7-1.彼女にとって、春といえば青色である。
·「陰謀編」あらすじ
六島に手紙で呼び出されて以来、彼女の夢―――「笠岡との幸せ」を叶えるため、他の女子たちの興味を逸らせる作戦に協力していた棚橋。
かねてからの評判が、自身が接触していた中の一人「福山流花」の目に留まり、来たる生徒会長選挙を彼女の陣営の一員として戦っていく事に。
様々な人の希望を背負う事になった棚橋だが、やる事といえば他人への会話で変わらなかった。
ところが、選挙戦においては、そんな彼女との出来事の数々が、情勢に大きな変化を与える事に。
炎上する候補者、始まる自身の奪い合い―――。
自身の願いとかけ離れていく「平穏」を取り戻すために、棚橋はどんな行動を取るのか?
·備考
この部分は通常より長くなっています。
朝の授業前の廊下で、福山さんと生徒会選挙の事で協力を誓った私。
ただ、この決定には、『これでないといけない』というほど大きな理由はない。
――――――――――
『絵は趣味だからずっと続けられるけど、この学園の生徒として過ごせる時間は有限だからね』
彼女が選挙について話していたのは、今から一、二週間ほど前の事だ。
『学園の中だけの事なら何でもやりたい。 生徒会長になりたいし、部活動のエースにもなりたいし、一生語れるほどの恋だってしたい』
自らの事を『コウノトリに育まれた子』だと称するくらいには、幼い頃について複雑な事情を抱えていた彼女。
以前、周りに囲まれて絵を描きながら、『理想の学園生活』について語ってくれていた。
ただ、この中で私が彼女の力になれると思ったのは、『生徒会長になりたい』の一つだけだった。
部活動はやっていないし、恋愛に関しては六島さんという先約があったためだ。
先約については、厳密には少し勝手が違ってくるのかもしれないが。
要するに、私が福山さんに対して『唯一手伝える事』を反故にはできなかったというのが、選挙での協力を誓った理由として最も大きいものになる。
しかし、理由はそれだけではない。
この間に彼女の意識を笠岡くんから離れさせられる可能性があると見たとか、もっと彼女について知りたかったとか。
前者に関しては、これもまた六島さんとの話が絡んでくるのだが、それは福山さんとその周りには話せない。
井原さんの事とか、最初に彼女に話していたもの以外にも、様々な理由があって迷っていたわけなのだが―――――。
――――――――――
それからは午前の授業が終わるまでは、概ねいつも通りだった。
昼休みに入ってすぐに、私は弁当を持って、一年の教室の周辺に向かった。
高梨さんとの用事があったためだ。
廊下の側から、見える範囲で覗いてみるが、とてもそれらしい姿は見当たらない。
件の三人のうちの誰かがクラスメイトであれば、そこから割り出せたりもするのだろうが―――――それを完璧に判別できる視力は私にはない。
興味もあって、廊下を歩いていた人にも訊いてみるが、手がかりになる情報は出てこず。
まさか、彼女は今日もトイレで昼食を……?
