バスケットボール・トラベリングの昔と今
1.トラベリングの定義が分からなくなった
日本のバスケットボール男子の最上位リーグであるB1リーグの2025-26シーズンの優勝決定戦は、最終戦である第3戦まで接戦を繰り広げ、長崎ヴェルカが琉球ゴールデンキングスを破って念願の初優勝を飾った。2021-22シーズンにB3リーグへの参入が認められてから僅か5年での最上位リーグ優勝であった。
来シーズンは男子プロバスケットボール『Bリーグ』の最上位カテゴリーとして『Bリーグ・プレミア』が創設されて新たなステージが展開されるそうである。
私は就職したのを契機に現役としてのバスケットボールのプレイは引退し、楽しむためのバスケットボールを続けた。しかし、寄る年波には勝てず、練習できるような体調ではなくなってきて、『観る』だけが楽しみになって久しい。
もう随分以前の話にはなるが、アメリカのプロバスケットボールNBAの試合をテレビで観ることが可能になった。嬉しくなって一所懸命に観ていたが、しばらくすると、イライラしてきた。自分の感覚では、かなりの頻度でトラベリングをしているのに審判が全くと言ってよい程笛を吹かないように思われたからである。そのうち楽しいはずの試合経過や選手の素晴らしいプレイに集中することができなくなり、トラベリングのことばかり気になってゲームが面白く感じられなくなってしまった。
この『審判がトラベリングを取らない』傾向はNBAに限らずバスケットボールの国際試合や日本国内での試合でも見られるようになり、私は非常に混乱してしまった。
「これでは、ボールを保持して3歩まで歩けるハンドボールと区別がつかないじゃないか」
と思う程であった。ただし、ハンドボールの場合、空中でボールをキャッチして着地した時の足は『ゼロ歩目』とカウントされるのだそうなので、見た目には5歩くらい歩いているように見えるのではあるが。
そこで、先ず本屋に入り、バスケットボールのルールブックを確認してみた。トラベリングについて書かれた部分を何度もしっかりと読み返してみたが、少なくともルール上は、トラベリングの概念に私の現役時代との大きな変化はないように思えた。
ルールブックでは解決できなかった私は比較的若い高校のバスケットボール部の後輩OBたちに訊いてみた。しかし、私を納得させるような解説をしてくれた人は誰もいなかった。
何年もこのような状況が続き、バスケットボールの観戦自体が面白く感じられなくなってしまったので、『トラベリングについては考えないこと』にして試合経過や選手の素晴らしいプレイに集中して楽しむように自分を仕向けることで誤魔化してきた。
2016年になってようやく日本でもトップリーグ『Bリーグ』がスタートし、テレビでもこれまでとは比較にならない程放映されるようになった。私も試合中継があればライブで観たり、録画しておいて後で観たりするようにしたし、近くに本拠を置く2部のチームの試合は時々会場にまで足を運んで応援したりするようになった。
それでも、私にとっては『トラベリングの判定』がゲームの面白さの足を引っ張り続けた。
2.高校時代のボールキャッチ練習
私の出身高校のバスケットボール部は、創部以来関東大会には何度も出場したものの、全国大会にはあと一歩のところで涙を呑んできたような、どちらかと言えば、少しは強かった方の部であった。私たちの代も関東大会でベスト8になったにもかかわらず、全国大会出場を逃してしまった。
そんな高校のバスケットボール部での基礎練習でよくやらされたのは、ステップの切り方を体に染み付けることであった。味方からパスを受ける際、スタンディングでボールをキャッチすることはあり得なかった。必ずパスが来る方向に飛びつくようにすることが要求された。着地する左右の足の順番は、状況によっては体の自然な流れに逆らうことも求められた。例えば、パスが右方向から来てボールに飛びついてキャッチする場合、自然な動きが左足から着地すればゴールに正対することができる場合にも、右足から着地して正対するのである。右足が着地した時点で軸足が決まるので、片足一本だけで体を支え、『左足はいつでも必要な時に必要な方向に着地させることによってディフェンスに対して優位に立てる』との考え方であった。この目的のためのパス練習を体が覚えこむまでやらされたのだ。
この練習は第一歩目の足、つまり『軸足』をしっかりと意識することに繋がるのである。
しっかりと体に染み付いたステップであったはずだが、その試合に勝利すればインターハイへの出場権を獲得できるという大事な試合で、私はつまらないトラベリングを取られ、逆転負けを喫してしまったのだから、『一体何をやっていたのか!』と今でもその時の自分に腹が立つのである。とにかく、それほど一所懸命に身に付けようとしたステップであった。昨今の試合で見られるステップは到底受け入れることができなかったのである。
3.とうとう見つけた『ルールの解釈』
それまでも何回かインターネットでトラベリングについて検索してきたが、納得できるような解説を見つけることはできていなかった。
しばらくぶりで検索してみると、信じられないような解説がいくつか載っていたのだ。
その骨子は以下のようなものであった。
「日本では2018年4月からトラベリングのルールが変わった。特に注目したいのは、『ゼロステップ』という概念で、床に足が着いた状態でボールを持った場合、その足は『ゼロ歩目になる』ということである」
と書かれているではないか!
