シルヴィアの死
魔王城の玉座の間は、黒曜石の壁に囲まれ、血のように赤いカーテンが揺れる。瘴気が渦巻き、燭台の炎が不気味に瞬く。俺――魔王ゼファードは、玉座に座し、この世界を瘴気で覆う覇者だ。だが、今、俺の胸は怒りと、名状しがたい恐怖に震えている。
跪くゴブリンの斥候が、震える声で報告する。
「魔王様…! 魔女シルヴィア様が…瘴気の谷を逃れ、クロスロードの街道で…何者かに殺されました…!」
「何だと?」
俺の声が玉座の間を震わせ、ゴブリンが額を床に擦り付ける。シルヴィア、俺の狡猾な僕。魔獣を操り、瘴気で敵を絡めとる魔女。彼女が、勇者に騙され、命乞いで生き延びたはずだった。なのに、何者かに…?
「詳細を話せ。シルヴィアはどうやって死んだ?」
ゴブリンが震えながら続ける。
「そ、それが…街道の森で、両肩と両膝を鉄の球のようなもので砕かれ、爆発で…体が粉々に…! 痕跡は…血と瘴気だけで…!」
「鉄の球? 爆発?」
俺は目を細める。勇者パーティ――金髪の剣士カイル、赤髪の魔法使いマレク、小さなヒーラーエリエ――彼らにそんな武器はない。ガルヴァンの水晶、シルヴィアの魔獣の心臓を破壊した「影」。気配のない暗殺者、爆発の仕掛け人。シルヴィアの報告では、銀髪の女と黒髪の女。だが、彼女たちの正体は誰も知らない。
「……その『何者か』の痕跡は?」
ゴブリンが首を振る。
「な、何も…! シルヴィア様の記憶も読み取れず……消えたようで……! ただ、血と……燃えた肉の匂いだけ……!」
俺は手を振る。
「無能め。消えろ」
ゴブリンが這うように逃げ出す。俺は玉座に座り直し、考える。シルヴィアの死は、ガルヴァンに続く二つ目の敗北だ。勇者パーティは脅威だが、その背後の「影」――そいつらが真の恐怖だ。気配を消し、記憶を奪い、爆発で全てを灰にする。まるで、死神の使い。
――ー
玉座の間の扉が軋み、開く。残った幹部――リザードマン族の将軍ザルゴスと、闇騎士ダルゴスが入ってくる。ザルゴスの鱗が月光に光り、ダルゴスの黒い甲冑が瘴気を纏う。
ザルゴスが太い声で吠える。
「魔王様! シルヴィアの死、許せません! 私の軍勢で、勇者を叩き潰します!」
ダルゴスが低く唸る。
「ガルヴァン様、シルヴィア様の仇…私が討ちます。勇者と影、共に斬り捨てる!」
俺は手を上げ、静寂を強いる。
「黙れ。シルヴィアは勇者に勝てず、影に喰われた。ガルヴァンも同じだ。お前たちの力では、影を捕らえられん」
ザルゴスが歯を食いしばり、ダルゴスが剣の柄を握る。俺は続ける。
「影は気配を消し、記憶を奪う。シルヴィアの死体に痕跡はない。奴らは人間ではない。幽霊か、悪魔か…」
玉座の間の瘴気が揺れる。燭台の炎が一瞬縮み、壁に歪んだ影が映る。俺の背筋に冷たいものが走る。まるで、影が今、この部屋に潜んでいるかのようだ。
「魔王様…どうすれば…?」
ザルゴスの声が震える。ダルゴスが剣を抜き、部屋を見回す。
「影め…! ここにいるなら、姿を見せろ!」
俺は笑う。だが、心の奥で恐怖が蠢く。影は見えない。奴らがここにいても、俺には分からない。
――ー
俺は玉座から立ち、黒水晶を撫でる。魔王城の心臓、瘴気の源。全ての魔力を生み出し、俺の力を増幅する。これが壊れれば、俺の軍は終わる。ガルヴァンの水晶、シルヴィアの心臓――影はそれらを破壊した。次は黒水晶を狙うだろう。
「ザルゴス、ダルゴス。勇者パーティが魔王城に来る。奴らは黒水晶を狙う。迎撃の準備をしろ」
ザルゴスが鱗を鳴らす。
「私の魔獣軍団で、勇者を谷で潰します!」
ダルゴスが剣を握る。
「私の騎士団で、勇者の首を魔王様に捧げる!」
俺は首を振る。
「愚か者め。勇者は陽動だ。真の脅威は影だ。気配のない狙撃手、爆発の仕掛け人。奴らが水晶に近づく前に、勇者を足止めしろ。劣勢なら、奴らを水晶から遠ざけ、俺の玉座へ誘導する」
ダルゴスが目を細める。
「魔王様自ら戦う…?」
「影は俺の手で潰す。黒水晶を守り、勇者と影をまとめて葬る」
玉座の間の瘴気が濃くなる。黒水晶が赤く脈動し、魔王城が唸る。俺は命令を下す。
「ザルゴス、魔獣軍団を谷に配置。勇者を疲弊させ、影を誘い出せ。ダルゴス、騎士団を城の回廊に展開。水晶への道を封鎖しろ。奴らが近づけば、俺の瘴気で捕らえる」
ザルゴスが吼える。
「了解! 勇者を血の海に沈める!」
ダルゴスが跪く。
「魔王様の命、必ず果たす!」
――ー
俺は水晶越しに、魔王城の準備を監視する。谷にはザルゴスの魔獣軍団――バジリスク、ケルベロス、毒蜘蛛アラクネが蠢く。回廊にはダルゴスの幻影の騎士団が待機。城の奥、玉座の間には俺の瘴気が渦巻く。黒水晶は、俺の力を最大限に引き出す。
だが、心の奥で恐怖が囁く。影は見えない。シルヴィアの死体に痕跡はなかった。気配を消し、記憶を奪う。俺の瘴気でも、奴らを捕らえられる保証はない。
「ふん…影め。俺の玉座に来るなら、覚悟しろ」
俺は黒水晶を握る。瘴気が吠え、城が震える。だが、燭台の炎が揺れ、壁に奇妙な影が映る。まるで、銀髪と黒髪の女が笑っているかのようだ。
――ー
玉座の間は静まり返る。ザルゴスとダルゴスが去り、俺は一人、闇に座す。シルヴィアの死は、俺の軍の弱さを露呈した。勇者は脅威だが、影はそれ以上の恐怖だ。気配のない狙撃、爆発の破壊力、記憶を奪う力。奴らは人間ではない。
俺は黒水晶を見つめる。
「影…お前たちが何者でも、俺の瘴気で潰してやる。勇者も、影も、俺の玉座で死ね」
瘴気が渦巻き、魔王城が唸る。だが、背後の闇が揺れる。燭台の炎が一瞬消え、冷たい風が首筋を撫でる。
「…誰だ?」
俺は振り返る。誰もいない。なのに、気配がない。まるで、影が今、この玉座に潜んでいる。俺の心臓が跳ねる。恐怖が、瘴気よりも濃く、俺を包む。
それは俺の行く末を予言するかのような気味の悪さを持っていた。
――ー