拠所
オフェリアの身体検査から五日が経過した今、俺はエイドリット事務所の自席に座っている。
「オフェリア嬢について話がある。全員席に着いてくれ」
朝一番、代表に言われて全員が困惑しながら各々の席に着いたところだった。
「揃ったな」
代表は二回両手を打ち鳴らした。部屋の四隅から青い光の柱が立ち上り、柱を繋ぐように薄い壁が、さらに天井付近と床にも薄い光の膜が張られた。
魔法による結界だ。おそらく効果は防音だろう。これからされる話はよほど人に聞かれたくない類のものらしい。
とりあえず推測を声に出してみる。
「オフェリアさんについての話ですよね? タイミングからして、能力に何かあったとか?」
「察しが良いな。その通りだ」
代表は重々しく頷いた。
「正直、この話を君達にするかどうかすら迷ったくらいだ。だが一度関わっている以上、隠されると却って気になるだろう。そこで君達には話しておくことにした」
「俺達、別に言いふらしたりしませんよ」
「そうだな。そこは信頼している」
代表の厳つい顔が僅かに緩み、しかしすぐにまた引き締まった。
「単刀直入に言おう。彼女には『生物』の能力が宿っていることが分かった」
「生物、っすか?」
ルディが首を傾げる。
「生物ってことはっすよ、つまり生物を作れるってことで、あれ? どういうことなんすか?」
自分で自分の言っている意味が分からなくなったようだ。
しかしそれも無理はないのかもしれない。
「ルディの言う通りだ。オフェリア嬢は生物を作ることができる。精霊を作れるかはもう少し調べる必要があるが、少なくとも植物や動物といった命ある存在は作れるはずだ」
「それは……途方もない話っすね……」
ようやく理解の追い付いたルディが絶句する。
命を作れる精霊。
いや、もはや精霊の枠に収まる存在ではない。
「大精霊クラス、でしたか」
比較的冷静だったのはアイリーだった。
俺より長くエイドリットにいるアイリーは、どこか遠くを見るような目をする。
「私達が関わるのは時空の大精霊以来ですね」
「じ、時空!? そんな精霊、いや大精霊か、大精霊がいたんすか!?」
「もういないわ。ノクトが入る少し前にいなくなったの」
「あの頃はエイドリットも発足して間もなかったからな、彼には十分な支援ができなかった。だが今は違う。大精霊であろうとも、本人が望む限り社会で安心して暮らせるように支援する。私はそのつもりだ」
代表は力強く宣言する。全身から陽炎のように気合いが立ち上っているようにすら見えた。
アイリーも思うところがあるようで、代表の言葉に深く頷いている。
逆に、まだよく分かっていない顔をしているのがリラだ。
「あの、お話は分かりました。それで、具体的にはあたし達に何ができるんでしょうか?」
「リラの疑問はもっともだ」
代表は予想していたかのように頷く。
「まず、原則として特別なことはしなくていい。オフェリア嬢とは他の精霊達と同様に接してくれ。違うのは能力に関する部分だ。彼女が生物の大精霊であることはエイドリット内だけの機密とする。外でも人目につくところで能力は使わせないようにしてほしい」
能力の使用を制限するとはかなり思い切った措置だ。他の精霊も日常生活で能力を使う場面は少ないが、特別制限されているわけではない。人に迷惑を掛けたら警察に捕まるというごく一般的なルールさえ弁えていれば能力の行使は自己判断だ。
その背景には、精霊の持つ能力のほとんどは魔法で再現可能ということがある。精霊の能力と同等の出力を得ようとすれば膨大な魔力や面倒な手続きを必要とするものの、決して不可能な所業ではない。
一方でオフェリアの能力は、魔法で再現することができない。レマンのような魔法人形は存在しても、命そのものを作り出すことは現在の魔法技術では不可能だ。能力を秘匿するのは、魔法で再現できない能力を狙う輩が出てこないとも限らないからだろう。
そんな俺の推測は、次の代表の言葉によって確信に近いものへと変わる。
「その上で、彼女には二つのことが出来るようになってもらわないと困る。一つは能力の制御、もう一つは自衛だ」
「当然といえば当然ね」
アイリーが頬杖をついたまま答える。
当面の間は隠しておけるとしても、いずれ知れ渡る可能性の高い話だ。そうなる前に能力をきちんと使いこなせるようにし、何かあっても自身を守れるようにしておけば、トラブルに巻き込まれても対処しやすくなる。
「そこで、この二つの訓練を皆に頼みたい。ノクト、担当のお前が中心だ。一人でやる必要はないから、協力して進めてくれ」
代表の目が俺に向く。
