1-3.知ろうとする意欲
その後、私は声をかけていた人の、右横の手すりに捕まって乗車していたが、特に話は進まず。
彼女がバスから降りようとした時、私はその方へとかすかに笑みを浮かべて、右手を少しだけ上げて左右に振ったが、認識していたのかはわからない。
「……あれ」
何かささやくような声がしたが、誰からかは分からない。
それから、いつものようにいた場所から一番近い座席に座り、一人車窓の先を眺めていると―――――。
「ああ、いた」
話しかけてきたのは、先程無視してしまっていた、「一回り大きめの人」だった。
視線を顔に合わせたいが、大きい胸の主張が激しく感じる。
「……どうも」
身体と話し方から、ちょっとした圧を感じた。
自分が話しかけられる事にも、慣れていなかった所はある。
「もしかして、"地味専レズの衣奈"?」
「地味専もレズも余計です」
「そうなの? 絶対そうだと思ってた」
いきなり何を言っているのか、と思ったが、彼女はそれを信じていたのだろうか。
「逆に訊きたいんですけど、そう思わせるような話、誰から聴いたんですか?」
「さあ? たまたま聴こえてきただけだから」
「……そうですか」
今度はこちらから問いただしてみたものの、手がかりになる情報を引き出す事はできなかった。
この会話からバスを降りるまでの間、彼女との会話は無かった。
どうせだったら、名前を聞き出しておきたかった。
そんな車内で座っている中、端末が振動していた。
SENNのメッセージが送られていて、その送り主は六島さんだった。
『たっく、かなり落ち込んでた。 先生には寝坊って言っといて、だって』
あまり勘ぐってはいけない気もするが、笠岡くんの身に何かがあったのは間違いないだろう。
『分かりました』
『でも、珍しいですね。 どうしたのでしょうか?』
返事を送って、端末をスリープモードにした。
『わかんない。 こっちも遅れるかも』
その直後、それに対する返信があったが、画面でその事を把握するだけで済ませた。
それから、最寄りのバス停で降りたあと、校舎、クラスの教室へと向かっていった。
先程SENNで送られていたように、笠岡くんは何らかの事情で登校が遅れている。
私はそんな彼を待つ間に、何人かの同じクラスの生徒と挨拶を交わした。
気さくな反応をする生徒もいれば、いきなりだったのか驚く生徒や、舌打ちしてくる生徒もいた。
席に戻って待っていると、先生が教室に来た。
「おはようございます。 笠岡くんの事なんですけど……」
「んー?」
その方へ歩み寄って、連絡されていた事を伝えた。
「そうなんだ、ありがとう。 あとは、こっちでなんとかするから」
「分かりました」
一度頭を下げた後、自分の席に戻った。
井原さんのいる方向からの視線が、いつもより冷たく感じる。
『なんで奴が』、とでも思っているのだろうか。
そちらに振り向いてみると―――――。
女子四人から睨まれていた。
ただ、挨拶だけは欠かさなかった。
すると、その直後に四人のうちの二人が、こちらの方へと近づいてきた。
左側には前髪の赤いヘアピンが特徴的な女子、右側には暗い赤茶色の髪のツインテールの女子が、二人とも机に片方の手を置き、少しだけ苛ついているかのような顔つきで、こちらの顔を伺ってくる。
「何か悪い事でも……?」
どうしたのか訊ねたが、二人は無視。
その間、私の視線は無意識にも、その間から見える井原さんに向いていた。
「……つまんない。 こんなのにムキになってたの?」
この状態がしばらく続くと、ヘアピンの方が言葉を吐き捨てて、自身の席へと歩いていった。
ツインテールの方も、ため息をついた後に教室から出ていった。
別のクラスだったのだろうか。
それからしばらくして、授業が始まった―――――。
「おはよう……」
笠岡くんが教室に来たのは、一時限目の途中の事だった。
急ぎで走って来たからなのか、少し息遣いが荒く、また不安にさせられる。
「おはよう、笠岡くん。 理由だったら、棚橋さんから話を聞いてあるから」
「衣奈が……?」
その彼が、先生からの話を聴いて、驚いている様子を見かけた。
それから、昼休み―――――。
「ちゃんと伝えてあったのか、寝坊したって」
私の席に近寄った笠岡くんが、話しかけてきた。
こちらから見て少し右手前に立っていて、井原さんの席の方からは圧のようなものを感じていた。
