バグった神様、アップデート中。
アンは、午前三時の定例チェック中、スクリプトログに異様なタイムスタンプを発見した。
──「2057年4月6日、404エラー」。
汗が一縷、背中を滑り落ちる。時間軸の破綻——ならば、バグだ。
神歴にして、宇宙ver.13.72。だが地球だけは例外で、まるで意志を持つ魔物のように進化を止めない。その最新バージョンは「地球ver.2024」。一部の人間が時空間に穴を穿ち、自由に過去と未来を跳躍しはじめていた。
原因は不明、証拠も希薄。ヒューリスティックAIすら解析を放棄した。未知数、乱数、混沌。
「……また、人間側の暴走か」
アンは右手を掲げ、空間にコードの糸を紡ぐ。指先に絡みつく青白い光。現実が、静かにたわんだ。人類の記憶を上書きするための修正スクリプトを放つ、その直前──
世界がざらりと撓み、ノイズの波が視界を走った。
「侵入者」だ。
グリッチだらけの夜空に立つ、一人の少女。制服に黒髪。歪んだ空間の中で、彼女だけが確固たる存在感を放っていた。双眸はこちらをまっすぐ貫いて動かない。
──ユイ。
ログを逆算すると、出現座標は日本・郊外。時刻、昨日の18時15分。自転車の急ブレーキが利かず、衝突直前に意識が弾け飛んだ。彼女は人体の限界を越えて、防壁ランクFの未知領域へと滑り込んできた。
ありえない。……はずだった。
「神様って、本当にいるんだね」
その言葉の密度に、アンの中で何かがひび割れた。神官すら発狂するこの領域において、ユイは完全な自我を保ち続けている。
「君の脳は、どういう構造をしてる……?」
「さあ? バグったのって、そっちじゃないの? 神様のほうが」
ぱきり、と音を立てて、何かのコードが深部で砕けた。アンの額に、光の粒が滲む。
この少女は、プログラムの外にいる。
「地球を──いっそ再起動しない?」
「正気の提案か?」
けれど、ユイの言葉は論理の芯を突いていた。深層バグの根幹——それは「人間が知ってしまった」という事実そのものだ。いっそ時間を巻き戻すほか、修正の仕様がない。
「私、見ちゃったの。100年後の地球。何もなかったんだよ、ほんとに。音も人も、風さえ。」
ユイの腕に、微かな擦り傷。彼女は未来と過去を素足で歩いた。そして、そこにあった終末の断片すべてが、彼女の肉体に刻まれている。
「君の記憶を初期化すれば、あらかじめ用意された未来に戻せる。正しいレールにね」
「……でも私は“未来から来た”んだよ。それを消したら、時系列ごと崩れるんじゃない?」
沈黙。神のアルゴリズムは、答えられない。
ユイは、未発生ログ──この世界の“次”から来た存在。論理的に、その存在すら定義されていない。けれど今、ここにいる。
「初期化しても無駄だよ。きっとまた壊れる。だって、人間ってもう、“予定調和”ってコードに耐えられないんだもん」
「……なら、君ならどうする」
ユイがスマホを取り出す。黒い画面。アンの統制から完全に外れたそのデバイスに、幼い筆致のスクリプトが浮かび上がる。
`if God = crash then Reboot(human)`
「神様をアップデートしても、いい頃でしょ?」
無邪気な笑み。けれどそれは、神ですら選ばなかった選択肢だった。
──再起動。それは、現行の神の権限を“取り下げる”ことを意味する。記録も意志もログも消える。更新されるのは、ただ一つ。世界のコード。
「君は戻れない──それでも?」
「神様も同じじゃない?」
アンは、一度だけ目を瞬いた。それが返答だった。
世界が、深く、息を吸い込む。
そして静かに、ノイズが消えた。
*
歓声のこだまする春の校庭。風には、甘い炭酸の匂いが溶けている。
生徒たちが憧れの第二ボタンを交換し合うその向こう、黒髪の少女が空を見上げていた。
──名前は、ユイ?
その背を、春の風がそっと押す。誰の意志でもないはずの季節に、ほんの微かに——世界の端が、始まり直す気配をまとっていた。
違和感は、ない。
“最初から、そうだった”のだから。
再起動完了。
地球ver.2025、実行中──。




