22
居室で一人、蛍は旅の支度をしていた。
とはいえ、荷物などはほとんど何もないに等しい。
一番の大荷物だった剣も、もはや千秋に渡してしまった。
さて、これからどこに行こう。
蛍はしばらく目を上げてじっと考えた。
とりあえず、これまでは何か旅の目的があった。
祖母から言い付かった先祖伝来の剣を伝えられる人物を探すこと。
それから、夢に現れた千秋に頼まれたこと。
そのふたつがいっぺんに片付いてしまって、今となっては、旅にあてはない。
山道を急いでいたときが少し懐かしかった。
あのころは、何かに追い立てられるように、ひたすら前へ前へと進み続けた。
しかし、今度はもう少しゆっくりと旅をしてもいいかなと思う。
ふいに扉が開いて、淡海が転がるように入ってきた。
どうもこのところ淡海は必要以上に騒がしいと思う。
まあ、それもこれまでの寂しかった生活の裏返しなのかもしれない。
「ほ、ほ、蛍さん、ま、まさか、わたしをおいていくおつもりではないでしょうね?」
淡海は息も整わないうちに蛍の腕にすがりついて咳き込むようにそう言った。
蛍はまあまあと淡海の背中をさするようにした。
「あんたはシキの里に帰らないといけないじゃないか。
あれほどに待っていてくれた人たちだもの。」
「里のみなさんにはちゃんとご挨拶してきました。
みなさん、わたしの好きにしていいと言ってくださいました。」
「そりゃ、そう言うだろうけど。
あんたにとってはあそこは故郷じゃないか。」
「シキの故郷はこの世界すべてです。
空のすべてが屋根で、大地のすべてが家です。」
「いや、そうは言うけどね?
それでも、仲間のいる場所は特別だろうに。」
「それならわたしの故郷は蛍さんのいるところです。
そして、わたしのこれから行くところは蛍さんの行くところです。」
蛍は困ったような目をむけた。
一族の死に絶えた自分と一緒にいても、結局、淡海はまた寂しい生活の中に戻ることになる。
シキの里の民の明るさとその人々の中にすっかり溶け込んでいる淡海を見ていると、あの中にこそ淡海を返すのが一番いいのだと思う。
「千秋も瑞穂もいるじゃないか。
王子だっている。
何もわたしにくっついてこなくても。」
蛍がそう言うと淡海はいやいやをするように首をふった。
「いやです。いやです。
蛍さんがいいんです。
もう離れないと言ったじゃないですか?」
「大丈夫。わたしはいつもあなたのここにいる。」
蛍は淡海の胸を指差した。
そこには蛍の守り珠が埋め込まれていた。
淡海は胸を抱きしめるように両手を交差させて静かに目を閉じた。
「ええ、そうです。
ここにはあなたが生まれたときからずっと一緒だった守り珠があります。
この珠の力でわたしは生きている。
だからこそ、わたしは自らこの珠となってあなたを守らないといけません。」
「本気でそうお思いなのですね?」
突然響いた声に、蛍と淡海がぎょっとした目をむけると、戸口のところに千秋が立っていた。
「あなたが本気でそのお覚悟ならば、僕はこれをあなたにお渡ししないといけないと思って。」
千秋は蛍の剣を持っていた。
「あのときは殿下がかなり強引なことをなさいましたからね。
でも具合の悪いところはちゃんと直して刃も研いでおきました。」
千秋は仕上がりを見せるように剣を抜いてみせた。
見事な刀身が、鈍い光を放っていた。
「剣の声はあなたにしか聞こえなかったのだから。」
千秋は寂しそうにそう言うと、淡海に剣を手渡した。
淡海は神妙な顔をして剣を受け取った…受け取ろうとした…が、思わず、剣の重さによろけて、しりもちをついてしまった。
「はい?」
千秋はいつもの落ち着きも忘れて、あんぐりと口を開いた。
淡海は、あはは、ときまり悪そうな笑いを浮かべた。
「なんということです?
ただ手に持っただけで、そんなによろけるとは!」
「いえ、その、あの、蛍さまに、竜の力を封印されてしまいましたから…」
言い訳をするように言う淡海から、千秋はいきなり剣を取り上げた。
「そんなあなたにこれをお預けするわけにはいきません。
ええ、ええ、蛍さまからこの剣を託された僕としては、そんなあなたにこんな大切なものを預けられますか!」
「ご、ごめんなさい。」
千秋の剣幕に淡海は思わず首をすくめて謝っていた。
蛍がこっそり苦笑する。
「あらあら、にぎやかなことですわねえ。」
そこにひょいと瑞穂の顔がのぞいた。
「蛍さま、新しいお衣装ができましてよ。
今度は旅の過酷な環境にも耐えうるように、丈夫かつ保温効果のある路線を狙いましたわ。
まあ、着てみてくださいまし。」
瑞穂はにこにこと新しい着物を出した。
蛍がきょとんとする。
「あ、あの、瑞穂、あの…」
「ああ、今回もちゃーんとわたくしとおそろいですわ。」
瑞穂はもう一着取り出して見せた。
「ちょっと待って、瑞穂、瑞穂もまさか、旅に…?」
「わたくし、月澄様をお探ししに参りたいのですの。」
瑞穂は肌身離さずつけている守り石を取り出して蛍に見せた。
「シキの里の方が月澄様は生きていらっしゃるはずだとおっしゃるのですわ。
この石にはまだ持ち主の意思の波動を感じると。」
「月澄様はおそらく無事に封印を抜けていらっしゃいます。
水月様、というのは月澄様のお祖父様に当たる方ですけれど、その方が都の貴族の姫の元にいらっしゃるとき、当時の里長はもう二度と里には帰れないと言いつつも、それでも一度だけなら無事に封印をくぐることのできる鍵をお渡しになったんです。
