第三話 俺と眼鏡とロクデナシな交友関係(3)
「おーっす」
1-Dと書かれたプレートを確認し、引き戸を開ける。
「ほへ?どどどどうしたんですかっ?」
美鳥が俺に気付き素っ頓狂な声を上げる。
妹は教室の端で友人らしき女生徒と昼食を摂っていた。
どうでもいいが米粒が付いているぞ。
「おぉー。もしかして、みーみーのカレシ?」
「違いますよ。兄さんです」
クラスメイトらしき少女が美鳥に問いかけるのが聞こえた。
二人は俺の事を忘れたかのように話を続ける。
「えっ、みーみーってあんなにカッコいいお兄さんがいるの!?ちょっと紹介してよ」
「顔が良くても性格が悪いからプラスマイナスで0ですよ。きっと後悔します」
誰が性格悪い、だ。遠くにいると思って好き勝手なことを言う。
「おい、聞こえてるぞ。誰が性格悪いんだ?」
「言ってません。気のせいですよ。それで、どうしたんですか?」
昼食を中断し、ぴょこぴょこと駆け寄りながら尋ねる。
「あぁ。朝にちょっと変な事があって」
俺や風間の事を知っている素振りの少女と出会った事を話す。
「祈衣姉さんの事を知ってる1年生、ですか。どんな子でした?」
「眼鏡で、お下げで、僕っ娘で、色素薄そうだけどキャラが濃そうな奴だけど、知らないか?」
我ながら意味不明な事を言っているとは思う。
まぁ、図書室にゴリラがいるのだ。僕っ娘がいてもおかしくはない、多分。
「って、おい。どうした?いきなり黙って」
「…兄さん」
何故か、目が据わっていた。
「兄さんは、その子の事を知っています」
「え?」
美鳥の声と体は震えていた。
嘘や冗談を言っている目では無かった。
まさかとは思いたかったが、本当に《忘れ》ているらしい。
「彼女の名前は《黒川絢葉》。
黒川…絢葉。初耳だった。名前を頭に刻み込む。
どのような関係だったのだろうか。まさか、本当に《恋人》だったとでも?
思案する俺をよそに美鳥が言葉を続けた。
「一言で言えば変人です」
「お前も十分変人だと思うぞ。ですます口調の女子高生」
「何か言いました?」
「言ってません」
コンパスを振り被るのを見て謝罪する。妹よ、それは武器では無い。文房具だ。
「彼女は学年内でも有名な変人ですから…。あまり話した事のない私でも知っています」
「なるほど、な。で、どんなヤツなんだ?彼女は俺の事を《恋人》って言ってたけど」
「恋…人?」
ぴたり、と美鳥の動きが止まる。
続けて、ゆっくりと、ゆっくりと首を上げる。まるで、壊れたロボットのようだった。
しばらく電池が切れたかのように俺の目を見つめたまま停止していたが、突然。
「違いますっ!彼女は、黒川絢葉は兄さんの恋人なんかじゃありませんっ!」
制服の襟を掴み、叫ぶ。
美鳥がここまで怒りをあらわにするのは珍しい。そして周囲の下級生の視線が痛い。
一体、眼鏡女――黒川絢葉――は俺に何をしたのだろうか。
コンパスの針が今にも俺の首を貫こうとした時、ようやく冷静になり美鳥が俺の制服から手を離す。
「彼女は兄さんと同じ音楽部員です。昨日も『部員が3人しかしなくてヤバい』ってぼやいてましたから」
まさか。そんな訳が無い。部活は今年の四月からずっと俺と風間の二人きりだった。
そう思いたかった。だが…
「また…《忘れ》たのか」
昨夜の事を思い返す。
俺は、深夜に一度目を覚ました。そして兄と話し、もう一度寝た。
つまり、《忘れたことば》が2つあると言う事だ。
一つは《ミッキーのグラス》。巻き込まれて美鳥の事。
そして、もう一つは《黒川絢葉に関係する何か》。
美鳥が言うには眼鏡女はオレの恋人では無いらしい。
では、どうして彼女は嘘をついたのか。
「簡単ですよ」
俺の疑問に美鳥が答える。
「彼女は変態で、中二病で、ストーカーだからですっ」
コンパスを握る手をわなわなと震わせ、吠える。
