第三章 峰崎鈴香という委員長(5)
五回目、急展開です。
次の更新は土曜日となりそうなので、それまでお待ちくだされば幸いです。
強い人とはなんだろう。
その疑問に辿り着いたのは、少なくとも竜也の周りでは峰崎が一番早く到達していた。
強い人とはつまり、屈しない人間を指す。
どんな権力にも財力にも実力にも屈しない、そんな人を意味する。
そんなの家のテレビを点ければ、日曜朝八時の特撮でいくらでも見れる。変身ヒーローが財力や権力に屈するかどうかは知らないが、少なくとも実力では屈さないからだ。敵に負けないのはお約束というヤツでもあるが、それを言うのは無粋というものだろう。
そんなヒーローには決まって特徴がある。どんなヒーローにもだ。
それは蛮勇に近いかもしれないが、少なくともヘタレではないと断言出来る事だ。
決まって必ずある特徴。
それは、どんな時も『助けて』と言わない事だ。
テレビの中で助けを求めたら格好がつかない、などという話ではない。
自分は強い人だから、弱い人を守らなければならない。理由というにはあまりに強制的で、命令というにはあまりに束縛力がない、義務感に似た感覚。偽善とも言い換えられる。
『だけど、そんな偽善が私は大好きなんだ』
そんな話をされたのは、二年生になってすぐの事だ。
誰もいない屋上の網に背中を預けながら、峰崎は空を眺めてそう呟いた。竜也はそんな峰崎を眺めるようにして床に寝そべっている。決してスカート覗きとかではない。
『……………でもよ、たまにはガス抜きもいるんじゃねーの? 誰だってさ』
『うーん………それはつまり、カメラの向こうって意味?』
『まあ特撮に例えるならそうだな。誰しも誰にも見せていない面ってのはあるだろうし、そういう所で息抜きしなきゃ生き抜けないだろ』
『…………今の、息抜きと生き抜けないってかけた?』
『お、おま、気付いてるネタを穿り返すなよ!』
『山田君、座布団五枚抜いといて』
『しかも取られちゃった! 五枚没収なんて本家でもそうそうねえぞ!』
『今のは如月君でも五枚は取れるっていう励ましの裏返しだよ?』
『裏返す必要が見えない! そのまま表向きで行こうよ!』
『人は見かけによらないってね』
『確かに意味深な教訓だけども!』
そこで竜也は咳払いを一つすると、
『…………とにかくさ、詳しくは聞かないけど、それなりに周りも頼れって事だ』
『詳しく聞かないんだ。前は口を割るまで貫いてたのに』
『…………あん時はどうかしてた。ごめん』
『い、いやいや。別に謝る事じゃないよ!』
『………………それにしても、強い人か。んなの、真面目に考えてもなかったな』
『でもさ、自分で言って何だけど、そんな人っているのかな』
『まあ、そうそう見つかる訳ないだろ。何かの教祖様でもない限り――いや、教祖様だって完璧な訳じゃねえか。やっぱいないのかな、そんなヤツは』
『結局そうなんだよね。そんな人が身近にいたら、相談とか何でも出来るのに……』
『あ、』
そこで、竜也は気付いたように声と身体を同時に上げた。
『どしたの?』
『いや、お前ならいけるかなーと』
『何が?』
『教祖様……じゃないヒーロー。もとい強い人』
『強い人? 私が?』
いきなり振られた話題に峰崎は困惑したような顔を浮かべるが、すぐにこう返した。
『なれる訳ないよ。だって、私だって前例を見たことがある訳じゃないんだし』
『前例なんてのも最初からはなかったんだ。それがどっかの誰かのチャレンジ精神で前例が生まれたんだろ? なら、なればいい。お前が』
『私が?』
『そう。強い人に、なれるさ。お前なら』
『そう、かな。…………ありがと。そんな事言ってくれたの、如月君が始めてだよ』
『いやいや。俺は事実を言ったまでだし。それじゃ、頑張れよヒーロー候補』
『うんっ』
力強く頷いた峰崎の顔を、竜也は軽い笑顔で見ていた。
それから竜也と峰崎は互いに小指を出し、
『『約束』』
そう、約束を交わした。
それが、後にどんな結末を招くとも知らず。
そして、その結末はやってきた。
