第三章 峰崎鈴香という委員長(6)
第六回、ついに第三章が終わり。
四章からの投稿速度が怪しくなりますが、続けていきます。
藤木健斗と如月竜也。
両者が真っ向から向かい合うのは、これで二度目だった。
竜也は足音を響かせながら、拘束されていた少女の一人――峰崎の元へ向かう。
しゃがみ込んで顔を覗くと、峰崎の瞳からは涙が零れ、頬を伝って流れている。
そんな峰崎に竜也は、一言だけ、
「うぃっす。助けに来たぜ」
「…………遅いよ、如月君……!」
「悪ぃな。約束、破らせちまって」
「……………ううん。気に、してないよ」
「それじゃあ新しい約束だ」
「!」
竜也は、峰崎の縄を解きながら、
「お前はこれから利口に生きる事。助けても助けるも言える、普通のヤツになる事だ」
有無は確認せず、竜也は立ち上がると、次は藤木を睨み付けた。
「………さて。テメェ、ソイツに手ぇ出したんじゃねえだろうな?」
その視線の先にあるのは、ブレザーが破かれた平崎だ。
「いやー、もう少しでイケたんだけどさ。他ならぬ君が邪魔してくれたよ」
「……………………ほれ見ろ。私の眷属を侮るからこうなるのじゃ」
横槍を入れる平崎は、どこか誇らしげな表情を浮かべていた。
それを見た藤木は露骨に嫌味な舌打ちをして、
「…………どうやって入ってきたんだい? あれはいくら馬鹿力があろうと開けられない筈だけれど」
「ま、ヒントだけなら教えてやる。応用編その一だ」
「応用編?」
「まあ訳あってこれからちっとばかし無敵状態だからな、覚悟しろよ?」
竜也は軽く構えると、
「っ!」
駆け出した。
対角線上に例えるならば、竜也と藤木の間には平崎がいるのだが、それをジャンプ一つで飛び越えると、竜也は空中から足を振り翳した。
「どこの、特撮ヒーローだい、君はっ!」
それを後ろへ軽く傾くだけでかわすと、藤木は片手を突き出す。
「いきなりバトルパート突入かい、まったく……」
呆れたような表情で溜息を吐くと、藤木は突き出した手を自分のこめかみに当てた。
「………これなら、使うしかないかな」
そう藤木が呟いたが、竜也には聞こえなかった。
竜也が使用した能力は勿論、九条から教えてもらった応用編その一だった。体表面に『時間』の異能を膜のように『張り付け』る事で、表面上の時間のみが停止し、どのような物理攻撃も通じないというものだ。自分の身体なためか、体感時間までは止まらないのが救いだった。
その能力のおかげで結構便利な事も出来る、というか出来た。相手の意表を突く為に空中へ高くジャンプしたのは、時間停止の範囲を細い棒状に設定し、足元に出現させる事で自身の身体を浮かび上がらせたのだ。灰色の棒のような物がその際出現した筈だが、照明がほぼない暗がりでよく見えなかったのだろう。その所為で結構『異能』も消費したが、あと十分はいけると思う。
再び身構えると、それとは裏腹に藤木は何かポケットから取り出した。
「………なんだそれ。携帯か」
「携帯さ。ここを爆発させる為のね」
「!」
竜也の顔が、驚愕に染まる。
「爆発…………嘘だろ?」
「いんやー? 普通に爆発するよ? ほら、メールの送信電波に反応するんだ」
と言いながら藤木は携帯のボタンを、一回だけ押した。
すると、
真上―――恐らく地上の方から、鈍い振動音が響き渡る。
「っ!!」
「ねー? 今のは爆竹一個分の爆発だよ。ここには五十七個仕掛けてある」
「…………ふっざけんな! お前も死ぬぞ!」
「別に大丈夫さ。『死なない』と自分に言い聞かせれば、それだけで僕は死なない」
「……イマイチ一人称が定着しないヤツだな。俺なのか僕なのか」
「じゃあ僕で通させてもらおうかな? ……まったく、君もコソコソやってくれたよねぇ。僕にだって目的はあるのに、いちいち邪魔してきてさぁ。どーして僕があの女の前で、あんなボロい顔で謝らなきゃなんねーんだろうな」
