4-1.私の花
翌日、授業開始前の学園の校舎内。
私がいたのは、一組ではなく、四組の教室の戸の前。
通りすがる人達に、少しだけ頭を下げたりして反応しながら、一人の男子を待っていた。
「うーわ、めんどくせえ……」
しばらくすると、その人がやってきた。
彼は私を見ては、すぐに機嫌を損ねていた。
あれだけの事があれば、嫌がるとは思っていた。
「おはようございます。 昨日は―――――」
「終わった事だろ。 どうでもいい」
「……そうですか。 すみません、いきなり」
謝ろうとしたがすぐに遮られて、その返事も無視された。
彼は気にしていないのか、私とは関わりたくないのか。
交流について、しばらく悩んだ。
「どうすれば……?」
少しだけ呟いた後、落ち込むようにしながら、自分のクラスの教室に向かった。
私だけならともかく、誰に対してもあの調子だったら、どうしていいかも全く分からなくなる。
今日の昼休みも、向かったのは四組の教室だった。
しかし、今日はというと、教室プレート下の戸の前で立ち止まっていた。
Ⅳという文字列が嫌になったわけではない。
『やっぱ馬鹿にしてるんだ? だって、俺とは格が違うんだもんな?』
昨日浴びせられた言葉が、頭の中で響いていた。
そもそも他の組に、それも親しい関係のある人のいないクラスの教室に立ち入る事自体がおかしいのかもしれない。
「失礼します」
それでも、教室に立ち入った。
『入って良いのか?』などと不安になりながら。
「棚橋? お前、一組だろ?」
少し教室を歩いていると、一人の男子に話しかけられた。
暗い緑色で、所々跳ねているかのような髪だった。
「この組に、用のある人がいて……」
「上野だろ? いつもあんな感じだよ」
「あんな感じ……」
名前は聴いたが、良いようには思われていないらしい。
彼も彼で、癖のある人かもしれない。
「それで、用というのは?」
「その、上野……くん? と話がしたくて……」
「マジかよ……」
目的を問われたので、戸惑うようにしながらも話してみると、その人は引き気味になっていた。
それから私は、彼のいるはずの四列目の窓際の席に向かった。
「こんにちは」
「はあ……。 またか」
挨拶をしてみたが、彼は呆れ気味だった。
「すみません。 昨日の事で、どうしてあんな言い方をするのか、とか知りたかったので」
「そんなの、こっちの勝手ですよね? 何が悪いんですか? 目くじら立ててどうしたいんですか? 教育委員会に言いつけたりでもするんですか?」
「そういう事ではないですよ。 あなたがどんな人かと―――――」
「どんな人!」
まくし立てられる中で目的を話すと、彼がいきなり手を叩いて高笑いを始めた。
言葉がツボにはまったらしい。
「えっ?」
「たかが一人の事知ったところで、なんにも意味はないのに!」
すぐに否定に走るのは、昨日と同じだ。
反論しようにも、言葉に困る。
彼を脅すような言い方にもなりかねないからだ。
ただ、納得の行くような説明もできない。
それでも、『その他大勢の象徴に』、というのであれば、彼の事を邪険にするわけにはいかなかった。
「あの、ちゃんと話を聴いてください」
彼は完全に、私を面白がっているようだった。
笑い声はさらに大きくなり、腹を抱える仕草まで見せていた。
その声に反応したクラスの人達からの視線は、私からもすぐ分かるほどに冷たかった。
彼に向けられた視線のうち、いくつかは私も含まれていたかのように感じていた。
「……どうしてそんな人になったんですか?」
「キャハハハハハ! ……はあ?」
そんな中で、訊きたかった事を訊いてみる。
大笑いだった彼は、真剣そうな表情に変わっていた。
「本当に心配だったんですよ、その……平気で人の事を否定する所が。 過去に、何か悪い思い出でもあったんじゃないかと……」
「それは……あるっちゃあある。 これでいいんだろ?」
「はい」
抽象的な答えだったが、納得しているような雰囲気を出した。
まだ詳しく聞き出せるほどの関係にはないのは、認識していた事だ。
「こっちからも訊くけど、俺の事を知ってどうするつもりなんだ?」
「えっと……あなたが他の人と良い関係になれるように、出来る限り手伝う、とか……」
「そんな役割いらねえよ、バカ眼鏡がよ!」
それから、今度は彼から質問されたので答えてみたが、彼からは求められていないようだった。
好かれていないのに、というのも、その人には失礼な言い方だ。
ただ、ここまでの会話だけでも、彼が嫌がる所はあったかもしれない。
「……分かりました」
気分を害していたらどうしようもないので、特に反発はしなかった。
それからは、彼の方に頭を下げて、歩いて四組の教室から出た。
離れる時の私の視線は自然と不安そうになっていて、周りからはまたどよめきが聴こえてきていた。
その人のためのつもりの行動が、一番足を引っ張っているのかもしれない。
いつの間にか、誰かにとっての敵になっているかもしれない。
そのような不安で、いっぱいだった。
この後は、自分のクラスの教室に戻り、午後の授業を受けていた。
