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棚橋衣奈の心労 信条編・陰謀編  作者: TNネイント
信条編/第一話「わがままを言わないこと」
1/36

1-1.人の夢

 この部分のみ、後の部分より長めです。

※作品一部分あたりの平均は5500文字、この部分は約8200文字

 ある日の朝。


 部屋に響く端末のアラームを止め、一度通知を確かめる。

 寝ている間に口を開けていて向きを変えていたのか、枕に(よだれ)がこぼれていた。


 カーテンの隙間から射し込む、窓ガラス越しの太陽の日差しが(まぶ)しい。


 まず洗面所に向かって歯をしっかり磨いた後、鏡に写る私と向き合いながら、左手で(くし)を持ち、寝癖混じりの髪を()く。


 終われば、赤茶色の眼鏡(めがね)をかけ、居間へと向かう。




「おはようございます」


 テレビを気にせずに朝食を食べる父さんと、逆にテレビを気にしながら家事をこなしていく母さんに、挨拶(あいさつ)をした。

 父さんは視線を向けるだけ、母さんはこちらに視線を向けて、同じように挨拶をしてくれた。

 父さんには私への愛がないようにも感じ取る事ができるが、実際のところはむしろ甘い方。

 食事中は喋らない、というだけだ。

 普段はある家電メーカーの下請けで働いている。


 私の中では、これらは起きた後の『いつもの事』。

 ただし、毎日が同じだとは限らない。


 母さんが用意してくれた朝食を食べる。

 ご飯、味付海苔(のり)、ゆで卵、レタスの葉3枚、具は豆腐だけの味噌汁だ。


「いただきます」


 両手を一度合わせて、離した左手で薄い緑色の(はし)を持つ。

 最初にそれをつけたのは、海苔。

 ご飯の上に乗せると、両端を箸で抑えて(くる)んでいく。

 そうしたものを、口へと(はこ)ぶ。


 海苔の塩気が効いていた。


「美味しい……」


 しばらく咀嚼(そしゃく)を続けてから飲み込んで、発した言葉。

 これもまたいつもの味だが、私にはこれがちょうどいい。


 贅沢をする事には、とても抵抗があるからだ。



「ご馳走様でした」


 しばらくして食べ終えて、制服に着替える。

 紺色の生地に、左手首の部分に入る白の三本の直線が特徴。

 黒い靴下を履き、白いヘアピンを前髪の左側につける。


 登校する準備は、完全に整った―――――。




 そんな私の名前は、『棚橋(たなはし) 衣奈(えな)』。


 四国地方の北東部にある私立校『葉畑(はばた)敬世(けいせい)学園』に通う、高校二年の女子生徒だ。


 大学に通っている三つ上の姉『愛奈(あいな)』と、高校卒業後にアマチュアサッカー選手になった二つ上の兄『(いさみ)』がいて、私は末っ子になる。


 鮮やかな緑色の、真っ直ぐの長い髪と瞳に眼鏡、という外見からか、周りからは真面目そうだと思われている。

 しかし、実際のところは―――――真面目というよりは、気にしすぎ、考えすぎと言った方が近い性格をしている……と思っている。


 本当にそれらしい所といえば、基本的な喋り方がですます調で、人の呼び方が名字にさんまたはくん付け、といった所だけかもしれない。

 自分の家族や、兄弟または姉妹を除くが。

 優柔不断だったり、今一つ自分に自信を持てなかったりもする。


 男性が嫌いだとか、同性しか好きになれないといった事はないが、自分があまり知らない同世代の女子を見かけると、その人の様子を観察したり、接触しようとしたりするという「癖」がある。

 それが出始めたのは中学二年生の頃からで、これによって他人に話しかける頻度が高くなっているからなのかは分からないが、顔と名前だけは周りにそこそこ知れ渡っている。

……主に悪い意味で。


 裸眼では全く見えないという事もないが、小学生の頃に医者から『生まれつき視力が低い』と言われていて、その関係で眼鏡をかけている。




「行ってきます」

 玄関に向かい、靴べらを使って靴を履き、右肩に紺の通学バッグをかければ、母と父の方に向かって喋り、左手でドアを開けて外に出た。




 それから十分(じゅっぷん)ほど歩いて、最寄りのバス停に到着した。

 周りには、制服姿の男女が数人ほど。

 同じバスを待っているのだろうか?