「お前……あれも演技だったのか?」
「おいおい、縁起でもない冗談するなよ……なんちゃって。とにかくさ、何かと思って調べてみたらまさか……『異能』のスペシャリストの影があった。その事実に気付くには少しかかった上に、『気付いた』ことで僕の『異能』が解除されたってんだから笑えない」
「!」
九条の『仝』探知が復活した理由がずっと気がかりだったが、これで合点がいった。
藤木もまた、『異能』に関する深い部分にまでのめり込んでいるのだ。その深い部分までのめり込んだ特有の方法で調べればまた、九条のことは簡単に『気付けた』だろう。しかし、あくまで学生という身分の為、結果が分かるのが遅れてしまったのか。
「おっと……身の上話もこれぐらいにするかな」
と言いながら、藤木は更に逆のポケットから小さなケースを取り出した。
「さて、君の事だからね。今は頭の中でどうやってこの子達を逃がすかと必死な筈だ」
「っ、」
「そこでボーナスタイム。今から僕が言う条件を呑んでくれたら、それだけで解放するよ」
「! ………………何だ、条件って?」
「簡単過ぎるよ。それ故に苦渋だ」
「苦渋の、条件…………?」
「ま、そゆこと」
藤木は言いながら、ケースを開ける。
そこには、小さな袋が入っていた。手の平サイズの、まさに小物入れといった感じだ。
「…………………何だ、それ」
「薬」
「何の?」
「夢見心地になれる」
「…………薬の前に『麻』の文字を入れた方が良さそうだな」
「はは。それとは違うさ。これは頭がオカシクなるんじゃなくて、『異能』をオカシクしてそれと連続している精神を蝕む薬だよ。取り敢えず、飲めば昏倒か瀕死だろうね」
「そりゃま、随分と物騒なモンをお持ちで」
「良いじゃない。これを君が飲めば、この子達は解放してあげるんだから」
「! …………本当か?」
「騙されないで!」
「「!!」」
いきなり声を張り上げてきたのは、予想外にも峰崎だった。
何時の間にか平崎の下へ駆け寄っていた彼女は、平崎の縄も解いていた。
「騙されないで、如月君! この人は嘘以外には言わないような人! ペテン師だよ!」
「ペテン師………」
「おやおや、心外だねえ。よりにもよってピエロよりも酷いじゃないか」
「ピエロ?」
「いいや、こっちの話さ。……………さて、どうする? 彼女はああ言っているけど、今でも僕の携帯操作一つでグシャリといけるのは忘れないでね」
「俺は…………、」
竜也は僅かに逡巡しながら、僅かに薬の方へ手を伸ばした。
「如月君! 私は…………如月君がいなくなって私だけ助かっても、助けてくれただなんて思わないよ!?」
「………………ああ。分かってる」
竜也自身、気付いているだろう。
ここで竜也が潰えて、もし億万分の一の確率で峰崎達が解放されたとしても、彼女達はむしろ不幸になるのだ。何故なら、一生の罪悪感が残るから。それだけだが、重い。
「峰崎」
「なに?」
「ありがとう。俺との約束の所為で色んな事に巻き込まれたのに―――責めて来なくて。強くなれとは言えないけれど……お前の本心に気付けなかった俺を、許してくれ」
「き、さらぎ、くん………………?」
「そんじゃあな」
それだけ答えると竜也は、
薬の袋を、手に取った。
「…………!」
「よしよし、いい子だねえ。それじゃ、さっそく飲んでくれよ?」
「―――――――――な」
「ん? 何か言ったかい?」
「忘れるな」
「何を?」
「俺はいくらでも這い上がる。何回倒れても何回でも起き上がる。だから――約束破ったら、地獄の底でも引きずり込んでやる」
「おー、怖い怖い」
「……………………、っ!」
竜也は袋を一気に引き千切ると、中に内封されていた粉を一気に飲み込んだ。
直後、何の予兆もなく。
「う、ぐ、!!」
激痛が、迸る。
「が、ぎぅァァァァァァァあああああああああああ!!」
