10-3.見えざる煙
「あれ? どうした?」
私が笠岡くんの話題になった途端、まともな返事ができなくなっていたのが、玉野さんに気付かれた。
彼女は一度こちらの顔を見ては、声をかけてきていた。
「いや……特には何も……」
その返事さえも挙動不審になり、軽く彼女を笑わせてしまった。
「そうなんだ。 ……本当に?」
「本当に全くない、ってわけでもないんですけど、大した事でもないので、それだったら言わないでおいた方がいいかな、って」
「へえ……」
落ち着きを取り戻した直後の彼女の問いにも返してみると、何か納得したような様子を見せた。
それからも、二人から勉強を教えてもらったり、いろいろと話したりして、帰ろうと話を切り出した頃には、外はすっかり暗くなっていた。
三人で家の前に出て、解散する直前まで話を続けていた。
帰って夕飯を食べ終わってからも、六島さんとのやり取りは続いた。
……SENNのメッセージで。
勉強会の中でしていた話からの続きのようなものが中心だった。
この時、作戦についても話をしていた。
その中で井原さんと福山さんについて触れていたのだが、「二人を選挙でも負かせる事ができたら最高」などと送られてきた時は、一度文字列が表示された端末の画面を前に眉をひそめた。
本来の狙いからも外れた、二人に対する悪口だと受け止めてしまっていた。
その二人にやろうとしている事を考えたら、そういう反応になってしまうのもあまり良くはないはずなのに。
翌日……の変化といえば、改信院市内の本屋さんでライトノベルや漫画を探して買ったくらい。
何かあったか、というのも、買う作品について、美佐さんから勧められていたものにするか、自分が見つけて気になったものにするか迷っていた程度だ。
結局買ったのは後者。
「鏡の先の私と遊ぶ」という、青年コミックのコーナーで見つけた漫画の一巻目だった。
一卵性の双子姉妹の愛情を描いた、ガールズラブをメインとする作品のようだ。
家に帰った後、自分の部屋の中で読んでみた。
大部分はその作品名や「糸のように絡み合う、愛をも超える何かがここに」という帯表紙からしても察しがつく通りといった内容で、ストーリーについてはあまり気にせずに読むべきものなのか、と戸惑ったりもしていた。
「まだ未成年なのに手に取ってよかったのか?」と思わせるほどには色気の強いシーンも当然のように出ていた。
しかし、一話冒頭から主人公たちが唇の間で糸が引くほど深いキスをするシーンを見た衝撃が大きすぎたからなのか、三話に入った頃には、既にそういった描写への新鮮さや驚きもまるで感じられなくなってしまっていた。
読み終わった後に調べてみたか、連載している雑誌からして『そういう漫画』専門のものらしい。
その辺りに関しては、私が事前に調べなかったのが悪い訳だが……。
それから、月曜日の午後までは、大きな出来事はなかった。
その午後だって、最近はほとんど福山さんの選挙活動だけ……のはずだった。
その活動が終わって二年五組の教室内で解散、そこから一組の教室に戻ろうとした時の事だった。
「あ、棚橋?」
廊下を歩いていた所を、見慣れない男女二人に話しかけられた。
二人とも機嫌の悪そうな顔をしていたので、どんな悪口を言われるのかと心の中で身構えていたのだが……。
「井原さんから脅迫された事、それを言いふらして回ってるって事……本当なのか?」
話されたのは、私自身に関する確認だった。
これだって、それほど珍しい事でもないのだが……。
記憶のままに、前者は認めて後者は否定した。
言いふらすという行為は考えこそしていたが、リスクが怖くてできずにいた。
笠岡くんも六島さんも、流石にそこまでやってしまえば許してくれないだろう、と決めつけていたのだ。
それに、そのような事をしている人がいるというのも、この場で初めて聴いた事だった。
ただ、私自身が自覚していなかっただけで、嘘だと言い切るのも正しくはなかったのかもしれない。
発言に対して、二人とも真顔になったりしていたが、それからのやり取りは何事もなく進み、すぐに会話が終わった。
こうして確認される事にも、すっかり慣れてきた。
これ自体は「話しかけやすい」と言えば良いようにも聴こえるし、「失礼でも問題になりにくい」と言えば悪いようにも聴こえる。
……正直、それで気持ちが良くなるかというと、そうでもなかったりするのだが。