不安にはなったが、そこで一緒に、という訳にもいかなかったので、自分のクラスの教室へと戻った。
感じは悪くなってしまうかもしれないが、とにかく無事を願いたい。
その後、午後の授業が終わり―――――。
「ねえ?」
挨拶を終えて帰ろうとした直後に、井原さんから左手の裾を掴まれ、話しかけられた。
珍しいとは思ったが、それ以上に『何をされるのか』という不安が強かった。
「……なんですか?」
「ついて来て。 話があるの」
目的を訊いて、ますます怖くなってきたが、断る事はできなかった。
教室から廊下に出た直後に、他のクラスの教室のある右側の方を見つめていたが、特に誰かから気にかけられる様子もなかった。
誰かが―――――例えば六島さんや瀬戸さんたちが動いてくれるとも思っていたが、それらしき姿も見えなかった。
途中急がされたりしながら、彼女といつの間に後ろにいた取り巻きの二人と共にやってきたのは―――――誰もわざわざ行かないような、校舎の敷地の隅。
「そこに立って」
指図されて、壁と背中合わせになる所に立たされた。
そこからしばらく、三人に包囲されるように詰め寄られた。
そして―――――。
「もし、生徒会選挙に出しゃばってきたら……殺すから」
井原さんに、右手で胸ぐらを掴まれ、脅迫された。
悪口で留まっていたはずの彼女が、ついに私に手を出した瞬間だった。
「出しゃばるも何も、私はもともと選挙に出るつもりは―――――」
考えていた事を話してみると、今度は左手での平手打ちを受けた。
重めの音と共に、顔が左に向いた勢いで、眼鏡が飛ばされそうになった。
「口答えに虚言、ねえ……。 そういう図々しさも悪魔らしい。 この場で始末してあげてもいいんだけど?」
その方へと振り向く間もなく彼女が発してきた脅し文句もまた、さらに心への傷を重くした。
「もし本当だったとして、裏切るような事をした場合も殺すから。 もしこれが嫌というなら、まず拓海との関わりを絶ってくれる?」
これで用事は終わり、と判断したのか、彼女はこの体制から私を突き放すように押し倒した後、私に言葉を吐き捨ててから、二人とともに歩いて去っていった。
この時の取り巻きの片方からの視線は、冷たいのか温かいのか分からなかった。
こうした言動は、とにかく理不尽としか言いようがなかった。
交換条件も含めて。
手を出された以上、もうそろそろ我慢を解いた方が良いのかもしれないが―――――今それをやると、「関係の改善」という目的を果たす事は不可能になるだろう。
普通なら、胸ぐらを掴まれた時点で、無理だと認識している事だろうが。
それに、もともと周りを巻き込みたくはなかったし、報告や相談でこの事を明るみにしたとして、時と場合によっては『選挙妨害』に該当してしまう可能性も捨てきれなかった。
話した相手を酷い目に遭わせてしまうとか、心配事も多数あった。
彼女の周りからの信用を損なわせるのには、十分すぎる出来事になるだろうし。
笠岡くんたちは何をしているのか、とは思わなかった。
助けてくれると思っていた人たちは、誰も気付けていなかったからだ。
できれば駆け付けてほしかったが、仕方がない以上、それを恨んだりする事なんてできない。
それからしばらく、ショックと考え事への集中で動けず、これによる下校の遅れでバスにも乗れず、落ち込んだ状態で一人で帰っていた。
この時に必死になって思い出したのが、幼い頃についての事だった。
――――――――――
井原さんも井原さんで、小学校の頃は出自について妬まれたり、しつこく母親についていじられたりしていて、特に後者に過剰に反応した事で周りに怖がられ、孤立していた時期もあった。
その時期より前に彼女の側に立っていた中の一人が六島さんで、笠岡くんの事を教えてくれたのもそうなのだとか。
それから、彼も彼女に親しみを持って接するようになり、いつの間にか行動を共にするようになっていたか。
ただ、彼女と彼の初対面については、あまり思い出せなかった。
彼の方はというと、言えない風潮のようなものがあって隠していただけで、初対面の時点で既に気になっていたといい、更に言えば恋に近い感情のようなものもあったと振り返っていたか。
しかし、家族には小学校に馴染めていないと思われていたのか、彼女は中学では浅口くんも含めた四人とは別の、私立の学校に進学していた。
もしかしたら、その中学の頃、私と似たような特徴の人などと何かあったのかもしれない。
