3-1.知と恥
翌日の昼、私は花坂のにじのまちにいた。
そこそこの人通りの中、通りすがる人を気にしながら、書店の近くで立って、六島さんとその知り合いが来るのを待っていた。
以前にこの辺りで待っていた事もあり、『待ち合わせには良いだろう』と思っていた。
「あれ? ここで待ってたんだ」
しばらくして、その六島さんが話しかけてきた。
すぐ後ろには、彼女が『知り合った』と言っていたと思わしき人も立っていた。
オレンジと黄色の間のような色の短めの髪とオレンジのカチューシャ、水色のような瞳は見えていた。
一度体を少し左前に傾けて、彼女の顔を見ようとした。
カチューシャの左側には、白い花のような形の飾り物がついていた。
「こんにちは、はじめまして」
「えっ? ……どうも」
姿勢を戻した後、その方に視線を向けて話してみる。
困るような雰囲気で返事されたが、よくある反応のうちの一つだ。
いきなり話しかけられて、好意的に反応できる人がいるとしたら、その人はきっと、常に前を向いていられる人かもしれない。
「あ、初対面だったっけ?」
その様子を見た六島さんから、彼女について教えられた。
名を「玉野」さんといい、六島さんのクラスメイトの一人で、普段は楽しむ事を第一としているとか。
ただ、他人の流れに乗る事は、かなり苦手らしい。
彼女と少し言葉を交わした後、フードコートに向かった。
納得がいっていないように見えたが、後で何か提案はするだろう。
「そういえば、たかはし……いや、棚橋も、拓海くんの事が好きなの?」
そこで席につき、話していた中で、玉野さんが訊いてきた。
言い間違えられそうになったときは、驚いてしまった。
高橋と間違えられた事はこれが初めてではないが、そんなに多くはないし、何より慣れない。
指摘しても、大体相手は『ああ、ごめんね』と平謝りで、ややこしいと言われる事もない。
わざとではないだろうし、目くじらを立てるべきでもないのは承知しているが、つい気になってしまう。
『大切な友達……でしょうか』
訊かれた事を聴いていて、頭をよぎったのは、前に笠岡くんの部屋に訪れた際、彼の方から訊かれた事に対しての返事だった。
「どちらか、といえば好き……です」
「大丈夫?」
「ああ、はしえなは大体こんな感じだから」
「そうなの?」
問に対しては、否定とも、肯定とも言い難いような表現を使った。
とても緊張していたし、返事だって迷っていた。
「棚橋って子、拓海くんじゃなくて、拓海くんを好きな子を狙ってるんだっけ?」
「大体合ってるよ」
「えっ、もしかして……百合なの?」
「そんな事はないよ? スキンシップとか全くしないし」
私がかき揚げとネギをトッピングしたかけうどんを持って席に戻ると、六島さんと玉野さんの談義が始まっていた。
「はしえな、小三角でいいの?」
六島さんはテーブルに置いたうどんを見て、困惑気味だった。
小三角というのは、このフードコートに入っていたうどん屋さん。
『悪い事なのか?』と思い、少し驚くような仕草を見せてしまった。
しかし、この地域では、うどんは避けては通れない食べ物だ。
農業からマスコットキャラクターまで、とにかくうどんを推している。
私も、『うどんといえば麺に強い粘りと弾力があり、出汁はいりこベースで旨味のある歌分うどん』だと教えられてきた。
今住んでいる街と縁のある歴史上の人物が、現在の中国に行っていた際に当地の人に一緒に教えてもらい、それを帰ってきた後の日本で広めた、との説が有力なんだとか。
この地域の人達は、うどん屋さんの「味」「価格」「提供速度」に非常に厳しく、全国規模のチェーン店も苦戦を強いられているとか。
家族でうどんにうるさいのは、父さんだけだったりする。
『ご飯、どうする? うどんだったらはなざかにするけど』
『はなざか食工はなぁ……。 高いんだろ? あの価格じゃ、どんな味でも釣り合わないだろうに……』
『まあまあ、葉畑とは違うんだし、はなざかでもいいでしょう?』
『それは……そうだな……うん』
『いや、他所ならあれでいいな、うん、他所なら! 一番とは言わんが悪くもない』
『嬉しそうで何より、といった所?』
『そんな事はないな、本物はあんなのじゃあない』
『お父さん……』
以前の夏休みに、田島にある母さんの実家を訪れた際、一人だけ全国チェーンのうどん屋さんに対して拒否反応を示していた。
しかし、食べ終わると、笑い混じりの早口でそのお店のうどんを評価し始める父さん、その様子を何かがおかしくなったのかと心配する私達きょうだい、というやり取りがあった事は、今も記憶に残っている。
「基本的に、気にしないので……」
「そういえば、はしえなの家族って、もともと有瀬良に住んでたんだよね」