これも結局は私の方に原因があるのだが、訊かれる事といえば、ほとんどが噂についての事実確認だ。
その中でも特に面倒なのが、「恋」や「愛」についてのものだったりする。
訊いてくる人の態度も面倒な事が比較的多いし、訊かれる頻度も高すぎるからだ。
その後、クラスでの午後の授業には間に合ったが特に何もなく、放課後。
今日の帰りは、途中まで福山さんたちと一緒だった。
以前ネットに投稿していたプレッツェリンクのイラストへの反響がいつも以上に大きかったそうだが、その一方で投稿するものの内容についての相談もあった。
シリーズものや、『際どいもの』ももっとやってみたい、との事だった。
「絵の方も本気……って事?」
「もちろん。 今のうちにも腕を見せない事には、将来性なんて見出してくれないからね」
「それも否定はしないよ? でも……流花には、バスケ部の練習に恋愛に、今だったら選挙の事だってあるよね?」
「分かっているよ。 それも青春なんじゃないか」
話を聴いて懸念を示した一人の女子に対しても、彼女は眉を困らせたりはしなかった。
「青春の一ページ、って言うよね? そのページの数はあった方が嬉しいし、一つ一つが面白かったらもっと良い。 ずっと残り続ける、どうやっても処分のできない、とても特別な物だからね」
そこから爽やかな顔で話を続けた彼女だが、周りから浮く形になっていた。
内容自体は、普段の発言からして不思議ではなかった。
しかし、この場合、無茶や無理を「青春」という言葉で包んで、強引に押し通そうとしているようにも見えてしまったのかもしれない。
「ああ……失礼」
そんな周りの空気を察したのか、彼女は少し時間を置いてから、一度小さく謝る様子を入れた。
それから校門の手前で別れるまで、雑談をしながら歩いて移動していた。
その後、家に帰って寝るまではほぼいつも通り。
変わった事、といえば……勉強中にSENNでやり取りをしていた相手と、そのメッセージの内容くらいだ。
翌日の下校時までも、ほぼいつも通り。
挨拶が終わって、井原さんたちが教室を出たのを見て、芦屋先生に声をかけた。
少し前にビンタと脅迫を受けていた事を話した。
そこから先生との話は「私のこれからについて」へと広がっていった。
三年でのクラス分けについても、「詳細については明らかにはできない」とした上で、「事情を含めた上で考えるかもしれない」と話してくれた。
それからしばらくの間、「一年間で思い残した事」などをテーマに雑談をしてから別れて、教室を出た。
面白かったかどうかで言えば面白かったが、『私に偏った判断にさせてしまわないか?』という不安もあった。
タイミングの事もあるとはいえ、教室の戸が開いたままで、会話の途中に明らかに何人か他の人に見られている気配も感じていたし……。
その日の帰りは一人になったし、バスにも乗れなかったのだが、途中は他の人から呼びかけられたのに応対したり、長岡さんと鉢合わせしたりしていた。
彼女からは、二人で撮影しあっていたという、田辺さんの写真を何枚か見せてくれた。
その中にはツーショットになっている写真も多く、以前に話を聴いて想像していた以上の仲の良さが分かった。
特に気になったのが、おそらくカフェかファミリーレストランで撮影されたと思われる、苺のソースのパフェの一口分をすくったスプーンを前に恥じらっている田辺さん、という構図のもの。
気になるあまり直接訊いてみた所、一口を食べさせた上、そのまま自分が食べるのにも使っていたという。
この場では気にかけられる事もなかったとか。
それから家に帰って寝るまでの間はというと、いつもとほとんど変わらなかった。
先生から母さんに連絡があった、という話を父さんから聴いたくらいだ。
翌日―――――。
登校時によくやっている挨拶も、相手からの反応に苦いものが増えてきた。
眉をひそめたり、苦笑いしたり―――――。
まだ全体としては多くはないのだが、そういった表情を見ると気にしてしまう。
そういう人を見た時の意識だって、「その他大勢のため」というなら変えないといけないのは分かっているのに、未だに変えられないでいる。
そこさえ変えられれば、自分を一気に良い方に向かせる事だってできるかもしれないのにもかかわらずだ。
だから私は、面倒臭がって逃げているのだろうか……?
