5-2.赤くない他人と
その日の授業が終わり―――――。
「あ、棚橋」
周りと同じように廊下を歩いていた所を、美来さんに話しかけられたので立ち止まった。
彼女が一人だったので、どうしたのかと気になっていたが、それはすぐには口にしないでおこう。
「はい。 何ですか?」
「気になるんだけど、どうして美佐だったの……?」
「それは……」
訊かれた事には、すぐには答えられなかった。
もともと、この質問に対して、すぐに断言できるほどの大きな理由はなかった。
少し顔を合わせるくらいだったのが、いつの間にか友達にまで発展していた、という考えでいたのだ。
ただ、『たまたまいたから』というだけでは、納得させられるかは分からない。
それは、それらしい嘘で誤魔化す時だって同じだ。
結局、互いに困っているかのような表情になり、どうとも言えない状況になってしまった。
その間の彼女の視線からは、放っておいてはいけないような、独特な圧を感じた。
しばらく悩んだ末に彼女に話したのは、私の「癖」の事だった。
彼女の素振りは、理解はしているという雰囲気は出ていたが、納得はしていなさそうだった。
どう言っても、納得させるのは不可能だったかもしれないが―――――。
それからは、これといった出来事はなかった。
翌日の放課後―――――。
「ねえ?」
教室を出てすぐの所を、芦屋先生に話しかけられた。
先生の右手は、こちらの右肩を掴んでいた。
「色々訊きたいのよ。 帰りたい所悪いんだけど、ちょっとだけ付き合ってくれる?」
先生からの頼みには、二つ返事で受け入れた。
肩から手が離され、一組教室内で向かい合う。
慣れない雰囲気と先生自身の笑顔は、プレッシャーと呼ぶには十分だった。
「単刀直入になるけど……いい?」
「もしかして、いじめられてる?」
「それらしい事、というのはそんなに……」
「そうなの?」
少し間を置いて訊かれた事は、最初とするには重いものだった。
いじめられているというよりは、その人にとって合わないが故に嫌われていると認識していた。
好き嫌いだけは、絶対に一枚岩にはできないものだとも思っていた。
「こんな事になってるみたいだけど?」
『未明、緑の悪魔こと棚橋衣奈を始末する』
そこから少しの間、先生が端末を操作した後、右手でこちらに見せつけてきた。
そこには、掲示板らしきサイトに書き込まれた、私への殺害予告が表示されていた。
書き込みがあったのは、三日前の夜らしい。
その反応も『誰だよ』といった困惑とも取れるもの、『悪魔祓いは毎秒やれ』といった過激なものなどがあり、目を通していて戦慄した。
何より恐ろしかったのは、「始末する」という言い回しと、何日の未明なのか分からない所だった。
こんな行動に至らせるほどに憎しみを持たれていた事も、それはそれでとても恐ろしかったが―――――。
「えっ……誰が……?」
「そこ、先生も気になってるの。 それで、みんなに訊いて回ってる、ってわけ」
「そういう事……」
「うん、そういう事」
恐怖で怯える私に対しても、先生の表情や言葉は変わらない。
この後もしばらくの間、先生と話し合った。
先生も普段からこちらの事を気にしていたとか、来月に控えている生徒会選挙についての話とか、一年生との人付き合いの事とか。
結局、先生の話し方は終始変わらず。
これについても訊いてみた所、「保護者対策の一環」なのだとか。
それ以上の詳細はあまり話してくれなかったが、もともとこの学園は『物言う保護者』の存在が深刻な問題だったという。
書き込みを目にしてから、ずっとその事ばかり考えていた。
誰がやったのかとか、どうやって殺されるのかとか。
家に帰って着替えた後も、人の心情を気にして、相談も何もできないでいた。
晩ご飯を食べる時以外は、明かりを着けていない部屋の中で、床に座って頭を抱えていた。
寝ようにも、『殺される』という不安が強く出て眠れない。
端末にはたまに着信が届くが、確認する気にもならない。
「ねえ、衣奈?」
そんな所にやってきたのは、愛奈と勇だった。
「掲示板に殺害予告?!」
事情を聴いた二人は驚いた。
普通はそもそもそんな事なんてありえないわけだが―――――。
「誰が……?」
「顔見知りの中の誰かだと思ってます。 私の事を悪魔と呼んでる人、となると限られてくるので」
「やめて、とか言わなかったの?」
「人の好き嫌いなんて、その人によりますから……」
「あー……そう。 まあ、返事で言うなら『行けたら行く』みたいなもんなんだし、真面目に受け止めない方がいいんじゃない?」
「そうだといいですけど……」
「とりあえずさ、この曲でも聴こうよ」
愛奈の言葉でより不安になる中で、彼女はどこからか無線イヤホンと端末を取り出し、ある曲を勧めてきた。