「はい。 六島さんから連絡があった時は、少し心配しましたが……」
「まあ、無理もないよな」
彼は一度、井原さんの方を見て―――――。
「ありがとう。 ……理由なら、また後で話すから」
「分かりました」
何かを察したのか、廊下の方へと歩いていった。
舌を打つ音が聴こえてきたが、気のせいだろうか。
このような、井原さんの私への敵意の正体は何なのか、気になって仕方がない―――――。
一度席を立ち、六島さんのいる別のクラスの教室に向かった。
入ってみると、彼女だけではなく、瀬戸さんたちもいた。
そういえば、彼女達は同じクラスだったか。
今日も姉妹四人で何か話をしていた。
「あれ、はしえな。 どうしたの?」
少し辺りを見渡していると、六島さんの方から、こちらに話しかけてきた。
「あの、実は―――――」
井原さん、およびその取り巻きとの付き合い方について、彼女に相談してみた。
「さのりんかぁ……。 なんではしえなを嫌うのか、なんてこっちも分かってないからなぁ」
「そうですか……。 困りましたね」
六島さんも、理由については分かっていなかった。
「今度訊いてあげよっか?」
「いや、そこまでしなくても……」
「ええー? 事が進まないでしょ?」
「それはそうですが……」
そんな彼女から提案があったが、『第三者が騒いだら、また距離が遠のくではないか?』という懸念があったので、反対した。
「参ったなぁ……」
「……すみません」
「いや、全然いいよ」
困らせてしまったと思って、一度謝りを入れた。
六島さんはいつものように、軽く流してくれる。
大概この流れで、私が些細な事で謝って、相手がフォローしてくれる。
たまに『これが重なって、相手のストレスにならないか?』、と不安に思う事もある。
それから、私のクラスの教室に戻り、授業が終わってしばらくしてからの事。
私は、帰る準備をする井原さんの方に、恐る恐る歩み寄っていく。
「何? 何なの?」
「……井原さん」
一度名前を口にして―――――。
「どうして、私の事が嫌いになったんですか?」
理由を問いただしてみる。
「言う必要、ある?」
「私と井原さんって、言うならば付き合いの古い友達じゃないですか」
「だから何?」
「私、井原さんと高校で再会した時は、知ってる人と同じ高校になったと思って―――――」
「うるさい!」
「……安心したんですよ。 なのに、井原さんは私の事―――――」
「黙れ!!」
加速度的に加熱した口論は、井原さんの大声と、机を右手で強く叩く音で、やや強引に鎮められた。
教室に残っていた生徒たちからは、少しどよめきが起きた。
「……ごめんなさい。 気になってしまって……」
一度、まくし立てるような言い方になった事、怒らせてしまった事を謝った。
ただ、彼女はそれさえも受け入れていないようにも見えた。
「一度だけ言うわ」
「……はい」
何を言われるのか、と思い、緊張してきた。
胸の間に両手を重ねる。
「その見た目と人への当たり方が、『悪魔』にしか見えないから!」
「えっ……悪魔……?」
伸ばした右手の人差し指を向けられて、その理由を聞いた時、思わず絶句した。
そういう風に思われていたとは、思っていなかった。
「そう。 その緑髪と眼鏡の見た目と、不自然なまでの優しさ。 裏で悪さでも企んでいるのでしょう?」
説明を受けても、あまり納得がいかなかった。
『緑髪で眼鏡だから悪魔っぽい』というのは、根拠とするには弱すぎる。
不自然なまでの優しさは――――そういう風に取る人がいても、不思議ではないかとは思っていた。
しかし、コミュニケーションの取り方から、悪意を見出されるとは思わなかった。
悪さなんて、私には狙ってできる事ではないと思っていたし―――――。
「いや、そんな事は……」
「嘘をつかないで!」
否定はしたが、井原さんは私の言う事を信じない。
「それに最近、周りの生徒にも手を出しているそうね。 仲間を増やして、何をするつもり?」
それどころか、因縁をつけられる一方だ。
あまり知らない女子に接近したり、声をかけたりしてしまう『癖』はあるが、手出しまではした事がない。
それに、今はまだ、誰かに慕われているわけでもない。
「いや、ちょっと会話をしただけですよ……?」
「ああ、そう。 絶対に嘘でしょうね!」
