裏の依頼
クローヴェルは、王都から遠く離れた辺境の町。森と岩場に囲まれたこの地にある冒険者ギルドは、木造の古びた建物だ。壁には剣傷や魔法の焦げ跡が刻まれ、カウンターの奥では受付嬢のミリアが、書類の山に埋もれながら小さなため息をついていた。
「はぁ…また計算間違えた…私、ほんとダメだなぁ…」
ミリア、一六歳。ふわっとした栗色の髪と、うつむきがちな大きな瞳が特徴の、引っ込み思案でおっとりした少女だ。冒険者たちの豪快さにいつも圧倒され、オドオドしながら書類を整理している。
その時、ギルドの扉がガチャリと開いた。
「よっ、ミリア! 『黒狼の牙』、片付けてきたよ!」
明るい声とともに飛び込んできたのは、リリエル――人間に擬態したスライム族の少女。長い黒髪をポニーテールにまとめ、快活な笑顔を浮かべている。
彼女の後ろには、一二歳ほどの幼い容姿のハイエルフ、アリスが静かに歩いてくる。白銀の髪が陽光に輝き、手にはライフルと呼ばれている遠くの敵を倒す為の武器と、ホルスターに収まったマグナムと呼ばれている近距離用の武器らしい――が無造作にぶら下がっている。
「リ、リリエルさん! アリスさん! お、おかえりなさい…!」
ミリアは慌てて立ち上がり、書類を床に落とした。
「あっ、ご、ごめんなさい…!」
「ほんと、ミリアってドジっ子だよね~。まぁ、そこが可愛いんだけど!」
リリエルがニヤリと笑い、カウンターに肘をつく。アリスは無言で隣に立ち、ミリアのドジに小さくため息をつく。
「で、報告ね。盗賊団『黒狼の牙』、リーダー含めて全滅。村は無事。終わり」
アリスが簡潔に言うと、ミリアは目を丸くした。
「えっ、ほ、本当に…? あの、二〇人以上の凶悪な盗賊団を…?」
「うん、アリスがバンバン撃って、私がサクサクっとね! 楽勝だったよ~」
リリエルが身振り手振りで言うと、ミリアは「す、すごい…」と呟き、書類にペンを走らせる。
「報酬、早く」
アリスが短く言うと、ミリアは慌てて金貨の袋を取り出した。
「は、はい! えっと、依頼報酬は金貨三〇〇枚で…あ、間違えた、三五〇枚…!」
「ミリア、落ち着いて数えなよ。ほら、ゆっくり」
リリエルが笑いながら言うと、ミリアは顔を赤らめて金貨を数え直す。
――ー
ギルドのカウンターで、アリスとリリエルは報酬の金貨を数えながら、今回の依頼を軽く振り返る。
「ねえ、アリス、あの盗賊のリーダー、めっちゃビビってたよね。私の液化からの奇襲、完璧だったでしょ?」
リリエルが得意げに言うと、アリスはライフルを肩に担いだまま、クールに答える。
「…まぁ、リリエルの擬態で混乱してたから、撃ちやすかっただけ」
二人の会話から、盗賊団「黒狼の牙」討伐の様子が垣間見える。
アリスの気配遮断スキルで、盗賊たちは彼女の存在に気づかず、ライフルとマグナムの正確無比な射撃で次々と倒された。リリエルは擬態で盗賊に紛れ、液化して隙間から忍び込み、背後から急襲。リーダーのガルドは、最後までアリスの姿を覚えていられなかった――彼女の記憶消失スキルにより、敵の記憶から彼女の存在は消え去るのだ。
「アリスさんの射撃、ほんと怖いくらい正確ですよね…私、村人さんに話聞いても、アリスさんのこと誰も覚えてなくて…」
ミリアが震えながら言うと、アリスは少しだけ目を伏せる。
「…便利だけど、ちょっと寂しいスキルだよね」
リリエルがアリスの肩をポンと叩く。
「でも、私には関係ないから! アリスは私の相棒だもん!」と笑う。
――ー
ーアリスsideー
報酬の金貨を数え終わり、ミリアが書類をまとめていると、ギルドの扉が開いた。
「失礼します。クローヴェルのギルドですね?」
現れたのは、青いマントをまとった三〇代の男。王都からの使者、ヴィンス・カルトレットだ。鋭い目と計算高い笑みが印象的で、背後には衛兵が二人控えている。
「私は王都騎士団の補佐官、ヴィンス。話したい冒険者がいる」
ヴィンスの声に、ギルド内の冒険者たちがざわつく。ミリアはさらにオドオドし、「え、えっと…ど、どなたを…?」と聞き返す。
「アリスとリリエル。暗殺と潜入の達人だと聞いている」
ヴィンスの視線が二人に止まる。リリエルはニヤリと笑い、肘でアリスを突く。
「ほら、アリス! 噂が王都まで! 有名じゃん!」
「…面倒くさい」
アリスは眉をひそめ、そっぽを向く。
ヴィンスは一歩踏み出し、丁寧だがどこか威圧的な口調で続ける。
「単刀直入に言う。君たちに、勇者パーティの支援を依頼したい」
「勇者!?」
リリエルが目を輝かせる一方、アリスは露骨に嫌そうな顔をする。
「嫌だ。目立つ仕事はごめん」
ヴィンスは微笑みを崩さず、話を続ける。
「安心してほしい。君たちの仕事は表の記録に残らない。あくまで『裏方』だ。勇者カイル、魔法戦士マレク、ヒーラーのエリエが魔王を倒す名誉は彼らだけでいい。君たちには、影で支えてほしい」
「裏方って…具体的には?」
リリエルが身を乗り出す。アリスは無言でヴィンスを睨む。
「魔王の手下を排除し、勇者たちの道を切り開く。情報収集や罠の解除も。君たちの暗殺と潜入のスキルは最適だ」
(魔王軍……確か50年くらい前に戦争やってお互いに無視できないほどの人やモノの損失を出して、なし崩し的に休戦して今はたまに小競り合いする程度で睨み合いが続いてた筈、こいつ何をかんがえてる?)
