7-3.二色の線が交じる時
一度荷物を自分の部屋にまとめ、夕飯を食べ終わった後、勉強をしようとしていた私だったが―――――。
「ああ、これ……。 どうすれば?」
バッグから最初に取り出したのは、教科書でも文具でもなく、残っていた一つのチョコレート。
そういえば、こういう甘いものが『勉強に良い効果がある』、なんて話も聴いた事があったか。
自分で作ったものをそこで使うのも、勿体ない気がしなくもないが。
ここでさえも、どうすればいいか迷ってしまった。
取り出してからずっと考えているだけだった、とも言えるだろう。
『いきなりすみません。 渡すつもりだったチョコが一つだけ余ってしまったんですけど、どうしたらいいですか?』
そこで助けを求めたのは―――――美佐さんだった。
このメッセージを入力している時も、申し訳ないという気持ちで一杯だった。
『食えよ』
しばらくして送られてきた返事の内容はとても単純で、正直にも見えた。
感謝する内容の返信をしたが、『嫌がっていないか?』と不安で少しの震えが止まらなかった。
それでも、私はチョコを袋から左手で取り出して、そのまま口へと入れた。
固める前の状態のものは味見はしていたが、形になってからのものは食べた事がなかった。
作るにあたって使っていたのは、大きい製菓用のものと普通の板状のもの二枚と少量の牛乳で、とんでもない不味さにはならないという事は分かっていた。
さらに言えば、固める前に味見していた際は美味しいとも言っていた。
それをこの時に食べてみてどうだったかというと、味自体はあまり変わらなかった。
違いは食感だけかもしれない。
もっとも、元が同じである以上、それも当たり前の事ではあったのだが。
ただ、食べた直後から、『本当にこれでよかったのか?』という考えが止まらなかった。
ずっとそんな事を考え続けたまま勉強する、というのもどうかと思ったが。
結局集中できず、気分転換にSENNを確かめた。
「またバシかよ。 今度は何だ?」
通話の相手はまた美佐さん。
美夏さんより相談しやすいというのも、彼女の事を考えれば失礼になるだろうが、このまま抱え込んでいるよりはいいと思った。
「美夏さん経由で、私のチョコをもらってると思うんですけど……」
『ああ、言ってたな。 バシからあたしに、って。 あれがどうかしたのか?』
「一つ訊かせてほしいんですけど、そのチョコって既に食べてたり……?」
『食ったぞ。 それで……なんなんだよ?』
質問に困惑しているのが、声だけでも明らかだった。
「どんな味でしたか?」
『チョコって、そんなもんなのか……とは』
さらに訊いてみると、彼女の話し方がより慎重になっていた。
どういう事か訊いてみると、幼稚園の頃のある出来事がきっかけで茶色いもののほとんどが嫌いで、『熱して茶色くなったもの以外は全部食べられないか食べてはいけないもの』と認識していたと話してくれた。
それを聴いた時、具体的に何があったのかについても訊いてみたが、「今話すべき事じゃない」との事だった。
他の姉妹は毎年この行事には乗り気でいて、美夏さんからは「作ったものを食べてみたい」とも言われた事もあったとか。
行事それ自体にはどうしても乗り気にはなれなかったが、昨年から他の姉妹に甘めの板チョコを一枚ずつ渡すようになったという。
「来年、手伝いに行ってもいいですか?」
『いらねえよ。 ……てか、もう来年の話してんのか』
話を聴いていて、彼女のために協力したくもなったが、すぐに断られた。
指摘を受けた時には、思わず苦笑いしてしまった。
せっかくなら手作りで、形だけでもちゃんとしたものを、と思っていた。
『それにしても……なんでみんな、同じ時期に同じような事をやりたがるんだろうな?』
「さ、さあ……?」
ただ、その直後の言葉には、私も真剣に考えさせられた。
彼女のような人だからこその疑問で、攻めた内容だとも思った。
桜の時期には花見だとか、暑くなってきた時期には海だとか、十月のハロウィンには仮装だとか、言ってしまえば様々な事に当てはまる。
彼女にしてみれば、こういう「イベントの時期」は、自分自身をより孤独へと追いやるだけでしかない可能性がある。
もしそうなってしまえば、イベントそのものに対する忌避感にもつながってくる。
私自身がそうさせたくないのであれば、もっと彼女がそれを楽しめるように行動するべきなのだが、本人がそれを拒めば終わりだし、その間に他の人たちの事を放っておく事はできない。
彼女のように、私が最近親しくなってきた人たちのほとんどは、彼女と同等かそれ以上に、速やかに解決させるべきだったりするような悩みを抱えているからだ。
