7-2.海のブルーと雪雲のグレー
前の部分を長くしたため、この部分は他の部分より短めにしています。
※約4900〜5000字ほど。 通常は5500字
それから、何事もなく授業が終わり―――――。
バッグを左肩にかけてすぐに向かったのは、笠岡くんの方ではなく、一組教室の向かいの廊下。
他のクラスの人を待っていた。
呼びかけてくれる人なら、誰でも良かった。
すぐに話しかけてきたのは、玉野さんと一緒の六島さんだった。
「これのため、だよね?」
「ありがとうございます」
彼女からチョコレートを渡されたので、嬉しそうにしながら受け取った。
「棚橋とは、毎年こんな感じなの?」
「渡し合ってるんだ、チョコ。 チョコキートップが数個とかだけど」
「ああ、あのちっちゃいやつね」
直後の玉野さんとの会話には、苦笑いするしかなかった。
――――――――――
例年、本命の手作りのものは笠岡くんに、義理になる既製品のものは六島さんなどに、という形式を取ってきたが、今年からはその形式を変更して、基本的に手作りにしようと考えていた。
六島さんの場合は作戦の事もあって、例年通りだとどんな事を言われるか分からなかったと考えていた所も大きい。
過去には井原さんや浅口くんにも贈っていたが、後者は現在他地域に進学しているので贈れないという事情がある。
郵送という手もあるだろうが、今の住所を知らないし、知っていたとしてもそこまでして贈ろうという気にはならなかったかもしれない。
『どうせ安物の、本場では落第ものの不味いチョコなんでしょう?』
前者については、中学で別になってからは贈っていなくて、昨年にまた贈ろうとしたが、袋を叩かれて床に捨てられた上に罵られている。
実際、この時に袋に入れていたのは、「チョコキートップ」という一個二十円ほどの四角い小粒のものが五個ほどだったりもするが、ここまでされるとは思っていなかった。
――――――――――
それからは、三人で一緒になり、雑談もしながら校舎を出たのだが、駐輪場を見つめていると、高梨さんらしき姿があった。
見間違いの可能性もあるが、どうせなら近付いておきたい。
チョコの事もあるし。
「すみません、別の人との用があるので……。 先に帰ってもいいですよ」
用事として断りを入れて、二人の方に少し手を振って別れた。
「了解。 また明日ね」
「また知り合い? いいけど」
笑い話に横槍を入れる感じになってしまったが、玉野さんの方はそんなに気にしていないかのように見えた。
一方の六島さんはというと、困惑しながら微笑んでいた。
本当はまんざらでもない気持ちになっていた、とかだったりする可能性もないとは言えない。
「棚橋さん……?」
近寄ってみると、高梨さん本人だった。
不安そうな顔をしていたので、軽い気持ちで挨拶した。
「いきなりですみませんが、これ……」
それからすぐの間に、バッグからチョコの入った袋を取り出した。
「ちょ、チョコ?!」
「はい。 いわゆる"友チョコ"です」
すると彼女は緊張し、戸惑いを見せていた。
気になったので伺ってみたところ、「家にバレンタインという概念がなかった」と話してくれた。
どこまでが本当なのかは分からないが、祖父母がハロウィンやクリスマス、そしてバレンタインといった、『日本における西洋発の行事』について強く批判的だったとか。
一度他の家族と意見が食い違い、暴力沙汰にも発展した事があったため、『二月に異性への贈り物の話をするな』といった形で独自の家庭内ルールが作られたという。
このルールは彼女の家だけでなく、彼女の祖父母と血縁関係のある人たちやその子孫も守るように求められているようで、祖父が「どうして守れないのか?」と愚痴をこぼしていたのも聴いた事があるそうだ。
「そんな事が……。 もしも私のせいで、来年からは同性も駄目、なんて事になったら……?」
「大丈夫です。 棚橋さんの事は、親には内緒にしておきますから」
話を聴いて不安になったが、彼女の返事を聴いて安心した。
その後に校門前で彼女と別れたが、バスが来る時間ではなかったので、歩いて帰る事に。
