お針子と弟子
会場に湖の風が舞い降りているような、清涼な生地。きらびやかな衣装に不似合いなランウェイの汗の滴りを気合いで落ちないように呼吸を止めているお針子達がいます。
ほんのすうミリのモデルと衣装の最後のずれを直しているのです。頭のなかは来年の借りる場所、同時に再来年の流行りのコンセプトの衣装のチェックももうすぐしなければなりません。大きな大会はそれなりに流行を追いかけ、追い続け、そして一部で見えもしない未来の流行をすでに提示されているのです。それを大昔の学者様が「経済は神の見えざる手でなぜかうまく回るのです」と、それがうまく行かなくなったのが恐慌で、それをうまく行かせようと人類の検知で大きなチャレンジをして成功したのが政策だと言われています。
「人は自然を目の前にしたら、ことさら自分がなにをしたいかわかる。ちっぽけな自分を泣くのも自由。目に見える自然に立ち向かい、『この山を越える景色をみたい』と果敢にチャレンジするのもまた人間だ」
などと、言うヒトもいます。
「師匠、今日は数点仕上がりで給金が出ました。師匠が昔好きだと言っていた豆とソーセージのスープ缶を買ってきました。温めますね」
長椅子に座っている老人は手入れが行き届いているのか身支度の良い紳士でした。けれども、朝から夜まで全く手をつけることのない白い紙とペンはいつの間にか、片付き、食事テーブルに変わるのです。ゆっくり一時間かけてあかぎれまみれの弟子は師匠に献身的に話しかけ笑うのです。
それから、師匠が夜の身支度に着替えると、また同じようにテーブルに白い紙とペンを置いて「夜学に行って参ります」というのです。
ここにきたときよりも弱視が進み、師匠の体も硬くなっていってしまっている。弟子としては扱いやすい人形のようになっていく師匠の世話は楽だが、本来の気性の荒い師匠はそれはそれは美しい芸術家でした。シフォンドレスの刺繍の王とあだ名されるほど客の大まかで分かりにくいイメージの注文を見事に現実に表現できるのです。ドレスだろうがベールだろうが、重さを感じず、体に吸い付きまとわりつかないという『無垢なる娘のドレス』と評判でした。
その、師匠の目は青いベールでおおわれ目の中に光を宿していません。
「最先端の最新式の技術で師匠は甦るのです。僕は、奇跡を信じませんが、最後までご一緒させてください」と、熱意を込めて最後の弟子が一人だけいたのです。年頃は、14、5だったでしょうか。
切れ端を集め、ひたすら、一枚の絨毯にしては裏地で売っていた子は、絨毯からパッチワークという似たよう肌触りの生地だけで適当に縫い、綿を摘め、回りをかがり、夜の寒さに耐えるように布団カバーまで作れるようになりましたが、ここにきた時にはこの子の作品は薄汚れて汚れが付着しても師匠が絶対に手から離そうとしない膝掛けしか残ってはいませんでした。
「僕の目を先生に移せればいいのに」そしたら世界の多くの人が喜ぶのに。と、いった言葉に師匠は「お前のような落ち着きのないキョロキョロとした目など要らん」と突っぱねました。そして手のつけられない暴れかたをして弟子は部屋から逃げていきました。『世の中の愚かさに涙が出る、ああ、それは自分が一番よく知っている、そうだろう』と、ボロボロと涙と鼻水を垂らしたのです。