「如月君! 如月君!?」
思わず頭を抱えてうずくまるような姿勢になると、頭に添えた両手が妙に浮き出ている頭の血管の感触を捉えた。目が痛みを発している。視神経がおかしくなったのか。爪がグラグラしている。指先までの血管が腫れすぎて、中から強引に千切れたのかもしれない。食い縛る歯から嫌な音がする。強く噛みすぎて、とんでもない重圧がかかっているのか。
「………グ、ァ、が、ハァ………はぁ……………ふ、じきぃぃいっ!」
「んー? 何かな死に損ない」
竜也の口元から血が垂れる。目も真っ赤に充血していた。
「早く…………ァ、ガ……っぐぇ…………解放、しろ…………ァァアアッ!!」
「そーだねー」
獣のような声で詰め寄る竜也だが、その悪魔のような視線をするりと藤木はかわした。そして、その顔に意地の悪い笑みを貼り付ける。
「ごめんなさーい。僕ぅ、約束って破るモノだって自負があるからさー。大体、時間止めて僕の携帯奪えばいい話だったのに……馬っ鹿だよねぇ君もさぁ!」
「ふ、じきィィ…………ィ、ァアア、……………テメェ…………ッッ!!!」
「でもさー、それじゃあ身動きも取れないよね。君の目の前でヤるのもアリだなあ」
すると藤木は手の平を気色悪いテンポで動かしながら、自然と峰崎に近づいた。
「さーって、さっきはあの子の服は脱がしたし。次は君だねぇ」
「や、離れてください!」
思わず峰崎は後ろに下がって警戒するような色を示すが、しかし恐怖は健在のようだ。すぐに腰を抜かして座り込むような形になってしまった。
「……………ぃ、や………」
「はっはー、これならイイ感じにデキそうだねぇ」
「やめ、てよ…………!」
「ごめんねえ。さっきのペテン師だとかで結構傷ついちゃってさあ」
「だって、」
「ん? なんだい?」
峰崎は、いつのまにか軽い笑みを浮かべていた。
「だって、ピエロ以上に滑稽に騙されるから」
「………………………………あ?」
「滑稽なピエロより酷いって話」
藤木はイラつきが宿る目で峰崎の視線―――つまり自分の背後を振り返ろうとした。
そこで、後頭部を何者かに鷲掴みにされた。
「……………!?」
慌てて振り返ろうと試みるが、頭を抑えられているから当然のように身体は回らない。
(だ、誰だこの手は!? まさか……新たな侵入者か!?)
藤木は、恐る恐るといった様子で背後の人物に話しかける。
「き、君は誰だい? 悪ふざけはよしてくれないか?」
「…………………、」
微かな吐息しか聞こえない。
「僕に何か用かい? あ、それともこっちの女に用が―――、」
「どっちもだ」
「っ!!?」
有り得ない。
そんな筈はない。今の声の主は、今この場で蹲っている筈だ。
そこで、藤木は気付いてしまった。
如月竜也の呻き声が、聞こえない事に。
「お、お前………なんで、だ! どうして耐えられる!? 普通なら気絶して―――」
「悪いなあ藤木。お前の薬はこっちだ」
竜也はポケットから、まだ未開封の袋を取り出した。袋を掴んだ腕を伸ばして、これ見よがしに藤木の顔に近づける。
「じ、じゃあ! あの時飲んだのは―――!?」
「お前は騙されたんだよ。俺達の演技に」
「えん、ぎ……?」
「俺が飲んだのは、筋肉収縮をおかしくさせる病気の予防薬だ」
「ふざ、けるな! そんな出まかせ信じ―――――」
「それじゃあ藤木。一つ質問だ」
「な、何だよ」
「もう一人の人質。…………奏はどこいったんだ?」
「そんなの、隠してるに決まってるだろ。切り札ってのを知らないのかい?」
「右から三番目の壁際。そこに設計的な出っ張りの部分があるな。そこで気絶してるだ」
藤木は目を見開きながら、呆然と呟いた。
「どうして、それが………?」
「ハッ。お前はまず気付くべきだった。この場を支配しているのはお前ではなく、俺達だという事にな」
「そ、それに血も出て……!」
「お前、あれが見えないのか?」
