五 策励
娘さんが魚屋に戻る前に聞いたのだけれども、どうやら、今日は土曜日だったらしい。だから中学生の壗下くんが昼間から俺に構える訳だ。
俺の中には「月火水木金土日」というような曜日の感覚はなく、「なんか仕事する日」と「なんか仕事しなくてもいい日」の二つしかない。
学生の頃は「学校行く日」「部活行く日」「休みの日」の三つがあったが、高校を卒業し魚屋に就職してすぐに二つになった。
日曜日と月曜日が休みの日で、それ以外が仕事する日である。
俺の頭はとても単純だった。
「それじゃ、買い物行こうかな。物部くん、なにか欲しいのはないかい?」
「欲しいものかい? どうだろうなぁ……」
「プリンとか、例えばお肉とか、買おうか?」
「そうだな……麦茶を飲みたいな」
「麦茶でいいのかい?」
「ああ。恥ずかしながら俺は麦茶がとても好きなんだ。俺の生きる意味の四割は麦茶と言ってもいい」
「何を好きになるのかは君次第だからね」
「ありがとう」
姫神くんを見送ってから、部屋には俺と壗下くんだけが残った。
大して仲良くない二人。二人をつなぐ姫神くんがいなくなってしまうと、公演の時のように話題があるわけではないので、さっそく無音。
自分の血流の音すら聞こえてきそうな無音。
俺は口笛を吹きながら本棚を飾ろうとしていた。
高校時代に古本市があると駆けつけて集めていた面白そうな小説の数々がここにある。
俺は古本市に現れるハイエナであった。
「本、好きなんですか?」
「どうだろう。読んでいると時間を潰せるという点では好きだね。しかし……ハマっているかと言われると怪しい。こうして積んでいるわけだしね。君は好きかい」
「小説はあまり読まないけれど、歴史の本などは読みます。年表が好きで、よくそれを読みながらこんな時代に生まれたらなど想像を膨らませます」
「それは面白そうだ。そうだな、今度機会があれば俺も似たような事をやってみよう」
会話が止まる。
窓の外でピヨピヨと小鳥が囀る頃、また言葉が出た。
「物部さんは、俺の事嫌いっすか」
「何故だい」
「いや、なんとなく……」
「嫌いなんて無いさ。君は賢くてとても一生懸命だろう。俺は賢い子供は好きさ。となると、君は賢いから愛らしい。これは本当の事だよ」
この発言の言及などは控えさせて頂く。
「本音、言わないんすよね。あんた」
「俺が嘘を言っていると思うかい」
彼がどんな言葉を求めているのかわからないから、考えたところで結論は出ないだろう。
ただ、子どもが他人の目を気にして縮こまるものではない。
「心外だな、壗下くん。俺が君に嘘をついて何か得を得られると考えているみたいでないか。壗下くん」
彼の頭に手を置いて、髪をゆっくり撫でる。長い横髪を耳のの後ろにかき入れて、彼の視線を受けながら、微笑む。
「君は女の子の様に美しい顔立ちをしているけれど、よく見れば、男らしさを感じる顔だね。自分のやりたいことがある顔だ」
俺は身体が大きいので背中を丸めると、マウントポジションを取ったように子供相手だと覆い被さってしまう。
「縮こまっていけないな。君がそうしていると、君のそばで笑っている姫神くんまで切なくなってしまう。わかるかい。君は君のやりたいようにやりなさい。俺はそれに文句をつけないし、君のやることに悪意がない限り、それを邪魔だと思うこともない」
彼はハの字に眉を変えて、俺を見上げた。
「俺の言葉がわかったかい」
「う、うん……」
「ならば良し。まったりと姫神くんを待とうか」
「うん」