邂逅
突入、と声がした。耳につけたインカムからだ。
迷彩服を着た制圧部隊の皆さんが扉を勢いよく開き室内へとなだれ込んでいく。
俺はわざと少し間を空けてから、ゆっくりと部屋に入る。
中の間取りは頭に入っている。戦う人達も飛び交う銃弾も魔法さえも意に介さず、ど真ん中を突っ切り奥を目指す。強いて言えば立ち込める煙と埃が鬱陶しい。
部屋の奥には窓があり、その向こうにもう一つ部屋がある。窓の下にはよく分からない機材が並んでおり、さながら実験施設の様相を呈していた。
向こうの部屋への入り口が機材の脇にあるのだが、ちょうど俺の横を通った閃光が目の前の窓ガラスを粉砕してくれた。窓枠に残ったガラスの縁を保護しながら、奥の部屋に入る。
真っ白な部屋だった。白すぎて壁までの距離が分からなくなるほどだ。その白い部屋の中央に、うずくまっている少女がいる。少女の正面より少し斜めの位置に片膝をつく。
「言葉は分かりますか」
はっと少女が顔を上げる。こちらの目を見て、微かに頷いた。
意思疎通ができるのはありがたいことだ。全裸だが。
持っていたローブをなるべく丁寧にその少女に掛けて、インカムに向けて話しかけた。
「こちらノクト、対象を保護した。任務完了だ」
すぐにインカムから返答があった。
「おうちに帰るまでが任務よ」
☆
戦っている人達は放っておいて、少女を連れて建物から出る。途中何事か叫びながら襲い掛かってきた人物が何人かいたが、ほぼ制圧部隊が何とかしてくれた。
夜遅くにも関わらず、外は外で人が多い。後方支援の方々と予備部隊、救護班、敷地の外から様子を窺う見物人、新聞記者、立場は様々だ。その中で見知った顔を探し、アイリーの方へ向かう。俺と同じような黒っぽい服を着て、左胸にオーロラを象った紋章をつけた女性だ。ややくすんだ白い髪を風に靡かせるその姿は、外見だけで言えば二十歳そこそこに見える。
アイリーは俺と少女を朗らかな笑顔で出迎えてくれた。
「さすが、スムーズね。あなたに任せて正解だったわ」
「そりゃどうも」
その声音は先程インカムから聞こえてきたそれと同じだ。
アイリーは俺の陰に隠れるようにして歩く少女にちらと目を向け、俺に向かって尋ねる。
「言葉は?」
「大丈夫だ」
アイリーは頷き、改めて少女と目線を合わせた。
「初めまして、私はアイリー。非営利組織『エイドリット』のメンバーとして、あなたを一時的に保護することになっているの」
「あい、りー?」
「そう、私の名前。よろしくね」
今ひとつ状況が飲み込めていない少女は助けを求めるように俺の方を見上げた。
ここで説明しても良いが、ローブ一枚の少女に春先の風は冷たかろう。周囲の目もある。
「もう離脱してもいいよな?」
「そうね。後のことは任せて転移しちゃいましょう」
アイリーは後方支援の方々に目配せをする。こちらの様子を察したらしく、厳つい顔の男が頷いた。
ベルトポーチから小さなランタンのようなものを取り出して三人の中心に置く。スイッチを入れると転移用の魔法陣が三人を囲むように現れた。
「じっとしててね」
アイリーが少女に言い聞かせた直後、唐突に景色が切り替わる。
見えていた大きな建物や人々の姿が消え、俺達は灰色の机が並ぶ事務所の片隅に立っていた。暗い事務所には人気がなく、防犯兼雑用係の魔法人形が俺達に気付いて灯りをつけてくれた。
目を瞬かせる少女にアイリーがくすりと笑う。
「急に景色が変わって驚いたでしょう。これは転移魔法、つまり離れた場所へすぐに移動する魔法が使える道具なの。魔法発動に必要な魔力が無くなったら、そこのマナチャージャーに繋いでおけば魔力が補充されるわ」
アイリーが床のランタンを拾って近くの小さな台に乗せると、ランタン全体が淡い光に包まれる。ちなみにこの光が消えたら魔力の補充は完了だ。
向き直ったアイリーは少女を下から上にじっくりと眺め回した。
「さ、まずは着替えね。うへへ」
「良心から忠告しておくけど、うへへはやめた方がいいと思うぞ」
「この子には白か青が似合うと思うの」
「聞いてないな……」
一抹の不安を感じながらも物置部屋に向かう二人を見送り、自分の席に腰を下ろす。耳からインカムを外して机上にある小さな魔力充填器、マナチャージャーの上に置いた。