ヴィンスの言葉に、ギルドが静まり返る。アリスは興味なさげな態度のまま思考を巡らせる。
「ふーん、面白そう! で、報酬は?」
リリエルがニヤニヤしながら聞くと、ヴィンスは羊皮紙を取り出し、数字を指さす。
「金貨五〇〇〇枚。成功報酬だ」
「ご、五〇〇〇!?」
ミリアが叫び、書類を落とす。リリエルは目を輝かせ、カウンターをバン! と叩く。
「アリス! 五〇〇〇枚! 豪華な家買えるよ!」
「…いらない」
アリスは即答し、踵を返して出口に向かう。
――ー
「ちょっと、アリス! 待ってよ!」
リリエルが慌てて追いかけ、ギルドの外でアリスの腕を掴む。
「なに、五〇〇〇枚だよ!? こんなチャンス滅多にないって!」
「怪しすぎるし危険すぎる。下手したら魔王側と全面戦争になるよ!」
「でも、ヴィンスさん言ってたじゃん。表には出ないって! 私たちの名前も活躍もぜーんぶ秘密! アリスのスキル、めっちゃ活きるよ!それに最悪の場合、サクッと魔王を暗殺しちゃえば良いもん。」
リリエルの明るい声に、アリスは少し表情を緩める。
「…それでも、面倒くさい」
「うー、頑固! でもさ、五〇〇〇枚あったら美味しいもの食べ放題! 新しい装備も買えるし、冒険がもっと楽しくなるよ!」
アリスはリリエルを見つめ、小さくため息をつく。
「……リリエルがそう言うなら、仕方ない」
「やった! アリス、大好き!」
リリエルが抱きつくと、アリスは「重い」と呟きながら、口元に小さな笑みを浮かべる。
ギルドに戻ると、ヴィンスが待っていた。
「決まったようだな。詳細はこれに」
彼は羊皮紙の束を手渡す。勇者パーティの構成や魔王の手下の情報が記されている。
「一つだけ、約束して」
アリスが静かに言う。
「私たちの名前は絶対に表に出さない。約束破ったら…」
彼女はマグナムを軽く持ち上げ、ヴィンスを睨む。
「もちろんだ。君たちの存在は完全に秘匿する」
ヴィンスは微笑み、握手を求める。リリエルが勢いよく手を握る一方、アリスは無視して羊皮紙を手に取る。
「ミリア、準備して。出発は明日」
アリスの言葉に、ミリアは「は、はい!」と慌てて頷く。
――ー
その夜、宿で休息を取る二人。リリエルはベッドに寝転がり、金貨五〇〇〇枚の夢を語る。
「アリス、豪邸買ったら庭にプール作ろうよ! 私が液化して泳ぐの!」
「……リリエルはプールいらないだろ」
アリスはライフルを磨きながら、クスクスと笑う。
だが、心には一抹の不安がよぎる。勇者パーティの支援――それは、ただの裏方仕事ではないかもしれない。魔王の影は、想像以上に深い。
「リリエル。もし、危なくなったら…」
「ん? なに?」
「…いや、なんでもない」
アリスは言葉を飲み込み、リリエルに背を向ける。白銀の髪が、月光に静かに揺れる。
翌朝、二人はクローヴェルを後にする。ミリアが見送る中、リリエルは手を振って叫ぶ。
「ミリア、帰ったら美味しいものご馳走するからね~!」
「え、えっと…気をつけてくださいね…!」
ミリアの小さな声が、風に消える。
アリスとリリエルは、勇者パーティの待つ戦場へ向かう。新たな依頼、新たな冒険。そして、二人だけの絆が、どんな試練にも立ち向かう力となる――。
――ー




