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英雄は前に出たくない  作者: 氷雨


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3/3

1-2

食堂は既に明るかった。

長い卓の中央に朝の光が落ち、銀器が静かに輝いている。焼き立てのパンの香りと、湯気を立てるスープの匂いが穏やかに混じっていた。

父アルンハルトは席に着き、書状に目を落としている。封蝋は既に割られ、紙の端がわずかに折れていた。

その脇には、まだ開かれていない書状がもう一通、重ねられている。

母ヘレーネは侍女と言葉を交わしながらも、子どもたちへ視線を向けている。

「おはようございます、父上。母上」

ベルンハルトが一礼すると、ヘレーネが柔らかく笑った。

「今日は早いのね」

「目が覚めました」

それ以上は言わない。

アルンハルトは書状から視線を上げないまま問いかける。

「体調はどうだ」

「問題ありません」

短いやり取りののち、エルンハルトが椅子を引いて向かいに座った。

「遅いぞ、ベルンハルト」

「兄さんの方が早いだけです」

「それは否定しない」

屈託のない笑みが返る。

その様子をロザレーネは静かに見ていた。背筋を伸ばし、仕草に無駄がない。

彼女の視線は兄弟のやり取りを追いながらも、ときおり父の手元へと向けられている。

「父上、その書状は王都からですか」

問いは穏やかだが、逃さない。

アルンハルトはわずかに間を置いた。

「王都からだ。急ぐ話ではない」

そう言いながら紙を畳む指先は、やはり硬い。

畳み終えた書状を脇へ置き、開かれていないもう一通を見つめるが、手は伸ばさない。

ベルンハルトはその動きを見ていた。迷いの混じる手つきは、前世でも幾度となく見たことがある。

ここでは命取りにはならない。だが、無関係でもない。

ロザレーネはそれ以上追及せず、静かにナイフを置いた。

必要以上に問い詰めないのも、長女としての分別だった。

そこへマルレーネが駆け込んできた。

「まだ始まってないわよね?」

「走らないで、マルレーネ」

ロザレーネの声は静かだ。

「だってお腹が空いたの!」

ヘレーネが小さく笑う。

「座りなさい。今日も皆そろって食べられるのだから」

その言葉に、アルンハルトは一瞬だけ目を閉じた。

皆そろって。

何気ない響きが、わずかに重い。

ベルンハルトはパンを割り、湯気の立つスープを口に運ぶ。温かさが静かに広がる。

「ベルンハルト」

エルンハルトが声をかける。

「今日は庭の訓練場を使うぞ。お前も来るか」

「基礎だけなら」

「相変わらず慎重だな」

兄は笑う。

守られる立場にいることに、わずかな違和感はある。それでも今は、それでいい。

「無理はするなよ」

その言葉に嘘はない。

「はい、兄さん」

食卓には穏やかな音だけがある。刃も怒号もない。

この静けさが、今の世界だった。

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