その曲は、「愛と勇気の関係性」について歌われたリデレ曲だった。
軽快でポップな曲調に、時折一人の重めの感情を表現するような歌詞が、独特の味を引き出していた。
しかし、端末に映されていた動画に視線を向けてみると、一人の女子高生が別の高校生のカップルに因縁をつけ、男性に拳銃を発砲し、怯えるもう一人の女性に抱きつき、その体の所々を手で触っていた。
SNSにこの一部始終を投稿された方の女性は、その投稿に対して自由と正義を訴えかけた。
これ以降その女性はメディアに引っ張りだこになり、逮捕状が出たというニュースでも敬称が付けられ、トレンドに逮捕状について抗議する趣旨のタグが掲載された事なども取り上げられた。
逮捕こそされたものの、その後の裁判で無罪判決が下された。
「これって……?」
ただ、曲自体は聴くのは初めてだった。
「『プラセボキメタラ』。 これが曲名で―――――」
愛奈に確認してみると、PVは作曲者が『自分の中での社会像への風刺を』と知人の絵描きに依頼したようで、PlanterというSNSにおいてもそういった社会像に対する愚痴や不満を投稿したり、価値観の近い他人の投稿を自分のアカウントにも表示させる「リレーション」という機能でフォロワーに共有したりしているらしい。
PV自体も人によって好き嫌いが別れているそうで、愛奈にも訊いてみた所「絵のタッチは嫌いじゃない」との事だった。
「そうなんですね。 でも、どうしてこれを……?」
「くだらなさすぎて、逆に笑えるから」
訊いた質問の答えには、困惑するしかなかった。
愛奈としては、これで笑ってほしかったのかもしれないが、今の私にそれはできなかった。
一方の勇は、というと―――――既に部屋を出ていた。
『もういい』という意思表示だったのだろうか。
それからも、殺害予告への恐怖は収まらず、就寝したのはいつもより三時間後の事だった。
起きる時間も遅くなり、学校も母さんからそそのかされてようやく支度を始めたほどには行きたいという意欲が失せていた。
そんな状態での通学は、バスの中でも悪影響を引き起こした。
いつものような笑みは作れず、座席で頭を抱えていた。
「おはよう。 ……いや、何してんだよ」
「美佐さん……?」
しばらくした所に話しかけてきたのは、美佐さんだった。
「どうしたんだよ、バシ。 怪我が何かか?」
一連の挙動は、彼女にも心配させてしまっていたようだ。
気分はより重くなって、今にも泣きそうになった。
この後の会話でも、かなり美佐さんに気を遣わせてしまった。
殺害予告についての話題になったが、彼女がもう少しで怒りそうな所で終わった。
この時の彼女には、普段からの緊張のようなものがあまりなかった。
そんな状況になっても、私は学園では通りかかる人達への挨拶を欠かさなかった。
聴き取りづらくなっても、笑顔を作れなくても。
ただ、遠回りはしなかった。
この間、「どういう反応をされるのか」、と不安になる事もあった。
そして、どうしても通るしかない、井原さんの席の後ろ。
数人が人の悪口で盛り上がっていた所に挨拶してみたが、その中の一部の人に睨まれるだけだった。
「大丈夫か、衣奈?」
しばらく待っていると、笠岡くんが教室に入ってきた。
そこに近寄って挨拶をすると、表情について気にかけられた。
「……大丈夫です」
返事をしたが、彼はどこか納得がいっていないようだった。
「無理……してないか?」
「少しだけ……」
「そうか。 ……話なら、また違う機会に聴くから」
彼は時折、井原さんの方を意識しながら話していた。
私の方はというと、相変わらず笠岡くんを心配していた。
基本『考え過ぎ』で終わるとは言っても、やっぱり不安になってしまう。
――――――――――
そもそも、彼との出会いだって、『助けてもらった』という事が始まりだった。
『筆箱は?』
『なくしてしまって……』
『じゃあ、これ。 俺には兄ちゃんの予備があるから』
『ありがとう……』
小学校低学年の頃、いたずらで筆箱を盗まれ、ランドセルから直接文房具を取り出していた時、見つかるまでの間、貸してくれたのが笠岡くんだった。
その後も彼は親切にしてくれたが、元々使っていたものが戻ってきてからも、自分から「返す」とはなかなか言えず、次の学年になってすぐの頃に実際に返すまでの間は、ランドセルの中に保管していた。
その間、からかわれる事もあったが、事情を話すと大体の人は理解してくれていた。
『あっ、拓海くん。 これ……』
『筆箱……? そうだ! それ、君に貸してたんだったっけ』
『うん。 私の筆箱、返ってきてたから……』
『それはよかった。 けどいいよ、そのまま持ってて』