竜也が指さしたのは、そこらに吊るされている肉の塊だ。確かに、体温などで温めれば血に近い色の液体は取れるだろう。
「だ、だけど僕に手にはまだ爆破用の携帯だってあるんだ! 僕の方が有利に―――」
「ああ、これの事か?」
そう言いながら竜也は薬の袋を投げ捨て、代わりに藤木の携帯を取り出してまた見せる。
「……………は? ぼ、僕の携帯! いつ奪った!?」
「だから、お前は気付くべきだった。俺の『異能』の特性に」
「………特性…………まさか………!」
「そう。俺の『異能』は指定した範囲全ての時間を止める。俺は今、お前の身体の周りの時間を止めていたって訳だ」
「だ、だけど! お前だって、あの入口を破ってきた時は体表面に『異能』を――」
「意外と頭回るんだな。そうだ、俺は体表面に『異能』を貼り付けて防御壁にしていた。だけどな…………別に内側まで指定範囲にしちまえば、体感時間なんて簡単に止められるんだぜ?」
「!!! ……僕の体感時間を、止めていた…………!?」
「ご名答。もっと早くに気付いてたら、釘を刺す事だって出来ただろうにな」
「く、薬は! 薬はどうやって……」
「奏の兄貴は、筋肉の収縮がおかしくなる病気で死んだ。弟がその病気の予防薬持ってたって不思議じゃねえだろ?」
藤木の奥歯から、ギリリという歯噛みの音がした。
「…………………全部、最初から仕組んでいたのか………ッ!!」
「即興の思いつきにしてはよくやった方だろ? 下手に勝負を付けて爆破されたらたまんないからな」
「……………………………成程、ね。なるほどなるほど。そーゆーことかー」
藤木は、軽く頭を項垂れたように下げた。無理矢理に竜也の腕から逃れると、そのまま距離を取る。
「でもねえ、詰めが甘かったかな?」
「……ハッタリなら良いぜ。今更どうってこと―――」
「結局」
わざと被せるように発言する藤木に、竜也は何らかの不信感を憶えた。
しかし、藤木は続ける。
「僕の『異能』の正体ってなんだったんだろーね?」
「………………今更何言ってんだ。人の心に影響を及ぼす『異能』だろ?」
そこで藤木は僅かに間を置いた。それは時間稼ぎが、あるいは、
「…………くけけ……」
気色悪い笑みを堪えただけなのか。
直後だった。
一気に、世界が灰色に染まった。
「ッッ!?」
竜也は動揺したように辺りを見渡す。
これは、明暗を問わず平等に微妙な明るさの世界は。
竜也の……時間の『異能』が発現した時に起きるべき現象だ。しかし竜也は今、当然のように『異能』を使ってなどいない。
なら、誰が。
簡単にその解を提示する方法は、一つだけあった。
詰まる所それは、
「藤木…………お前、『異能』を二つも………!?」
「………ざぁんねぇんでしたぁぁぁぁーっ! いやもう残念賞だね、ティッシュぐらいあげたいけどさ。てんで駄目だねー全く。僕に『異能』が二つぅ? そんな訳ないじゃないか。『異能』は一人につき一つ。それが大原則なんだよ?」
「だったら、これは……?」
「うーん、そうだね。言うなれば、『投影強化』って所かね」
「とうえい、きょうか……」
「そう。人の『異能』、その強化版をコピーする。手の内が割れたって問題ないけどね。だって、君自身の強化版に君が勝てる訳ないじゃないか!」
威風堂々と言った感じで両手を広げ、心底嬉しそうに宣言する藤木。それを見ながら、竜也は苦い虫を噛み潰したような顔をした。
「僕の場合、この場の時間を止められるのは五分ぐらい。と言っても、僕の『異能』の特性上、携帯を奪われたのは痛いかな」
(特性……?)
何となく引っ掛かるが、竜也はそれよりも今の状況を確認する。
相手は、竜也の『異能』、その強化版を持っている。
竜也は、たった五秒だけその場の時間を止めるか、防御壁を展開するか。
再確認して更に気分が沈んだ。
(こんなの、勝ちようがない……っ!)