おそらくはそれをお使いになったのではないかと。」
千秋が説明を付け加えた。
まあ、それはそれは、と淡海が感嘆の声をあげる。
「もしも月澄様が生きていらっしゃるのなら、わたくしこの世界のすべてをまわってもきっと見つけ出してみせます。」
瑞穂は拳を握って宣言した。
淡海はほうと感嘆の声をあげてから、ぱちぱちと拍手をした。
「なんと素晴らしいお心です。
蛍さん、わたしたちも、是非お手伝いしましょう。
そういたしましょう。」
淡海は蛍の手を握って訴えるように言った。
蛍は困ったような目を返した。
「その旅には俺もついて行く。
瑞穂を一人で行かせるとろくなことはないからな。」
残りの一人も戸口から顔をだした。
「だから蛍、お前もついてこい。
いいな。俺はお前と旅をするのが夢だったんだ。
そのくらいは叶えてくれてもいいだろう?」
王子の台詞に蛍は仕方ないなという笑みを浮かべた。
千秋も乗り遅れまいというように急いで手を上げた。
「もちろん、僕もご一緒させていただきますとも。
蛍さまの剣を預かる身の上としては、なんとしてもちゃんとした方に剣を継いでいただかないことには。」
そんな千秋に瑞穂は驚いたように尋ねた。
「まあ、あなた、里長はどうなさるおつもり?」
「里は解散です。
水守姫も取り戻しましたしね。
みんなそれぞれの新しい風の中へと旅立つはずです。
そもそも、シキは旅に生きる民ですし。
というわけで僕はお役ごめんです。」
そう言った千秋は、ほんの少し寂しそうにも見えた。
王子はあえてそこには触れずに、淡海を見下ろして言った。
「なんだ、こいつ、そんなに非力なのか。
まあ、あまり力がありそうには見えないが。
見たままその通りというわけなんだな。
なになにこの俺が道中たっぷり鍛えてやろう。」
王子にがっしりと肩をつかまれて、淡海はますますからだを小さくした。
「はあ、お手を柔らかにお願いします。」
そこに瑞穂が口をはさんだ。
「まあ、今の風花の君には剣なんてとてもとても。
お箸より重いものは持てない殿方ですのよ。
どうしてあのときに剣をお使いになれたのか、今でもわたくし不思議ですわ。」
そこに細かいことのどうしても気になる千秋が余計な口を出す。
「箸より重い物を持てない、というのは、深窓の姫君を言うときに使う言葉でしょう?
殿方に対して使うのは、如何なものかと。」
「いいではありませんの。
風花さまは、長い間、姫君もやってらしたのですし。」
姉弟のややこしい会話に余計な口をはさんで、もっとややこしくする人物もいた。
「いや、箸より重い物、なんてことは、流石にありませんよ。
匙くらいは使えますし。」
腕組みをして首を傾げながら、王子も漏れなく参加する。
「箸も匙もそう重さは変わらんだろう?」
「匙のほうが軽いくらいではありませんか?」
「そうでしょうか?
わたしは匙のほうが重いと…」
「いいえ、お箸ですとも。
そもそもお箸のほうが使うのも難しいのですわ。」
「そうなのですか?
わたしはいつも匙だとこぼしてしまうんですけれど。」
「それはお前が不器用なだけだろう?」
箸だの匙だの言い合っていた人々のなかで、はっとしたように瑞穂が言った。
「いえ、だから、今はそんなお話しではないでしょう?
剣です、剣。」
「いきなり剣は荷が重いでしょう。」
「そうですよね。
ここはやはりもう少し身近なところから。」
「身近なところとおっしゃると、やはりお箸かしら。」
「いえ、それはできるのですから、次はしゃもじ辺りでしょうか。」
「まあ、おしゃもじ。」
「ならその次はしゃくしですね。」
「へらというのはどうだ?」
「一足飛びに包丁とか。」
「刃物は危険なのではありませんか?」
「なら、火打石は如何?あれを打つのも力が要りますわ。」
「あれは力ではありませんよ。
まさか火きり弓で火を熾すわけでもないでしょうに。」
「火きり弓。
いやあれは本当に大変なんだ。」
「知ってますよ。
里ではほとんどあれなんですから。」
「まあ、シキの民のくせに火くらい精霊からおもらいになったら。」
「あなただってそんなことおできにならないくせに。」
「へえ、シキというのはそんなこともできるものなんですか?」
「あら、風花の君、あなたならおできになるかもしれませんわ。
今度是非…」
「いえ、だから、何の話でしたっけ?」
「おしゃもじ。」
「火きり弓。」
「いえ、だから…」
「うるさーい!!!」
いきなり響いた声におしゃべりに夢中になっていた四人はぴたりと口をつぐんで目をきょろきょろさせた。
何事もなかったように蛍は黙々と荷物を詰め続けている。
「あ、あの、今のは、蛍さま?」
瑞穂がおそるおそるたずねると蛍はにっと笑った。
「一度、やってみたかったんだ。
あーすっきりした。」
千秋と淡海はあまりの驚きに声も出ないらしい。
そこに王子のがはは笑いが響いた。
「じゃ、行くか。」
ひょいと荷物を担いで蛍はすたすた歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってくださいましよ、わたくしたちまだ支度が!」
「蛍、それはないだろう?」
「ちょっと、蛍さま!」
転がるようにして仲間たちが追いかけてくる。
「楽しくなりそうですね。」
いつの間に用意していたのかしっかり自分の荷物を抱えた淡海はにっこりと微笑んだ。
読んでいただきまして、有難うございました。
あなたの道にもよい風が吹きますように。