「はい、私だけ改信院生まれで、それ以外はほとんどが博識の田島という所で……」
「田島? 車の?」
話が私の地元についてのものに変わる中、玉野さんが食いついてきたのは、田島という街についてだった。
有瀬良というのは、博識県にある、東海地方最大の都市。
その規模は東の洋城、西の井本と並んで「洋有井」と呼ばれるほど。
有瀬良県と間違われる事も少なくないとか。
「そう……ですね」
「あれ、はしえな?」
「気にしないでください。 何かあったかとかは、こちらの事なので」
「あ、うん」
返事に元気がないと思ったのか、六島さんが心配そうにしていた。
すぐに笑みを浮かべて返事をしたが、『何故なのか?』という疑問は残るかもしれない。
彼女だったら、あまり気にしなかったり、理解してくれたりするかもしれないが―――――。
田島において、市内に本社を構える大手自動車メーカーの影響力は絶大なものだったとか。
母さんもまた、自身の父親も働いていた、メーカーの系列の会社で働いていたのだが、私の父さんと結婚して、しばらくしてから辞めたらしい。
現在も住んでいる改信院に引っ越してきた理由もまた、『車屋に命を握られているようで嫌になっていた所に、衣奈パパが自分の父親の住んでいる葉畑県内への移住を勧めてきたからだ』という。
『衣奈パパ』というのは、私の父さんの事だ。
私のきょうだいは全員父が違うため、母さんは『愛奈パパ』、『勇パパ』、『衣奈パパ』と呼び分けている。
初めて知った時は、『うどんは良いの?』と疑問に思っていて、後にそれを直接訊いて、母さんを怒らせてしまった経験がある。
その時の脅し文句は、『お前を会社の寮に押し付ける』、だったか。
そんな家の車は―――――その「働いていたメーカー」のワゴン、「セッチナー」の旧モデルで、水色のような色の車体だ。
いつもは父さんが運転しているが、酒を飲んだ時は母さんが運転している。
この事については『衣奈パパのものだから仕方がない』と言ったかと思えば、『勝手に売ってでも乗り換えさせたい』と言ってみたりと、今も発言が二転三転している。
「ごちそうさまです」
しばらくして、私はうどんを食べ終わった。
言い伝えられてきたものとはかけ離れているようにも感じたが、食べないよりかは良いだろう。
『ここはそういうもの』、と割り切ればいい。
六島さんと玉野さんはというと、それぞれアイスクリームとハンバーガーを食べていた。
二人とも満足そうにしていて、食べている途中で会話している事もあった。
食べ終わったあと、三人でフードコートの横にあるゲームセンターに向かった。
六島さんが遊ぶゲームを探そうと、店内を見て回る中、玉野さんが見つめていたのは、キャラクターのフィギュアが景品のクレーンゲーム。
緑青の瞳と髪の大きなポニーテール、曲げた付箋のような頭頂部の毛が特徴で、薄いピンクと黄色のポップなコスチュームのものだった。
パッケージも青緑が中心で、フィギュアの画像が大きく描かれていた。
そのキャラクターの名前は―――――「二色ムウ」?
特に好きとも嫌いとも言えない。
よく知らないし―――――。
「これって……?」
「ああ、これ? 『リデレ』のフィギュアだよ」
でも、どんなものなのか気になったので、訊いてみた。
「リデレ?」
「え、知らない?」
「ああ……でも、名前は聴いたことがあるかも……?」
何の事かと思って訊くと驚かれたが、すぐに思い出した。
「リデレ」は、「リーデレクトロニクス」という、音声合成ソフトウェアの事。
もともとは「ネット小説の朗読用ソフト」として開発されたもののようだ。
それをボーカルとして使用した、いわゆる「リデレ曲」と言われている楽曲の数々は、今や意識していなくてもたまに耳にするし、知り合いにはカラオケでそれを選曲する人もいる。
二色ムウは、そのようなソフトウェアのイメージキャラクターの中では代表格にあるようで、「リデレ」という単語そのものの代名詞のような存在にもなっているとか。
「こういうのってMaidariで買ってたんだけど、MyMoverの動画とか見てて、『自分で獲った方が安くつくんじゃ?』と思ってたんだ」
「そうなんですね。 まず、やってみても良いですか?」
「良いよ、もし獲れたらこっちにくれる?」
「はい」
話を聴いていて、やってみたくなったので、筐体に百円硬貨を入れた。
これに反応して、入れた事を意味するであろう電子音が鳴る。
クレーンゲームは、小学校の時以来だ。
そもそも、父さんの外出の選択肢には、ゲームセンターというものは無かった。
大きめのスーパーや商業施設に連れて行ってもらった時に、ついでで行かせてくれる場所、という認識でいた。
この手のゲームそのものは、たまにテレビでも見かけるが、テクニックなどはよく覚えていない。
