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約束の山  作者: 村野夜市
4/22

都は蛍の来たのとはまったく逆のほうに山を抜けたところにあった。

そこは周囲を六つの山に取り囲まれていて、その間にぽっかりと開けた豊かな土地だった。


「これが、伝説の都…」


蛍の小さなつぶやきを淡海の耳は捉えていて、悲しそうに困ったように小さくうなずいた。

けれど瑞穂のほうは、まったくそんな様子にも気づかず、さっきから蛍に都のいろいろについて、滔々と語り続けていた。


淡海は山と都との境のぎりぎりのところまで一緒に来て、そうしていつまでもいつまでも名残惜しげに手を振って見送っていた。


「お寂しいのでしょうか、水守姫。」


瑞穂は淡海に大きく手を振ってから蛍のほうをむいてしんみりといった。

蛍は肯定とも否定ともつかないうなずきを返した。


「さて、それではまいりましょうか。」


とことん切り替えの早いらしい瑞穂は、すぐにけろりとして歩きだした。


都は豊かに栄えていて、どちらをむいてもにぎやかに人が大勢いた。

ちょうど夕刻の買い物の時間で、市場は人でごった返し、真冬とは思えない熱気に満ちていた。蛍はこれだけ大勢の人間を一度に見たのは生まれて初めてだった。


蛍は都に入るところで別れるつもりだったが、それをしっかり見抜いているのか、瑞穂はしっかりと腕を蛍に組んでいて離さない。

蛍があたりを気にしてきょろきょろすると、叱りつけるように言った。


「堂々となさいまし、蛍さま。

 あなたは何も悪いことなどしていらっしゃらないのですから。」


何とかきょろきょろはやめたものの、それでも居心地が悪くてうつむいて歩くと、今度は背中をどんとたたかれた。


「胸をはりなさい。

 シキは誇り高き民でしょう。」


蛍が素直に背中を伸ばすと、瑞穂は満足そうに笑った。


「そうそう。そんなふうに堂々としていらっしゃい。」


「シキと一緒に歩くと、白い目で見られるのじゃないか?」


蛍が心配するように言うと、瑞穂は目を丸くしていいえ、と叫んだ。


「あなたはわたくしの命の恩人ですもの。

 命の恩人と一緒に歩くことを白い目で見るというのならば、そんな者には見せておけばいいのです!

