第一章 柊 優華という暴走女(1)
例えば、ある日突然自分の身の回りで事件が起きたとする。
その被害者が親しい者なら悲しみに涙し、加害者が親しい者ならあまりの憤怒に涙する。
そんな経験があるヤツなんて、この世界に何人ぐらいいるんだろうな?
それは。
柊 優華は転入生だ。
と言っても、今は一〇月。彼女が転入してきたのは九月の頭。丁度、『池袋〇八ニ〇事件』が終わってから十一日後だ。既に転入して一ヶ月ほど経つ為、転入生の称号はもうすぐ期限切れを迎えるだろう。
ちなみに、『池袋〇八ニ〇事件』というのは、八月二十日に起きた様々な事件の総称だ。
今年の八月二十日。東京内の池袋で特に事件が同時多発した。電車が線路から脱線したり様々な交差点で交通事故が起きたり、人が突然失踪するのは朝飯前。これにより池袋の人口は激減した。およそ五分の一が消えたとされるが、実際はもっと消えたのだろう。
とにかく、高校二年生である如月竜也が一番言いたい事はただ一つ。
「なんで……、」
それは、
「何で、俺のロッカーがピンポイントで濡れまくってんだーっ!!?」
と叫ぶが、それで目の前の状況が変わる訳ではない。そして中に入っていたブランド物のタオル(汗拭きで使用済み)が消えている状況も変わらない。
竜也は致し方なしに雑巾を掃除用具入れのロッカーから取り出しながら、
「クソ、俺にだけ集中砲火ってかなり悪意あんぞ……」
とにかくロッカーに荷物を入れられないと、色々と支障が出る。この高校では普通に金のやり取りもあるし、盗られる可能性も無きにしも非ず、だ。
今日は早起きした為登校も早めだったから良かったものの、そうでなければ竜也は濡れたロッカーに荷物を入れ荷物から腐臭がする事確定だったろう。
「…………これはもう、いじめの域に達していると思うんだ、俺」
物陰に隠れている人陰がビクッと肩を震わせると思ったが誰もいなく、もう面倒なので雑巾で適当に拭いて終わりにした。後は清掃のおばちゃんに言えばやってくれるだろう。
スポーツバックを仕方ないからロッカーの上に置くと、教室のドアを開けて入る。
そこでは。
ピンクの下着を着けた柊 優華が、何故か着替えをしていた。
その日焼けの後とか絶対なさそうな白い肌が露出されている事に違和感を感じつつ、ああそうか九月からしか見てないから露出多い服なんて見た事殆どないんだと
「キャ――――――――――――――――っ!!」
「やっぱそう来たかッ!?」
どこからともなく飛んで来た……液体? がいきなり口の中に入り込み、無理矢理喉の奥へと入っていく。そのあまりに突然の現象に、竜也は…………、
「…………………………っ、」
「は、恥を知れド変態がっ!!」
―――――――――――まあ、普通に気絶していた。
いや、していなければおかしかった。
そしてこんな言い回しなのは、当然訳がある訳で。
ほんの数秒前。
『――――――――――――――――――待て! 分かった今すぐ出る……って、』
竜也は、教室内で着替えをしていた優華がこちらへ(無意識だろうが防衛本能だろう)手を向けているのを見て、慌てて(こちらも本能的に少し眺めたのだが)目を伏せた。
そして、
『…………………アレ?』
世界が、停止していた。
灰色の世界。
色が無い。
早朝の空の青色は灰色に染まりきっていた。
こちらへ手を向けている優華の手から、何か水のような塊が
『ってえええええええええええ!??』
いきなり絶叫を上げるが、それも無理はなかった。
原因は優華の右手。
その右手から、何か水鉄砲で発射したような水が口元のすぐそこまで迫っている。
そこでようやく、彼の頭はこのまま水が進めば自分が窒息するという結果に思考が結びつき、そして横に僅かでも良いから逸れるという回避行動を
『!』
そこで、竜也の視界は捉えた。
世界の色が、戻っている――――――――――――――!