ある日、峰崎は珍しく学校を休んだ。完全無遅刻無欠席が常識となりつつある峰崎としてはかなり特殊な例で、ちょっとした騒ぎが学校で起こった程だ。
竜也も当然のようにおかしく思い、峰崎の携帯にコールしたのだが繋がらない。
一抹の不安を残して終わったその日の翌日、峰崎が誘拐事件に巻き込まれたという事が学年中に広まっていた。どういう事だと鼻息を荒くして情報を聞いてみると、峰崎の父親が半ば売り飛ばすような形で峰崎を不良組織に売った―――らしい。しかし、その父親も不良グループもお互いに『こんなヤツ知らない』の一点張りで、父親は逮捕も何もされなかったらしい。
そんな事を桜崎から教室で奏と共に聞かされた。
『怖いねぇたっちゃん。…………たっちゃん?』
隣にいた奏が言ってくるが、ツッコミを入れる気力もなかった。
ただ呆然としていた、だけだった。
いきなりきた喪失感と、じわじわと浸透してくる罪悪感。
自分の所為だ。
自分が、強い人になれなんて言うから。
アイツは誘拐事件に巻き込まれたのかも。
だって、父親絡み以外で不良が峰崎を狙う状況は考え難い。だが逆に父親絡みなら、流石に家族なのだ、異変には多少なりとも気付くだろう。
それを、自分との約束で、芽を摘んでしまった。
強い人になればなるほど――――助けを叫べない事など、とっくに知っていたのに。
その翌日、峰崎は何事もなかったかのように登校してきた。
抱えきれない重圧に押し潰されたようなものなのに、振る舞いはいつものそれで。
しかし、全く変化がなかった訳でもない。むしろ内面は変化し続けているだろう。
外見で言えば、ストレートだった髪をボブヘアにした。心境の変化なのか。
そして竜也は、峰崎と交わした『約束』を――――未だに、取り消せないでいる。
それが双方の足枷になっているのも分かっている。
それは簡単な意思の疎通を止めれば千切れるのも。
だが、しかし竜也は枷を嵌めたまま過ごしている。それが、せめてもの義務だから。
それからというもの、名誉挽回のチャンスなどない。
そもそも、名誉など元からないのかもしれないが。
目覚めは中年の声だった。
「やっほう如月君。お目覚めかい?」
「………………最っ悪の気分だ。嫌な事思い出したよ」
竜也は半分しか開かない目蓋を無理矢理開き、身体を起こした。
「……それで? どういうつもりだ?」
「ん? なにがだい?」
「いや、俺に何をしたかは知らないけどよ。何かはしたんだろ?」
「いーや、何にもしてない。ただちょっと思い出に浸ってもらっただけさ」
「誰かの指示か? それとも、あの夢そのものに何か意味が―――――って、」
竜也の言葉が途中で詰まった。
理由は明快で、目の前の九条がさながら自分の物のようにポケットから竜也の携帯を取り出したという事実があったからだ。
「俺の携帯じゃねえか」
「それよりさ如月君。一つ質問いいかな?」
「また眠らせるつもりじゃねえだろうな……。何だ?」
「平崎ちゃん、どこいったの?」
「は?」
場違いな名前の登場に戸惑うも、そいえば指導室に置いて来たままだったと思い出す。
「学校の中、だと思うけど」
「あっそう? なら良いんだけど。あ、はい携帯。通話中だから」
「あ? 通話中? というか、俺の携帯は壊れてる筈だ」
「別に何にもなってなかったよ?」
手渡された携帯のディスプレイを見ると、確かに通話中の表示があった。
怪しい目で携帯を見ると、竜也は呟く。
「………出た方がいいのか?」
「どっちでもいいよ。それに、相手は俺だって知らない人だしさ」
「お前の知り合いでもないのか……」
溜息を吐きながら竜也は携帯を耳元に当てた。
「……もしもし?」
『はっはーい。お久しぶり……でもないねー?』
唐突に、優華の秘密を握り意のままにしていた上級生を思い出す。
バケツの水を掛けたアイツだ。
「て、んめぇ………ッ!!」
声を聞いただけで思わず力んでしまった。携帯がミシミシと嫌な音を立てる。
慌てて力を緩めると、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせる。
