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第一話

新作です!


 さようなら、愛しのロゼ。

 私に別れを告げたのは、父だったのか。それとも母だったのだろうか。

 それとももっと――。

 

 夜の薄暗がりのベールがはがれ、爽やかな朝の木漏れ日のレースで結ばれる。 

 ここ、ウィノア王国の第一王女として生を受け十六年。私の生活圏内は自室の窓辺に置かれた机の周りと、散歩用の個人庭園。そしてかび臭い蔵書積もる図書室だけであった。


 私、ロゼフィン・アウグスタ・ドライ・フォン・ウィノアは、生来虚弱なため、王家が主催するパーティーや夜会といった社交の場に出たことがない。

 シュネーリングと呼ばれる、時折水色に透けて見える白銀の髪に、毎日櫛を通してくれるメイドのアンナ。

 時折父――ウィノア国王アルベルト三世からのお達しを伝える、執事のバルマンだけが知己である。


 妹のライラックは、子供のころに少し顔を合わせた気がする。

 されどそれも遠い記憶の中のお話だ。おぼろげながら浮かぶ彼女の顔は、真夏のヒマワリのように輝いていたと思う。

 

「姫殿下、御髪整いましたよ。んー、今日もキラキラしていてお美しいですよ!」

「ありがとう、アンナ。朝に貴女がいないと、私はきっと手入れされていない庭木のように不格好で過ごすことになりそうですね」

「恐縮です姫殿下。よっし、朝食前のお茶をお持ちしますね。少々お待ちくださいな」


 台風のように去っていく後姿を見て、頼もしくもあり、羨ましくも感じてしまう。

 やがて運ばれてきた温かい紅茶を口にし、胃腸を整えるシルの実を齧る。

 酸味がやや多く、唾液を十分に分泌させるそれは、一体どこ産の果物だろうか。図書室の蔵書にも、シルの実が特産物として書かれている場所が見当たらない。


 朝食を終え、口内を洗浄する。

 またその後にそっとメイクを施され、私はいつもの顔になる。誰に見せることもないのだが、アンナは熱心に毎日彩ってくれるのだった。


 コンコン、と控えめに自室のドアがノックされる。

 私の部屋を訪ねてくる人物は、アンナ以外には一人しかいない。


「入ってください、バルマン」

「失礼します、姫殿下」


 皺ひとつない燕尾の執事服を身につけ、一点の曇りもない白のシャツが眩しい。

 バルマンはもうすぐ二十七歳と聞いている。アンナと共に、私に仕えて十年になるだろうか。

 黒い黒曜石のような瞳は常に冷静で、冷厳だ。

 同じ色の黒髪を後ろになでつけ、肩口付近で結んでいる。


「姫殿下、本日もご機嫌麗しゅう……」

「ふふふ、いつも通りですね。変わらない毎日を送れているのは、貴方たちのお陰です」

「おそれ多いことです。本日は陛下より書状をお預かりしておりますので、至急お目を通していただきたく存じます」


 ざわり、と胸が蠢く。

 幼少の砌より、ずっと蟄居を命じられていた私に、父が何をしたためてきたのか、とても怖い。

 直接顔を見る機会もほぼ与えられず、無論会話など記憶に……ない。

 心臓の鼓動が激しく脈打つ。内容を知るのが本当に、怖い。


「姫殿下?」

「はい。アンナ、悪いけれどペーパーナイフをくださらない? 陛下の書状を傷つけるわけにはいきませんから」

「か、かしこまりました! はいどうぞっ」


 銀製のナイフをそっと差し込み、覚束ない手取りで封蝋を開ける。中には上質な紙が丁寧に折りたたんであり、密やかにスミレの花の匂いがした。

 意を決し、私はそっと読み慣れない文字列に目を落とす。


『第一王女、ロゼフィン・アウグスタへ。

 予てからウィノア王国に属する、亜人の住む領域・レイヴェンスに関する諸事情を開陳する。

 人間と亜人はかつての最終戦争以降、互いに手を取り合いながら今日まで至っている。しかして、彼らには欲してやまぬものがある。

 それは亜人の王たる者の番だ。

 ウィノア王国第一王女に、レイヴェンス辺境伯の地位を持つ男、クロノスへ嫁ぐことを命じる。

 なお、婚儀はレイヴェンスで全て行い、ウィノアからは供回りのみの参列とすることが決定された。

 出立は一週間後。身辺整理等々、ゆめ怠るなかれ。


 ウィノア王国国王・アルベルト三世』


 あまりのことに、意識がくらむ。

 私が、あのレイヴェンスへ……?