「…………………………っ、」
僅かに逸れたのが幸運だったのか。
彼の右の頬と口内を擦る形で、水は通過してくれた。
あまりの勢いに竜也が床に倒れこむと、上から優華(下着にワイシャツというなんか扇情的というか端的に言えばエロい姿だ)が見下ろしてくる。
「は、恥を知れド変態がっ!!」
お前の姿が変態そのものだ、とは言えない腰抜け竜也だった。
とにかく教室から脱出すると、目の前にある男子トイレに駆け込んだ。
更にそこから個室のトイレに逃げ込むと、内側から鍵を掛ける。
「ふぅ……………」
一息吐き、そこで額の汗を拭うべく手に持っていた布で額を拭
汗を拭いかけたその布は、優華のスカートだった。
「……………………………………………………………………………っと、あれー?」
更に汗がダラダラと垂れる。
脂汗がなんとも苛つく。
(いや落ち着けよ俺大丈夫だそんな訳ない大体どうして教室入る見る撃たれる出るの四拍子でスカート掴むヒマがあるんだよそうだもう一度確認しろあれは俺の妄想だそう妄想)
もう一度視線を、布へと移す。
その目に映るのは、
スカートだった。
「チックショォォォォォォォォォォォっ!」
嘆きの叫びを上げるが、しかしそれでスカートが教室内へテレポートすれば日夜ご町内の平和を守るポリスメンなど必要ないのだ。というか竜也は間違いなくポリスメン行きだ。
(よし。落ち着け。落ち着くんだ。いいか俺、状況はこうだ。『俺は教室へ入り着替えを覗いてしまい、そこで慌てて出て行きトイレに駆け込んだらスカートを掴んでいた』だぞ)
「コレ俺が完全に変質者になるぞ!?」
『竜也は教室へ入り着替えを覗いてしまい、そこで慌てて出て行きトイレに駆け込んだらスカートを掴んでいた』どころか、これでは『竜也は優華が着替えている教室へ堂々と入りスカートを盗んで匂いを堪能すべくトイレに立て篭もった』といういささかポリスメン通り過ぎて裁判所な解釈をされてしまうだろう。
しかし、そこで竜也はハッとした顔になると、
(なら、俺が仕方なくスカート盗んだという理由を考えれば良いのか―――!?)
もう素直に謝る気もないようだ。
竜也は時計を確認すると、現在時刻が七時五十五分である事を確認した。
あと五分もすれば、他の生徒がやってきてしまうだろう。
(考えろ、俺。どうすれば俺は生き残れる……っ!?)
そこで、竜也の頭に今朝少しだけ見てきたテレビがよぎる。
確か、やっぱり女性は根っこの部分ではストレートな告白に弱いですよね的な事を言っていた気がする。
(――――――――――――よし!)
心の中で、頷いた直後だった。
ドバン! という音を立てて。
トイレのドアが勢い良く開かれた。
個室に閉じ篭っているためよく分からないが、優華が来たと思う。
静かに目を閉じ、覚悟を決める。
(……よし、落ちつけ俺。きっとこれで大丈夫だ……!)
意を決して竜也は自分から個室の鍵を開け、ドアを開いた。
その先には、
(………………………な、)
ワイシャツの上から羽織った冬服で、必死に下半身を隠しモジモジしている優華が。
(なんていう破壊力だ………………ッ!?)
