能力
手続きは思ったよりスムーズに進み、昼過ぎには身体検査も終わってしまった。検査の結果が出るには二、三日かかるそうだ。
今日はこのまま下宿先にオフェリアを案内して終わりだ。病院を出て下宿先の家がある方向へと歩く。
「検査はいかがでした?」
「ちょっと……怖くて、痛かったです。腕に針が、グサって」
腕に針を刺して体内の魔力を少し吸い出すのだ。血液採取に近い。グサと言うほど針は太くないのだが、恐怖感が刺される印象を強めたのだろう。
オフェリアは包帯を巻いた左肘の裏が気になるらしく、しきりに摩っている。
「まだ痛みますか?」
「いえ、もうあまり痛くはないんですけど、その、気になっちゃって」
「なるほど、違和感があるんですね」
禅問答のようだが、気にしているものを気にしないように気を付けるのは無理難題と言っていい。何か別のものに注意を引き付けたいところだ。
そういやこの近くにはアレがあるな。昼食はまだなので丁度良い。
「とりあえず昼にしましょうか」
歩く先に大きな公園が見えてくる。螺旋状の大きなオブジェがシンボルの公園だ。家族連れで賑わう広場があり、その一角に屋台がいくつか並んでいる。
屋台のうちの一軒に近付くと、やけにハイテンションな声が聞こえてきた。
「ヘイ、寄ッテッテヨー。ウマイヨー」
スパイスの利いた匂いのするこの屋台は俺のお気に入りだ。
たまに来るからか、店員の若い男も俺の顔を覚えているらしい。気さくに片手を上げて挨拶してくれる。
「オニーチャン、待ッテタヨー」
オフェリアがじっと店の前に置かれた大きな鉄板を見つめる。
そういや希望を聞かずに連れて来てしまった。
「あの、ここは……?」
「ロールサンド屋です。俺のおすすめですが、他にしますか?」
「いえっ、ここで良いです」
なんだか言わせた感があるな。まあいいか。
「すみません、普通の二つで」
「ハイヨー」
お金を渡すと、店員の男はサムズアップして調理を始める。大きな鉄板に刻んだ肉と野菜がたっぷりと置かれ、ジュウと音を立てた。しばらく炒めてから特製ソースをかけると、スパイスの匂いが強くなる。同時に鉄板の余白に薄い生地が二枚並べられた。
「おお……」
興味津々といった様子で見ているオフェリアに気を良くしたのか、男はやけに気取った動作で生地を調理台に移し、炒めた肉と野菜を上に乗せる。くるくると丸めて持ちやすいように紙で巻いたら完成である。
「ヘイ、オネーチャン」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたロールサンドを受け取ろうとオフェリアが手を伸ばす。そのタイミングで、男はにやりと笑ってサンドをすっと引いた。
「えっ!?」
サンドを受け取れず悲しそうな顔をするオフェリアを見て、男が声を上げて笑う。オフェリアはぱちぱちと瞬きをしながら俺の方を振り返った。
「ああ、それ毎回やるんです。次はちゃんとくれるので気にしないでください」
男が再びサンドを差し出す。恐る恐るオフェリアが手を伸ばすと、男はまたしても腕を引こうとする。が、その腕は引く前に止まった。
「ありがとうございます……?」
若干怪訝そうな表情をしながらもオフェリアはサンドを受け取ることに成功する。
一方、男は眉を上げて俺の方を見た。
「ズルダヨー」
「何のことです?」
さて、次は俺の番だ。男はサンドを体の横に構え、先程とは違う挑戦的な笑みを浮かべている。俺と男は鉄板を挟んで向かい合った。
結構な速さで差し出されたサンドを掴みにかかる。すかさず腕が引かれるが、構わず俺も手を伸ばす。すると男は俺から見て右に腕をずらして躱す。上下左右に素早く躱してくる腕の動きを予測して、何度目かでサンドを奪い取ることに成功した。
「チッ」
「ありがとうございます」
悔しそうにしながらも男が手を差し伸べてきたので、空いた手で握手する。
オフェリアの元に戻ると、彼女は目を丸くしていた。
「凄かったですね、今の」