 わたくしはいっこうにかまいませんわ!」


 瑞穂の勢いに蛍はすっかり気を呑まれてしまっている。

 そこへ笑いを含んだような声がいきなり上から降ってきた。


「ほう、命の恩人とは、また穏やかならないことだ。

 それにしても、お前のその姿はひどいな。

 今日はいったい何をしでかしてきたのだ?瑞穂姫。」


瑞穂はぎょっとして目をあげた。

蛍もつられてそちらを見る。

まるで絵に描いたような偉丈夫が、白馬に乗って白い歯を見せて笑いながら、二人を見下ろしていた。


「で、殿下!」


瑞穂はあわてて姿勢を正してうずくまった。

ぼんやりとつっ立っていた蛍も、瑞穂に着物のすそをぐいと引かれて、強引にそこに跪かせられた。


「瑞穂姫付の女官たちが、姫の姿が見えないと大騒ぎをしていたぞ。

 もちろん、姫の御身も心配だろうが、それ以上に姫を逃がしたとなっては、彼女たちの命に係わる大問題だからな。」


王子の口調は穏やかだが、瑞穂を見下ろす目は笑っていない。

その瞳に見据えられて、瑞穂は身を硬くしてただ黙ったままうつむいている。

蛍はちらりと横目で瑞穂を見遣ると、その目をまっすぐに王子のほうへとむけた。


「ほう?」


蛍の目を受けた王子の瞳が、面白いものを見つけたように輝いた。


「お前、いい面構えをしているじゃないか。

 ちょっとこっちへ来い。」


蛍はけれどついと目をそらせると、そのまま王子の言葉など無視するように、一歩も動こうとはしなかった。


すると王子は自ら馬を下りると、蛍の前まで歩み寄ってきて、あごに手をかけてぐいと上をむかせた。


「ほう。ほう!」


蛍の瞳を覗きこんで、王子は感嘆の声をもらすと、満足そうに笑い出した。


「お前、俺の妃になれ。」


「断る。」


間髪いれずに返された答えに、王子は怒りもせずに声を立てて笑った。


「まあ、そう答えはあせらず、もう少し考えておけ。」


蛍は無表情な目のままで小さく首を振ったが、王子はにやりと笑って瑞穂のほうへ目を移した。


「おい、瑞穂。

 お前、今日は一日、俺と遠駆けに出ていたことになっている。

 とりあえずはそういうことにしておけ。」


「え、あの、殿下?」


驚いて問い返そうとする瑞穂に話をさせないで、王子は続けて言った。


「それからその命の恩人は、何があっても王宮にお連れしろ。

 俺からも礼をさせてもらわなければならんからな。

 分かったな。」


「は、はい。」


瑞穂がうなずくのを満足そうに見ると、王子はさっと馬に飛び乗って走り去ってしまった。


蛍は無表情のままでやりとりをただ見ていたが、王子が去るとそそくさと立ち上がって、膝についた砂を払った。


「それでは。ここで。」


あっさりと去ろうとした腕は、けれど、いつのまにかしっかりと瑞穂にからみつかれていた。


「そうはまいりませんわ。傷の手当てをなさらないと。

 それにもうすぐ夕刻ですから、都の城門も閉まってしまいますわ。

 どうぞ今宵は、わたくしのところでお休みください。」


眉をひそめる蛍に、瑞穂はにっこりと微笑んで見せた。


「それに殿下はあなたがお気に召したご様子ですから、このまま逃がしてしまってはわたくしが責められますわ。」


蛍があからさまに渋い顔をすると瑞穂はころころと笑った。


「まあ、まあ、そう無碍になさらずとも。

 あの方は都中の娘の憧れの的なのですわよ?

 都の貴族たちは競ってあの方のもとへ姫を妃にと差し出しておりますけれど、あの方から望まれた姫はまだ一人もいらっしゃらないのですわ。

 かくいうわたくしも、まあ、その中の一人なのですけれど。

 そんな方に望まれるなんて、とても光栄なことなにですから。」


「…関係ない。」


蛍はつまらなさそうにつぶやくと、困ったようにしっかり捕まえられた瑞穂の腕を見た。


「離してもらえないかな。」


「いいえいいえ、そうはいきません。

 たとえ都一の美丈夫を袖になさろうとも、このわたくしを振り払うことなど許しませんわ。

 蛍さま。さあ、まいりましょう。」


蛍は半分強引に引きずられるようにして瑞穂に連れて行かれた。


瑞穂が蛍を連れて行ったのは都の中心部にあるきらびやかな王城だった。

流石に栄えた都の城だけのことはある。

そこは贅の限りをつくし、この上なく美しく豪華な場所だった。


そんな城の奥まった一角、そのまたはずれに瑞穂の居室はあった。

瑞穂の部屋のしつらえは、城全体の雰囲気からすれば質素なほうだったけれど、それでも蛍にすれば見たこともないような御殿だった。


居室に戻った瑞穂は、御殿医を呼び寄せて蛍の傷を見せた。

都で一番の医師らしい老人は、蛍の傷を何度もためつすがめつ眺めた後で、うーむとうなったきり首を振った。


「先生、いかがですの?」


心配そうに瑞穂が横から伺うと、医師はうーむ、ともうひとつうなった。


「失礼ですが姫、この方はシキの民ですな?」


「ええ、そうですわ。」


瑞穂がそう答えると、医師はあっさり蛍の手を離して、わざと蛍のほうを見ないようにして言った。


「シキの方の傷は常人のものとは異なります。

 わたくしには診療いたしかねまする。」


「まあ、なんてことをおっしゃるの!」


くってかかろうとする瑞穂を蛍はそっと手で引きとめた。


「先生の言うことは間違ってない。」


「そうでありましょう。

 このような傷を治せというのは常人には不可能な技。

 まあ、その方ご自身の方法に任せるしかありませんな。」


老医師は早口でそれだけ言うと、そそくさと荷物をまとめて立ち去った。


瑞穂は医師を見送ろうともせずぷんぷん怒っていたが、蛍は知らん顔をしてまたあのぼろ布を巻きつけてしまった。


「まあ、蛍さま、またそんな汚い布をお巻きになって!」


目を三角にして怒る瑞穂に、蛍は苦笑をむけた。


「この布にはシキの術がかけてある。

 先生も言ったとおり、この傷にはシキの術が一番いい。」


「でも、そんなひどい傷にお薬もつけないで…」


「つける薬はない。」


「高価なお薬なんですの?珍しいお薬なんですか?