……というか、私には、これと言動に対する好き嫌い以外に、自然な理由が浮かばない。
――――――――――
学園から家までの帰り道の途中、私の横を母さんの車が通りすがり、目の前の路肩で停まっていた。
車から降りてきた母さんは、こちらの事を見かけると、誰かと端末で電話した後に近寄ってきた。
「衣奈? 何してたの?」
「母さん……?」
話しかけられもしたが、困惑していた。
本気で心配させていて、申し訳ないという気にもなった。
「ただ遅れてたってだけ?」
「はい」
母さんに対しても、井原さんたちからの暴言や暴力の事には触れなかった。
というか、何かがあったとは考えるものだと思っていた。
もしかしたら、俗に言う『いじめ』に―――――というのも、考えていない事もないと信じたい。
車に乗ってからの話は、「先生がとても心配していた」とか、「いい加減どこか頼れる所に相談した方がいい」といったもので、意外とは思わなかった。
母さんから指摘を受けるたびに、ずっと口先で謝っていたし、そうでない時も不安でしかいられなかった。
そんな時に頼ったのが―――――リデレ曲だった。
車の中で端末を取り出し、MyMoveのアプリを立ち上げてすぐに『二色ムウ』と検索して、たまたま一番上に出てきた、『ガーデンプレース』という曲のミュージックビデオと銘打たれた動画。
再生してから聴こえてきたのは、軽快なギター、ベース、ドラムのリズムから繰り出される、邦楽とも一線を画すような独特なフレーズの数々がとても印象的な楽曲だった。
好き嫌いが別れそうとも言える感じだったが。
そこそこの音量で再生していたが、母さんはまるで気にしていないようだった。
すぐに車は家に着き、その際に再生も止めたのだが、後でもう一度聴きたくなった。
しかし、帰ってきてからというもの、結局いつものように言われた悪口を一人で抱え込み、暗い部屋に閉じこもっていた。
悪魔呼ばわりされた日などもそうだったか。
ただ、今日とは夕飯を食べていなかった所など、微妙な違いがある。
この間に、変わろうとしていたはずの心は、結局また戻っていこうとしていた。
そんな中で迫ってきていた、バレンタインデー。
例年は自作したものを笠岡くんと六島さんに渡すのみだったが、今年は渡す人を増やしたい。
瀬戸さんたちに高梨さんに福山さん、そして―――――可能なら、あの高梁くんなどにも。
そこで土曜日に向かったのが、改信院市内にある大型商業施設「ソフトタウン改信院」の中にあるスーパー「ヤマカド」。
店内で流される、地域では有名なテーマソング等を聴きながら、大きめに展開されていたチョコレートのコーナーを物色していると―――――。
「久しぶり、衣奈! 元気にしてた?」
夏祭りで知り合っていた二人と再会した。
長岡さんとは前に通話はしていたが、田辺さんの方は本当にそれ以来になるだろう。
「ああ……はい。 おかげさまで……」
「本当に? そうだといいけど……」
戸惑いながらも、ごまかすように笑顔を作って返事をしたが、二人にとっては信じられなかったようだ。
実際、心についてはとても元気とは言い難い状態ではあったし。
それ以降は三人で、菓子作りに必要なものの買い物を楽しんだ。
「毎年のようにチョコを渡している相手はいるか?」とか、「二人はどんな感じなのか?」とか、途中の会話も楽しかった。
今では互いに下の名前で呼び合っていて、去年のバレンタインではチョコを渡し合ったりもしていたほどの仲になっているらしい。
同じ高校に進学していて、一年の頃に同じクラスになった事がきっかけだったとか。
これを聴いた時は、まさかそんな事になっているとは思わず、多少の笑いが顔に出ていた。
「そういえば……」
「ん?」
そんな会話の途中、私から話題を切り出して、「あの夏祭り」についても、直接確認する事ができた。
「誘われた時はどう思っていたのか?」と。
「ちょっと意味は分からなかったけど、せっかくの祭りなんだから、盛り上がれる子と一緒の方がいいよなあ、って思ってたんだ」
「結果的に正解だったよね?」
「うん!」
二人は想像以上に楽しそうに話していて、目には涙が溜まっていた。
「棚橋さん? えっ、泣いてる……?」
「実は、祭りが終わってから、ずっと二人に言いたかった事があったんです。 あの時は、わがままに巻き込んでしまって、申し訳ないな、と」
長岡さんに訊かれると、私は一度顔を下に向け、鼻をすする仕草をした後に、正直な気持ちを話した。