フィギュアの入った箱は、二本のゴムのようなものの付いた棒の上に、仰向けで置かれていた。
タイミング良く二つのボタンを押して、それを狙ってクレーンを移動させていく。
しかし、右側のアームが当たっただけだった。
「うーん、惜しくもないなあ。 もう一回やる?」
「……別にいいです」
その様子を見ていた玉野さんから、話しかけられた。
また挑んでみる、というのも考えはしたが、よく分からないままでは無駄だろうと判断した。
「そっか。 あ、これ持ってて」
「えっ?」
彼女から渡されたのは、動画を撮影している状態の端末。
やっている様子を撮ってほしい、という事だろうか。
その割には、表示されている撮影時間が七分半と長かったのだが、まさか―――――。
時間や目的等を疑問に思いながらも、言われるままに、両手で端末を持っていた。
「はあ?! アーム弱いって!」
玉野さんは数枚の百円硬貨を投入して、必死になってフィギュアを落とそうとしているが、良いようには進んでいないようだ。
景品自体は、今にも落ちそうな状態になってきた。
しかし、途中から、棒の間に嵌ったような状態になっていた。
私としては、店員さんや他の人の反応が怖いし、早く落ち着いて景品を獲ってほしいのだが、彼女を急がせるわけにもいかなかった。
どれだけ怒らせてしまうのかも分からなかったし―――――。
「よし、来た!」
「おおっ……?」
しばらくして、片方のアームで、箱の隅を落ちてくる部分に押し込むようにクレーンを動かして、ようやくフィギュアを手に入れた。
「はいーっ!」
玉野さんはかなり嬉しそうにしていて、私の方に歩み寄っては、ハイタッチの代わりと言わんばかりに、右肘に左肘を当ててきた。
痛いわけではないが、唐突だったので内心驚いていた。
「おめでとうございます」
「ありがとう!」
でも、こう言わないわけにはいかなかった。
彼女ははにかみながら、こちらに返事をしてくれた。
「要る? これ」
「それは……どうとも……」
彼女の端末を返した後に、こちらにフィギュアの箱を見せてきたが、苦笑いするしかなかった。
欲しがっていたのは、彼女の方だったからだ。
どういうキャラクターなのか、というのは、気にはなっていたが。
「棚橋も一回やってたじゃん! なんで嫌そうなの?」
「そんな事は無いです。 あなたが欲しがっていたものでは、と……」
機嫌を悪くさせてしまった。
きっと、好きな物が否定されたかのように取られたのだろうか。
その事自体は、とても褒められる事ではない。
しかし、もしも私が無意識にそれに類する事をしてしまっていたら、と思うと、余計に気難しくなる。
そもそも、嫌そうなのではなく、玉野さんの事を考えると、素直に喜べない所があった。
彼女が怒る様子をまた見たいというわけでもなく、置き場所や家族への説明についても迷う。
一回だけやっていた、というのも、欲しかったからではなかったし―――――。
「いいから受け取ってよ。 こっちの分とか、どうせ後で獲るだろうから」
「……ありがとうございます」
結局、言われるがままに、フィギュアを受け取った。
かなり気を遣わせていただろうし、『もっと嬉しそうにしなよ』とか言われてもおかしくはない。
ただ、どうして私に受け取ってほしいのか、というのが分からなかった。
玉野さんなりの『優しさ』なのだろうか?
でも、彼女もきっと、内心ではかなり嫌がっているかもしれない。
私のせいで、気分が台無しになった可能性だって、無いとは言い切れない。
その後は、三人で曲に合わせて太鼓を叩くゲームや、エアホッケーを楽しんだ。
玉野さんの手付きは、慣れているかのようだった。
それから、家に帰ってきての事。
晩ごはんを食べ終わった後、リビングでテレビを見ながら会話していた時――――。
「何だ、それ?」
「知り合った人から貰いました」
最初にフィギュアに反応したのは、父さんだった。
かなり真剣そうに見つめていた。
小学校の頃の、『あくまでも遊びはおまけだ』などと説いていた頃の父さんなら、もっと怒っていた事だろう。
「ムウだ! でも、なんで?」
「知り合った人がゲーム好きだったんです。 それで、自分の分は後で獲るから、と……」
食い気味の様子を見せたのは、愛奈だった。
彼女は「リデレ曲」が好きで、よく聴いていた。
中学二年の頃の彼女は、ポニーテールと自作の青緑と黒とサーモンピンクのリボンが特徴だったが、それはあのキャラに強い影響を受けていたからだったのだろうか?
理由について、全然説明してくれなかったのだが―――――。
「これ、Maidariで探してたんだ。 貰っていい?」
「良いですよ。 あまり知らないので……」
欲しがっているように見えたので、譲った。
『玉野さんにはどう言えばいいのか?』と、心配になりながら。