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忘れたき、忘れがたきの、片恋へ

作者: 石羽 宙

お久しぶりです。初めてお手紙を差し上げます。



私があなた宛にこのようにお手紙を書いていること、あなたにとってはとても驚くことでしょう。それとも、「一般的」から外れたことばかりやってきた私のことだから、予想外のこともやりかねないと納得するでしょうか。


名乗り忘れておりました、私、八幡と申します。


さすがにまだ覚えていてくれますよね?それは私の自惚ではないと本気で信じておりますよ(笑)さすがに冗談です。まだ卒業して離れてから1年経っていないのですから。それに卒業後も、偶然に偶然を重ねて何回か会っていますからね。



私がこの手紙を書こうと思ったのは、最近、明治大正昭和の文化やら文学やらにハマりまして、文通というものに憧れを抱いたからでございます。


この時代に文通などしてくれる人はそうおりません。というか、私の周りには一人もおりません。


ケータイでメッセージを送れば、遠く離れた相手にも(みんな地球という、光なら一瞬で駆け巡れるほどの小さな惑星にいるのですから)一瞬で届きますし、電話だってできますからね。織姫ベガと彦星アルタイルと違って。


……スベった気がしますが気のせいでしょう。



でも、私は手紙にしかない良さだってあると思うのですよ。SNSよりも一通一通、一文字一文字に重みがあるでしょう。


しかも、手紙のやり取りの方が、不便だからこそ、皮肉にも、デジタルよりも幸せを感じられると思うのです。



私は、幸せというのは、というよりそれ以外の全ての感情もそうだと思うのですが、感じ方として、「絶対量」よりも「変化量」の方が、影響があり大切なものだと思うのです。水風呂に入った後の湯船は熱すぎるように感じるのと似ています。


要するに、微分係数が大事ってことです。いつもいつもデジタルでポンポン会話をしていると、結局楽しさ、幸福は高止まりです。変化なし、微分して0。慣れてしまって、それが当たり前になってしまって、幸せを感じるのを妨げてしまいます。



その点手紙は!「今日は届くかなぁ」と、ポストを確認する日々の何気ない行動がワクワクしたものに変わりますし、全ての文字を大切に書いて、大切に受け取るでしょう?その分、心の動きは活発になって、自身に豊かな幸せを感じることができるに違いありません!


人は、制限された方が、自由をある程度束縛された方が、努力もできるし幸せも感じるのではないかとさえ思います。幸せは、幸せを、幸せでなくする、そんな風に思えてきました。理系の私にはこんな哲学っぽいことは難しいので、このあたりでやめることにしますね。



前置きが長くなりました。いよいよ本題に入らせていただきます。


私がこの手紙を書いた動機は上に書いたことだけではございません。それこそ、あなた宛でなければならない理由があったのです。


私は、自分の気持ちを整理して、吐き出して、伝えた気になって、前に進みたいのであります。


グダグダ書かずに早く結論を述べればいいのに。そう思いました?私もそう思います。


ですが私は変なプライドばかり高くて勇気の持てない臆病者ですから、なかなかそれができぬのです。それでも、決意しました。ここに記します。今度こそ、本題に入ります。




結論から申し上げます。


Saya cinta Anda.




本当に私は臆病者です。また書けなかった。


いや、書きはしたのですが、やはり伝えるのが怖くて、伝わるのかわからない書き方をしてしまいました。ここで英語はおろかドイツ語やラテン語すら使えないほど、私は臆病なのです。


そろそろあなたも呆れてきた頃ではないですか?それとも、インドネシア語があなたには分かりますか?そして、困惑していますか?


そろそろ意を固めます。何回そう書くんだと思われるかもしれませんが、今度こそ、本当に、お伝えします。気持ち悪いと思ったら、それでいいです。私も、自分で自分をさすがにヤバいと思っています。さて、今度こそ。