――――――――――
授業が終わり、帰ろうと思っていた所に、一人で窓の前で棒立ちの人がいた。
その人は体型とスカートの制服からして女子で、下げた顔の視線は明らかに廊下に向いていた。
外にはねた首筋までの長さの髪の色は、私のそれよりも明るめの緑色だ。
彼女の方に向かって笑みを浮かべて、少しだけ左手を振ってみるが、反応は無い。
しばらく見つめてみても同じで、どうすればいいか困った。
放ってはおけないような悩みを持っていそうだが、彼女が人の助けを求めていない可能性もある。
落ち込んでいるようで、心配で仕方がない。
今度は左横に向かって歩いて、同じような姿勢で見つめてみる。
「えっ……?」
「こんにちは。 何かあったんですか?」
見下ろすような姿勢から、こちらに視線を向けてきたので、彼女に対して事情を伺ってみる。
左目の下のほくろと、茶色のフレームの眼鏡が特徴の人だ。
見えたリボンの模様からして、学年は一年だと思われる。
「なんでもないです、放っておいてくれませんか?」
視線を戻してからの彼女の返事は、いわば『介入する必要は無い』という宣言のようなものだった。
何もないなら、すぐに帰ろうとしないのはどうしてなのかとか、気になる事はあった。
『正直に自分より下の人間だと思ってるから擦り寄って優しいフリしてるんですって言え』
この状況で頭に出てきたのは、昨日上野くんから言われた言葉だった。
今の様子もきっと、自分より弱い人間に擦り寄って、優しいというイメージを刷り込ませようとしている、などと思われているのだろうか。
少し心配しただけでここまで言われるとなると、私としては心外だ。
もし本当に善人面のためだったら、私は今頃別の誰かを殴っていたり、嫌がらせを働いていたりもするかもしれない。
「……一緒に帰りませんか? もし帰りの方向が一緒だったら、の話ですが」
そんな彼女に、一つ提案してみた。
この提案に至ったのは、気にかけたというだけではなく、彼女について関心があったからだった。
「別にいいですよ……というか、どうしてそんなに近寄って―――――」
「心配だからです。 話だったら聴きますよ」
拒む彼女に、親しげにして話してみた。
本当に何もないのであれば、一人で下を向いて廊下に立っている理由もないし、私が話し相手になるというのも、私だけでなく、互いにとって都合が良い事だとも考えていた。
これこそ『擦り寄る』と言い換えられてもおかしくないのだが、それを知りたいという欲望のままに繰り返してしまうから、『癖』になっているのだ。
その人達には失礼な言い回しになるが、それを嬉しいと思えるのは、きっと自分の事を不憫だと思って生きてきた、または人間関係に問題や不満を抱えている人かもしれない。
だからこそ、私のような別の誰かが一緒になって、解決するまで向き合っていく必要がある、とも考えている。
その人達と、笠岡くんや井原さんのような『人気者』とでは、『一人の理解者がいる事』の意味の大きさが違うからだ。
私なりの考えや許容範囲もある以上、ずっとその人の味方でいられる訳ではないし、事あるごとに頼られるというのも、それはそれで良くは思わないが―――――。
振り向いては、若干驚いているか、困惑気味のような顔を見せた彼女は、姿勢を元に戻していた。
こちらも同じように、前かがみのようだった姿勢を直す。
「良いですけど……どこに住んでますか?」
その直後に彼女から訊かれたのは、家のある街についてだった。
「ごめんなさい。 私の家、道口の方にあるので……」
嘘をつかずに答えて断られたが、無理は無かった。
改信院と道口では、学園から自宅への方角がほとんど逆になるからだ。
「そうなんですね、分かりました」
「ところで、あなたは……?」
納得するように返事をすると、彼女はもう一つ質問をした。
そういえば、名前はまだ伺っていなかったか。
「棚橋先輩……でいいですか?」
「別に先輩とか、つけなくてもいいですよ」
学年と名字を話すと、呼び方について確認された。
初対面でこうした確認を取る人は、そう多くはない。
「よろしくお願いします、棚橋さん」
「こちらこそです」
確認が終わった後、一度頭を下げて挨拶してきたので、こちらも一度同じような動きを取った。
その後、私と彼女は一緒に校舎を出て、駐輪場まで並ぶようにして歩いていた。
「あの、棚橋さん。 ここからが本題……なんですけど……」
「他の子と、漫画について揉めた事があって、それで……仲間? っぽい人達から、嫌がらせを受けてるんです」
何気なく会話をしていた中で、顔を曇らせた彼女からの「話」は、想像していたよりも遥かに重い内容だった。
『関係の良くない派閥』の先にあり、『いじめ』の一歩手前にある状態だろうか。
誰だろうと、放置しておいてはいけない事だ。
「それはそれは……。 どうしてほしい、とかって考えてますか?」
「ぎゃふん、と言わせて、嫌がらせをさせないようにしてほしいです」
「要するに仕返し……ですか」
「はい」