「落ち着け!まずは一つずつ説明してくれ。彼女は《俺と同じ部活》なんだな?」
ストーカー云々は端に除け、まずは基本的なことから確認する。
俺と風間が所属しているのは《音楽部》。部活とは名ばかりの暇つぶしサークルだったが、一応音楽活動の真似ごとは行っていた。
「キーボードのオレと、ベース兼ボーカルの風間。それと黒川絢葉」
風間の趣味で、演奏する曲は専らアニメソングか洋楽ロックのカヴァー。どう考えてもメンバーが足りていない。
「はい。ドラムは打ち込みで我慢するとしてもギターがほしいってずっと嘆いてましたよね」
「あぁ。その事は覚えている。4月からずっと言ってたからな。で、黒川さんってのは何の楽器なんだ?」
もしかしたら彼女の演奏している楽器の事を忘れているかもしれない。そう考え、尋ねる。
「フルートです」
わけがわからないよ。
どうして洋楽ロックを演奏するバンドにフルートが存在しているんだ。
「いや、まあ…。俺の知ってるバンドでもチェロとかやってる奴はいたからアリ…なの……か?」
いまいち釈然としないものを感じながら自分を無理矢理納得させる。ついでに《忘れ》た言葉はフルートでは無かった。
気を取り直して質問を続ける。
「じゃあ、次だ。変態ってのは?」
「ロック系バンドでフルートを担当して、僕っ娘で、『フフフ』と言う笑うので間違いなく中二病の変態です」
それは間違いなく中二病の変態だ。数年後に枕に顔を埋めてジタバタとするレベルだろう。
「実在したんだな。中二病って。黒川さんの交友関係を見てみたいぞ」
「兄さんです」
美鳥がポケットから手鏡を取り出し俺の顔を写す。
「…うわぁ。認めたくねぇ」
頭を抱える。心なしか頭痛がする。
それでもここで調査を止めるわけにはいかない。
眼鏡女の事が分かれば風間の居所も分かるかもしれないのだ。
眼鏡女は風間から連絡を受けたと言っていた。つまり、現在の手掛かりはその少女だけなのだ。
「それで、ストーカーって言うのは?」
一番の疑問。美鳥が叫んだ時も《ストーカー》と言う言葉に一番力が入っていた。
「《ある人》をいつも尾け回して背後に立ってるんです」
「…ある、人?」
「兄さんです」
俺かよ。
今朝の事を思い出す。校門をくぐった時、確かに俺の背後に立っていた。
「私の知っている事はこのくらいですね。直接話した事はほとんどないので」
「そう、か」
眼鏡女についての人隣りは大体分かったが、記憶が戻ると言うことはなかった。
一体何を《忘れ》ていると言うのだろうか。
「しかしアレだな。俺って後輩にスト―キングされてたのか」
深く、嘆息。そう言えば七不思議の一つにも《スト―キングする謎の幼女》と言うものがあった気がする。
「兄さんは《顔だけ》は良いですからね」
「だけは余計だっての。今も後ろにいたりするんじゃないだろうな」
「いるよ」
冗談でも恐ろしい事を言わないでほしい。
「忍者じゃないんだぞ。そんな事あってたまるか」
背後から聞こえた妹の冗談を笑い飛ばす。
「…」
背後…から?
気づけば、美鳥が怒りを越え、憎しみに満ち溢れた瞳で俺の背後を凝視していた。
とりあえずコンパスを放してほしい。二日連続で学校で殺人事件は笑えない。
ゆっくり、ゆっくりと後ろを振り返る。まるで壊れたロボットのようだった。
あまりに予想外の出来事が起きた時に同じような行動を取るあたり、やはり俺と美鳥は兄妹なんだな、と場違いなことを実感する。
「こんにちは。僕の《運命の人》」
案の定。
目に入ってきたのは朝に出会った眼鏡女。
熟練の職人の職人が作りだした人形のような美しさと、今にも崩れそうなガラス細工のような儚さを併せ持つ少女。
――黒川絢葉だった。
ブラコンの妹はスト―キングする同級生をみるとついコンパスを握りしめちゃうの。
ちょっと寝かせて見直ししたいので次回更新は火曜日