「…………………何の用ですか? ご用がおありなら三秒以内で伝言をどうぞ?」
『軽口……というか皮肉口も相変わらずだねー。ウザいったらありゃしない☆』
「語尾に☆付けて何が楽しいんですか。何も可愛くないっスよ馬鹿野郎」
『んっんー。さって、その皮肉口も飽きてきたしねー。ちょっと悪戯ターイムだよ』
「悪戯?」
不穏当な響きに思わずオウム返しすると、相手は言った。
予想しうる限り、最悪の一言を。
『あー……ま、簡単に言えば君のお友達拉致っちゃったというか?』
「は………………?」
あっさりと拉致などというワードが人の口から出た事に違和感を覚え、その意味を咀嚼するのにたっぷり五秒はかかった。
「…………っざけんなよテメェ!! んな事して何が楽しいんだアホ!」
『アホとは酷いねぇ。こっちは女の子三人……じゃなかった、二人と一人も拉致ってるんだしさ、もう少し言葉には気を付けた方が良いんじゃないの?』
「テメェにはアホでも勿体な……………」
竜也は、僅かな違和感を感じ取った。違和感というよりは認めたくない事実を見逃しているような、錯覚に近い感覚だが。
「…………三人?」
『ん? あー、一人はきみのお友達。なんか名前が女の子っぽいから狙ったら男でもーびっくりだよ。あと一人の名前はよく知らないけど、声なら聞かせてあげなくもないよー?』
「………………っ、」
『はいどーぞ』
スピーカーの音がガサガサと不快で甲高い音を発する。どうやら携帯をその三人の近くに近づけたらしい。
そして聞こえてきたのは、
『私に何をするかと言っておろうが! 私は十七年の時を生きる――――』
予想通りの声。だが、嫌な予想だった声でもある。
「平崎……!」
『あー、分かったかな? あとは……うん。ちょっと有名だから名前は知ってる。けど教えてあげないよ。…………あーでも、君のクラスの委員長だって言えば君は来るのかな?』
ブヂン、と。
以前、九条に殴りかかった時とは比べ物にならないような、そんな感情が湧き出した。
「…………今すぐそこに行ってやる。今なら半殺しで済むから場所教えろ」
『い・や・だ・♪』
「教えろってんだろ馬鹿野郎」
『あー怖い怖い。なら切り札だ、委員長さんのご登場でーす』
「な、」
再びスピーカーから嫌な音が発生する。どうやらまた携帯を三人へ近づけたようだ。
『き、如月君……?』
「峰崎か!? 大丈夫か、今どこにいる!?」
思わず矢継ぎ早に聞いてしまったが、峰崎は冷静に答えてくれた。
『べ、別に乱暴な事はされてないよ? ただ手を縛られてるけど……。場所は分かんない。暗くて外かどこかも分かんないし』
「そ、そうか……。なら良いんだ、今すぐ学校に言って……」
『ち、ちょっと待って。そんな大事にしたくないの』
「は?」
場違いにも程がある台詞に、竜也は少し苛立った声色で返す。
「いや、拉致って生徒とはいえ立派に大事だろ。学校側に言えば済む話――――、」
『あー、言い忘れてたけどね。学校側に連絡したらこの子達全員犯した後で焼死体になってもらうから。気持ちよくシッポリした後でそのままお陀仏さ』
いきなり割り込んできた声に、竜也は大きく舌打ちする。
『…………って事らしいから、学校には連絡しないで欲しいの』
「……わかった。お前が言うなら仕方ない。だったら俺が行けば良い話だ」
『それも待った。ここは私達だけで解決するから、如月君は下手に動かないでくれるかな』
「なっ……、現にお前ら縛られてんだろ!? そんな状況で解決出来る訳ないだろ!」
『まだ説得があるし、最悪私だけ残してもらって他の二人は逃がしてもらうから。心配はしなくて良いよ。平崎さ……平崎ちゃんには危害は及ばない。氷室君にも』
予想していたが、どうやらもう一人捕まっているのは奏のようだった。実際男なのだが、名前のウワサが一人歩きしたのかもしれない。もしそうなら、災難としか言いようがない。
「他人の事じゃなく、お前自身はどうするんだ!」
『大丈夫。如月君と約束したから、ちゃんと守るよ。約束も、この二人も』
違う。
違うんだ。
