第四話 事件の終わり、そして本当の始まり
昼休み終了後、待っていたのは午後の授業ではなく緊急の全校集会だった。
風間が今どこで何をしているか分からない以上、俺達には何も出来ない。
眼鏡女にはまだ聞きたい事があったので放課後、再び合流する約束し交わし俺達は解散した。
全校集会の内容は予想通りの物。
梶原の死。殺人では無いので普段通りの生活を送れ。
ただし、物騒ではあるので気をつけて帰れ、等。
その後、教室に戻った俺達は、プリントを配られた。
《梶原が何か悩んでいたようなことはなかったか》《14~16時頃に彼を見かけなかったか》《不審な人物はいなかったか》などの様々な項目。
無記名で回収されたプリントは恐らく警察に提出されたり、教育委員会への報告書の作成に使われるのだろう。
そして、放課後。
「さっきも言ったが、今日は部活も中止だ。道草せずに早く帰るように。それじゃ、解散」
副担任の蔵元の号令。担任は職員会議で席を外しているらしい。
眼鏡女の事を教えてもらう約束だったが、会えないのなら仕方なかった。
「まぁ、もう眼鏡女は見つけてるからどうでもいいんだけどな」
「そうだね。例え《忘れ》ても僕らはずっと一緒だよ」
ぽつり、と独りごちると後ろから声が聞こえた。
相変わらずの神出鬼没。黒川絢葉だった。
「風間さんともあんなに仲が良いのにさらに下級生まで」
「これだからイケメンは…」
「爆発しろ…畜生。爆発しろ…!」
周囲からひそひそ声が聞こえるが無視をする。
「過去の契約通り、僕は来た。さぁ、二人きりになれる場所まで行こう」
「残念。私もいますよ」
俺の手を取ろうとした眼鏡女だったが、横から飛び込んできた美鳥によって遮られる。
肩で息をしている所を見ると、よほど急いで来たのだろう。
「兄さんにある事無い事吹き込もうとしてもそうはいきませんからね!このコンパスに賭けて!」
美鳥が天井高くコンパスを掲げる。だからそれは文房具だ。本気で危険なので鞄にしまっておいてほしい。出来れば永遠に。
「…くっ。どこまでも僕の邪魔をするんだね。ならば僕の能力《深紅凍刃》の封印を…」
「あぁ、もう。落ち着けお前ら!教室に残ってると怒られるからとりあえず移動するぞ」
このままでは収拾がつかなくなると思い、二人の間に割って入る。
「昼休みは中途半端で話が終わったからな。黒川さん、君にはまだ聞きたい事があるんだ」
「…勿論だよ。天海先輩の願いなら何でも聞こう。僕の全てに賭けて」
《君》、と言った瞬間、ほんの少しだけ眼鏡女の眉間に皺が寄った、気がした。何かまずい事でも言ったのだろうか。
だが返す言葉は何も思いつかない。
「こっちだ。付いてきてくれ」
仕方なく、俺は当たり障りのない言葉でお茶を濁すことにした。
--------------------------------
■十六時三十分 私立平坂高校 中庭
「とりあえず目の前の懸案は二つだ」
「祈衣姉さんの行方と」
「僕に関する《忘れたことば》だね」
二人の答えに頷く俺。
教師の巡回があると思われる街中を避け、俺達は人通りのない学校の中庭に場所を移した。
「相変わらずあの馬鹿には電話は繋がらない。気づいたら連絡をよこせってメールは送ったけどな」
「風間先輩は一つの事に夢中になると周りが見えなくなるからね。恐らく、本当に電話に気付いていないんだと思うよ」
眼鏡女が楽観的な意見を口にする。
確かに、彼女の言う事も一理ある。しかし、もしかしたらと言うことも十分あり得るのだ。
「風間の居所に心当たりはないか?憶測でもいい」
俺には全く想像もつかない。
風間本人と違い、俺には想像力や展開力のようなものが欠如している所がある。
お陰で空気や顔色を読むと言うことが苦手で、よくトラブルに巻き込まれていた。
そんな男のストーカーだの友人だのと、眼鏡女や風間は変わり者だと思う。
「うーん。風間先輩の行動は全く予想できないかな」
「突飛ですからねぇ。祈衣姉さん」
いきなりの手詰まり。どうしようもなかった。
全員が言葉を失い、うんうんと唸る。
