に、それはなんてことのない言葉だった。

「行ってらっしゃい、如月竜也君。君は『選択者』だ。きっと運命を変えられる」

 しかしそれだけで、九条の言いたいことが分かった。

 だからこそ竜也は、こう応える。

「……俺は、選択はしない。ただ、運命に抗う反逆者になる」

 運命の反逆者。

 幾千の運命を断ち切る者としては、相応しい肩書きかもしれない。

「そして行ってくる。ちょいとハッピーエンドまでな」

 それが、彼のこの時間軸での最後の言葉だった。

 瞬間、彼の体を閃光が包み込み、彼の肉体ごと消失した。

 時間遡行、成功。

 それを見届け、九条は呟く。

「……反逆者、か。さあ、頑張れよ如月竜也」

 しばらく彼は、虚空を見つめ続けていた。

「運命を認めない人間がどれだけ強大か、世界に見せ付けてやろう」

 既に旅立った者への声援を呟くと、九条は旧体育館の闇の中へ消えていった。

 

 

 

 

 竜也は旅立つ。

 そして主観は、一週間前へと……全ての始まりへと遡る。

 ついに物語パラドックスが、幕を開ける。

 

 

 



 最終章前篇、これにて閉幕です。

 それでは、これまで振り撒いた伏線回収へと続きます。

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