それじゃあ、お前の心は死んだままになってしまうじゃないか。
そう伝えるべきだ。
竜也は一度目を閉じ、ゆっくりと目蓋を上げる。
そして、決意を固めた。
「峰崎」
『なに?』
「約束は破棄だ」
『…………………如月君、この状況でそんな冗談やめてよ』
「冗談じゃない。俺は針千本飲んでも構わないから、お前は強い人をやめてくれ」
『どう、して、そんな事言うの………?』
「強い人になればなる程、お前自身は壊れる。外見を強くするほど、内面が砕け散る。そんなのはもう見たくないんだ」
電話越しの峰崎は、軽く言葉に詰まっているようだ。
『………………………………だって、強い人に、私ならなれるって………』
「ああなれるさ、お前ならいくらでも強くなれる。最強だ。だけどな、」
竜也は告げる。心からの声を。本心を。強く、吐き出す。
「それだと、お前は永遠に『助けて』を言えない」
『!』
「誰にも縋らずに生きていくっていうのは凄いと俺は思う。事実その方が人に迷惑をかけないで済むし、理想の生き方なんだろうさ」
けどな、と竜也は追い討ちをかけるが如く言葉を紡ぐ。
「そんなの、現実じゃ不可能だ」
つい昨日の妄想の話を思い出す。
現実じゃ不可能。
だからこそ、平崎は現実を歪めた。
そして、峰崎は現実を歪める代わりに、自分が世界を認識する装置――心を歪めた。
歪めに歪めたその心は、遂には重圧に耐え切れなくなって、瓦解した。いや、圧殺か。とにかく内面の本心としての心は死に、学校での面の心のみ生き残った。
そのような事を経て、今の峰崎がある。
「不可能な事はどう足掻いても可能にはならない。時と場合によっては例外だけどな」
『……………………………………………私、ね。お前ならやれる、みたいな言葉かけてもらったの、人生であれが始めてだったんだよ…………?』
竜也は歯噛みする。
結局は、大切な物を――人生で最初のエールでさえ、犠牲にしなければ助けられない。
「……………………峰崎。心からの本心を言ってくれ」
『…………?』
「お前は今、怖いのか?」
『……そ、そん訳な――、』
「お前は今、怖いのか?」
『………っ、』
有無を言わさない、質問としては反則の雰囲気。
しかし竜也は、これだけは確認しないと気が済まない。
「お前はどうなんだ? 外面じゃなくて本心のお前は、怖いのか?」
『…………………………………んて、』
「?」
『本心なんて、』
電話からの声が、一回り大音量になった気がする。
『本心なんて、とっくになくなっちゃったよ………! 分かんないけど、でも………、』
一瞬、声が途切れる。そしてすぐに続きが聞こえてきた。
その声色は、震えていた。
『………凄く、震えてる……! ………我慢してたけど、凄くガタガタ震えてるの、足が!』
「お前はどうして欲しいんだ? 強い人じゃないお前は」
『強い人じゃない、私は………………………っ!』
そして、峰崎は言った。
この約半年、絶対に言わなかった言葉を。
『―――――――助けて、欲しい…………!』
「……任せろ。俺が、お前の心を救ってやる」
竜也が力強くそう告げると、例の男に声が切り替わった。
『はっあーい。随分カッコイイ啖呵切ってたようだけどー?』
「うるせえ。お前はもっかいぶん殴る」
『うわーん怖いよ(笑)。……つーかさ、そろそろ面倒だからヤッてもいい?』
「……………そういや、名前聞いてなかったな。上級生だろてめぇ」
『んー?』
男は、多少の鼻歌混じりにこう告げた。
『三年D組、藤木健斗だよーん』
「そんじゃ、今から乗り込みますんで。首洗ってろやクソ野郎」
通話を切ると、竜也は九条の方を向いた。
「………という訳だ」
「まあ随分と良い台詞吐いてたね。いや格好良いよ、本当に」
「そうじゃない。藤木の居場所教えろ」
「…………どうして俺が知ってる訳?」
「何だ、さっき『異能』の所有者発見したって言ってたじゃないか」
「それがその藤木さんだと。出来すぎだと思うけどねぇ」
「ある程度の心理状態を操れる『異能』だとすれば、出来すぎだって起こる」
「それに物的証拠はない訳だし」