 頭上に耳を持ち、まるで虎のような一族が治めるという、あの……。


 しっかりと王印が捺されていることから、偽造であるはずがない。故にこれは勅命だ。

 見た目も、生活習慣も、体つきも違うであろう。そんな世界に、嫁ぎに行けとお命じですか。


 どうして私が。

 先ほどから頭の中を同じ言葉が回転し続けている。

 虚弱な私がかの領域で永く存命できようはずもない。父は体よく厄介払いをしたかったのだろうか。そう疑ってしまいたいほどに、王家からスッパリと切り離されてしまった。


「そう……ですか。私の運命はこれで決まりましたね」

「内容を窺い知ることは出来ませぬが、お気持ちを落とされぬよう」

「わ、私美味しいパンケーキでも焼きます! ふわっふわのやつですよ! だから姫殿下、そんな青白いお顔をなさらないでください」


 アンナやバルマンの気遣いがしみいる。

 そうだ。これは鳥かごからの逃避だ。このまま伽藍洞の人生を送るより、短くとも様々なものに触れていこう。

 それに、王宮には惜しいものは何もない。きっと、無い。

 妹の晴れ姿を見ることが出来ないのが悲しいが、ライラックはきっと私の顔を覚えていないだろう。


「お引越し、準備しなくちゃね」

「左様でございますか……このバルマン、いかなる時もお側におります。如何様な些事でも、お使い下さいませ」

「ありがとう、頼りにさせてもらいますね」


 レイヴェンスに向かう日はあっという間にやって来た。

 青の宮殿と称された、王宮の姿を見るのもこれが最後になるかもしれない。

 黒い簡素な馬車に、トランク一つにまでまとめた荷物を載せる。追ってウィノア王国から持参金が届くとのことだが、徹頭徹尾私と王家に人間は顔を合わせたくないらしい。


「最後くらい、家族にお会いしたかったなぁ」

 私の微かなつぶやきは、遊び舞う風に消える。

 黒い馬車は一定のリズムを刻み、西へ西へ。まるで葬儀の棺桶を運ぶかのように、ゆっくりと厳かに。

 これが婚礼行事であると、一体誰が信じるだろうか。きっと私はこうして、歴史の中の小さな粒として消え行くのだろう。


 車中では本を読めないことに気が付いた。

 一般的に言う乗り物酔いという厄介なものであるらしい。私は一旦馬車から降りて、けほけほと木陰で体調を整えるしかなかった。


「本当に、やわな身体ですね……ふぅ」


 すると、馬車の方向からけたたましい馬の嘶きが聞こえてきた。

「貴様ら、何者だ! ウィノア王国の印章が見えぬか!」

 御者を引き受けてくれていたバルマンの一喝が周囲に響く。

 そっと顔を出して様子をうかがってみると、裸馬に跨った騎兵らしき集団に取り囲まれていた。


「まさか……山賊? こんな街道にまで出るなんて」

 驚きのあまり後ずさったのだが、それが不幸に転んだ。小枝を一本、足で踏み折ってしまったようである。


「誰かいるのか!? 顔を見せろ!」


 尖った耳が頭から生えている。きっと亜人の国の荒くれものだろう。

 こんなところで汚されるわけにはいかない。王命を、ウィノアを守らなくては。私の中にあった王族としての最期の誇りが、そっと身体を前に進ませた。


「武器を納めてください。わ、私はウィノア王国第一王女・ロゼフィン・アウグスタです。抵抗する意図はありませんが、重要な案件でレイヴェンスに赴いております。このままお見逃しくださいませんか」


 ひゅーと口笛が上がる。

 う、失敗した……のだろうか。

 男たちの笑い声が、急にこの身から勇気を奪い去っていく。


「それは失礼した。その、なんだ、怯えさせてすまない。俺はレイヴェンスの領主で、ロゼフィン殿下の番となる者だ」

 下馬して、私に歩み寄ってくる男が一人。

 紅い髪はまるで炎のような、それでいて気品すら感じさせる。

 歴戦の勇者を彷彿させるような、逞しく鍛えられたであろう肉体が、そっと私に向かって傅いた。


「俺はレオ。レオ・エンディミウス・アーヴァイン。レイヴェンス辺境伯ってやつだ」

「貴方が……よかった、お味方なんです、ね……」


 急に視界が暗く霞んでくる。

「ひ、姫殿下!」

「おいおい、お嬢ちゃん、大丈夫か?」


 バルマンとレオの声をバックグラウンドに聞きつつ、私は意識をそっと手放したのだった。

お読みいただきありがとうございました!

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