目的を訊いていて、彼女の話し方に不満や憎悪のようなものを感じた。
悪事の被害を受けている以上、そう考えるのも無理はない。
ただ、私は勇者や正義の味方か何かではないし、そのような存在にはなれないだろう。
仮にもしそうだったとしても、対応はあまり変わらなかったかもしれないが。
それに、いくら被害を被っている人がいるとは言っても、悪い事は悪い事で変わらないし、いたちごっこになって最も困るのは本人ではないか、などとも思い込んでいる所もある。
『私には出来ない』とも言えず、しばらくの間、二人で横並びになるように歩いていた。
「そういえば、あなたの名前がまだでしたね」
そんな中で、駐輪場に停めていた自転車の鍵を開け、キックスタンドを上げ、ハンドルを持ちながらこちらの方へ歩いて近寄る彼女に、名前について訊いてみた。
「高梨です。 小鳥で遊ばない方です」
漢字の書き方についても教えてくれた。
その後は、校門を出た後に彼女と別れて、いつものようにバスに乗り、降りた後は徒歩で家へと帰っていった。
――――――――――
『はしえな。 明日の学校終わり、私の家来れる?』
夕飯を食べ終わってしばらくしてから、六島さんからSENNが来ていた。
『大丈夫だ』と返事を送った。
計画についての会議だろうか。
あまり進められていなかったし、怒られてもいい。
関心を逸らすために何をするべきかとか、考えておかないと―――――。
「なあ、衣奈?」
夜遅くに、父さんとリビングで二人きりになった。
下の名前は「恵次」さんと言い、お祖父さんは研究者だったとか。
親族のほとんどは東海地方にいるようで、その中には私から見ても親族だとも言えない事も無い人や、お店を始めた人もいるらしい。
どうして改信院に―――――というと、私の父方の祖父にあたる「源三」さんが、何らかの事情で移住してきたのがきっかけだったとか。
その方についてはよく知らないが、今もこの街のどこかで飲食店をやっていて、会いたいならそこに連れて行く事も出来る、という話なら聴いた事がある。
また、父さんには兄と妹が一人ずついて、源三さんには兄と姉が一人ずつ、弟が二人いるという。
母さんとの出会いは、仕事で田島にいた頃、休日で街を移動中にすれ違ってからの一目惚れだったそう。
「誰と付き合うか、決めてるのか? この時期に、迷ってる場合じゃないだろう?」
「それは……まだ……」
質問は、恋人についてだった。
笠岡くんや浅口くんのように、男子の友達はいても、友達より先には踏み込めない。
いつかは踏み込まないといけないのは分かっているが、どうしても私から踏み込む事ができない。
『でも、やっぱり恋人とまでには……』
『私以外にも良い相手がいるじゃないですか』
関わりの深い人であればあるほど、こじらせた感情で壁が強化されていくからだ。
その壁が破られるのを、ずっと待っているのが現状だろうか。
このあと、父さんと「学校と交友関係」についてしばらく話し合った。
その途中では、『もっと人の事に正直に』と助言を受けた。
悪い方に向かないか、と不安になっていたが、「無理にごまかすのも嫌だという人もいる」とか、「その方が心がスッキリする」とか、色々話してくれた。
その後は勉強したり風呂に入ったりと、いつものように過ごして、歯を磨いた後に眠った。
――――――――――
翌日、学園での昼休み。
弁当を食べ終わってすぐに向かったのは、笠岡くんの席。
「わあ、出た……。 この前、バスで無視されそうになったの」
彼はいつものように、六島さんを含めた四人ほどの女子と会話を楽しんでいたが、今日はその中に悪い記憶のある人がいた。
『もしかして、"地味専レズの衣奈"?』
バスで見かけていた、女子としては大柄な人だった。
あとの二人も、以前に笠岡くんと楽しげに会話していたのを覚えている。
「棚橋さんは……ねえ」
「けっこう散々に言われてるんでしょ?」
言われた事に、思わず鼻で笑ってしまう。
周りも少し笑っていた。
「そ、そうですね……」
困惑しながら応じた。
思い当たる所は少なくなかったし―――――。
「それで、結局誰が好きなの?」
次に訊かれた事にも、困惑せざるをえなかった。
噂などを、考えすぎてしまう事もある。
「それは……笠岡くん……です」
でも、笠岡くんのいる場所で、『いない』とは言えなかった。
友達より先には、踏み込めていないというのに。
他にも関わりのある男子はいるが、好きとは断言できないとも思っていた。
名前を出すかどうかはとても迷ったし、緊張した。
しかし、この答えを、六島さん達がどう思うだろうか。
同じ感情を持つ人からすれば、この発言は『私も敵です』という宣言と取られてもおかしくない。
緊張していたのには、その辺りの不安もあった。
「こっちと同じ、って事でいいよね?」
「そういう事になる……と思います」
ただ、それはいつものように、気にしすぎていただけだった。
先程からの彼女の興味のありそうな表情は、あまり変わっていなかった。
こちらが緊張していたのも、あまり変わりはしなかったわけだが―――――。