 どちらにせよ、殿下にお願いすれば、必ず手に入れてくださいますわ。」


勢いこんで手をとる瑞穂に、蛍は小さく微笑んで首を振った。


「いや、薬そのものがない。…この傷を癒せるのは薬じゃないから。」


「では、何があれば癒せるんですの?」


「…分からない…。ただ、こうしていると痛みは感じない。

 それに、今日はなんだかいつもより調子もいいみたいだ。」


きっちりと布を巻いた両腕を蛍は瑞穂の前に差し出して、ぶんぶん振った。

ほら大丈夫、というように笑ってみせる。

怪訝な顔でそれを見ている瑞穂に蛍は小さく苦笑して、それからおもむろに頭を下げた。


「それよりも、ごめんなさい。

 多分、お医師はああ言うだろうと思っていた。」


「あの先生、都一番の腕前と言われていて、少し思い上がっていらっしゃるのかもしれませんわ。 

 シキの民は診療できない、なんて!」


瑞穂の怒りに蛍は静かに首を振った。


「先生はそんなことは言ってない。

 シキの傷は治せないというのは本当のこと。」


「怪につけられたものだから、ですか?」


「…それだけじゃ、ないからね。」


蛍は寂しそうに笑って目をそらせた。


「どうして蛍さま、あの先生の味方をなさるの?!

 あの先生、蛍さまの傷に手を触れることすらなさらないで、ただ離れて眺めてらしただけで、あんなことを…!」


そこまで言ったところで、思わず怒りの涙に声をつまらせた瑞穂を、今度は蛍のほうから手を伸ばしてそっとその手をとった。


「そんな言葉を口に出すのはいいことじゃない。

 先生は間違っていない。この傷には手を触れないほうがいい。」


なだめるように瑞穂の手をさすりながら蛍は静かに微笑んだ。


「有難う、瑞穂姫。

 分かっていたけれど、それでもあなたに心配してもらえるのが嬉しくて、ついてきてしまった。 

 あなたの親切には感謝している。」


「蛍さま?」


涙目の瑞穂に蛍はもう一度微笑みかける。


「迷惑をかけてしまって申し訳ない。

 けれど…、これ以上厄介事を引き込まないうちに、ここを失礼させてほしい。」


「いいえ。そうはいきませんわ。

 ならばせめて明日の朝までは休んでいただきます。

 ねえ、蛍さま、そういえばおなかがおすきではありませんか?