「レマン、アップルティーを三つ淹れておいてくれ」
「かしこまりました」
指示を出すと魔法人形のレマンが一礼してキッチンへ向かう。
俺は俺で机の上に置いておいた資料に目を落とす。今しがた終えた仕事についての書きかけの報告書だ。ペンの反対側の先で額を小突いてから、報告書に書き加える。
『ミイの月十八日二十時十五分、当該精霊を保護した。外見の特徴は別紙資料を参照のこと』
いつものことだが、報告書は苦手だ。書いている時は違和感が無いが、後で読み返すと説明不足やまわりくどい言い回しに気付くことがよくある。消して書き直すのも面倒なのでいつもそのまま提出してしまう。困ったものだ。
『今後は能力の特定を行い、速やかな社会への適応を目指すものとする。対応に当たっては各機関と連携を取りながら』
「終わったわよー」
ガチャリと物置部屋の扉が開き、二人が事務所に戻ってくる。空返事を発しながらキリの良い所まで書き上げ、ペンを置いた。
事務所の中には間仕切りで区切られた簡素な応接スペースがある。長いソファに二人が座ったので、俺は向かいに腰を下ろした。ほぼ間を置かずにレマンがそれぞれの前にアップルティーを置いてくれる。
少女は薄い青のワンピースに着替えていた。アイリーにしては質素なチョイスだ。
アイリーが目で訴えている。俺が話せということか。
「これから少し難しい話をしますが、眠くないですか?」
「は、はい。大丈夫です」
少女が緊張した面持ちで頷く。アイリーが呆れたような表情を浮かべた理由はよく分からない。
気にならないと言えば嘘になるが、とりあえず話を進めよう。
「改めまして、俺はノクトです。アイリーと同じく『エイドリット』のメンバーです」
「ノクト、さん、よろしくお願いします」
ぺこりと少女が頭を下げる。
まだたどたどしさは残っているが、先程より大分しっかり話せるようになったようだ。推測するに着替え中相当しつこくアイリーから話しかけられたのだろう。若干気の毒だが結果で言えばアイリーは良い仕事をしてくれた。
「エイドリットの説明は一旦置いておいて、あなたの話からしましょう」
さて、この仕事で最も神経を使うのはここからだ。
一旦アップルティーで唇を湿らせてから、少女に尋ねる。
「あなたは先程、あの魔法実験施設内の魔力溜まりから生まれました。なんとなくでも覚えていますか?」
ちなみに施設が違法な魔法実験を行っていたことは少女には伏せておく。
しばしの沈黙があった。
「本当に……本当になんとなく、覚えています。気付いたらあの部屋にいたこと、だけ」
「そんなものです。俺やアイリーもそうでした」
少女は目を見開く。
「俺達は、世間では『精霊』と呼ばれています」
精霊。
魔力溜まりから生まれる人の形をした存在。
外見上は人間と同じでありながら、生まれつき特定の概念を具現化する能力を持つ。
「まあ、概念の具現化なんて難しいことを言っているけど、要するに『何か出せる』ってことよ」
こんな風に、とアイリーは掌を上に向ける。
ふわりと緩やかな風が吹き抜けた。
「私は風の精霊だから風を出せるってわけ。厳密には『風という概念が示す何か』だけどね」
「私も……?」
「ええ、何かを出せるはず。それが何かは調べてみないと分からないけれど」
少女は自分の手を見下ろして握ったり開いたりを繰り返している。
だがここで適当に能力を使われては困るのだ。
「能力が判明するまでは出してみようとしない方がいいです。何が起きるか分からないので」
例えば光の精霊だったとして、ここで出力制御も分からないまま強烈な光を出されたりしたら全員失明、下手をすれば光に伴う熱でここら一帯が消滅することもあり得なくはない。
「話を戻しますね。先程一旦置いておいたエイドリットについてのお話です」
魔力溜まりから生まれた精霊でも、生きていくには食事や睡眠が必要になる。そして人間社会でそれらを得ていくには、社会に参画するのが最もスムーズだ。
しかし、精霊はその境遇故に必ず身寄りも無ければ所持金もない素寒貧の状態からスタートすることになる。
そこで必要になるのが、支援者の存在だ。
「精霊が社会生活を始めるための手助けをする。それが俺達、非営利組織エイドリットです」