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鍛錬

 翌朝、オーカー邸を訪ねると、どこか困った顔のシエナさんが迎えてくれた。


「どうかされましたか?」

「あの、ごめんなさい。私達、下宿してもらうのは初めてで。どうしたらいいか分からないの」


 困ってはいるが慌ててはいない様子からすると、緊急性はないようだ。

 とりあえず居間に案内してもらうと、ソファに三角座りしたオフェリアが膝に顔を埋めていた。

 なるほど、事情はなんとなく分かった。


「オフェリアさん、俺です。ノクトです」


 話しかけると、オフェリアが勢いよく顔を上げた。瞳は涙で濡れている。


「ノクトさん……!」


 手を差し出すとぎゅっと両手で握ってくる。その手は驚くほど冷たくなっている。


「大丈夫です。ここにいますよ」

「はい……!」


 また一雫、涙がつうと頬を流れた。

 オフェリアはそのまましばらく無言で俯いていた。やがて、ぽつりぽつりと話してくれる。


「昨日、ベッドに入るまでは普通だったんです。でも、急に怖くなって。私は誰なんだろう、どこから来たんだろう、ここはどこなんだろうって」


 オフェリアのそれは、生まれたばかりの精霊のほとんどが通る道だった。

 勿論そんなことを本人に言っても何の気休めにもならないので、俺は頷きながら手を握っている。


「分からないことだらけで、心細くなったんですね」

「はい……」


 俺と一緒に話を聞いていたナイジェルさんとシエナさんにも説明する。


「お二人との間で何かあったわけではないので安心してください。最終的には時間が解決してくれるでしょうが、今が大事な時でもあります。なるべく起きている間は一緒にいてあげてください」

「そうか、ソーリー、寂しかったんだね」

「そりゃそうよね。いきなり知らないところに来てしまったんだもの」


 二人がオフェリアの心情に理解を示してくれて、俺も胸を撫で下ろした。

 オフェリアにとっては初めての大きな苦難だ。ここを周囲がサポートできるかどうかで今後の関係が大きく変わってくる。その点、二人とオフェリアは良い関係を築けそうだ。

 オフェリアとの関係は俺にとっても重要なことなので、俺は午前中にやる予定だった書類仕事を午後に回すことにした。


 ☆


 予定変更で仕事が押してしまったので、日が明るいうちに帰るのは難しいだろうと思っていたらリラが手伝ってくれた。


「先輩、こっちは終わりました!」

「ありがとう、とても助かった」

「へへー」


 整った字が並ぶ書類を受け取って礼を言うと、リラははにかんだような笑みを見せた。


「手伝ってくれたお礼をしたいんだが、何がいい?」

「……何でも良いんですか?」

「期待に沿えるよう善処する」


 そんなに叶えにくい希望なのだろうか。


「んー。じゃあ、これから鍛錬に付き合ってください」


 リラの言う鍛錬とは、戦闘訓練である。

 戦う力など無くても仕事や日常生活で困ることはほとんどない。強いて言えば俺が一昨日やったように現場に乗り込むなど、できることの範囲が多少広がるくらいのものだ。よって鍛錬の必要性は低いのだが、俺が代表のオックスに度々稽古をつけてもらっていたために他のメンバーも鍛錬をするようになった経緯がある。


「鍛錬くらい普通に付き合うぞ。他にないのか?」

「本当ですか。ならあれがいいです」


 そう言って挙げたのは有名菓子店の看板商品だ。チョコレートを挟んだチョコレートビスケットをチョコレートでコーティングしたとてもチョコレートな菓子で、甘党のリラの好物である。


「あれか、分かった。じゃあまずは鍛錬からにしよう」

「わぁい。裏庭で待ってますね」

「そのまま帰るから、荷物は持っていくといい」

「分かりました!」


 言うが早いか、リラは裏庭に行ってしまった。


「仲が良いわね」


 隣の席でやり取りを聞いていたアイリーが笑う。


「元担当だからな」


 ルディとリラは二人とも俺が担当した精霊だ。社会に出て働くとなった際にエイドリットへの参加を希望し、今に至る。


「お菓子、楽しみにしてるわね」

「それは話が違う」


 たかられたのを素気なく突き放し、俺も荷物を持って裏庭に向かった。

 裏庭ではリラが準備体操をしていた。俺も何となく肩回しや屈伸などをしておく。


「先輩、胸を借りますね」

「いつでもいいぞ」


 言い終わるか終わらないかのタイミングで、後ろに跳ぶ。間一髪、俺のいた所に出現した帯が空気に巻きついた。あれに捕まっていたらかなり厄介だった。


「はっ!」


 リラが空中の帯を迂回しながら猛スピードで突っ込んでくる。その手足と胴にも白い帯が巻かれている。素の身体能力に加え、帯を動かすことでスピードを底上げしているようだ。

 繰り出された足払いを綿で止め、同時に上からも綿を出してリラを押さえつけにかかる。降ってくる綿を仰いだリラは急いで体を引いた。ふらついている隙に腕を取って背中側に回る。空いた手でとんと背中を押して地面に敷いた綿の上に組み伏せた。