「気にしすぎだよ」
「そう……ですよね」
珍しくはない、と言うべきはずの、微笑みながらの彼女の返事を、いつもより嬉しく思っていた。
仮にもしこれが逆の立場だったら、私は一体どうしていた事だろうか。
情けない、つまらない、流れに乗れない―――――。
そんな私を許してくれているとか、相手にも同じような気持ちにさせてしまっているかもしれないとか、フォローするような言い方をされる度に気にしてしまう。
時には、辛辣な言い方もしてほしいとか。
まさか、私はそれを求めて、自身を嫌っている人の所へと向かってしまっていたり―――――なんて、そんな事はないと思いたい。
「棚橋さんにも、好きな人っているの? いるとしたら、今はどんな感じ?」
様々な板チョコなどを買って店を出てすぐに、話題は恋愛の方へと移っていた。
「そう言わざるを得ない人……だったらいます」
「へえ、衣奈にもいるんだ。 どう、付き合ってたりしない?」
「逆に、そこまで踏み込めなくなってしまってる、というか……」
戸惑いながらも、二人からの質問に答えていった。
「逆に、って……なんで?」
この田辺さんからの疑問には、笠岡くんの周りについて、具体的な名前を伏せた上で説明する事で対応した。
「そこそこの人気者だ」とか、「授業以外では女子と一緒にいない時の方が少ないくらい」とか。
この話をしている間に、彼についてまた気になっていたりもしていた。
『本人にとっての本命は誰なのか?』と―――――。
六島さんとの作戦においても大事になってくる事なのだが、私自らが彼本人に直接訊いてみた所で、私の事を好きだと言うか、そもそも断言をしないかのいずれかになってくるだろう。
こういう話題は、相手から「もっと前向きに」「気にしすぎ」といったこちらをフォローするような言葉や助言を受ける事も含めて、恒例となりつつある。
更に言えば、そういった言葉を最も多くこちらに発してきたのが、彼本人だったりする。
仮にもし、彼との接点がないままだったら、今どき私はどうなっていた事だろうか。
「だからこそ、大胆に行けばいいのに!」
「無理です。 周りにいる人の事を考えたら、最善ではないので……」
「そっか……」
そして、私が理由をつけて助言を反故にして、相手を困り気味にさせるまでが、恋の話の一連の流れである。
管の輪の中を通る球体のようにまるで様変わりしない会話の流れから抜け出すような行動も取りたいのだが、自分自身に嘘をつく事にも抵抗してしまい、なかなか踏み出せずにいる。
その後は、誰に配るかとか、どんな味のチョコが好きなのかといった話題で盛り上がった。
盛り上がっていた間は、『雰囲気を壊してしまった』などといった、負い目のようなものも感じていた。
家に帰ってからは、愛奈、母さんと一緒にチョコレート作り。
愛奈が端末を操作して再生させた、ポップな雰囲気のリデレ曲を背景に、二人との会話を交えながら、それぞれが用意する分を作った。
今年はいつにもまして、楽しみながら作業に取り組む事ができた。
そんな気持ちになる事も含めて、例年とあまり変わらなかったりするのだが。
次の日も、包装周りを用意しようと百円均一に向かって、袋やカードなどを買ってきた。
この時、知っている人とは出会わなかった。
家に帰ると、しばらくはチョコを入れる袋についての作業をしていた。
カードに書き足した英文については筆記体を意識したが、上手く行っている自信はない。
かといって、失敗したら捨てるというのも勿体ない。
これだけだとありきたりになるかも、とも思い、送り先になる相手の名前を足して特別感を演出してみたいと考えていたが、送り間違えていたら大変になるとも考え、やらなかった。
貰った以上、嬉しいに越した事は無いだろうし―――――。
その後、完全に疲れが抜け切っていないまま、バレンタインデーを迎えた。
予め用意してあったチョコをバッグに詰め込んで、いつものようにバスで学校に向かう。
小さめのものを十個ほど用意したが、おそらく自分で食べる分や家族に渡す分―――――悪い言い方で「余り」が発生するだろう。
乗ってすぐに見つけたのは、美夏さんだった。
「よかったらこれ、四人分になるんですけど……」
「美奈と美来の分も……ですか?」
美夏さんの方を見つけたので、四つ渡した。
姉妹たちの事も考えてのものだ。
「ありがとうございます! 後で渡しておきますね」
質問に「その通り」だと答えると、彼女は嬉しそうにしていた。
