第二話 俺と兄妹と脳障害(3)
「なぁ。美鳥」
「どうしました?」
体の震えは止まった。もう、大丈夫だ。
俺は抱きしめられていた体をそっと離した。
「ありがとな」
「はい!」
嬉しそうに頷く美鳥。しかし俺には気になる事があった。
「ところで、聞きたいんだけど」
「何がです?」
睫毛の長い大きな瞳をじっと見つめ、問う。
「いきなり爆発したりしないよな?」
「しませんよ!?どこの世界の話ですかっ!現実世界では妹もリア充も爆発しませんからね!」
「冗談だよ。そんなに怒んなって。ところで兄貴は?」
兄には聞いておきたい事があった。
もちろん《深夜以降、何か進展があったか》だ。
「大兄さんなら、さっき帰ってきて今は寝てますよ。どうかしたんですか?」
「いや、何でも無い」
寝ていると言うことは恐らく大きな発見はなかったと言うことだろう。徹夜明けの彼を起こすのも忍びない。
それに、深夜の早朝で警察の捜査に進展があるとも思えない。
思考を一旦兄から外すことにする。
「そうだ。風間に電話しなきゃいけないんだった」
「祈衣姉さんにですか?」
「夜中にされた兄貴の話を、な」
風間にも伝えなければならない。
昨日の死体が自殺では無い事を。
そして警告しなければならない。
探偵風を吹かせて事件に首を突っ込まないようにしろ、と。
なにしろ相手は殺人犯。
そうでなくとも事故死体を自殺に偽装した死体遺棄犯だ。
どちらにせよ、イカれている。普通の高校生が好奇心で首を突っ込んで良いようなことではない。
「大兄さんがどうしたんです?」
どうやら美鳥は兄から何も聞いていないようだ。小首をかしげて俺に問う。
「あぁ。昨日の死体、どうやら自殺じゃ無いらし――」
「やっぱり犯人は兄さんですね。第一発見者が一番怪しいって言いますし…」
何で真顔なんだよ。
「殺ってねぇよっ!どうしてお前は俺を殺人犯に仕立て上げるんだっ。探偵気取りか!」
「探偵に憧れるのは女の子として自然なことですよ。これは常識です」
自称・高校生探偵の顔が美鳥の後ろに見えた気がした。そもそもどこの世界の常識だ。
「どうやら俺の身の回りに妹の教育上宜しくないヤツがいるらしいな。一度本気で滅ぼさにゃならんようだ」
「滅ぼさにゃ…って、何マンガですか。仲良くしてくださいよ」
美鳥の言葉は華麗にスルー。携帯電話を取り出し、風間へ発信。
2回。
3回。
4回。
5回目のコール音が鳴り終えた時。
『はい』
ようやく風間の声が聞こえた。
「あぁ、俺だ」
だが。
『お電話ありがとうございます。風間探偵事務所です。ただいま、営業時間外ですので、おかけ直しいただくか、発信音の後にお名前と御用件をお願いいたします』
返ってきたのは意味不明な留守番電話のメッセージ。
「あ・の・馬・鹿ァァァァァァァ!!!」
ぴー。
無機質な発信音が続けて聞こえる。
自然と携帯電話を握る手に力が入る。みしみしと悲鳴を上げているがきっと気のせいだ。俺は冷静だ。
「高校生の携帯電話に探偵事務所も営業時間外もあるかっ!こンの、エセなりきり探偵ッ!いいか、オレだ!気付いたらすぐに連絡よこせッ!分かったな?」
「落ち着いてください兄さん!留守電にツッコミを入れても無駄ですから!」
いいや。俺は冷静だ。きっと冷静だ。多分冷静だ。冷静になりたい。
「ったく…あの馬鹿。朝から疲れさせやがって」
「まぁまぁ。いつものことですし。それにいつも3人で登校してるんですから 電話しなくてもすぐに会えますよ」
確かにその通り、なのだが。
「それとも、心配ですか?」
「一応、幼馴染らしいしな」
「《一応》、って…」
美鳥が頭を掻きながら困った顔をした。
気まずい沈黙が部屋を支配する。
「あ。朝ごはんの事を忘れてました!」
妙な雰囲気を吹き飛ばそうと、美鳥が話題を変える。
そうだ。早く行かなければ風間と合流できない。
「今日の朝飯は何なんだ?」
食事は俺と美鳥で日替わりで作っている。母親が休みの時などは作る事もあるが、基本的に家事は俺達二人の仕事だ。
「そうですね。今日は2つから選べるんです」
選べる?和食か洋食かと言うことだろうか。
「何から選べるんだ?」
「《健康に悪いの》と、《命にかかわるの》です」
せめて選択肢は食物にしろよ。
「何でそんな選択肢しか無いんだ!?」
「大事な妹を目覚まし代わりに使ったからです」
「どうして目覚まし代わりに使うとそうなるんだ!?」
「…スープとパンが火にかけっぱなしだからです」
俺のせいだよ畜生。
「健康に悪い方で」
冷たい現実を前に、俺は健康に悪い方――パックご飯とインスタント味噌汁――を選択することにした。
ちなみに命が危うい方は炭になったパンと黒濁食のスープだったらしい。
