明朝
夜が明けて、雲ひとつ無い空に朝日が昇る。
昨日は事務所に泊まり込みだった。仮眠室では今もアイリーと少女が眠っている。
今俺は保存食のビスケットを齧りながら、備え付けのキッチンでフライパンを火にかけている。温まってきたところで先に漬けておいたパンを焼いてゆく。パンが二人分しか無かったので俺の朝食がビスケットになったという顛末だ。
ここで同時にサラダなんかを作れれば料理人として生きていけるのかもしれないが、生憎そこまでの技術はない。パンが焦げないように突っつくので忙しい。レマンは魔力充填中で動かせない。
と思っていたら、玄関の開く音がした。
「おはよーございまーす、ノクトさーん」
「ああ、おはよう。ちょうど良かった」
事務所に入ってきたのはルディ、背の高い男で雷の精霊だ。俺の後輩の一人でもある。
雷の精霊といえばとても強そうだが、厳密には「帯電した粒状の物質」を具現化するとても限定的な能力だ。その特性故に例えば他の人間に直接触れて感電させるような芸当は難しい。
「ちょうど良かったって、何がっすか?」
「氷室に野菜があるから、適当にサラダでも作ってくれると嬉しい。二人分な」
「ええー何で……あ」
不満そうに口を開いたルディは何かに気付いたように言葉を切った。
そそくさと仮眠室の方へ向かい、何かを確認して戻ってくる。その目には先程まで無かった輝きが宿っている。
嫌な予感がした。
「あの子っすか? ノクトさんが昨日保護した子」
「そうだよ」
「めっちゃ可愛いじゃないすか」
またこれだ。この男、軽そうに見えて実際軽い。
「その辺は人それぞれの主観による」
「またそんなこと言うー。良い加減女の子の好みとか教えてくださいよ」
「サラダ作ってくれるのか、くれないのか」
「やりますやらせていただきます! 本気出しますよ」
「そこまで入れ込まなくていい」
やいのやいの言いながら朝食を作っていると、再び玄関の開く音が聞こえてくる。
「おはようございまーす。良い匂い!」
今度は小柄な女性、リラだ。ルディと同じく俺の後輩にあたる。帯の精霊で、帯状に繋がっているものを具現化できる。本人は自分の能力が気に入っているらしく、よく自作のリボンを使い髪を頭の後ろで束ねている。今日は艶のある深紅のリボンだ。
「先輩先輩、あたしの分は?」
「残念ながら。大体俺の分すら無いからな」
「え、それはどういう……あ」
リラはどこか既視感のある反応を見せて仮眠室に向かう。しかし彼女はルディと違い何とも言えない顔で戻ってきた。
「今回は女の子なんですね」
「ああ。どうかしたのか?」
「いえ、何でも」
いつもはっきりした態度のリラにしては歯切れが悪い。しばらく黙って何か考えている様子だったが、やがて頭を振った。
「ま、いいか。先輩、朝食べてないならチョコあげましょうか」
「大丈夫だ、さっきビスケット食ったからな。さて、そろそろ出来上がるから二人を起こしてきてくれないか」
「なんだ、起こして良かったんですね。では行ってまいります!」
キレのある動きで敬礼し、リラは改めて仮眠室へ突撃していった。
焼き上がったパンを皿に移し、やけにゴージャスなサラダと共に応接スペースのテーブルに置いた。
手持ち無沙汰になったルディは俺の机の上の報告書をめくっている。
「ノクトさん、今日は一日あの子の付き添いっすか?」
「そうだな。まずは役場で戸籍登録、それから病院で身体検査だ」
「俺、何か手伝うことあります?」
「手伝いか。今日何するんだっけ?」
「何人か定期面談が入ってますけど」
エイドリットは精霊達が社会に出るまでの支援が主だが、社会に出た後もしばらくは定期的に会って困り事がないかなどを確認している。ルディは今日そうした精霊達に会いにいくようだ。
とりあえずキッチンに戻ってスポンジを泡立てながら少し考える。
あの子を今後の生活拠点に早めに移したいとは考えていた。いきなり一人暮らしはハードルが高いので、身の回りの世話をしてくれる存在が必要になる。いずれ自立してゆくことを鑑みてもエイドリット以外との繋がりは作っておいた方が良い。
昨夜、現場に向かう前から精霊が新しく生まれることは分かっており、役場や病院には事前に話をつけていた。下宿先も一応仮押さえは済ませてある。
「なら、朝一で下宿先に行って挨拶しておいてほしい。予定通り今日からお世話になりますって」
「了解っす」
「起こしてきました!」
ルディの返事とリラの声が重なった。
戻ってきたリラは大仰な仕草で肩をすくめる。
「アイリー先輩の朝弱いのってどうにかならないんですか? いつも起こすの大変なんですけど」
「じゃあ次から俺が起こしていい? 朝弱い女性ってぐっとくるんだよね」
愚痴を聞いたルディが身を乗り出す。
リラは頬を引き攣らせた。
「ルディ先輩、それあたし的にラインギリギリですよ」
「えっ怖……ライン越えたらどうなるの?」
「代表に言いつけます」
「それはやばいって! ごめんねリラさん!」
エイドリット代表、オックス。昨夜現場から転移する際にアイリーに向かって頷いた厳つい風貌の男である。事後処理のために現場に残ったようだが、まだ事務所に戻ってきていない。
「おはよう……朝から元気ね……」
騒がしさに顔をしかめながら、アイリーがフラフラと事務所に入ってくる。
目が合ったので応接スペースの朝食を指差した。
「おはよう。眠れたか?」
「お陰様で。……何この変なサラダ」
アイリーは怪訝な表情を浮かべながらも応接スペースのソファに腰を下ろす。
ともかく、これで代表以外のエイドリットのメンバーは揃った。代表も入れてたった五人の組織である。精霊の数がさほど多くないので五人でも案外どうにかなるもんだ。
「あの、お、おはようございます」
続いて事務所に入ってきた件の少女は、寝ている間に増えた二人に怯えていた。
☆
俺と少女が役場に顔を出すと、訳知り顔の職員がすぐに別室に案内してくれた。
事務所のものより多少豪華な机を挟み、奥側に俺達が、入口側に職員が腰掛けた。
机の上には既に書類が用意されている。
「そちらが戸籍登録の申請書類になります。ご本人のお名前と生年月日を記入してください。下の欄には保証人の署名をお願いします」
「分かりました」
少女はまだ文字が書けないので、書類は俺が書くことになる。保証人は代表のオックスだが、代理人として俺が署名する。少女の担当は一応俺ということになっているからだ。
一応書く前に少女の意志を確認する。
「名前、書いて良いですか?」
「はい、お願いします」
少女の名前は朝食後、事務所にいた全員で候補を出し合い、少女自身に選んでもらった。
緊張した表情を浮かべる少女の名前を、なるべく丁寧に書く。
オフェリア、と。