二 魚屋
俺と彼──姫神光哉の交流はそうやって始まった。
基本的には別々の生活をしていたが、街で見かけると、「やぁ物部くん」「やぁ姫神くん」だのと言って話しかけ合う。
そして、その日にあったことやこれから起こることを話し合って、「とても充実した雑談であった」と思い合って別れる。
日々溜まるストレスを彼の笑顔で吹き飛ばしている俺からすると、その時間だけ自分の視界に色があった。
ある日、俺は水澤駅通り商店街の中にある魚屋で魚を売っていた。目の前には主婦たち。今晩をどう彩ろうかと考えているご様子である。
「さぁさぁ、今からあんた方がお目に入れますは此方のサバ。ただのサバだと侮ってもらっちゃ困る。此方なにせ七年生きたサバです。サバという生き物の寿命というと、六年から七年。とすると、此方ギリギリまで生き切った生命力のあふれるサバさんだ。大きなお腹をしてるでしょう。なんと旨みの詰まった腹である。此方をしめ鯖にして食らうもよし、切り身をただ炙って食うもよし。アラも美味しくいただけます。うちの店長はこれで酒を飲む。アァ気持ちの良いこと堪らないだろうね。どうです奥さん、魚というのは人の頭を良くするんです。旦那さんの頭を良くしてみるのもいいでしょうと思いますが、しかしお値段が頂けない。二百円ほどまけて頂戴、と言いたくなるのもわかる。しかしそれができないのが下っ端の哀しき今。となると今度はコチラをお勧めさせていただこう、此処にあるのは今朝獲ったばかりのニシンです」
眠い。今朝飯を食ってなかったし、昼飯もまだだから腹が減っている。もう昼飯なんて時間帯でもないか。空は赤い。
「ニシンの平均は三十五センチ。しかし、おや、ここにあるのはそれより大きく見えるぞ。それもそのはず五十センチ。平均サイズを大幅に超えた五十センチのニシンの登場です。今日はこれが大漁。店長の腕っ節はとどまらない。なんとそれらすべて勝ち取った。なので安いよニシンさん」
腹が鳴った。恥ずかしい。
その日、それなりに魚を売ったので店長に「やる気がない割によくやるぜ」と褒められて帰路につく。
すると、「物部くん」と声をかけられた。
俺の心はパッと明るくなって途端に腹が鳴る。
振り返ってみるとオートバイに乗った姫神光哉くんがいる。
彼の後ろには友人の弟くんがいる。
「お仕事帰りかい?」
「ああ。魚を売り捌いたよ。君は……どういうご用事で?」
「彼を塾から家に送るところなんだ」
「とても偉い。姫神くんの運転は荒くないので、塾終わりの疲れた頭も癒えるでしょう。弟くん、よかったね」
「ども……」
俺は弟くんにあまり好かれていない。それは彼の人間不信などではなく、俺が悪いのだ。
俺は名前が少し厳つい。それに俺の声というのは、人を騙している人間と同じ声らしい。顔付きも悪人そのもの。目が細いのもいけない。せめて目の大きな人間であったならよかったが、俺は養母いわく「狐目」らしい。
「勉強は良い事だよ。君は自分を強くする賢い人間だ。とても偉いね。君は将来、人の為になるだろうと思うが、その際はご贔屓の程宜しく頼むよ」
「…………」
社交辞令にも返事はない。
それでも俺は笑顔は崩さない。悪人面なのだからせめて笑顔は崩さないでいよう──と、姫神光哉くんを見て思った。
なので最近は常に笑顔を浮かべるようにしている。
「それでは早く帰らないと親御さんが心配してしまうね」
「もう行くよ」
「またね、姫神くん」
「ああ、また! 今度遊ぼうな」
「ああ、そうしよう」