「柊……『水』の奴が藤木に弱みを握られてた。だけど冷静に考えてあれはそうそう起こらない現象なんだ。あの『水』は驚いた時にしか出ない。しかも、あの性格の女があんな下品全開の奴の前でびっくりする訳がないからな。そこで心を操れれば弱みだって簡単に、手に取るように把握出来る」
「………………へえ。今の状況でそんなに頭回るんだ?」
「ただの……そうだな、妄想だ」
竜也は皮肉混じりにそう言った。
「ハハッ。まあご名答と言っておくよ。君は見ていて飽きないねぇ」
「いいから、早く教えろよ」
九条は勿体ぶっているのかそうでないのか、眼を一秒ぐらい閉じると再び開けた。
「……………………意外に近いよ」
「どこだ? まあそんなに遠くもないだろうけど……」
「まず確認しとくよ。如月君、今の高校の体育館ってどこにあるんだい?」
「あ? えっと……校舎挟んで真向かいにある」
「そこの地下室だ。どうやら、隠し階段か何かあるっぽいね」
「―――――――食糧庫か!」
この高校の体育館、その地下には食料を備蓄している食糧庫が存在する。どうやら九月の事件以降自然災害時に食料が要必要だと再把握したとかで、つい最近その存在が公にされた場所でもある。それまでは周囲の住人はおろか、生徒の一人もその存在を気付かなかったというから驚きだ。
しかし、問題がある。
その食糧庫は、存在こそ明かされたもののそこに行くまでの道や通じる扉などは一切明らかにされていない。トップシークレットがただのシークレットになったレベルだ。
「…………でも、隠し階段なんて場所分かんねえし…………えーっと…………」
「おやおや、そんな事で立ち止まるとは珍しい。君なら壁ブチ破って行くかと思ったよ」
「俺だってスーパーヒーローでもなんでもないんだ。そんな化物じみた所業出来るか」
「…………………俺ぁ行こうと思えば行けるけど、行く気もしないしなぁ」
「って、なら行くぞ! 知ってるなら早く!」
九条は竜也の目の前に指を突き出し、その指を校舎側に向けた。
「屋上。そこの一番左端から下三番目左九番目のタイルの下に隠し通路がある」
「隠し、通路?」
「あの屋上のタイルは一枚一枚が妙に大きいだろう? 一枚でも剥がせば余裕で人は通れる。あとは壁際の梯子を伝って行くと、いずれ下に着く。暗闇だからそこで半狂乱になって落下死する奴もいるけど、下には必ず辿り着くと信じて。そうすれば行ける」
「……………その後は?」
竜也は思わずゴクリと唾を飲み込みながら、先を促す。
「横道の照明に従って進めばアラ不思議、何時の間にかレイプ現場の食糧庫に遭遇だー」
「…………そうなる前に、行ってやる!」
竜也はそう告げると、旧体育館を出て行くべく出口へと駆ける。
「俺ぁ行かないよ。面倒は嫌いだし」
九条が背後からそう告げると、竜也は一度振り返り、
「ありがとな、九条」
そう言うと、今度こそ外へ飛び出して行った。
その様子を眺めながら、九条はぼんやりとした調子で、
「お人好しだねぇ」
と続けた。
そんな訳で体面上は同級生の貞操を守る為に走るというとんでもない状況に陥ったのだが、しかしそれはそれとして、問題はどうやって屋上まで辿り着くかだ。
流石に混乱は少しずつ収まっているようだが、しかし以前として『異能』に侵された生徒達がウロウロ動き回っているのは容易に考えられる。そんな混乱の中で無事に屋上へ行けるかどうかも分からない。まあ、普通に授業をしているよりも楽に屋上へ行けるという考えもなくはないのだが。
(さーて……)
竜也がこっそりと裏口から入ると、すぐそばを悲鳴を上げて逃げている生徒が横切った。
「うおっと」
それを軽く避けると、その悲鳴の元となったであろう生徒――つまりは、『異能』の感染者の方を向く、と。
「おいおいおいおいおいおい………」
白目を剥いている、恐らく一年生の男子は…………ハサミを持っている。
これまでは直接の危害は加えて来なかったが、その視線は確実に竜也を射抜いている。
(―――ふざけんなよ、いつからB級ホラーからA級殺人にシフト変更したんだ!?)