「本当です。 ……大体、私に人を貶める、陥れるような事なんて出来ませんよ」
「もう、悪意をごまかすための言い訳はいらないから。 どこかに行って」
「……分かりました」
このあと、私は教室を出た。
背中には、残った人の視線が集中していた。
私は高校までの井原さんを知っている身として、今も彼女の豹変ぶりを信じる事はできない。
様々な手伝いをしてきたし、友達だと思っていた。
それが小さい理由でここまでこじれる事、自分の行為が彼女から見れば悪意に満ちたものと取られている事を、その時の自分に話す事ができたとしても、信じる事はできないだろう。
その後も、井原さんからの『悪魔』呼ばわりは、私の心と頭の中にまとわりついた。
『ヘラヘラ笑うな』
『ぽっと出てきた女の話に、適当な相槌でも入れていればいいのに』
『今どき、子供でも騙されないような綺麗事ばっかり。 黙ってたら?』
この高校に進学してきて、しばらくしてからというもの、私を馬鹿にしているような発言はあったが、今回は特に荒い言い方だった事が気になっていた。
「悪魔って……?」
バスの車内では座席で頭を抱え、言われた事をひたすら最低限の声量で並べた。
そこそこ乗客はいたので、降りた後にも『もし周りの人の心まで曇らせていたら?』、と心配になった。
帰って夕飯、となっても、まるで食欲が湧いてこなかった。
少し手をつけただけで食べ終え、いつも寝ている部屋で体をうずくまっていた。
「衣奈、どうした?」
そんな私を見かねた父さんと勇が、部屋に入ってきた。
「ちょっと言い争いになって、その時に……」
二人には井原さんの名前は伏せ、『学校で言い争いになった』事、『その中での発言があまりにも辛辣だった』事のみを伝えた。
「悪魔にしか見えない?! どこがだよ!」
「この身なりがそう見える……らしいです」
「ふざけんな! 衣奈のような大人しいのが、地獄で苦しむ様子を笑いながら見ていると思うかよ!!」
父さんは、ここ数年で見た事がないほど怒っていた。
怒る事自体が少ない印象はあったのだが。
その言い方もまた、少しズレているようで納得しきれるものではなかったが、父さんなりのエールだと割り切った。
一方で、一緒にいた勇は鼻で笑っていた。
堪えきれていなかったようにも見えたが、言われた事と、父さんの発言の両方に対しての笑いだったのだろうか?
父さんは私の左横にしゃがむようにして座り、開いた左手で二回背中を叩いた。
「衣奈も衣奈で、もっと厳しくしてもいいんだぞ?」
助言を受けたが、頷く事しかできなかった。
言っている事は間違っていないのかもしれないが、厳しくしたら厳しくしたで、政治力や影響力、発言力の強いあの家庭の事なので、仮にもし私から強く当たろうものなら、それをいじめという事にされて、こちらが追いやられる、という可能性も考えられる。
この後に、二人は部屋を出た。
それからしばらくして、風呂と歯磨きを済ませ、暗くした部屋の中で端末を操作していた。
Louvreで『緑髪 眼鏡 悪魔』などと調べていたのだ。
なんでも、ある巷で名の知れているゲームに、そういう身なりをしたキャラクターがいて、そのキャラクターの作中における所業に来ているという。
それを経験したユーザーが『この見た目はまずい』と言ってきたのが、現在のいわゆる『二次元文化』を好むユーザーの間でも言い伝えられているのだとか。
この事が、井原さんの人の見方に大きな影響を与えたというのなら、恐ろしいものだ。
しばらくして、私は端末をスリープ状態にして眠った。
―――――――――――
「いやあああああああああっ!! ……あっ?!」
早朝の四時頃に、叫び声と共に起きた。
すぐに恥ずかしくなって、顔を布団にうずめた。
かなり悪い夢を見ていたようだ。
詳しい内容は思い出せないが、体が勝手に動かされていた事、それで目の前にいた、抵抗してこない町の娘を殺しそうになっていた事は間違いない。
少しして心が落ち着いた後、もう一度寝る体制に入った。
起きたのは、いつもより遅い時間になった。
着替えも食事も歯磨きも、焦り気味になっていた。
さすがに、突然の叫び声は父からも怒られた。
一話部分はこれで終わりです。
部分の文字数の違いはありますが、基本一話辺り平均五千五百字の三部構成で行きたいと思っているので、よろしくお願いします。