唸った所で名案が飛び出ると言うことはなかったが。
「そうだ。それなら先に、天海先輩の記憶を取り戻すことから考えたらどうかな?」
眼鏡女が提案する。
「それこそノーヒントだろ。《日記》にも何も書いてなかった」
ポケットから携帯電話を取り出し、フリーメモを開く。
図書室で梶原のニュースをメモしたように、俺はその日起きた印象的な事をメモする事にしている。
もし用事や約束を《忘れ》ていたとしても、《日記》さえあれば次善の策が取れるからだ。
今は風間の事を優先すべき。
そう口にしようとした時、俺は袖口が引っ張られている事に気付いた。
引っ張っていたのは眼鏡女。俺の顔を真剣な眼差しで見つめていた。
「実は、正直なところ《忘れ》られたままなのはすごく寂しいんだ。今も、胸がズキズキする」
「涙を浮かべるくらい辛かったのに、それでも不思議キャラを演じてたなんて…」
筋金入りの中二病だった。
眼鏡女の性格はさておき、気持ちは分かる。《忘れ》られたままで平気な訳が無い。
「だったら、君の事を教えてくれないか?」
「僕の、こと?」
「嘘は抜きで、な。とりあえず入部の経緯、出会いから聞きたい。何か思いだせるかもしれない」
俺の言葉に眼鏡女が思案する。
おそらく出会いは4月。2か月近く前の事のはず。
普通なら思いだすのにしばしの時間が必要だろう。
だが、彼女は眼鏡の下の眠たそうな瞳を向け、即座に答えた。
「一目ぼれだよ」
《一目惚れ》。何の恥ずかしげもなくきっぱりと言い放つ眼鏡女。
「それで、気づいたら告白してたんだ」
「でも、振られたんですね」
「…うん」
理由は昼休みに話した通り。
《忘れ》る障害を持つ俺が、恋人の事を幸せにできるわけが無いから。
「兄さん、今日も私の事を《忘れ》ていましたから。断るのは、黒川さんを傷つけないための優しさなんですよ」
美鳥が諭すように言う。
「だけど、それでも僕は諦めれなかったんだ」
だから、同じ部活に入ったのか。
「《忘れ》るのが恐いなら、《忘れ》ても切れないような絆を作ればいい、と思って。もし、天海先輩が僕との思い出を全て《忘れ》たとしても、過去を塗りつぶすくらい楽しい思い出をたくさん作ればいいと思って。だから、音楽部に入部したんだ」
《絆》《思い出》。
優紀さんのと同じような事を言う。
病室のベッドで震える俺に、風間も似たような事を言っていた。
「…ったく。どいつもこいつも恥ずかしい事言いやがって」
「不本意ですけど、黒川さんの覚悟だけは認めてあげます」
「自分の気持ちに嘘をつく事は嫌いだからね。例え《忘れ》られた今でも、天海先輩が好きなのは変わらないよ」
好き、と言う言葉に頬が熱くなるのを感じる。本当に恥ずかしい事を真顔で言う女だ。
思わず、苦笑いが漏れる。
俺の周りはお人よしばかりだ。
自分の気持ちに真っ直ぐな奴ばかりだ。
《忘れ》られて傷つくのは自分なのに。それでも彼女たちは俺の側にいようと言うのか。
「でも、どうしてそこまで兄さんに?」
美鳥が聞く。俺の前で出して良い質問では無い気がするぞ、妹よ。
「一目ぼれだから、説明は難しいんだけど…」
「一つでもいいんです。もしかしたら、《記憶》に関係してるかもしれませんし」
コンパスを握りしめていた様子からは想像もできないような真顔で美鳥が問う。
眼鏡女は、熟考するかのように目を伏せこめかみを叩く。
「もし、理由を聞いても刺したりしない?」
顔を上げ、眼鏡女が美鳥を見据える。
「しません」
二人は俺の事など目に入っていないように真剣な表情で見つめ合っていた。
「僕が、天海先輩に惚れた一番最初の理由、それは」
「それは――?」
ごくり、と息を呑むような音が聞こえた気がした。
正直、聞きたいようで聞きたくない。恥ずかしすぎる。
例えどのような事を言われても平静を保ったままでいよう。
そう、心に固く決める。
やがて、眼鏡女がゆっくりと口を開いた、
「顔」
顔かよ。
「帰るか」
「そうですね」
「あぁんっ。一目ぼれなんだから仕方ないもん。理由なんて分かんないよ!」