私は、あなたのことをお慕い申し上げておりました。

私は、あなたのことがずっと好きだったのです。

そしてきっと、今でも好きなのです。いまだに恋焦がれております。遠い地で。




困惑しているでしょう。あなたは優しいから、気持ち悪いとか内心思っていても、態度には出さずに接しようとしてくれる。そんな未来が浮かびます。


それすら私の都合の良い妄想かもしれません。記憶の中のあなたに恋する私の、勝手な想像。



ですが、心のままに行動してくれていいのですよ。現に私はそうしているのですから。


無責任に好きだと言いたかったのです。そして、言ってしまいました。


恋情というのは、どうも人を狂わせるものですね。私は自分の感情のコントロールには自信があったのですが、最近はどうも、特にあなたのこととなると、冷静な判断ができなくなってしまっているようです。理系大学生失格です。



と、話がそれましたが、あなたも気を遣う必要はありません。あなたがやりたいように、動いてくれたらいいのです。


何もしたくないと思ったら、動かなくて結構です。何も無かったことにしたかったら、この手紙のことはすっかり忘れてしまってください。お好きなように。


私のように、堕落しましょう。あなたは優しすぎますよ。誰にでも優しいのは罪です、知っていましたか?



とはいえ、高校を卒業して離れ離れになってから初めての冬、なぜ今になって、このタイミングで、こんな告白をするのか、疑問に思われることでしょう。しかし、これにはある種の必然性があるのでございます。



もっとも、高校での恋愛というのは難しいものです。世間一般にはそうではないのかもしれません(現に、同級生の中には恋愛と勉強と部活を全部成し遂げていた人がいるのはわかっています)が、私にとってはこの上なく難しかったのです。私の勝手な言い訳に過ぎないかもしれませんが。


私たちが通っていたのは、いわゆる「そこそこの進学校」の一種であります。高校時代、私は勉強を第一に考え、それを根底の価値観として私の周りの世界は回っていました。あなたもそうではありませんか?私の目には、あなたはそのように映っておりました。



私は、高校時代、誰かを好きになる自分の感情を必死に振り払っていました。今は勉強をしなければならない、恋愛をするのは今ではない、と。


あなたに対してもそうだったのです。


何度も何度も、あなたのことを好きかもしれない、と思ったことがありました。ですが当時の私は、それを必死に自分で否定しました。


その気持ちを言語化せずに、「いや違う、今じゃない」という言葉で必死に抑え込んで、首を振って、遠くにその感情を投げ飛ばそうとしていました。


文字通り、「自分の心に嘘を」ついていたのです。



それでも、私は明らかにあなたのことが好きだったのでありますが(そう判断する理由は気が向けば後述します)、それを卒業するまで言語化したことがありませんでしたので、受験が終わった後の卒業式なんかでも、その後に偶然会った春も夏も、私はまだ自分の感情を認識できていなかったのです。


そうして、そうやって通り抜けた勉強一筋の高校生活が終わってしまったら、私たちはほとんど皆離れ離れです。地方の高校から出た初々しい大学生たちは、全国の至る所へ散らばって行きます。


私とあなたも、とても日常的には会えない距離のところにいます。現代の最新の交通機関を使えど、片道3時間では会えません。



高校で出会った人に恋をした時にはどうすれば良いのでしょうね。在学中は勉強に必死にならないといけないのに、卒業してしまったらもう会えないなんて。


どうすればよかったのでしょう。



私が自分の気持ちを必死で抑え込み、決して言語化しないようにしていたとの旨を記しましたが、では卒業して半年以上経った今、なぜ私が恋心を自覚するに至ったのか。その経緯は複雑そうに見えて記せば単純でございます。



私、普段テレビドラマは見ないのですが、色々ありまして(要約すると、私の推しがこのドラマをオススメしておりましたので)、10月に始まったとあるドラマを観ております(いきなり話が飛んで戸惑うかもしれませんが、ちゃんと最後には元の話に戻ってきますので、しばしお付き合いいただきたく。)


そのドラマの主題歌を歌っているのが、あなたが好きと言っていたバンドなのであります。この歌を聴くたびに、私にはあなたのことが思い出されるばかりでありました。



どうやら、高校の同級生に尋ねると、あなたがこのバンドを好きだということはあまり知られてはいないようですね。


ではなぜ私がそんなことを知っているのかというと、高校2年生の4月、クラス替えの直後のクラス全員の自己紹介で、あなたがそう言っていたのを覚えているからです。


40人いたクラスでの自己紹介、ほとんどの人は誰が何を言ったかなど覚えていないでしょう。


私だってそうです。私に驚異的な記憶力があるわけではありません。


あなたの言葉だけを覚えているのです。他の人が何を話していたのかは全く覚えていませんし、なんなら自分が何を言ったのかすら覚えていません。


その頃から、私は気づかぬままにあなたのことを意識していたのでしょう。気づかぬままに。



そして、そのバンドを聴くたびにあなたのことが思い出されるようになって少し経った頃、その曲を聞かずとも、普段の生活から、気づいたらあなたのことを考えている、という現象が何度か発生しました。


