第28話 醜い月のモノローグ
「せめてセカンドキッスは私が!!」
「はぁ!?、何抜け駆けしてんですか年増!、セカンドキッスは私のものです!!」
そんな風に醜く争う二人をホテルに放置して俺は、放心した状態で夜の街を歩いていた。
「・・・ずっと好きだった、か」
たった数分の出来事だったのに、リリアの存在は生涯忘れられないくらいに俺の中に焼き付いていた。
あれからずっとリリアの事を考えていた、女々しい事なのかもしれないけれど、綺麗なだけの思い出では無かったタクトたちとの1年の記憶も、俺にとっては宝物だったのだ。
そう考えると、リリアの事が放っておけないと、浮気性で不誠実な事かもしれないがそう思ってしまい、胸の中がざわめくのだ。
「・・・もしもここから引き返せる道があるとしたら、なんなんだろうな」
でも〝計画〟は既に達成まであと僅かの所まで来ている。
だからここから引き返すような選択など、ありえない事だった。
仮に、今俺の心を動かす〝憎悪〟が俺だけのもので無かったとしても。
この世界を滅ぼしたい〝憎悪〟は本物だったのだから。
しばらく歩いていると、そこで俺は、一人の女が路地裏で絡まれているのを見つけた。
今日は厄日なのだろうか、まだ会いたくない奴らによく会う日だった。
「ちょっとあんた、自分からぶつかっておいて謝罪もナシとかありえないんですけど」
「貴族だからって調子に乗ってたけど、やっぱ貴族ってへなちょこばっかね、助けてくれる男がいないとイキれない雑魚なんだから」
「エリス、あんた前から生意気だったのよ、他の男に色目使ってお高くとまっちゃってさ、あんたみたいな雌豚、視界に入れてるだけで吐き気がするわ」
「それが今となっては髪もボサボサで肌もボロボロ、ボロ雑巾みたいになって誰からも見向きされない、いい気味だわ」
「・・・どきなさい、私はあんたたちに構ってる暇なんて無いの」
「ああん?、だったら謝罪しなさいよ、いつもやらせてるみたいに、土下座しなさいよ」
「てか、こいつ、絶対反省してないよね、もうやっちゃおうよ、生意気だし」
「やっちゃいますか」
「やっちゃえやっちゃえ」
そう言ってエリスを囲む女の一人がエリスを突き飛ばした。
それに倣うようにして他の女たちもエリスを袋叩きにする。
彼女たちは確か・・・、昔ミスコンでエリスに負けた女冒険者、くらいの記憶しか俺には無かったが、ま、エリスはあの性格だし、どこで恨みを買ってたとしても当然の話だろう。
俺はかつての仲間が見知らぬ誰かに嬲り物にされる様を遠くから観察した。
かつての仲間たちに感傷を持っている俺が、それに対して何を思うのか、それを知りたかったからだ。
だが観察は、一分も持たなかった、本当はボロボロのボロ雑巾になるまで痛めつけられて犯されるまで眺めていようと思ったのに、我慢出来なかったからだ。
「おらっ、土下座しろ土下座、貴族だかなんだか知らないけど、ここでは力が全てなん──────────っ!!?」
俺は衝動的に《正拳》で主犯格の女をぶっ飛ばしてしまう。
「(ピクッピクッ)」
そのまま流れで他の取り巻き連中にも腹パンして、俺はエリスを踏みつけながら言ってやった。
「こいつ、〝俺の〟だから、勝手に手を出すなら、お前ら全員、〝殺すぞ〟──────────失せろ」
「ひ、ひいいい」「助けて」「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
【魔眼】を使って圧を出すと、その迫力だけで女たちは腰を抜かしながら、主犯格の女を担いで逃げていく。
あとには俺とボロボロのエリスだけが取り残された。
俺はエリスの頭を踏みつけながら、衝動的に助けたはいいもののどうしたものかと考え込んだ。
このままエリスに地面を舐めさせたまま、何事も無かったふうに立ち去るべきか、リリアの時のように、禊を済まして関係を清算するべきかを考え込んだのである。
だが、考えるよりも、俺の体の方が正直だった。
エリスの頭を踏みつける俺の足は、グリグリとエリスの頭を踏みにじり、エリスを痛めつける感触に快感を得ていたのだから。
そうだ、こいつらのせいで俺は何度も死にそうになった挙句、死ぬよりも辛い目にあったのだ。
──────────それに明日には全てが〝終わる〟、ならば、ここで何をしようとも、どれだけ仕返ししようとも、俺は自由なのだ。
そう思って俺はエリスを蹴飛ばして体を起こした。
顔だけは痣のないエリスのやつれた顔が、痛々しく俺の視界に映る。
「カチ・・・ワレ・・・?」
「久しぶりだな、エリス・・・」
エリスもまた、変わり果てた俺をひと目で俺だと認識した。
最低の再会に、エリスは何を思うのだろう。
・・・俺は、こんな掃き溜めで、髪も肌もボロボロで、かつての輝きが見る影もなくなったエリスを見て、──────────美しいと、不覚にも〝美しい〟と、そう感じた。
「・・・うぅ、ぐすっ、ひくっ、バカぁ、どこ行ってたのよぉ、急にいなくなって、死んだんじゃないかって、心配したんだからぁ」
エリスは、俺の顔をみるなり泣き出した。