「引っ張るだけ引っ張って『顔』は無いだろ…。予想外にも程があるっての」
立ち上がろうとする俺達を慌てて引き留める。どうでもいいが素の部分が出ているぞ。
今日は緊張するだけさせておいて、拍子抜けするような出来事が多すぎる気がする。
「出会いに関しては何も収穫なし。もう少し、そうだな。この2か月の事も教えてくれないか?」
「うん。先輩たちとの思い出なら、語りつくせないくらいあるよ。まず、そうだね。四月の――」
それからしばらく彼女の話を聞いたが――
――彼女の話の中に俺の記憶を取り戻す《ことば》は含まれていなかった。
--------------------------------------
「畜生っ。完全に手詰まりだ。すまない…!」
どれだけ話を聞いても、俺が眼鏡女の記憶を取り戻すことはなかった。
今の俺にできるのは、必死に頭を下げることだけ。罪悪感で胸が千切れそうだった。
「頭を下げないでほしい。僕の知っている天海先輩はもっと毅然とした、誇り高い男だったよ」
下げるに決まっている。
俺に好意を寄せてくれている後輩を、俺の記憶障害を知っていながらも友人でいてくれる少女のことを《忘れ》てしまったのだから。
「大丈夫。さっきも言ったけど、失った思い出は、また作ればいいんだ。高校生活だけでもあと半年近くあるんだもの。僕は悲しくなんか無い」
そう言いながらも、彼女の瞳はうっすらと潤んでいた。
明らかな強がり。
「ありがとう…。ごめんな」
「実は兄さんの高感度アップを狙った発言だったりして」
美鳥が穿った発言をする。まさかそんな事があるわけ――
「ぎくっ」
「今、口で『ぎくっ』って言いませんでした!?」
「き、気のせいじゃないかな?」
「気のせいじゃありません!」
再び謎のガールズトーク、と言うより子供の言い争いが始まる。
「おい、やめろ。そんなに騒ぐと」
教師に見つかる。説教タイムはごめんだぞ。そう続けようとした時。
「誰かいるの?…って、あれ。天海くん?」
案の定、見つかる。
特徴的な半音上げる語尾。声の主は俺の担任、朝倉だった。
「いや、すいません。ちょっと用事があって」
「いや、私も天海君のこと探してたし?」
探していた?
「1年の女の子を探してたんでしょ?もう、見つかってるみたいだけど」
そうだった。担任は眼鏡女について調べると約束してくれたのだった。
「彼女の担任の話だと、名前は黒川綾葉って、あれ?」
担任と眼鏡女の目が合う。そろり、と手を上げる眼鏡女。
「もう、見つけてた?へぇー。クソ忙しい会議の合間を縫って調べてあげたのに?そっかー?」
「ギブ!ギブ!すいませんでした!反省してますから!許して!爆ぜるからっ。腕が爆ぜるからっ!」
全力の謝罪。彼女の細腕のどこにそんな握力があるのか。強化遺伝子でも組み込まれているのではないかと疑う。
何をされていたかは聞かないでほしい。思い出したくない。
「仕方ないから許してあげる?だけど今日は早く帰るように?寄り道は死刑よ?」
「分かってますよ。ほら、二人とも帰るぞ」
「はい」「うん」
手を挙げ、ついてくるように合図する。
仕方ない。続きは帰りながらでも話すか。
俺たちが立ち去ろうと歩を進めた時、思い出したかのように担任が声を上げた。
「あっ、黒川さん?」
「えっ?」
「あなたの担任から伝言?」
担任の言葉に表情を変える眼鏡女。
「い、嫌な予感しかしないけど聞かせてもらうよ」
僅かだが冷や汗が滲んでいる。
どうしたのだろうか。見た目にそぐわず、意外に不良生徒だとか?
「『今日も遅刻しやがって。この《遅刻常習犯》っ!次に遅刻したらハリセンだからな!』とのこと?」
「ッ!」
頭に、疼きが走った。
――《遅刻………常習…犯》?
「それは、手厳しいね」
「当たり前ですよ…。遅刻は駄目なんですから!」
美鳥達が何かを言っている。何かを話している。
何かを話しているのは分かるが、内容は全く入って来ない。
何故なら――
何故なら――!
何故なら――!!
担任の《ことば》が――
俺の《忘れ》てしまった記憶を――
呼び醒ましたから――
続く。