それを理由にして裏切るなんてもってのほか―――――と考えてきたが、そこもまた、決断するべき時が迫ってきているのかもしれない。
誰かに「代わりになんとかしろ」、なんて頼めないし―――――。
「きっと、その人の側にいる人との絆のためですよ。 私もよく分かってないんですけど……」
『そうかよ』
空気を乗り越えようと、それっぽく説明してみたが、彼女が納得がいっているようには聴こえなかった。
「もしかしたら、美夏さんから言われてた事も、そういう事だったりするかもしれませんよ」
『……ぜってえちげえよ』
続けて話をしてみるが、余計に機嫌を損ねてしまった。
彼女には、こういう話はしない方がいいのかもしれない。
話自体が見当違いだから機嫌を悪くしている可能性も否定はできないが。
それからもしばらく彼女と通話していたが、喜怒哀楽の感情が良く出ているのが分かって、他の人と同じか、それ以上に楽しく話す事ができた。
ただ、まだまだ『どの話をすれば喜んでくれるのか』などについては、完全には把握しきれていない所はある。
本当なら、日頃の会話から覚えないといけない所なのだが。
その後は特に何もなく、普段通りに過ごして眠った。
翌日―――――。
周りが「昨日誰にチョコを渡したか?」という話題で持ち切りのバスの中で、私は美佐さんと会話していた。
「そういえば、美佐さん。 昨日の夜のチョコの件、ありがとうございました」
「そ、そりゃ……どうも」
その途中、美佐さんの方に相談していた事を話題に出してみたのだが、彼女は戸惑っていた。
誤魔化すためなのか、本当は『すみません』と言うべきだったのか……?
どっちにしても、正しいとも間違っているとも断言できなかったりするわけだが。
「つうか、なんであたしだったんだ?」
少ししてからの彼女の質問にも、どう答えればいいか迷って、返事はしばらく黙ってからになってしまった。
「あの話題で、正直に話してくれるのは美佐さんしかいないと、そう思ってたんですよ」
「……なんだそれ」
更に困惑させる事になったが、これが最善だったかもしれない。
若干微笑んでもいたし。
この時に恐れたのは、『陥れようとしている』と疑われる事だった。
そこから関係が絶たれたりしてもおかしくないとか、彼女にはより関係が真っ当なものだと思わせるように言葉を選ばないといけないとか、様々な事を考えていた。
これこそ『人の側にいる人との絆のためだ』とも言えなくもないが、その言葉を聴いた彼女がどう思うかが不安だった。
「あなたのような人が、チョコを渡した人の中にいなかったんです」
「だからって……」
それをごまかす事も兼ねて話した言葉で、余計に意味が分からなくなってしまったようにも思えるが、彼女は怒鳴ったりはしなかった。
「美佐が棚橋さんに思っていたのと、似たような感じなんじゃないですか?」
「話し相手くらい、バシにはいくらでもいるんじゃねえのかよ?」
「そうじゃなくて……。 棚橋さんもまた、美佐のような人が珍しいと思っていたんじゃないか、って事ですよ」
「そ、そんなわけ……!」
このあと、こちらをフォローするような美夏さんの話に対する彼女は、また頬を赤くして視線を逸らしていた。
それからの三人での会話は、バスが学園前に停まるまで続いた。
その中で、帰りに一緒に遊びに行く事を約束した。
バスを降りて学園に来て、見かけた人に挨拶をしたりしながら教室に向かっていた途中の事。
廊下で掲示板に掲示されているものを見つめる、井原さんの姿があった。
周りには誰もいなかったが、後で合流はするだろう。
「おはようござい―――――」
挨拶しようとすると掲示板から離れ、わざとこちらに聴こえるように舌打ちをされた。
「あれ……?」
思わず小声が出た。
その後、彼女と同じような位置に立って掲示板を見つめた。
その中にあったのは、学園の生徒を模したであろう、男女二人のキャラを中心としたポスター。
生徒会選挙を知らせるためのそれには、立候補者募集の期間や、「立候補者公開弁論」が行われる日時と投票日などが書かれていた。
それぞれ昨日から来週の金曜日、その翌週の水曜日の午前、さらにその翌週の木曜日とあった。
午前中は大きな変化はなく、昼休み。
昼食を食べ終わり、別の教室の中で二組に行くか五組に行くか迷っていた所だったが、笠岡くんの席の周辺に福山さんの姿があったので、そこに向かう事に。
彼女以外には、倉敷さんと中村さんの姿はあったが、あの井原さんはいなかった。