あるネット記事では、いろいろと詳しく解説した後、最後にこう締めくくっていた。
「全てのことを丸暗記する必要はありません。
・ボールを持ちながら3歩以上歩いてはいけない。
・ボールを保持する瞬間に踏み込んだ足はゼロ歩目になる。
上記二つさえ覚えておけば良いのです」
私は目を擦ってからもう一度記事を見直したが、本当にそう書いてあったのだ。
「ゼロ歩目って、違うだろ。それは軸足となる1歩目だろうが! こんな酷い解釈があるなんて、信じられない!」
これが当時の私の偽らざる気持ちであった。
4.他のプロスポーツでのルール運用はどうだろうか?
現在のアメリカでのプロスポーツの人気の順番は以下のようになっているそうだ。
最も人気のあるのはアメリカンフットボール(NFL)で他のプロスポーツを圧倒している。これに次いで、2位はバスケットボール(NBA)、3位がベースボール(MLB)、4位がサッカー(MLS)で、2位から4位の差はそれ程大きくはないらしい。5位にはアイスホッケー(NHL)が入っている。少し前まではアメリカ4大スポーツとしては上記したサッカー以外のスポーツのことを指していたのだが、最近はサッカーの人気が上昇してきているそうである。
また、アメリカではプロレスの人気もこれらのスポーツの直下にあるとのことである。
人気では他のスポーツを圧倒しているアメリカンフットボール(NFL)でのルール運用は、他のスポーツと比較して非常に厳しい部類に入ると言われている。特に安全対策と試合進行時間に関しては、厳格にルールが適用されているようだ。
大きな理由は2つあると思われる。
一つ目は、アメリカンフットボールでは選手同士の激しい物理的接触が頻繁に生じるため、ルールを守ることで選手の健康を維持・管理するためである。頭部や首へのタックルに対するペナルティは極めて厳しく、一発退場になる場合がある。
二つ目は、時間管理をしっかりと行ない試合時間を短縮することと、公平性を保つこととにより、競技性を高めるだけでなく、エンターテイメント性をも向上させるためであろう。攻撃側は前のプレイ終了から40秒以内に次のプレイを開始しないと、5ヤード罰退の反則となる。また、反則に対しても厳格に判定されている。重要なプレイでは、ビデオ判定が頻繁に行われ、判定が厳密に検証されて公平性を保つ努力が行われている。
では3位のベースボール(MLB)ではどうであろうか。
以前は試合進行が遅く、だらだらしているように感じる場面がかなりあったり、ストライク・ボールの判定やセーフ・アウトの判定の公平性に課題があったりして、プレイヤーや観客にとってイライラする原因になっていたように思う。
しかし、最近は試合時間の短縮や公平性の向上を目的にルール改正が行われている。直近のシーズンではさらに進化しているようだ。
例えば、ピッチクロックと呼ばれる投球間隔制限では、投手は走者なしの場合は15秒、走者ありの場合は20秒以内に投球動作に入らなければならない。また、打者は8秒以内に構えなければ違反となる。
投手が牽制できる回数は1打席あたり3回までで、3回目にアウトにできなければランナーは次の塁に進むことができたり、延長戦になった場合、無死2塁から始まる『延長タイブレーク制』が採用されたりして、試合時間の短縮化に努めている。
さらに、内野手の守備シフト制限ができたり、『ABSチャレンジ制度』が導入されて、ストライク・ボールの判定に異議がある場合、投手、捕手、打者がチャレンジを要求し、ビデオによる自動判定ができるようになったりしている。
これらの制度は選手や観客が抱きがちな不公平感をかなり吹き飛ばしてくれるのではないかと思う。現時点ではこれらの制度が導入されていない日本のプロ野球でも是非取り入れて欲しいと感じることが多々ある。
つまり、MLBにおいても、NFLと同じように時間管理をしっかりと行ない、試合時間を短縮させることと判定の公平性を高めることとにより、競技性を高めるだけでなく、エンターテイメント性をも向上させる努力を行なっているように思える。
5.これまでのバスケットボールの取り組み方
さて、上記の『ゼロステップの概念』の解説を見て私の頭の中ではいろいろな思いが浮かんできた。
NBAではずっと昔からトラベリングに関してジャッジが甘く、プレイヤーの動きを最大限に引き出して観客にアッピールすることを優先させてきた。想像するに、この寛大過ぎるNBAのトラベリングのジャッジの実態と国際ルールとの乖離をどのようにするかが大きな課題となっていたのではないか。この乖離を何とかするために考え出されたのが、『ゼロステップの概念』だったのではないだろうか。
国際ルールに『ゼロステップの概念』が導入されたのは2017年だったようだが、もっとずっと以前から国際試合でもトラベリングのジャッジはアマアマだったような気がする。国際試合で審判がトラベリングに関して厳しく笛を吹くと、NBAを見慣れたファンやプレイヤーには納得いかないことが多かったことは想像に難くない。きっと仕方なく、国際ルールの運用をNBAのそれに近付けたに違いない。国際ルールがそうなれば、日本で行われる試合のルール運用もそれに追従してくる。当然の流れである。
しかし、『ゼロステップの概念』を受け入れたとしても、実際のゲームでは明らかに3歩以上歩いてもトラベリングと判定されないことが頻発しているように私には見えてしまう。『まあ、とにかくトラベリングの判定とはそんなものである』と割り切れば、もっと楽しく観戦することができるようになるかもしれないのだが。
6.今後のバスケットボールの進む道は?