『ありがとう。 ……でも、本当は私のものじゃないから……』
『まあ……そうだよな』
この後の会話から友達になり、その繋がりで六島さん達と一緒に行動する機会も増えた。
ちなみに、筆箱を盗んでいたのは愛奈。
曰く「衣奈じゃなくて自分が使うべきだと思っていた。 好きな色だった」との事で、修了式を迎える頃には、既に母さんが同じような色の筆箱を愛奈にも買い与える事で解決していて、戻ってきたのもその関係だったとか。
――――――――――
この後の笠岡くんは、井原さんの方に行ってある程度会話した後、自分の席に戻って荷物を確認していた。
午前の授業が終わり、昼休みに入って昼ご飯の弁当を食べた後に向かったのは、五組の教室。
入ってきては、福山さんの席の方に向かった。
周りに人が集まっている所がそうだろう。
「ああ、棚橋さん。 リクエストなら、もう終わったよ」
彼女に挨拶をした所、反応された。
今日のリクエストは、先週とは別の人からのもので、内容は「リデレのムウとクトのプレッツェリンク」らしい。
「クト」というキャラクターについては、その場にいた短めの髪の人に画像を見せてもらった。
小柄な体、茶色の真っ直ぐで長い髪に白いカチューシャ、黄色の瞳が特徴だった。
黒をベースに、所々オレンジと黄色の直線の入った衣装は、ノースリーブのワンピースのような形をしていたが、女装しているという設定なのだとか。
フルネームは「開花クト」。
リーデレクトロニクスには「開花クモ」という、髪と瞳の色は同じでも、衣装や髪型などに微妙な違いのある、男装しているという設定のキャラクターもいるらしい。
名前自体は聴いたことはあったが、キャラクターについてはあまり意識していなかったか。
その人は、「プレッツェリンク」についても説明してくれた。
二人で一緒に一本の細い棒状のプレッツェルを食べるというもので、本来は場が盛り上がってきた時にやるものだという。
福山さんにどこまで描けたのかも見せてもらったが、既に基礎となる部分はほとんど完成しているようだった。
「どうして一週間に一回なんですか?」
それを見て彼女に、リクエストについて訊いてみた。
「青春を無駄にしたくないんだ。 そんな中で、一つの趣味に使える時間を全て、というのは無茶でしかない」
その答えとして話してくれたのは、福山さん自身の今と将来の事だった。
現状あくまでも趣味の域を出ない絵描きより、時間が有限な学園生活を優先させたいのだとか。
話の中では、生徒会選挙や、卒業後の進路についても触れていた。
「そういう考え方に至ったのって……?」
「私は『コウノトリに育まれた子』だからね」
より深く彫り下げようとしていた所、気になるワードが飛び出した。
何か特殊な事情がある事は、すぐに想像できた。
「コウノトリ……?」
「これもあくまで、便宜上の理由だよ。 もし、君と互いに熱い信頼を寄せられるほどの関係になる時が来たら、詳細な内容を教えてあげよう」
回りくどい言い方だが、詳しい事は「今はまだ言えない」との事だった。
この間も、彼女の視線は紙の方に向いていて、ペンも止めていなかった。
こうして絵を描く事には慣れているらしい。
時計で時間を確認し、休み時間が終わる数分前に、 彼女の席周りを後にした。
今日の授業終わり、廊下で待ったのは瀬戸さんの四つ子達だった。
美佐さんが美夏さんの左後ろにいる事以外は、順番に並んでいた。
「―――――棚橋さんの方も、最近何かありましたか?」
美来さんの左横に並んで歩き、姉妹同士の話を聴きつつ、相槌を入れていた所に、美夏さんが近況について訊いてきた。
「絵の描ける人と知り合ったんですよ」
「ん、"絵の描ける"……?」
「そういえば、美佐さんも絵が描けるんでしたっけ?」
「……少しだけ、な。 あれくらい、誰だって描けるし……」
返事に美佐さんが反応したので、話題を振ってみた所、美夏さんの後ろに隠れるようにして、恥ずかしそうにしていた。
「特に美佐は上手いですよ。 美来のあの可愛いSENNのアイコンも、美佐が描いたんですよね」
「というか、美佐姉の方から描かせてって言ってきた。 「フファスタ」で揉めた後に……」
「なんでそんな話をバシの前でするんだよ。 うちだけの秘密にしようと思ってたんだぞ?!」
そこに美奈さん以外の二人が話に入ると、美佐さんはより緊張していた。
彼女と他の姉妹の掛け合いに、私は思わず笑ってしまっていた。
彼女としては笑ってほしくないのかもしれないが、どこか楽しそうに見えた。
「……バシもバシで、なんで笑ってんだよ」
「なんか……幸せそうだな、って」
こちらの事を一度見てからの彼女への返事。
聴いた彼女は困惑していたが―――――。