そう思っていると、突如目の前の男子はハサミをこちらへ向けて――――突進してくる。
「やっぱりかよオイっ!!」
慌てて階段へ身を投げ出すと、その背後をハサミが空振った。
直後、階段の段差にまともに身体を強打され、痛みが走り抜けた。
「~~~~~~~~っ!」
歯を食いしばりながら立ち上がると、そのまま形振り構わず階段を駆け上がる。
こんな状況があちこちで続いているなら、もう死者だって出てもおかしくはない。
(……ふざけんなよ! 藤木の奴、何が目的だ!?)
怒りを顔から露わにしながら、竜也は階段の段差をまた一歩踏み、
「ォォォォォォォおおおおおおおおおおああああああああああァァァァァァァ!!?」
そこで唐突に、背後にいた男子生徒が発狂した。咆哮のように荒々しい叫びが響く。
「な、何だ!?」
思わず振り返ると、それと同じタイミングで遠くから第二の発狂が聞こえ第三の発狂がすぐ近くから聞こえ第四の発狂が聞第五の発狂が第六の発狂第七の発第八の第九の発狂。
気付けば、至る所から発狂が溢れ出していた。
(何だってんだ……? 指令がメチャクチャになったのか?)
額を流れる冷や汗を片手で拭いながら、竜也は深呼吸をする。
「―――――――――――ビビんなよ俺。ここでは止まれねえんだ」
自分自身にそう言い聞かせると、竜也は階段を駆け上がる。
最初は一段飛ばしだったが、面倒になってくるにつれて二段飛ばしへと変わる。三段飛ばしも出来ないことはないが、手すりを使ったりするので結果的に遅くなるのだ。
普段過ごしている場所で必死になっているという状況に奇妙な感覚を覚えつつも、竜也は無事に屋上の入口に辿り着く事が出来た。
今となっては、『水』の事を告白された事が微妙に懐かしい。つい二日前の事なのに。
「…………」
扉に手を掛けると、重々しいその扉は簡単に開いた。それこそ、拍子抜けするぐらいに。
外側から鎖でも付けられてやしないかと不安だったが、その心配もないようだ。
屋上に一歩踏み出すと、そこにはタイルが一枚だけ取れて転がっていた。
(――――――――――あそこか)
竜也の視線の先には、タイルが剥がされ剥き出しになった部分がある。そこは九条の言っていた通り垂直トンネルのような穴があって、脚立も壁際に取り付けられていた。
その脚立に足を掛けると、滑り落ちるように穴の中へ飛び込んだ。脚立を一段一段降りるというよりは、消防隊のように滑り落ちるという方が正しいかもしれない。事実、ほぼ落ちる形だった身体は、微妙な力加減をされた足のつま先と両手のみで支えられている。とても不安定な状態だが、それでも竜也は進み続ける。
それ以外の選択肢は、ない。
下に着くと、そこからは奇妙な一本道になっていた。
パイプの関節部分とでも言うような、大きく捉えればL字型のホース状のトンネルの中に閉じ込められたような感じか。
上を見上げる。が、そこには針の穴程度の空しかなかった。
「ま、戻る気もねえけど」
強気な言葉を発し、自らを奮い立たせる。つもりだったが、ものの見事に小物臭が半端ない台詞を吐いてしまっていた。実際、普段からして小心者としての自覚があるからか、なかなか『カッコイー台詞』という物が思いつかないのである。
「…………、」
僅かな躊躇いを隠せないでいるが、しかし右足を一歩、前に踏み出す。
更に、一歩。一歩。一歩、二歩、三歩、四歩、五歩。
そしていつしか、それは歩きから小走りに、そこから全力疾走へと変わる。
足音を響かせながら、竜也はひたすらに進んでいく。
辺りが暗く静まり返った、どこか地下の空間。
至る所に肉などが吊るされており、とても寒い空間。
唯一の光源は、目の前にいる男が持つ懐中電灯のみだ。自分はといえば、他二人と共に両足首と両手首を縛られて座らされている。
「あ、ひぁ、ふぁぁあん!」