「まだ——いたたたたっ」


 往生際悪く何かしようとしたので掴んだままの腕を軽く捻る。


「降参、降参です!」

「よし」


 手を離してリラの上から退く。リラはうつ伏せのまま、悔しげに綿を叩いた。


「うう〜っ、瞬殺じゃないですかっ」

「帯を動かす速度に体が追いついてなかったな」


 具現化したものをどれだけ速く動かせたとしても、慣性が無くなるわけではなく肉体的な限界もある。綿を避けた時のように無理な動きをすれば大きな隙ができてしまう。


「そもそも最初のさえ決まってればどうとでもなったのにっ」

「それはどうかな。試してみるか?」

「えっ」

「あれはまだ使えるか?」


 少し離れたところに帯が落ちたままになっている。拾いに行ってその場で胴に巻いてみた。

 精霊が作り出したものは精霊自身が意識して消さない限り自然に消滅することはない。出したものはしばらくの間精霊の意のままに動くが、時間とともに繋がりが薄れいずれはこの世界の一部になる。この状態に至ると精霊は動かすことも消すこともできなくなる。

 リラがこちらに翳した右手をぐっと握ると、帯が軽く締まった。まだ使えそうだ。


「じゃあこの状態から再開してみよう」

「ほう、いいんですね?」

「ああ」


 リラは口端を上げて右手を持ち上げる。その動きと連動するように、俺の胴に巻かれた帯はどんどん上に上がろうとする。ふわりと俺の体も宙に浮いた。

 なるほど、宙に浮かせてしまえば無力化したも同然と思っているわけだな。しかしこの方法はあまりよろしくない。

 軽く膝を曲げる。足裏に綿を出して蹴りつけると体が上方に打ち出された。


「あっ、ちょっと!?」


 リラが焦った声を出すがもう遅い。空中で体を半回転して上下を入れ替え、頭をリラのいる方へ向ける。もう一度足裏に綿を出して蹴りつけるとさらに加速してリラに向けて突っ込んでいく。

 ここでリラの判断が追い付いてブレーキのかかる方向に帯が引かれるが、すかさずさらに体を反転、今度は足先をリラの目の前の地面に向ける。加速に次ぐ加速を経て狙った位置に着地し、衝撃は綿で吸収する。これで距離は詰まった。


「くっ!」


 苦し紛れに繰り出された拳を避け、手首を掴む。そのまま先程と同じように背後に回ろうとすると、阻むように胴に巻かれた帯に力が入る。その力を利用して逆方向に体を回転させ、掴んだままのリラをぶん投げた。


「よっこらせっと」

「きゃあ!」


 さすがに頭をぶつけると危ないので、適当なところに大きめの綿を出してリラを受け止める。綿の中に投げ込まれたリラは大人しくなった。


「降参?」

「……ですね」


 綿に埋もれたまま、リラは溜息を吐く。


「アドバイスをお願いします」

「そうだな、さっきよりは多少厄介だった。でも物や自分を動かすならともかく、相手を動かそうとするのはあまりおすすめできないな。相手が自分の思い通りの動きをしてくれるとは限らないから。あと、逆用された時点で帯は消した方が良かったと思う」

「うっ、仰る通りで」


 返事を聞きながら辺りを見回す。そろそろ薄暗くなり始めている。今日の鍛錬はここまでだろう。


「さて、約束のお菓子を買いに行こう」

「先輩、これ快適過ぎて動きたくないです」


 見ると俺の出した綿に完全に体を預けている。

 こんな感じのクッションが一時期流行ったのをふと思い出した。


「風邪ひくぞ。ほら立って」

「うああああ」


 リラの腕を引っ張って綿から引きずり出すと、無念そうな声を出しながら立ち上がる。

 裏庭の隅に置いておいた荷物を持って、二人で近くの商店街へと向かう。

 先程までとは打って変わってのんびりとした空気が流れていた。


「ときに先輩」

「うん?」

「オフェリアさん、どんな様子でした?」

「そうだな、まだ三日目だからな。慣れてない感じはするな」


 へぇ、と興味があるのかないのか分からない反応が返ってきた。

 リラは俺よりも背が低いので、隣に並んで歩いていてもその表情は見えにくい。


「先輩、仕事は楽しいですか?」

「……うん?」


 声色からは純粋に聞いているだけなのか、何か深刻な悩みの相談なのかとっさに判断しかねた。とっさに危険側に見積もる。


「何か悩んでるのか?」

「あ、いえ。先輩って仕事の時は生き生きしてるように見えるので」


 ああ、そういう意図か。とりあえず深刻な話ではなさそうだ。

 ほっと息をつく。


「俺の感想で言えば、まあ興味深い仕事ではあると思うぞ」

「……そう、ですか」

「リラは? どうなんだ?」

「あたしですか? あたしは楽しいというか、楽しくなるようにしてます。辛いのが当たり前になるのは嫌なので」


 思ったより深い言葉が返ってきた。

 辛いのが当たり前になるのは嫌、か。あまり考えたことがなかった。


「あたしが楽しくいられるために、精霊の皆さんには幸せになっていただかないと」

「素敵な考え方だ」

「でしょう。あ、見えてきましたね!」


 喜びの籠った声を上げながら、リラは小走りで菓子店へと走っていく。

 その背がなんだかとても眩しく見えて、羨ましかった。

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