会えない時にその人のことを考えてしまう、ああ、これは恋なのかもしれない、とうっすら自覚しました。


ですがそもそも、「会えない時に」も何もありません。私たちはもう、めったなことがない限り「会えない」のですから。夏に偶然地元で会えたのは本当に奇跡ですね。次会えるのは成人式でしょうか。



そういえば、今書きながら夏に会った時のことを思い出したのですが、あの時もまた、私は自分の気持ちを自覚はしていなかったものの、あなたのことを確実に意識していたのでしょう。


あの日、3月ぶりでしたから半年弱ぶりに私たちは会ったわけですが、あの時、私は無意識にも(自分の中では言語化していなかったのですが)、あなたの姿を見て、やっぱりかっこいいなぁ、と思ってしまったのであります。



これがいつもの鈍感な私には気付けぬことでありますが、気づかせてくれた後輩がいまして、というのも、あの時たまたま、私と仲良くしてくれている2つ下の後輩が近くにいたのですが、彼女がどうも恋愛体質で、すれ違った人や見かけた人に対して、「かっこいい」とか「(恋人として)アリかも」とか、よく言っているのです。


私はいつも、彼女のそのような言葉に対して、「そうかな?」とか「私にはわからないや」とか適当に返して、あまり気にしたことはありませんでした。


そんな彼女が、あの日もあなたを見て「なんかあの先輩かっこよくなってないですか?」と私に聞いてきたのです。


その時の私はとても思考力が鈍っていたのか、何なのか、何も考えずに無意識に言葉が口から出たのです。


「私も思った」と。


彼女は私がそんな反応をするのが初めてだったからでしょう、私の言葉に驚いていました。私自身も、自分の口から発された言葉に驚きました。


ですがそこで変に場を取り繕うよう訂正の言葉を続けるのも違うかと思いましたので、そこで会話は止んでしまいました。


もっとも、私は心の中で、「いや昔からかっこよかったけどな」などと、言葉にして自覚はしていなくとも、そう思っていたのですが。



さて、夏のことを思い出していたら何について書いていたのか忘れてしまいました。何の話でしたっけ。


そうそう(前の方を見返しました)、私が恋心をうっすら自覚したところまで書きましたね。この頃から、私は何につけてもあなたのことを思い出すようになりました。


何を見てもあなたのことが思い出され、何をしていても心のどこかにあなたがいるのです。気持ちがすごくふわふわして何も手につかない日もありました。


友達と一緒に遊びに行っても、(その友達にはとても申し訳ないのですが)、あなたのことをずっと考えているのです。もし今ここにいてくれたら。なんて。


大学の語学の授業で、仮定法を習ったときには気絶するかと思いました。例文が「もし彼が今隣にいてくれたら何て嬉しいだろう」などと!私の心にグサリと突き刺さってきます。



化学の実験をしている最中でさえ、皆が白衣を身に纏っているのを見ると、絶対に(理系として「絶対」という言葉は極力使うのを避けるようにしているのですがそれでも絶対に)あなたは白衣が似合うだろうなぁ、今頃着ているかもしれないなぁ、などと思ってしまいます。


しかもあなたは化学が得意で、私に色々教えてくれていましたから、そんな思い出も一気に蘇ってしまうのです。



ああ、苦しいです。私は、「あなたを思うと胸が苦しい」の意味が今まで全くわかっておりませんでした(苦しいなんて悪いことではないか、などと思っておりました)が、それが最近になってものすごくよくわかります。


片恋というのは、こんなにも苦しく、でも幸せなのですね。



そうして、私はあなたへの恋心を自覚するようになりました。



あなたとの思い出を度々思い出しては1人で悶絶し、嬉しかった数々の思い出やあなたからのSNSの小さな反応に浮かれ、しかしその一方で、もう会えないという現実や、もうあなたは(確実にモテるでしょうから)大学で恋人ができたかもしれないという想像に落ち込み、と、私の情緒は最近とても忙しいのです。