「まあ、慣れもあります」
オフェリアを促して、近くのベンチに移動する。
俺の真似をしてサンドに齧りついたオフェリアは顔を綻ばせた。
「んん!」
どうやらお気に召したようだ。
その後は俺もオフェリアも無言でサンドイッチを頬張った。
俺の方が先に食べ終えたこともあり、別の屋台でお茶を買ってきてベンチに座っているオフェリアの横に置いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
俺もベンチに座り直して、お茶を啜る。良い香りがした。
ふと視線を感じて横を見ると、お茶を両手に持ったオフェリアが顔をこちらに向けている。
「どうかしましたか?」
「さっきの、ノクトさんの能力ですよね?」
「さっき? ああ」
言いたいことを理解して、頷く。
ロールサンド屋の男が「ズル」と言った件だろう。
「あの人、手が途中で止まったように見えました」
「そうですね。あれは俺の能力です」
隠す意味もない。
腕を突き出して、掌を上に向ける。意識を集中すると、白いモコモコした物体が手の上に現れた。
「俺、綿の精霊なんです」
綿を具現化できる、それが俺の能力だ。主に衝撃吸収や鋭利なものの保護に使える。精霊は具現化したものをある程度自由に動かせるので、綿をその場に留めておくことで物の動きを止めたり、踏み台にしたりもできる。さっきは男の肘のあたりに小さな綿を出して腕を引けなくしただけだ。
「かわいい……!」
作った綿をオフェリアに渡すと、潰したり引っ張ったりし始めた。ただの綿をかわいいと思う感性は俺には分からない。
「綿を出すときって、どんな感じなんですか? 疲れますか?」
「ええ。大量に出したり、無理な動きをさせようとすると疲れます」
「そうなんですね! 面白そうです」
無邪気に笑うオフェリアの瞳はとても澄んでいる。
「私も早く能力を使ってみたいです!」
「検査の結果が出てからですね」
「はい!」
とても楽しそうなオフェリアとは裏腹に、俺の中には不安がある。
精霊は今の時期が一番危ないのだ。能力の制御が安定しないと意図しない形で暴発する可能性がある。
腰のポーチに触れる。万一のため、魔道具を一つ入れてあった。使えば一定の空間内で物質が増えたり減ったりしないルールを強制する魔法が発動する。精霊の能力の発動そのものを制限する装着型の魔道具も存在はするが、検査結果を元に精霊ごとのカスタマイズを行う必要がある。検査結果が出るまでは気が抜けないのだ。
そんな内心をなるべく出さないようにしながら、俺はオフェリアを連れて公園を後にした。
☆
下宿先の夫妻はオフェリアを温かく迎えてくれた。
「やあ、オフェリアと呼んで良いかい? 僕はナイジェル・オーカーだ。よろしく」
「シエナ・オーカーよ。よろしくね」
「オフェリアと申します。お世話になります」
二人は人間の魔法士で、魔法の研究を生業にしているらしい。今回、生活費の足しになればとのことで下宿人を募集する運びになったんだそうな。
「まさか精霊さんが来てくれるとは思ってなかったよ。人生はエキサイティングだね」
ナイジェルさんは陽気にウィンクする。朝挨拶に来たはずのルディと気が合いそうだ。
オフェリアと一緒に家の中にお邪魔し、住むに当たっての決まり事などを確認する。俺からは何かあった際の連絡先と、ポーチの中の例の魔道具を手渡した。
「最初のうちはオフェリアさんの不安も大きいと思うので、俺もなるべく時間を作って会いに来るようにします。少しずつ環境に慣れていきましょう」
「無理せず気楽にいこう、オフェリア」
「はい、よろしくお願いします」
日が傾いてきた頃、俺は一人でオーカー邸の外に出る。玄関まで夫妻とオフェリアが出て見送ってくれた。
今までも精霊が新たに生まれる度に繰り返してきたことだが、この瞬間は安堵したような不安のような、何とも言えない気分になる。
できれば明日も来ておきたい。頭の中で明日の予定を立てながら、俺は帰途についた。