というのは、藤木がいきなり気持ち悪い裏声で言った台詞だ。
「……………いきなり何だ、気持ちが悪いな」
それを見ていた平崎はあからさまに気色悪い物を見る眼で、吐き捨てるように告げた。
「おやおや。気持ちが悪いとは失礼だね、ただ未来の君達の声を予想していただけなのに。……そっちの嬢さんとは大違いだ」
その視線の先には、平崎の隣で縛られている峰崎がいた。
未だにガクガクと身体が小刻みに震えているが、しかしヒステリックという程ではないらしい。なんとか表面は正常を保っていた。
「未来で私はそんな声を出す事になるのか? どう考えてもお前を踏み潰してドSとしての愉悦に浸って恍惚とした表情を浮かべている私、という予想図しか出来ないのだが……」
「じゃあ今のうちにドMにでも目覚めておこうかな?」
「お前の性格だと余計気色悪い」
「ならどうすれば良い訳さ? ノーマルかい?」
「それこそどーでもいいわ、このドNが」
平崎は言い切ると、少しだけ流れる汗を頭を振るう事で払った。
(…………竜也、早く来い………。今、私が出来るのは時間稼ぎ程度なんだ………)
無力感に苛まれつつも、平崎は次の話題を探して、
「さーてと。それじゃーお待ちかね乱交ターイム」
ズグン、と。
何かが、収縮する音を聞いた。
それが自身の怯えて縮こまる音だと分かったのは、数秒後だった。
「クソ………!」
思わず犬歯を剥き出しにして藤木を睨むと、
「おやおや、そんな反抗的な態度でいいのかい?」
藤木は途轍もなく大きく、引き裂けるぐらいに口を歪めた。
藤木は、ゆっくりと近づいてくる。
「じゃあ、まずは君からおしおきだー♪」
口調こそふざけているものの、眼には本心が全て写っていた。
藤木は縛られて動けない平崎の前に立つと、その肩にそっと触れた。
そこから、徐々にその手はまず制服のブレザーへと伸びていき、そのブレザーを藤木は、
「っ!」
「きゃっ!」
強引に引っ張り、破き捨てた。
外気に露出されたYシャツをまじまじと見つめると、藤木はそっと二つの膨らみに手を
『待、っっったぁぁぁぁぁぁあああああああっ!』
鼓膜が吹っ飛ぶほどの、大音量だった。
しかもそれは、遠くにある重い扉の一枚外からの声だった。
声の主は明らかだったが、しかし藤木は動揺したりはしない。
(……………大丈夫だ。あの扉は鋼鉄製だし、何より鎖のロックが内側から八本。象が突っ込んでもこない限り、あれが破られる事はないんだから)
藤木はそう復唱すると、再びその膨らみに手を伸ばし、
『待て!!』
「竜也……」
目の前で襲われる寸前の少女は、それでも扉の向こうの少年の名を呟いていた。
まるで、何かを確信するかのように。
そして、それまでずっと身体を震わせていただけだった、あの委員長の少女もまた、扉の方へ眼を向けていた。
「……………………………………如月、君………」
呆然と、そう呟いている。
『藤木ぃぃぃぃいいっ!』
そして。
その、重く、八本の鎖によって封じられた扉が。
ミシミシと音を立てる。
「嘘、だろ……………?」
冗談じゃない。
あの扉は人間には……ただの高校生には開ける事なんて不可能だ。施錠でも解かない限りは、あれは絶対の防壁になっている。常人に開けられる訳がない。
そしてそこで、ようやく藤木は思い知った。
『待てって……』
あの男もまた、常人ではなく。
『言ってんだろぉうがッッ!!」
『異能』を有する、怪物なのだと。
耳を貫くような破壊音が響き渡り、鎖が一気に引き千切られた。
扉を踏み倒すと、そこにいた男は背後の通路の照明からくる僅かな後光、それを全身で浴びながら辺りを見渡し、やがて告げる。
「藤木健斗…………」
「―――――――――――――!」
男は…………如月竜也は、こう宣言した。
「取り敢えず、テメェをもっかいぶん殴る」