「来ないのかい? なら今度はこっちから行くよ」
すかした様子で藤木は、ポケットに手を突っ込んだまま駆けて来る。
「クッソ!!」
対応する暇もなく、竜也はとっさに後ろに下がろうとした。
「~~~~~~~~~~~っっ!?」
そこで、足が凄まじい鈍痛に襲われた。
相手が攻撃してきた、のではない。
ただ、足をついている。それだけでとても痛かった。
「足の痛みかい? それなら当然さ。今、君は君が展開した『異能』の空間にいる訳じゃない。僕が展開した『異能』の空間にいるんだ。元々、体表面に膜を貼っただけで絶対的な防護壁になるような力なんだ、足をついた衝撃が反発してくるのは当たり前だろう」
よく分からないが、要は足を強くつけばつく程痛みが跳ね上がるらしい。
「なら…………どうすれば、勝てる……ッ!?」
「さて、説明タイムも終わった所で。………吹っ飛べ」
何時の間にかすぐそこまで来ていた藤木が、脇から膝蹴りをしてきた。脇腹を、目掛けて。
「の、野郎ォ――――っ!」
肘を慌てて出すと、凄まじい威力の蹴りが肘に直撃した。ミシミシと嫌な音が鳴る。
「バカか君は。僕も今はあの膜を貼っているんだ」
「おま、時間を止めながら膜も………!?」
竜也は後ろへ後退しようとして、
(そういや……)
自分自身の『異能』が効果切れになっている事に気がついた。絶望的はハンデになってしまったのだが、しかし竜也は動じない。揺らがない。
「っらぁ!」
唐突なタイミングを狙って拳を顔面へ振り翳すが、それも顔のすぐ表面の膜で邪魔され、無駄に終わったようだった。
「痛ッ…………………ちっくしょう、やっぱ物理攻撃は通じねえか」
「ならどーするんだい? 精神攻撃が出来る程言葉巧みには見えないけど?」
「この『異能』だって限界がある。時間停止の制限はこの食糧庫だけな筈だ」
「だからどうしたって言うんだい?」
「さてなぁ……」
そこで何のアクションも起こさず、竜也はただ俯いているだけだった。
微動だにせず、ただ見えない表情で何らかの感情を表しているだろう。
「正直言って、痛いのは嫌いだからな。…………このまま待つのもアリかもしれない」
「なら、待ってれば良」
そこで竜也は至近距離にいる藤木の顔面を、今度は正面から掴んだ。
無論、それだけで痛みが手に迸る。
藤木の表情も、何度目かの驚愕に染まり直していた。
「なんのつもりかな?」
「俺は痛いのは嫌いだ。だけど、友達が嫌な目に遭えばそっちの方が痛い」
「……愚問だね。どっちも痛いなら、君の苦労しない方を選べばいい話じゃ」
「―――――だからこそ、こうすんだよッッ!」
そのまま痛む足も拳も膝も太股も脹脛も肘も二の腕も爪も何もかも気にせず、ただひたすらに、『異能』の膜ごと藤木の身体を押して、押して、押して、押して、押し出して、押し出した。
辿り着いた先は、先程竜也が破った鋼鉄の扉。その扉は破壊されたから出入りは自由に見える。しかしそこには、半透明な『異能』の障壁のような物が生じていた。まるで巨大な結界だ。その中に閉じ込められたような錯覚が芽生える。
つまりあそこが、『異能」の範囲境界だ。
「まさ、か」
藤木が呟くが、竜也はそれでも足を止めなかった。
「や、めろ」
その『異能』で生じた障壁に、一切の躊躇なく、
「やめろぉぉおおっ!!」
藤木を、叩きつける。
瞬間、紫電のような閃光が辺りを迸った。まるで少年漫画のド派手な必殺技に似た光景だが、ダメージを受けているのは竜也だと言うのだから世話がない。
しかし、藤木としても『異能』を解除する訳にはいかない。ここで『異能』を解除すれば、それこそ何でもなくなった空間で竜也の『異能』は再発動する。
竜也は痛みを堪えながら、奇声を上げる藤木に対し不適な笑いを向ける。
「…………なあ藤木、ここで問題だ」
さらに顔面を握る腕に力を込めた。もう痛覚がない。もしかしたら、指がどこか折れているのかもしれないが、それを知る手段も調べる余裕もなかった。