本当は美佐さんの分だけ、本人に直接渡そうとも思っていたが、すねて受け取りを断られる可能性や、他の姉妹からどう思われるかなども考えてこの形にした。
ただ、当の彼女とは車内で会えないまま、バスは学園へと到着した。
「はしえなじゃん。 ……ああ、そっか、バレンタインか」
「今年は作ってきました」
学校についてからは、まず六島さんに会って一つ渡した。
彼女の反応は―――――毎年のような、嬉しそうな表情をしていた。
少し会話を交えて、彼女からの分は、放課後に貰う事になった。
渡したい人に対しては、靴箱に入れようとも考えていたが、迷惑になると思ってやらなかった。
また、今日の移動中にも、他の人たちがチョコや様々な菓子を渡している様子を見かけた。
校則では基本的には菓子の持ち込みはできないが、この日と翌日だけは「菓子は校内で食べてはいけない」「匂いの強いものは教員の判断で回収できる」という条件付きで認められている。
これについて、去年当時の担任に訊いた事もあって、「実家が有名な洋菓子屋の生徒が必死に学校にお願いした結果だ」とか話していたか。
既に用意した量の半分を渡したが、渡したい人はもういない、というわけでもない。
しかし、この日のうちに、その人たちに渡しきる事ができるかについては、分からない。
昼休みになって、バッグから取り出したチョコを一つ持った右手を背中に隠しながら向かった先は、笠岡くんのいる方ではなく、五組の教室。
福山さんに用があった。
いつものように、人だかりの中で絵を描いていた。
「棚橋って……あれだろ?」
「あれがふーちゃんと組んだっていう子? 見た事あるような……」
彼女の席の周りの人々がどよめく中、本人も反応していた。
「みんなはもう、棚橋さんの顔と名前は知っていると思うけど、どんな人かはよく知らないよね?」
「う、うん」
「確かに……」
「私も詳しくはないけど、拓海の……いや、笠岡くんの友達の一人だよ。 人見知りな所のある子だから、可能なだけの配慮をしてほしいな」
彼女による周りへの説明を聴いていて気になったのが、笠岡くんの名前が出ていた事、その際に呼び方について言い直していた事だった。
「改めまして……でいいですか?」
「そうだね」
説明が終わった後に、彼女に挨拶について訊いてから、席周辺の人たちに話しかけた。
それからの会話では、特に大きな混乱はなかった。
「何隠してるの?」
「チョコレート……です」
ただ、右手について訊かれて答えた時は、驚いていた人もいた。
「用意してたんだ?」
「これから、お世話になるので……」
私はどよめきの混ざる中で話をしながら、机に袋に入った菓子を、添えるようにして置いた。
「ありがとう。 後で美味しくいただくよ」
それを見た彼女は、少し嬉しそうにしていた。
この時に見せてくれた、何気ないはずの微笑みには、私も釣られていた。
「そうだ、棚橋さん」
「なんですか?」
本来の目的も終わり、一組の方に戻ろうとすると、彼女の方から呼び止められた。
「これを、拓海に……いや、笠岡くんに渡してほしい」
絵を描くのを止めた彼女から、かばんから取り出した、チョコレートの入った袋を渡された。
私が用意していたものよりは、一回り大きめだった。
本当は授業前に渡したかったが、それができなかったという。
これで二人の距離が近付いたりなんて事は―――――などとは強くは思わず、素直に頼みを受け入れた。
根に持たれる可能性も排除しきれなかった。
それを受け取って、右手に持ちながら一組に戻ったが、時間の猶予があまりなかったので、すぐに笠岡くんの席へと向かった。
「ああ、衣奈。 それは?」
「福山さんから、笠岡くんにと……」
彼から直接、菓子について訊かれて焦った。
「"るか"からか。 今年も作ってくれたんだ」
「るか……?」
「そう。 『流れる花で覚えて』、って言ってたっけ」
返事に対する彼の反応から、福山さんの下の名前が流花さんである事を知った。
彼女はほとんど苗字の方で呼ばれていて、耳にする事があまりなかったのだ。
更に言えば、漢字の書き方については、これが初耳だったりする。
「流花には、今度直接伝えておくから」
彼は喋りながら、受け取ったものをバッグへと入れていた。
この際だから私の分も―――――と思ったが、やっぱりやめた。
いつも世話になっているお礼も兼ねて、より変わった場面で渡したいと思ったからだ。