 もう夕食には遅いくらいの時間ですわ。」


蛍は少し困ったような、けれど内心嬉しいような複雑な笑みを浮かべてうなずいた。

それを見た瑞穂の瞳はまた明るく輝いた。


「そうと決まればお食事ですわ。

 食堂ではあなたも落ち着かれませんでしょうから、ここに運ばせましょう。

 少しお待ちになってくださいまし。」


「それには及ばないな。」


いつの間に入ってきたのか、突然音もなく王子は現れて、話に割り込んだ。


「そんな間抜けな顔で俺を見るな、瑞穂。

 さあて、わがうるわしの姫君。

 今宵はあなたに出会えたことを祝するために、ささやかな宴を開こうと思う。

 あなたに一目で恋に落ちたこのわたくしめを哀れに思し召しなら、どうかこの手を取ってくれ。」


蛍はあからさまにいやそうな顔をしたが、王子はいっこうにかまわないふうで、にこやかに自分から蛍の手をとった。


「!」


あわてて蛍は手を取り返そうとしたが、王子の力は意外に強くて、力任せにひっぱっても手を引き抜くことはできなかった。


「離せ。」


短く言ってにらみつける蛍を、王子はにこにこと見ている。


「たとえ都一番のおてんば姫を袖になさろうとも、このわたくしめを振り払うことなど不可能ですよ。」


どこかで聞いたようなせりふを言って瑞穂を見るとにやりと笑った。


「まあ、聞いていらしたんですの?」


瑞穂が目を丸くすると、王子ははははと声を立てて笑った。


「ちゃんとこの姫を城に連れてきてくれるかどうか見届けたかったからな。

 あのまま逃がしてしまうんじゃないかと心配でね。」


「このわたくしが逃がしてしまうわけがございませんわ。」


瑞穂はわざと怒ったふりをしてふいと横をむく。

それに王子は余裕の笑みを返す。


「お前はそうするだろうとは思ったが、こちらの姫の行動は予測がつかないからな。」


蛍は瑞穂と王子の会話を黙って聞いていたが、王子を見る目はみるみる険しくなっていった。

とうとうたまりかねたように蛍は口を開いた。


「あなたはいくらなんでもあんまりなのじゃないか。

 妃である瑞穂姫にむかって、よくもまあそんなことを言えるものだ!」


蛍の怒りに王子は思わずきょとんとなったが、次の瞬間、突然がっはっはと笑いだした。


「いやすまん、笑うつもりはないんだが、あまりにも面白いことを言ってくれるもんだから。

 いや、すまんすまん、気を悪くしないでくれ。」


王子は笑いながら蛍の背中をばんばんと遠慮なくたたいた。

蛍は憮然としている。

それを瑞穂は申し訳なさそうな笑みを浮かべて見ていた。


「確かに瑞穂は俺の妃だが、俺の妻じゃない。

 ほかの妃たちにしても同じだな。」


言葉の意味が分からずにいぶかしげな目をむける蛍に、王子はおおらかに笑ってみせた。


「俺はこれでも理想は高いほうなんだ。

 生涯の伴侶は自分の目で見極めて決める。

 おしつけられた姫君方で間に合わせようとは思わないね。」


「お前、よくもそんな傲慢な。」

 

眉をひそめる蛍を王子は面白そうに見ている。


「傲慢?俺がか?

 はははは、まあそれはそうかな。

 しかし、れっきとした一国の王子が傲慢で何が悪い。」

 

開き直ったような王子の台詞に、思わず蛍は二の句を失って、ただにらみつけた。

王子はその蛍の反応にまたげらげら笑って、おいおい、怖い顔をするなよ、と言った。


「おあいこじゃないか。

 あいつらだって王子妃ということで箔をつけて適当な貴族の相手を見つけて降嫁しようってのがほとんどなんだから。」


「そうなのか?」


信じられないという顔をする蛍に王子はまた楽しそうに笑う。


「殿下、あまり蛍さまをおからかいになってはいけません。」

 

見かねた瑞穂が怖い顔をしてみせると、はいはい、と王子は肩をすくめて見せた。


「まあ、お前みたいなシキに、王宮の謀のような面倒くさいことは無縁だろうさ。」

 

王子は腕を伸ばしていきなり蛍を腕の中に引き寄せた。


「しかい、可愛いやつだなあ、お前。」

 

いたずらっぽく輝く瞳に覗き込まれて、蛍はぷいと目をそらせた。


「冷たいなあ。

 それともお前、もう心に決めたやつでもいるのか?」

 

戯れに言った王子の言葉にはっとしたように蛍は宙を見た。

それに目を留めて、王子はおいおい、図星かよ、とうなった。


「どこのどいつだ、その幸せなやつは。」


「…別に。」


 けれど王子の問いに蛍は無表情な目を返しただけだった。

ちっと舌打ちをすると王子はいきなり蛍の頭を小脇かかえてぐりぐりとげんこつで小突いた。


「まあ、いいさ。

 お前の心にどんな男がいたにしても、そんなやつこの俺がすぐに追い出してやる。

 まあ、見てな。」

 

何も言わない蛍を、王子はもう一度ぐいと胸に引き寄せてから自由にした。

すぐさま王子の手の届かない辺りまでとび退る蛍を、王子は苦笑いして見ていた。

 

ところが、蛍の逃げた先には瑞穂が両手を広げて待っていた。


「さあ、それではそろそろお支度をなさいませんと。

 殿下、ここからは男子禁制ですわ。

 さあさあ、早くお出になってくださいまし。」

 

わざと手で追い払うようなしぐさをしてみせる瑞穂に、王子は苦笑いをした。


「確かにお前たちは気が合うだろうよ。

 二人揃って俺のことを王子だなどと思ってはいないのだろう。」


「滅相もありませんわ。

 けれどそれとこれとは話が別です。

 姫君方のお支度を覗くなど、一国の王にも許されない暴挙ですわ。」


「暴挙ときたか。」

 

王子はけらけら笑って素直に席を立った。


「それではわたくしめはおとなしく退散するとしましょうか。

 とびきり美しく着飾ってこい。楽しみにしているからな。」

 

片目をつぶってみせる王子に蛍はうへえと思い切り嫌そうな顔をした。

それに王子はまたげらげらとひとしきり笑ってから、部屋を出ていった。


「さて、では蛍さま、主命ですからね、せいぜい美しくさせていただきますわ。」

 

蛍が恐る恐る振りむくと、瑞穂はわくわくとてぐすねを引いて待っていた。













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