「お前の身体に展開されてる『時間の膜』と、この食糧庫を囲む『時間の障壁』。どっちも攻撃を受け付けない同種の『異能』をぶつけたらどうなるんだろうな?」
「…………ッ!!」
「矛盾って言葉の語源と言われてるあの話……最後は、矛も盾も壊れて終わるらしいぜ?」
「ぐ、ぁ、がぁあああっ!」
激しい悲鳴と共に、徐々に『異能の障壁』に亀裂が入る。
絶対に物理攻撃が通じない、その障壁に。
「……あぁ、一つだけ忠告しとくか」
竜也は、藤木の顔面を掴んでいない方の手……つまりは左手を、大きく後ろへ下げた。
「がぁ、ぐっ、………あぁああっ!!」
藤木の表情を見る。
その表情は痛みにこそ苦しんでいるものの、罪の意識はない。痛みさえ引けば、今にもあの不愉快な笑みをこちらへ向けてきそうだった。
だからこそ、竜也は。
「――――歯ぁ食いしばれ!」
鈍い音と甲高い音が、同時に辺りに響き渡る。
竜也の左拳が藤木の腹に減り込むのと、『異能の障壁』が砕け散るのは同時だった。
そこから、一段落着ける為の話。
竜也が藤木をノックアウトすると同時、自分の身体がマトモに支えきれなくなり、あっけなく崩れてしまった竜也は携帯で九条に支援要請を送った。来たのは何故か学校の教職員だったが、しかしそれでもありがたかった。取り敢えずぼんやりとした意識の中で憶えている事は、真っ先に峰崎や平崎が駆け寄って来てくれた事、奏が結構怯えていた事、藤木の頭を蹴り飛ばそうとする平崎を峰崎が宥めていた事、あとは……電話での九条の言葉。
『お疲れ様。でも、まだ考えるべきことはあるんじゃない?』
その通りだ。
結局、藤木の『異能』は他者の『異能』を更に強化してコピー出来るというチート紛いの代物だった。しかし、竜也の時間の能力をコピーする前には精神的な干渉をする能力を有している筈だ。その『異能』の元は誰なのか。それが、一番の問題である。
(いや確かに気になるけどさ……あー無理無理、今は寝ないと過労死する)
悪態を吐くのは心の中に留めておき、竜也は目を瞑った。
意識は、途切れるように真っ暗になった。
まあ、考えれば分かる事……というか、竜也も意識のどこかでは分かっていたのかもしれない。大方察しはついているだろうが、ここでその名前を出すのも些かデリカシーが無いというものだろう。『異能』の元の所有者が誰かなんて、どうでもいいことだ。
取り敢えず、ただ一つ言える事は。
あの委員長は、もう『強い人』なんてポジションに囚われはしないという事だ。
ということで、今回の結末。
一時間後ぐらいに目を覚ましたら、保健室のベッドだった。あんな死に物狂いのような痛みを味わったにも関わらず、外傷は全治五時間というそれはもう蚊に刺されるレベルの早さなんじゃないかなという異例のスピードだった。既に痛覚がなかった手……特に人差し指や中指は絶対折れたと思ったのだが、後で九条に聞いた話だと『時間』の異能がぶつかりあった影響で空間自体の『異能』の効果が曖昧になり、竜也の『時間』が発動していたらしい。そりゃ無敵の膜を纏っていれば、痛みなんてある訳がなかった。
それよりも藤木の方がボロボロらしい。もし本当に竜也の『時間』が僅かとはいえ発動していたのなら、『時間の膜』と『時間の障壁』のサンドイッチは効いたのかもしれない。
そして、その前にベッドで目覚めた瞬間の出来事がこれだ。
「…………………………えー」
気付いたら、自分の身体に寄りかかるようにして峰崎がうたた寝していた。微かな吐息を立てながら、スースーと眠っている。目元には、僅かに赤い痕が。
すると峰崎は竜也の気配に気がついたのか、ヨタヨタと起きると、
「…………えーっと、如月君」
「なんでしょうか」
「お疲れ様です。あと、ホンッッットにありがとね。結構カッコ良かったかも」
「ど、どうも……」
慣れない賛辞に思わず反応する竜也だが、しかし峰崎は更に明るいオーラを出していた。
「そ、それでさ! 如月君、あの約束はなしで、ちゃんと助けてが言える人になれって………言ってくれたじゃない?」
「ん? ああ、そうだけどさ―――――って、」