軽く頬を赤めている優華を真正面に、竜也はスカートを片手で目の前に突き出す。
そして、叫ぶ。
「ひ、柊! 俺、お前の下半身というかスカートがずっと好きだったんだ!」
「死ねッ!!」
「あ、すいません膝ってそっちには曲がらな―――――、」
即座に切り返され、関節が粉砕された。
竜也はその後(しばらく気絶していたら優華は消えていた)、そういえば日本史の課題やってねーやと気付き参考書片手に課題と格闘していた、朝のHRちょっと前の八時二十分。
少し小柄な人影が、竜也の方に歩いてきた。
「やっほー。たっちゃん、どした?」
竜也は日本史の課題から目を離さず、そのまま答えた。
「………奏か。どうしたって、何が? それとたっちゃんやめい」
「たっちゃんが真面目に勉強なんてただ事じゃないなーと思って」
「褒めてるのか貶してるのか」
「今の文法じゃ褒めてる箇所は一個もないよー」
「上等文句だろこれは」
このアホのように間延びした口調のヤツは、氷室 奏という男だ。
繰り返し言うが男だ。見た目もボーイッシュで口調だけ声はいささかハスキーなだけなのだが、それでも女っぽい名前か毎年名前だけ聞いた後輩から『どんな顔なんだろう?』という感じで見物しに来られ、実は男だったと判明しニュースになるのが恒例イベントとなりつつある。
「それで、どーして真面目に勉強?」
「別に」
「人間ってさ、何か強く感情を揺さぶられると言動にも変化が生じるんだってー」
「そ、それで?」
「ぶっちゃけ生着替え覗いたりしたのー?」
「…………………………………ナ ン ノ ハ ナ シ ダ ?」
「覗いたんだねー」
「好きでしたワケじゃねえ」
「好きでもないのに覗いたんだねー」
「その言い方だと俺がますますいやらしい人になるからやめろ」
「ますますいやらしい人が覗いたんだねー」
「余計な所だけ真似すんじゃねぇっ!」
思わずガバッと起き上がり反論すると、丁度斜め前の優華の席が見えた。
その席に座って読書をしている優華は、どこか凛々しい空気を醸し出している。
腰の少し上ぐらいまである長い髪。ピンと張られた背中。そしてその姿勢。ついでに本。
どこをどうみても『デキる』生徒にしか見えないのだが、竜也はその『デキる』生徒の派手に取り乱した姿を目撃してしまっている。
そしてもう一つ、思う事がある。
柊 優華は転校生だ。
そして今の時間は、普通の生徒なら友人との会話か終わっていない課題とタイトルマッチをおっぱじめるのが定番だ。
その中で、優華は一人『とある歴史の産業革命』なる文庫本を読んでいる。明らかに浮いていた。もうド田舎の道をスーツ姿とサングラスで歩くぐらい浮いていた。
それが今日限定ならまだしも、転校してきてからむしろ友達と楽しそうにお喋りをしている姿なんて竜也は見たことがない。
最近気付いたが、つまるところ『お喋り』という行為をする相手がいないらしい。
「つくづく変なヤツだなあ」
「んー? ………あぁ、カシワギさん、だっけ?」
「ヒイラギな」
「あ、そうそう柊さん。……なーんか、近寄り難いというか、そういうオーラを出してるんだよねー、あの人」
「そうかぁ?」
「うん。まあ、たっちゃんみたいなオープンな性格なら関係なさそうだけどー」
「そうじゃなくて、近寄り難いオーラって何だよ? それとノーたっちゃん」
すると氷室はうーんと唸り、
「こう、ほら…………そうそう。ライオンみたいに獰猛でもないけど、ハムスターみたいに警戒心無しで触れ合える程でもない………………ああ、少し凶暴な犬って例えかなー?」
「それで、俺たちはひ弱なハムスターか可愛い猫って所か?」
「まーそんな感じかなー? ハムスターの人は猫の人に食い殺されそうだけど」
「あ。ホントだ」
「それと、たっちゃんはひ弱はハムスターでも可愛い猫でもないと思うなー」
「じゃあ何だよ? まさかミクロンサイズのアメーバとか言わないでくれよ」