たまたまとはいえ、担当になった以上投げ出すつもりはない。それに、少しばかり話が大きくなっても根幹は同じだ。
この世に生まれた精霊が暮らしやすいように環境を整える。そのために俺がいる。
「承知しました」
代表を真っ直ぐに見返して、静かに答えた。
☆
オーカー邸の居間で、ナイジェルさんに事務所と同様の防音魔法を使ってもらった。
夫妻には能力の概要を伝えて良いと代表から許可が出ている。協力してもらっているのに隠すのも筋が通らないからだ。当然、口外しないように念を押すのは忘れない。
オフェリアは数日前より随分落ち着いている。俺も毎日一度はオーカー邸に顔を出すようにしていた。少しずつでも環境に馴れてくれているようで喜ばしい。
「生物……」
「大精霊……」
オフェリアと共に話を聞いた夫妻は、イメージが掴めないのか俺の言葉を繰り返している。
「それって凄いんですか?」
オフェリア自身もあまりピンときていないようだ。
「そうですね。凄いかどうかは使い方によりますが、とても珍しい能力なのは間違いないです」
「いや、ノクトさん。珍しいなんてものじゃない」
ナイジェルさんが大仰に両手を広げ、口を挟んだ。
「研究者として言わせてもらうと、オフェリアの能力は魔法士ならばいかなる犠牲を払ってでも手に入れたい力だ」
「ええ、ナイジェルの言う通りよ」
シエナさんも青ざめた顔で頷いている。
俺は夫妻へオフェリアの能力のことを話していいか代表に尋ねた時のことを思い出した。
あの時、代表はぼそりと呟いたのだ。
——こんなことなら、魔法士でない人間の元に下宿させるべきだったか。
生物の創造に対する感覚は、魔法士と他の人間や精霊とでは違うのかもしれない。
ナイジェルさんは、とても渋い顔をして口を開いた。
「うーん……。これからどうすべきなのか、僕には分からない。オフェリアはもっと警備が厳重な所に住まわせるべきじゃないか?」
ナイジェルさんはやんわりと下宿取り止めを示唆する。
こうなる可能性は俺も少し考えていた。
オフェリアが狙われる可能性があるのなら、オーカー夫妻とて安全とはいえない。リスクを避けるならオフェリアの下宿を取り止めるのは真っ当な判断であって、責められるものではない。その辺りのことは代表からは任せると言われてはいるが……。
一方のオフェリアは項垂れている。
「あの……私……」
「オフェリアが良いなら、私は引き続きここに住んで欲しいわ」
ここで、シエナさんがきっぱりと言い放った。
オフェリアははっと顔を上げ、ナイジェルさんは目を見開く。
「君は……いや、しかし……」
「私、一緒に住んでまだ数日だけど、オフェリアのことは気に入っているもの」
「そういう問題じゃないだろう。君にも危険が及ぶかもしれないんだぞ!?」
「じゃあ、オフェリアに危険が及ぶのは構わないの?」
「そうは言ってない! 僕だってオフェリアを気に入っている。だからこそ、オフェリアにももっと安全な場所があるんじゃないかと言っているんだ!」
ヒートアップしてきた二人を止めようにも、何を言うべきかが分からない。
とりあえず口を開いた時、シエナさんと目が合った。
何も言わなくていい。シエナさんの目はそう言っていた。
「ねえ、ナイジェル。こう考えてみて。オフェリアにとってもっと安全な場所はあるかもしれないし、ないかもしれない。でもね、心配事というのは起きるときは起きるのよ。もしそうなったら、あなたは蚊帳の外で納得できるの?」
ナイジェルさんがぴたりと動きを止め、顔を歪めた。
しばしの黙考の後、ナイジェルさんは全員に向かって頭を下げる。
「まったく、シエナの言う通りだ。僕の考えが足りなかった。ごめん、オフェリア」
シエナさんは、今度はオフェリアに向かって話しかけた。
「オフェリア、あなた次第よ。あなたがここに居てくれるのなら、私達はここをあなたにとって一番安全な場所にしてみせるわ」
ぐすり、とすすり泣く音が聞こえた。
俺の隣に座るオフェリアは両手で顔を覆い、肩を震わせていた。
唐突にこの世に生まれ、自分の居場所も分からなかった彼女にとって、ここに居ても良いのだと言われることがどれほど大切であっただろう。
「私……ここに、居たい、です」
その一言で、流れは決した。
「分かったわ。これからもよろしくね、オフェリア」
「ノクト君、勝手にこっちで決めてしまったけど良かったかな?」
ナイジェルさんが俺に確認を求めてくる。勿論俺にとっては願ってもない結果だ。
「ええ、俺も可能な限り支援します」
「ああ、よろしく頼むよ」
そう言って笑うナイジェルさんの顔には先程までの憂いはなく、決意を固めた清々しさに溢れていた。