NBAにおいてトラベリングの判定が甘くなってきている理由について、一定数の人たちは、次のようにコメントするであろう。
『観客はスター選手の活躍が観たいのであって、トラベリングなどの反則が観たい訳ではない。観客を引き付けることができるのは厳密なルールの運用ではなく、プロならではの凄いプレイなのである』
この考え方をもっとずっと進めているのがプロレスであろう。アメリカにはプロレスの団体がいくつもあるそうだが、最も人気のある団体における考え方は、『ストーリーテリングや試合の魅せ方を優先するため、反則やルールに対して意図的に甘くする』だそうだ。
具体的には、パイプ椅子、ベルト、凶器の使用は、レフェリーがわざと見て見ぬふりをする『見せ場』としてよく利用されるし、サミングやチョーク攻撃など、明らかな反則に対しても即座に失格とはならず、レフェリーがカウント5を数えるまで待つのが一般的である。これは『5秒以内なら反則をしてもよい』という解釈もできる。また、試合中に別のレスラーが乱入して攻撃する行為も、大事な場面で頻繁に行われている。
ヒーローが悪役に酷い目に遭わされながらも頑張り通し、最後は試合に勝つというストーリーは、昔のアメリカ映画の一部を彷彿とさせる。このタイプの映画では、生命の危機に瀕している状況下で、多くの人たちが逃げている方向とは全く逆の方向に進んだヒーローだけが最後に生き残るのである。つまり、ヒーローはいつも正しいのだ。
スポーツは『競技性』と『エンターテインメント性』の両面を併せ持っていると思われる。
『競技性』とは、『選手やチームの保有している技術、体力、知識、経験が総合的に公平な形で勝敗に反映される状況』のことではないかと思う。さらに、これらに『運の要素』も加わるのかもしれない。単なる娯楽とは違ってルールに基づいた公正な環境下で競い合う要素が強いことになるのだろう。
これに対して『エンターテインメント性』とは、『観客を楽しませ、各個人の心に感動を与え、そのイベントを体験することに重点を置いている状況』のことであろう。観客の心をしっかりと掴み、ショーとしての魅力を持ち合わせていなければならないようだ。
アメリカンフットボール(NFL)は『競技性』を高めることを重要視してきているように思えるが、時間管理もきちんと行うことなども含めて『エンターテインメント性』をも高めているように思える。
ベースボール(MLB)も特に最近ではNFLの方向性に近付いてきていると思われる。
それでは、今後バスケットボールはどちらの方向に動いていくのであろうか?
アメリカに『ハーレム・グローブトロッターズ』というバスケットボールのエキシビションチームがある。このチームの創設は1927年であることから長い伝統があるチームであるが、NBAには属しておらず、派手なプレイやトリッキーなハンドリングを見せることを中心にした、スポーツ性とコメディの両方を併せ持っている試合を行なっているチームである。
2025年には東京と横浜でゲームが披露されたようだが、何十年も前にも日本に来て行われた試合がテレビ中継されたのをうろ覚えながら思い出す。当時はまだNBAの試合は簡単にはテレビで観ることが出来なかったので、私は大いに期待してその放映を観た。しかし、『競技性』にはほとんど重点が置かれていなくて、私にはしっくりこなかった記憶がある。
私にはいわゆる『ガチな』闘いが好ましく感じられるが、これに関しては意見の分かれる所であろう。日本でもプロレス人気は高いものがあることからも『競技性』よりも『エンターテインメント性』を重要視する人も多く存在しているのだろう。
ただ、NBAは『ハーレム・グローブトロッターズ』の方向性とは一線を画して現在まで発展してきている。今後NBAはNFLやMLBの向かっている方向に舵を切ってくれるのであろうか?
最近日本におけるバスケットボールの試合では、以前よりもトラベリングを厳しく判定しているように感じられるゲームを観ることも以前よりは増えたような気がしないでもない。
これまでのバスケットボール界の流れは、NBAが既存のルールから離れていき、国際ルールが仕方なくそれを追ってきたように思われる。これからもNBAではルールから離れた運用をしていくのかどうかが、バスケットボール界の行く末を決めていくことになるのかもしれない。それを観衆はどう受け止めていくのだろう?