---------------------------------------
6月5日 午前7時40分 通学路
「おかしい」
「そう…ですね」
いつもならこの時間、この場所に風間は立っているはずだった。
自慢じゃないが《忘れ》たこと以外に関しての記憶力には自信がある。記憶違いと言うことはあり得ない。
「俺はもう少し待ってみるけど、お前はどうする?」
「うーん。私は委員会の雑用があるので先に行かせてもらいますね」
「オーケー。じゃあ、また家でな。気をつけるんだぞ。何があるか分からないしな」
「心配し過ぎてすよ」
頬を膨らます美鳥だったが、気が気では無い。
学校に殺人犯がいるかもしれないのだ。家族でなくても心配するに決まっている。
本当なら休ませてやりたいところだったが、皆勤賞が懸かっているとかで断固として拒否された。
「とにかく、学校では1人になるな。俺には何も出来ないんだからな」
「大丈夫ですよ」
心配する俺をよそに美鳥は脹れ面から笑顔になる。
「いつもはチンピラもどきなのにヘタレな兄さんですけど、私がピンチの時は絶対に助けてくれますから」
お前は俺をけなしたいのか、それとも持ち上げたいのか。どっちなんだ。
俺の心を読んだと言うのだろうか、美鳥が答える。
「どっちも、ですよ。ふふっ」
俺が言い返す間もなく、駆け足で駅の方へ向かっていく。
「…ったく。生意気な妹だ」
呟きながら携帯電話を取り出し風間に発信。再び《あの》留守番電話につながる。
「とりあえず30分だけ待ってみるか」
どうせ学校に行く気はしない。時間ならたっぷりある。
-----------------------------
■六月五日 午前九時十二分。私立平坂高校校門前
時間ならたっぷりある。そう思っていた。
だが、1時間待っても俺と風間が出会うことはなかった。
もちろん電話も、そしてメールもつながる事が無く、だ。
不安になり、自宅も訪ねてみた。だが無反応。誰もいない。
「まさか、変な事に巻き込まれてるんじゃねぇだろうな」
頭痛のタネがまた一つ増える予感。
仕方なく、俺は小さな希望を胸に学校へ向かうことにした。
風間が早めに登校している可能性に賭けて。
電車に揺られている時間も風間にメールを送る。
もしかしたらただ携帯電話を家に忘れているだけかもしれない。
俺の取り越し苦労かもしれない。
しかし、彼女の普段の行いを見ていると、好奇心から何かとんでもない事に巻き込まれている気もするのだ。
電車を降り、走る。
駅から学校まで徒歩で10分。走れば5分とかからない。
きっと、教室のドアを開ければ普段と同じように「あれ、ケージ。どうしたの?」と、とぼけた面を見せてくれるはずだ。
そう信じ、走る。そう願い、走る。やがて、校門が見えてくる。
校門をくぐり抜け、そのまま全速力で走りぬけようとした瞬間、
「待っていたよ」
背後から呼びとめられ、慌ててブレーキをかける。
俺の背後に立っていたのは、少女。それも、息を呑むほどに美しい少女だった。
制服の色から察するに、美鳥と同じ1年生。
身長は美鳥よりは高いが、それでも小柄。
驚くほど色白で、瞳もブラウンがかっている。恐らく生まれつき色素が薄いのだろう。
眼鏡の下の瞳は、どこか眠たそうにこちらを見ていた。
太陽の光を浴びた髪の毛は黒髪であるはずなのに銀髪に錯覚してしまうほど細く、まるで職人が手掛けたフランス人形のようだった。
「本人からの伝言さ。彼女は、風間祈衣は来ない。今日はね」
背中まで伸びた三つ編みのお下げを揺らし、宣言する。
「お前は、誰だ?」
見覚えのない生徒に向かい、問う。
膨れ上がる不安。やはり風間は事件に巻き込まれたのだろうか。
「…僕の事を忘れたのかい?」
ほんの一瞬、顔がこわばる。
俺はこの少女の事を知っているのだろうか。
また、《忘れ》てしまったのだろうか。
「君が知らなくても、僕は君の事をよく知っている――天海、慶次君」
どうしていいのか分からず硬直する俺。
そんな少女が眠たそうな瞳のまま悪戯っぽく笑う。
音楽室の死体、行方不明の幼馴染、そして見知らぬ《俺をよく知る少女》。
予想外の事が多すぎ、俺の思考はオーバーヒートを起こしそうだった。
だが、何よりも予想外だったのは少女が次に放った言葉。
「僕は、君の《恋人》だよ」
「!?」
頭が、どうにか――なってしまいそうだった。
第二話 俺と兄妹と記憶障害 終
次回予告
明かされた慶次の記憶障害
前触れなく表れた謎の電波入った少女。
学校に現れない彼の幼馴染。
眼鏡少女の正体は彼の忘れた記憶の中にあった。
(色んな意味で)非常に残念な結果と共に謎は解決する!
次回、第三話【オレと眼鏡とロクデナシな交友関係】に続く!