とにかく、私はあなたのことが好きなのです。



しかし、です。私よ、現実を冷静に見てくれ。こんな状態の私に客観的に世界を見る能力はないでしょうがそれでも、心を落ち着かせて考えてみるのです。



普通に考えて、卒業して半年以上経っていて、しかもほとんど会っていない、連絡も取り合っていない、私たちの繋がりはほぼ消えたに等しい、それなのに、そんな相手から、ずっと好きだったと言われたら、それは気持ち悪いのではないでしょうか。


私も自分で自分を、さすがにヤバい、と思っています。下手したらストーカーにでもなりそうな勢いです。本当に危ない。



すごくすごく、あなたに対して申し訳ないと思ってはいるのです。でも、好きなのですから、やめられないのです。こんなにも、恋情の制御がきかないとは。



と私は色々考えては忙しく感情が動いているわけですが、そもそも、私たちは数百キロ離れたところで生活しているのですから、今からどうこうという問題ですらありませんよね。


一番の解決策は、私がすーっとあなたへのこの勝手な想いを忘れていくことであります。そうすれば、私たちは今まで通り、会えば(会うことはほとんどないでしょうが)楽しく話せる、そんな友達としての2人でいられます。


私はそれを心から望んでいるのです。


ですが、頭ではわかっていても、頭では、頭では、この想いを忘れるべきだ、忘れたい、そう考えているのですが、どうも私の心はそれに従う気は全くないようで、どうしてもやはり忘れたくない、そういう衝動が胸に渦巻いているのです。



本当に我ながら困ったものです。頭と心が全く一致しない。今までこんなことはありませんでしたのに。



忘れようと思って、色々試しました。


他のことにひたすら打ち込んでみるとか、他の人によく目を向けてみるとか、あなたが好きだったバンドの曲をカラオケで思う存分歌って吹っ切ろうとするとか。


でも、どれもうまくいかないまま、もう3ヶ月が経ってしまいました。やはり私はこの想いを自分でどうにもできないのです。


あなたを超える人はこの世のどこにもいないと、そう思えてくるので、やはりまた忘れられなくなっていきます。


だから、最後の手段として、あなたに想いを伝えたいと思ったのです。それで、私はキッパリこの想いにキリをつけて、諦める。そうするしか他に道はないと思いました。


とても悩みました。あなたには気持ち悪がられて、もう今までの関係が崩れ去って、気まずい関係になってしまうかもしれない。


あなたにも、この思いを伝えることで困惑させて迷惑をかけるかもしれない。


そう思うと本当に悩みましたが、一度だけ、私のわがままを許してください。


やはり伝えるしかなかったのです。止まった私の時間を前に進めるには。



もう一度だけ、言わせてください。




本当に、本当に、私はあなたのことが好きです。大好きです。


本当に、ごめんなさい。私のわがままを許して……


そして、ありがとう。




もう書いてしまったので、何だか少しスッキリしました。


このまま、少しずつ、私の心があなたから離れていけますように。




ここで最後に、宛名にMy ComedianとかMy Chekhovとかうまいことを書けたらいいのですが、私はかず子にはなれないようです。


私は、弱く自分勝手な女ですから。







さて


私は、先に「決意しました」などと述べてしまいましたが、全くそんな決意はできておりません。


臆病者なのです。


自分が傷つくのが怖いのです。あなたを傷つけるのは、もっと怖いのです。


だから私は、この手紙をあなたの元に送りはしません。


これを瓶に入れて海に流し、伝えた気にならせてください。


少し躊躇いました。環境問題を専攻する大学生として瓶を海に流すなどと、そんなことをして良いのか。


ですが、一回だけ、一回だけです。きっと、許していただけます。




ありがとう。ごめんなさい。愛しています。


雨音が響いていますね。


いや、月が綺麗ですね、と言いたい、言いたいけれど、やはり、決別しなければ。


今宵の東京では、月は雨雲の向こうにあって、アスファルトに打ちつける雨が白い街頭の光を浴びています。


ぴったりの天気だ。ああ。

本当に、本当に──。



さようなら。



M・C、マイ・クラッシュ

読んでいただきありがとうございました。

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