氷室は苦笑いしながら違う違うと手を横に振り、
「普段は大人しいけど、本性を現すととんでもない、みたいな?」
「俺は野生の犬か」
「あ。なら少し凶暴な犬と野生の犬で丁度良いねー」
「…………………勘弁してくれ」
それと同時、予鈴が鳴り出した。
「おっと、そろそろだねー」
「そうだな。早く戻れよ、影宮のヤツうるさいから」
「えー、あの人可愛いと思うけどなー」
そして身軽な動きで氷室が竜也の横の横の前の横………まあ大体は斜め前の席に座ると同時に、影宮と呼ばれた担任が入ってきた。
「はーい、皆いるかな? ではこれからHR始めますね」
すると生徒の一人が手を上げて、
「先生、どうして週刊誌を持ってるんですか?」
「へ? …………………あ、出席簿と間違えちゃった…………」
まあ今の一言で理解可能だろうが、つまる所この担任はドジなのだ。
しかし見た目がアイドル顔負けの可愛さ(『美人』ではなく『可愛い』)だから、それも立派なキャラ立ての材料として機能している。顔が中年ババァなら暴動が起きていた所だ。
「お、オホン。では今日の行事について説明しておきます」
咳払い一つ話題を切り替えたが、恥ずかしかったのかその頬は朱色に染まったままだ。
「皆さん知っての通り、今日は『仮装準備大会』です。各々の担当は昨日配布したプリントに詳細がありますが、」
「先生、配布は一昨日です」
「…………一昨日配布したプリントに詳細がありますが、自分の持ち場を忘れた人、または各持ち場ごとで忘れ物をした人はいますか?」
ヤベッ、と竜也は口走りそうになった。
完全に忘れていた。
今日は『仮装準備大会』なる、もう準備なの本番なのどっちなのという名目の大会が開かれる。それは来週月曜の『仮装大会祭』というこちらも大会なの祭りなのどっちなの的な名目の行事の準備でしかないのだが、各分担区を自分達のクジ引きで決め、そこで集まった即興のメンバーでどこまで完成度の高い装飾を施せるかを競うのだそうな。
竜也は挙手すると、
「先生、俺って分担どこでしたっけ?」
場合によっては忘れ物だが、
「如月君は、………………えーっと………………あ、正面玄関の飾り。正に学校の顔だから、装飾頑張ってね」
正面玄関は毎回派手な装飾が施されるが、派手だからこそ学校にしかないような巨大なパーツなどを使用する筈だ。恐らく忘れ物にはならないだろう。
「はあ。頑張るっス」
間抜けな返事をすると、そのまま後は話を聞き流していれば良いだろうと肩肘で頬杖を突いたその時だった。
「あ、如月君。正面玄関は柊さんとペアだから」
「!?」
驚きのあまり肘が机の上からズレて、顎を盛大に机にぶつけてしまった。
「じゃ、そういう事でお願いね二人とも」
「は、はぁ」
「…………分かりました」
先ほどに比べると優華に生気が無いように見えるが、外見はこちらがデフォなのだろう。
「はい、それじゃああと質問はないですね。各委員会などから報告はありませんか?」
「………はい」
すると、そこで手を挙げたのは何と優華だった。
「はい柊さん」
「如月君へ連絡です。屋上でコレが終わったら会いましょう。乙女の純白を汚した責任をきっちりと取ってもらう相談がありますから」
「何言っちゃってんのお前ェェェェェェェェェェェェェェェェ!!?」
思わず、席を立ち上がって女の子みたいな絶叫を廊下に響き渡らせていた。
クラスの面子はいきなりの事に最初は面食らってこそいたものの、途中からだんだんと元の調子に戻っていき、「如月、お前とうとうヤっちまったか」みたいなムードが教室全体へと何時の間にか広がっていく。
教壇に立つ影宮先生は、驚いた顔をしながらも、
「如月君、柊さん。…………………………TPOは弁えましょうね?」
今期一番の笑顔でそう言い切った。
早速第二話です。
もう少し投稿します。