授業と特に大した事もなく、昼休み。
この日も昼食を終えてからは選挙活動に参加。
明日が投開票日という事で全員張り切っていて、全員で校舎中を歩き回った。
全員が疲れを隠せなかった中、福山さんだけは元気を残していた。
放課後。
笠岡くんと一緒に帰ろうとしていたが、廊下で瀬戸さんたちと鉢合わせた。
「ああ、衣奈の友達か」
彼に話しかけられた彼女は、当たり前のように顔を赤らめていた。
私とバスの中で話をする時と変わらないくらいには。
彼も彼で、そんな彼女を前に加減を手探っているように見えた。
「あ、あのさ……あ、あたしにだって、美佐、って名前くらい、あるから……」
「それは悪かった」
「別に、そんなキレてねえんだけど……」
彼女から指摘を受けた彼は、困ったような顔で返していた。
彼女はそれを自分が無理に謝らせたと感じ取ったのか、少し強引にフォローを入れていた。
「美佐って、私達家族以外の前だと、大体こんな感じですからね」
そこに割り込むようにして、美夏さんが会話に入ってきた。
これに戸惑う笠岡くんを見て、私に何か出来る事は無いかと模索していた。
彼にとって、四つ子は美佐さん以外の三人とは面識があまりなかったので、そこをフォローできないかと考えたが……。
「この方が、四つ子の長女で―――――」
「美夏って言います。 はじめまして……ですかね?」
「ああ……うん、よろしく」
思わず話すタイミングが被り、彼を揺さぶってしまった。
それでも、彼は美夏さんに対して、笑顔を作って応対していた。
「あれ? 何してるの、たっく?」
「見た事あるのがいるな、って思っただけだよ?」
笠岡くんとも瀬戸さんたちとも一緒に下校するかもしれなかった所に、六島さんと玉野さんもやってきた。
六島さんの方は怒るかと思っていたが、不思議そうにしていた。
笠岡くんの前で、怒鳴りつけたりなどはしたくなかったのかもしれない。
この二人と四つ子はクラスが同じだからか、互いに名前を知っていた。
「たっくに近寄るな、って言っといてよ? あいつらに」
彼女たちが二言程度のやり取りをしたあと、六島さんは私の左横に近寄り、耳に口を近づけて、小さい声で告げてきた。
その後、彼女は玉野さんの横に移動してから、二人で下校していった。
この際美佐さんの方を見てみると、他の姉妹と会話していた。
それからは、瀬戸さんたちとも別れて、笠岡くんと一緒のまま校舎を出た。
彼女たちについていくかどうかは非常に迷った。
片方からの印象を悪くさせる可能性があったからだ。
それで結局彼を選んだのだから、次の彼女たちとのやり取りでは、嫌そうにされても文句を言えないかもしれない。
そんな彼との移動中の会話では、その彼女たちの事についても触れていたし、私の方から説明もしていた。
バス停前で別れるつもりだったが、既に時刻を過ぎていたため、そのまま彼と一緒に帰った。
私が彼の周りにいない間に何があったか、という報告が中心だった。
帰宅後。
福山さんたちとのグループで、明日の選挙の投票についての呼びかけがあった。
当日は選挙活動ができないため、これに関してのやり取りは最後だ、という旨のメッセージも送られてきた。
翌朝―――――。
「気にしてたんだな、あれも。 あたしはともかく、拓海……だっけ? あっちもそんなに気にしてないだろうに……」
登校途中のバスの中で美佐さんと一緒になったので、昨日の事でついて謝ったが、私が思っていたほどの不満は無いようだった。
言葉を選んでいるだけなのだろうか……?
「いつもそうだよな、お前。 人の事考えすぎ、っていうか……」
「えっ?」
「あたしもあんまし偉そうな事言えねえけど……自分で……気持ちよく、なんてなったりしたら、その……終わりだぞ?」
そこから派生した会話の中で、若干癖のある指摘を受けた。
たどたどしい口調の中で言われた事は、下ネタとかではなく、『自己満足で済ませているとまずい事になる』という意味を持った批判だろう。
以前にも不満を溜め込ませてしまっていた彼女からの発言だったので、否定はできなかった。
「……了解です。 気をつけます」
謝って終わらせていいはずもなかったが、適当な返事を見つけるのには時間がかかった。
一組の教室前で別れて、そこに立ち入った直後、鞄に入れていた端末を右手で取って立ち上げ、その発言だったり教訓だったりを、メモのアプリに記録していた。
ここまでした理由として、言葉を高梨さんへの対応を巡っての反省点としていた所があった。
前のSENNの時といい、直接活かした上で対応するのが、一番手っ取り早いはずなのに。
それからは記録も終わって、自分の席に着席した私。
あとは授業を待つだけ、のはずだったのだが―――――。