そのまま、体を傾けて峰崎が抱きついてきた。
きつく。しかし、優しく。
密着している所為で色々と感触が伝わるが、しかし竜也は何も言えない。
喉を出掛かって、零れ落ちた言葉でも、
「……ぇ、と、…………あ、おい、峰崎?」
この程度の事しか言えない。
「だから、ちゃんと……自分の気持ちには素直にならなきゃって思って」
「思って?」
「だから、ぎゅーって」
「いや、だから何で?」
「普通、人って好意はあまり我慢しない物なんじゃないの?」
「………………………………?????????」
すると峰崎は呆れ半分面白半分な溜息を苦笑いで吐くと、
「知らなかったの? 私、如月君のこと大好きだよ」
衝撃的な、一言。
「親の話を無理矢理にでも聞いて、相談に乗ってくれた人だから」
「……………え、」
「あんまり馴染めなかった学校で、居場所をくれた人だから」
「どうして…………」
「みんなに私を信じさせてくれて、私を信じてくれた人だから。強い人になれるって、信じてくれた人だから。前一回だけ誘拐された時も、その約束を忘れなかったから怖くなかった。その時はお父さんの心だけでも殺して、それで全部終わらせたいなんて考えた時期もあったんだよ。でもその時だって、約束があったからその思いとか衝動を抑えられた。結局その約束はなくなっちゃったけど……それでも、もう一回如月君は助けに来てくれた。それに、この想いを伝える事が出来たから」
そこまで一気に言うと、少しだけ峰崎は寂しそうな表情をして、
「私は、もうずっと前に『死んでる』から。だから、これからは新しい私で生きていこうと思ってるの。………最後に心の整理をつけたくて。最後まで本当にありがとね、如月君。きっと次会う私は、見た目は私でもきっと全部に区切りをつけた峰崎鈴香。だから、これでさよなら、なの」
「ぃ、」
「?」
「いや、だ」
「……なんで?」
「俺は、『お前』が気に入ってる。『峰崎鈴香』じゃない、委員長な『お前』を何よりも誰よりも買っている。だから、ここでお別れなんかさせない。『お前』は誰かに頼れる委員長な『お前』になってくれれば、それだけでいい。お別れなんて、しなくて良いんだ」
竜也は身体を力ませると、ベッドからヨロヨロと立ち上がった。
ハンガーにかけてあった制服を羽織ると、
「だから、今は『さよなら』じゃなくて」
ポンと峰崎の頭に手を乗せて、軽く撫でながら峰崎の横を通り過ぎる。
「『また明日』、だ」
「……………!」
そのままスタスタと歩いて行くと、竜也は保健室のドアを開けて廊下へと出て行く。
その後姿を見ながら、峰崎は一歩も動けなかった。
その頬は僅かな朱色に染まり、口元が自然と緩んでしまう。
『ああ、そうか』と。
納得した気がした。
竜也が明確な答えを示さなかったのは、峰崎の『大好き』が竜也に対する『大きな恩』から来ているものだと見抜いて、わざと答えを示さなかったんだ。今更、気がついた。
そんな曖昧な質問に明確に答えてしまったら、それこそ関係に亀裂を入れかねない。
しかしそれでも、峰崎は今ようやく断言出来る。
(これ………が、)
この形容しがたい感情は、今まで峰崎は経験したことがないものだった。
出来れば、この出来事は……峰崎にしてみれば大冒険のようなこの一日は。
自分とあの人だけの記憶にしまっておきたいと、少しだけ望む峰崎だった。
「…………自分以外には憶えて欲しくないって事かな。独占欲強すぎだね、私」
思わず苦笑いしながら、峰崎はもう一度だけ、今度は体裁を取り繕って望んだ。
出来れば、今日一日の騒動の事を皆が……自分を信じてくれた皆が忘れて。
何もなかったことになりますように。
平和なままで、ありますように。
でも、少しだけ我儘を聞いてくれるなら。
あの人に伝えた想いだけは、消えてなくなりませんように、と。
自らの『思い』を封じ込めた委員長の力。
その力を中心にしたこの物語は、委員長自身が『想い』を伝える事によって閉幕した。
問題は、翌日である。