席にもいなかったので、もしかしたらどこかで選挙について話し合っているのかもしれない。
ちなみに、彼と彼に好意を寄せる女子生徒たちとの間には、『一度に集まりすぎてはいけない』という不文律のようなものが存在する。
私も一年の秋の頃、『嫌がらせ対策の一環』として彼本人から頼まれてから、破らないように気を付けている。
他のクラスメイトの妨げにならない、彼以外との人間関係の構築ができるなど、様々なメリットを期待していたようだ。
ただ、そのルールを勘違いして、他人を無理やり突き離そうとする人もいるようで、その事を不満に思っている、とも話していたか。
それはともかく―――――。
「やあ、棚橋さん」
近寄ると、彼女の方から話しかけてくれた。
「聴こえていたかもしれないけど、拓海にも、選挙に出る事は話してあるからね」
「了解です」
何気ない挨拶で返すと、こちらが話題にするのを見越してか、彼女の方から連絡してくれた。
「あれ? 流花と棚橋って、何かあったっけ?」
「実を言うとね。 今度の会長選挙で、協力してくれる事になったんだ」
「無視できないような力がある、という事だったので……」
他の人からの質問への答えを聴いた時、周りの反応が怖かった。
というのも―――――。
「そうか……。 さのりも出るって言ってたんだけど、どっちに投票しようか……?」
彼にしてみれば、片方に対して、引導を渡す事にもなりかねないのだ。
それに、私としても、『福山さんに投票しろ』なんて告げ口をする事はできない。
選挙のルールに違反するかもしれないからだ。
詳しくは確かめていないが、仮にもしルール違反であれば福山さんにも迷惑になるし、『悪い人間ではない』という周りの印象を破壊してしまう可能性もある。
嘘で誤魔化すなんてとてもできるとは言えないし、もしその事が発覚したら、さらに大きい責任と悪評が私に付きまとう事にもなるだろう。
「さ、さあ……?」
「君の自由だ。 恨みはしない」
戸惑うだけの私に対し、はっきりと返答した彼女。
彼への返事の違いは、それだけでも元から持っている勇気の違いを表すのには十分だった。
「……分かった。 良いと思った方に入れるか」
時間を置いてからの返事には、他の二人も同調していた。
これで少し、選挙が有利になったかもしれない。
ただ、私には慎重な立ち回りが求められる事になったし、福山さん本人の持っている課題が解決したわけでもない。
それに、井原さんが笠岡くんにどう動くかも分からない。
それから、午後の授業も終わって―――――。
笠岡くんが井原さんと一緒に下校する一方で、私は一組の教室前の廊下で、通りすがる人たちに挨拶や手を振るなどしながら、他の人を待っていた。
二組にいる六島さんか瀬戸さんたちのいずれかになってくるが、今日は玉野さんが一人だけだった。
「あ、棚橋じゃん。 拓海くんと一緒じゃないんだ?」
こちらの動きに気づいた彼女が、寄ってきながら話しかけてきた。
「最近は、笠岡くんと下校する機会の方が少ないので……」
「ああ、ゆきっちも言ってたっけ? 最近の棚橋、女の子と一緒の時のが多いって。 あれ、なんでなの?」
訊かれた事に答えると、より踏み込んだような質問を受けた。
いくら六島さんと深い関わりのある彼女とは言っても、『作戦のために動いている』なんて言えない。
もしかしたら彼女も事を把握していたりするかもしれないが、そうだったら言いふらしたりしていないか不安になる。
「その人がいつ、どの瞬間を一番の幸せだと感じるのか、というのを調べてて……」
「何、それ? というか、棚橋ってそんなキャラだったっけ?」
遠回しに『相手に興味や関心がある』と伝えようとしたつもりだったが、その返事には心が揺さぶられた。
「キャラ……?」
戸惑いで、言葉の中の単語を口にするだけしかできなかった。
「大真面目な事考えてたんだな、って。 挨拶だけだと思ってたから」
いつも言われ慣れているはずの事も、この時には鋭く刺さった。
本気で言っているように取られるとも思わなかったし―――――。
「で、その調査? ってどこまで進んでるの?」
「それは……詳しい事は、ちょっと……」
「あ、言えないんだ? 残念」
それからの彼女の言葉に対しては、しどろもどろになってしまった。
そもそもが嘘で、真面目に進捗について話せなかった事もある。
それでも、彼女とは駐輪場で別れる前までは一緒に歩いた。
校門前にはバスが止まっていて、いつもより急ぎ足で乗車した。
時間の余裕は十分にあったが、運転手さんが待ってくれていただけの可能性もある。