さっきまで頭を踏みつけにしていたにも関わらず、俺との再会をまっさきに喜んだのだ。
俺はエリスは俺が死んでも泣かないだろうと勝手に思っていた、故にエリスが泣き顔を晒したという、それだけの事で、俺のわだかまりは綺麗に無くなったのだ。
だからエリスが俺の胸に飛びついてくるのを俺は受け止めてやった。
「ごめん、ごめんなさい、私、あんたの苦しみを、あんたの苦労を、何も分かってなかった、自分が貴族だから優遇されて当然だって、あんたの事不当に扱ってた、あんたはずっと、私たちの為に自分を殺して頑張ってたのに、ずっとそれに甘えて、あんたの事、道具みたいに扱ってた、本当にごめんなさい、だから、なんでもするから、カチワレぇ、お願いだから、戻ってきてぇ」
「ぐっ──────────!!?」
これは夢か、幻術か、あのエリスが、嫌な貴族の象徴みたいに高慢だったあのエリスが、俺に頭を下げている。
その事実のありえなさに俺は脳がバグりそうになり発作を起こした。
「──────────うっ、ぐぅっ、はっはっはっ、ああああああああああああああああ!!!!!」
この場にはユリエトもオフリアもいない、そしていたとしても、あいつらではエリスを超越する〝エントロピー〟、〝ギャップ萌え〟を備えていないので、中和する事はかなわなかっただろう。
俺はエリスの謝罪に強烈に、激烈に、和解したいという情念を抑えられなくなっていた。
俺は迷いを断ち切るように、振り払うようにしてエリスを拒絶した。
「失せろ偽物!!、お前はエリスじゃない、俺の知るエリスはそんな事を言わない!!、エリスはいつも嫌な奴で、俺の事虐げて、俺が何をしても礼のひとつも言わないような、生まれながらのサイコ野郎、この世で最低最悪の事故物件クソ女がエリスだ!!、お前はエリスじゃない!!エリスの姿に化けた偽物だ!!!!」
「──────────っ、うぅ、そうよっ!!、私は最低最悪のクズで!!、好きな男の子に意地悪する事でしか好意を示せなかった間抜けで!!、あんたが死ぬまで自分の恋心すら自覚の無かったバカ女よ!!!。
私は──────────あんたが好き!!大好き!!!、あんたが命懸けで私を助けてくれた時、すごく嬉しかった!!!私がどんなワガママを言っても張り合ってくれて、叶えてくれて、見捨てないあんたの事が好きで好きでたまらなかった!!!、もう貴族とか全部どうでもいい!!!、あんたが私を選んでくれるなら、私は、全てを捨ててあんたに尽くすわよ!!!」
拒絶されてもなお、エリスは俺にしがみつき、俺に縋って告白する。
エリスの、一番恨んでいた仲間からの、その感情の裏返しは、〝憎悪〟すらも塗り替えるような〝愛〟で俺を満たしていく。
「──────────ぐっ、ぐああああああああああああああああああああああああ、痛い、痛い、頭が割れそうだ」
「カチワレ!!」
今思えば、エリスのからかうような表情も、ムキになった怒り顔も、照れた様な皮肉も、全部俺だけに見せる顔であり、俺だけが独り占めしていたエリスの素顔だった。
ヒステリックで苛烈な性格のクソ女のエリスだからそういう態度でしか人と接しられないだけで、俺にばかり無茶を要求するのは特別な親愛の現れだった。
「──────────俺は、仲間たちに、愛されていた・・・?」
タクトは言わずもがな、追放した張本人だが、追放した事自体がタクトが俺を特別扱いしていた事を示していたし、その妹からも過剰な好意を寄せられている。
リリアは俺の為に全裸土下座するほどに俺への執着を見せてくれた。
その上エリスにまで、理不尽の権化だったエリスにまで、俺の存在を必要とされてしまったら、俺はもう、──────────和解するしかなくなってしまう。
「嫌だ嫌だ嫌だ、俺は、世界をっ、憎んで!!、世界をっ、壊す男!!、こんな所で、立ち止まる訳にはっ・・・!!!」
〝憎悪〟と〝愛〟、相反する二つの感情が、俺の中で激しくせめぎ合う。
それは俺の〝憎悪〟が半分借り物だったからだろう、〝仲間〟たちからの〝愛〟が、〝憎悪〟で汚染された心を更に埋めつくしていく。
「カチワレ──────────んっ」
「──────────ちゅ、ぷはぁ」
「・・・どう、落ち着いた?」
「・・・ああ」
素朴で純粋な〝愛〟、その光の結晶のような気持ちを貰った俺は、曇りの無い瞳でエリスの事が見えた。
虚飾の無い純朴なエリスの姿は、ただ月に照らされているだけにも関わらず、光り輝いていた。
「・・・綺麗だ」
「・・・ファーストキス、だったんだからね、本当は結婚するまでしちゃいけないのを、あげたんだから」
「・・・すごく嬉しい」
「よかった、ねぇカチワレ、私は貴族辞めて、一生あんたに尽くすからさ、だから・・・、戻って来て」
その質問に、正直な俺の気持ちで答えた。
「ああ、俺は、お前たちと、また一緒に冒険が──────────」
(ソウヤッテ〝自分〟ダケ救ワレテ、ソレデオ前ハ本当ニ満足ナノカ)
ズキリとした頭痛。
そこで俺の欠けた心から、一際どす黒い憎悪が俺の意識を埋めつくし、俺はそこで気絶した。