その道中―――――。
自転車に乗った高梁くんと思われる姿が、私の横を通り去ったのを見かけた。
「せ、せいくん……?」
精一杯走って追いかけて、交差点で信号待ちの所に話しかける事もできた。
高梁くんで間違いはなかったようだ。
久々に彼の顔を見て話をする事、いきなり走り出した事もあって、全く冷静になれなかったわけだが。
ちなみに、「せいくん」というのは、友達だった頃の中でも、最初の方に数回だけ使っていた呼び方だ。
「ん? まさか……!」
彼はこちらの方を二度見した後、驚くような表情でこちらに返事をした。
「棚橋だったんだ。 見た事があると思ったら……」
「久しぶりです。 今は、どうしてますか?」
戸惑いの残る彼に、現況を訊いてみた。
いきなりチョコを渡す、なんて事ができるはずがなかった。
彼の今は、というと、花坂市内の高校に進学して、サッカー部で順調にやっているらしい。
そこは今の私が通っている学園とは別の学校で、全国大会に出場したというわけではないが、県大会での成績は、学校的にはここ十年の中ではかなり良い方なのだとか。
ただ、練習への取り組みについては、自身も不真面目だという自覚はあるようで、それを短くしてもらうためにも、登下校に自転車を使っている所はあるという。
かなり激しい言い争いで、退部させられる可能性もあったとか。
「遠いと思ったりしないか?」とも訊いてみたが、「そう思うのは月に一回あるかどうか」との事だった。
こちらの方は、というのは訊かれなかったが、何か言いたげではあった。
「そういえば、高梁くん。 良かったら、これ……」
落ち着きを取り戻してきたところで、かばんからチョコを取り出し、彼に渡そうとした。
「気持ちだけでいい?」
「いいですけど……。 なぜですか?」
「思い出したんだよ、アレ。 アレがあったのに、貰うのも悪いじゃん」
断られたので理由を訊いてみると、彼も彼でまた、小学校の頃の事を気にしているようだった。
彼にとっては一時期の不幸の始まりになる出来事と行っても過言ではなかったし、「気持ちだけ」という答えになるのも、不思議ではなかったのかもしれない。
件に関して言えば、謝罪や禊に相当する事は、とっくの昔に済んではいたわけなのだが。
「アレなら、もう終わった事じゃないですか」
「そうだったっけ?」
本当なら、彼により過激な言動のできる立場にあるのも分かっていたのだが、先述した事に加えて、『私との出来事を抱え込ませたくない』という考えの方が先にあった。
それにしても、この言葉に対して、返す言葉が浮かばない。
どんな事を言っても、彼の中でのもやもやはなくならないとも考えていた。
彼を誘って一緒にどこかへ、というのも、それが噂になって伝わってしまうと困るし、そうなると彼としても迷惑だろう。
ただ、黙っていても、今度は彼の方から気を遣わせてしまう。
「言ってましたよね。 自分が私の方に入れておくように頼んでたんだ、って」
「ああ、そうだったっけ……」
彼を待たせて数十秒後に出た言葉を聴いて、彼は顔を右の方に向けていた。
もし件が彼にとっての不幸の始まりだったとして、私はその象徴とされて、恨まれたり、嫌われたりしてもおかしくはない。
そんな彼の事を意識するのは、万が一笠岡くんやその周りの人々から、関係を絶たれた時のための保険の意味合いが強かったりする。
言ってしまえば本当は誰でもいいものなのだが、初対面から時間が経っていたり、会話が多かったりする相手の方が、こちらの事を理解している分、未来の事などを考えやすいと思っていた。
そうなると、今度は先に意識していた人がかわいそうになったりする訳だが、それを気にしているとずっと変えられない。
「やっぱりもらっていい? そのチョコ」
などと考えていると、彼が「気持ちだけ」という言葉から切り替えてきた。
嫌とは言えるはずもなく、「はい」と言いつつ、笑顔を作って両手で手渡した。
左手で受け取った彼は、それをかばんへと入れていた。
かばんと言っても、私のものとは違って、学校名のロゴが入っていてツヤがあり、若干派手にも見えるものだ。
それから少しの間、私の今について話をしてから彼と別れた。
進路の事とか、最近興味のあるものとか。
こういうやり取りも久々で、彼の話し方も相まって、いつもより楽しく会話をする事ができた。
その中では、連絡先の交換はしなかった。
この直後に向かうのが、笠岡くんの家。
ただ、このために、あえて彼にチョコを渡すのを先送りにしていたと言ってもいい。
……本人からすれば、たまったものではないのかもしれないが。
家の前のインターホンを鳴らすと、その笠岡くん本人が自ら家に出てきた。
「ああ、衣奈か。 もしかして……」
「チョコレートです」
彼の方も、既に察しはついていたようだ。
不安にさせていたりしないといいのだが。
「ありがとう。 ……このためだったのか、学校で渡さなかったの」
「お見通しでしたね」
「絶対どこかで渡しに来るな、とは思ってたよ」
「いつもお世話になってますし、こういう機会ではワクワクさせないとな、って」
彼とは、笑い混じりに会話が進んだ。
特に不満そうには見えなかったが、悪いようにも聴こえる言い方には不安があった。
『やっぱり疲れているのでは?』と。
それからはしばらく、彼と「過去の事」などについて雑談をしてから家に帰った。
――――――――――
その中で触れられたのが、六島さんと井原さんとの初対面の時の事。
この出来事があったのは、彼から借りていた筆箱を返してから、一週間も経っていなかったか。
『こんにちは……って、拓海くん?』
教室で見かけて挨拶してみたが、彼が二人と絡んでいるのを見て、一度目を疑っていた。
意外に思っていたのは間違いなかったが、今考えてみると必然的な事だったのかもしれない。
『誰? たっくの知り合い?』
『どういうつもり、拓海?』
その二人が困惑して彼に詰め寄っていたのも、こちらに怯える、あるいは怪物を見るかのようなまなざしを向けていたのも覚えている。
彼女たちがまだ私の事を知らなかった以上、そうなるのも当たり前だったわけだが。
彼は二人には私の事を『新しい友達』と、こちらには二人の事を『それぞれ親友と初恋の人』と説明していた。
『はじめまして。 私の事なら、"棚橋"だけでいいから……』
『ああ、うん。 よろしく』
それでも、二人が親切にしてくれていた事も覚えている。
いずれかから何かされるのかも、と思って目をつむったりもしていたし、もしもそんな目に遭っていたら、笠岡くんとも距離を置いていたかもしれない。
この場が修羅場になったりしても、あまり不思議ではないような状況だったわけだが。
『仲良くしような、みんな!』
そして、彼自身もまた、二人と私の接触には好意的な反応をしていた。
この言葉もあって次第に理解が進んでいき、小学校を卒業する頃には、私も彼のコミュニティの一員のようになっていた。
――――――――――
話は今に戻って、自宅のリビング―――――。
「おかえり、衣奈。 そういえば、今日はバレンタインだったっけ」
帰ってきてすぐに、母さんが話しかけてきた。
普段より遅くなっていたし、心配させるのも無理はなかった。
「はい。 一つ、残ってしまったんですけど……」
「だったら、衣奈パパにやればいいんじゃない?」
返事に食いついてきた母さんの言葉は、まるで考えを先回りしているかのようだった。
この『一つ残った』という事が、私を悩ませる。
押し付けてしまう事になるのも含めて考えるなら、捨ててしまうか、自分で食べてしまえばいいのかもしれない。
ただ、そのチョコを自分の心に置き換えて考えてみると、それも最適解とは言い難い。
それなら家族に渡せば―――――というのも、今度は誰に渡せばいいのかが問題になる。
私にはすぐに決められないし―――――。
だったら半分に分けて両方に、というのも、喧嘩のきっかけになりそうなのでできない。
相手が両親なら尚更の事だ。
『他の異性の所へ行け』とか『離婚しろ』といった、酷すぎるメッセージとも取られかねない。
「それも考えてた所です」
言葉にはどう返すか迷って、一度黙ってからの返事になった。