 しかし、時刻表ではなく、周りの様子にばかり視線が行ってしまう。

 確認はしても、すぐに周りを見てしまう。


 水色と青の色合いのバスが停車すると、下車する人を待った後に乗車した。


 座席はすべて埋まっていたので、車内に設置されているオレンジの手すりを掴んだ。

 降りるのは、学園の最寄りのバス停である「葉畑敬世学園前」。


 周りを見渡せば、ほとんどがどこかの学生だ。

 私と同じ制服の人も少なくない。

 端末を片手に会話する声も、こちらによく聴こえてくる。


 その中で、私は掴んだ手すりの横の席に座っていた、一人の女子の顔を見つめていた。

 黒に近い紺色のポニーテールで、ジトッとした目つき、灰色の瞳。

 前髪は少し長めで、そのまま伸ばせば目を覆いそうだ。

 学年については、リボンまたはネクタイを付けていないのでわからない。

 制服も着ているのは本来は内側に着るシャツのみで、スカートの模様は私のものと全く同じ。

 そういうスタイルの人は、あまり見かけない。

 とにかく、声だけかけてみる。


「……なんだよ」

 挨拶をしてみると、こちらの方に視線を向けてきた。

 その顔はかなり嫌そうで、申し訳ない気がしてきた。

 しかし、こちらの視線は逸れ、口からは言葉が出ない。

 単純に怖い。

 喧嘩腰にも見えるが、特に手を出してくる様子はない。


「……おっ……おはよう」

 しばらくして、まずいと思ったのか、彼女も緊張気味ながら挨拶をしてきた。

 振り向いてみると、声は小さくて、顔は赤みがかっていて、視線は逸れていた。

 相手の顔を見ない様は、つい先程の私のようで、どうとも言えなかった。


 それから会話は弾まず、互いに冷静になって、反対の方に視線を向けていた。


「あれ? 美佐(みさ)は……ああ、あれだ」

 その時、一人の女子の声が聞こえてきた。

 髪色と目つきは同じだが、こちらは制服の首周りに水色と黒の柄のリボンを付けていて、髪型は長めで結んでいなかった。

 同じ学年だった。

 人を探していたようだったが、反応に困る。


「すみません、ほとんど同じ顔と髪色の人を見ませんでしたか?」

 早速、彼女からの質問を受けた。


「同じ顔と髪色……姉妹か何かですか?」 

「はい。 そこにいるの、私の妹なんですよ。 四つ子なんですけど……」

「よ、四つ?! あなたは?」

 逆にこちらから()いてみると、彼女と探している人が四つ子である事を知って驚き、大きめの声を出してしまった。

 三つ子より上は、漫画やドラマの世界だと思っていた。


「長女の瀬戸(せと)美夏(みか)といいます。 あちらにいるのは次女の美佐(みさ)です」

「……よろしく」

 彼女から名前を呼ばれたからか、美佐さんの方もわずかながら反応した。


「棚橋といいます、よろしくお願いします。 あれ、あとの二人は……?」

 しかし、四つ子と聞いて、一つの疑問が生じた。


美奈(みな)美来(みらい)の事ですか? あの二人、電車で通学してるんですよね。 学校は同じなので、見かける可能性はあると思います」

「ありがとうございます」

 返ってきた答えだけでは、まだまだ分からない事はあるが、最低限の事は分かった気がする。


「……ややこしく、ならないんですか? どれが誰、とか……」

「よく言われますよ。 私は、髪型と喋り方で判別してるんですけど、多少時間がかかるかも……」

「そうなんですね。 ありがとうございます」

 時間を置いて、もう一つ気になる事を訊いた所、彼女は特に焦る様子はなく、淡々と話していた。

 それどころか、軽く笑っていた。


 それからまたしばらくして、バス停ごとの乗り降りもあって、ほとんど通学バスに近い状態になったバス。

 元となっているものは分からないが、車内には少し甘めの匂いが充満していた。


「あのさ、昨日SENN(セン)に送ってきた画像あったじゃん。 見せてよ」

「もう、今すぐにでもその携帯から見れるでしょ?」

 聴こえてくる声も、笑い声や楽しそうな話し声ばかりだ。

 そのようなものに釣られていてはいけない、という事は分かってはいるものの、つい視線を向けてしまう。



 しばらく景色を見ていると、学園の校門が見えてきた。

 降りるバス停に到着した、という証拠でもあった。


 次々と降りていく中、私は一番後ろでバスを降りた。


 四階建てで、薄い青色の洋風な建物が、葉畑敬世学園の校舎だ。


 もともとは女子校として作られた学校だったが、昨年から共学になった。

 そのため、生徒の男女比率が女子の方に大きく偏っている。

 校歌の音域が異様に高かったり、歌詞がどこか幻想的だったりするのも、その名残だという。

 なんでも、母さん曰く、昔はかなり評判が悪かったそうだが―――――。


 共学化と同じ時期に、運動部の強化を始めたとの事。

 対象となっているのはほとんどが男子の部活動で、県外どころか他の地方からやってくるという生徒もいる。

 さらにその中には、中学時代は全国大会の優勝メンバー、あるいは好成績を残したという生徒もいるとか。


 門からまっすぐ歩いた先にある、校舎の中へと入っていく。

 グレーの靴箱を開けて、白と赤の上履きに履き替え、廊下へ。


 基本的に、人から話しかけられたりはしない。

 気になる人がいない限りは、淡々と歩いていくだけだ。


 二階にある、クラスの教室へと入った。

 戸を通ってすぐ右にいたのは、見た目の個性の強すぎる、クラスの担任教師の女性だ。

 色白の白に近い銀髪にピンクの瞳の垂れたような目つき、青いフレームの眼鏡(めがね)、教師の格好としては少し派手にも見えるが露出は控えめな白と青の服装、少し太めな体のライン。


 名前は「芦屋(あしや) 結花(ゆいか)」。

 マイペースな数学の教師だ。


「あっ、おはよう」

 笑顔を作り、言葉を発したあとにやや深めに頭を下げる挨拶は、特徴の一つ。


「おはようございます」

 挨拶されたのはされたので、とりあえず返事をする。

 そこから、自分の席へと向かった。

 入ってくる戸の側からして、奥の方に位置している。



 しばらく座り、廊下の方を見て待っていると、見慣れた姿があった。

 中肉中背で黒く短めの髪、黄色の瞳の男子生徒―――――。

 彼の名前は、「笠岡(かさおか) 拓海(たくみ)」。

 ずっと前から頼りにしている、信頼の置ける友達の一人だ。

 人としての欠点が少なく、特に運と性格が良いと言われている人気者。


 彼の恋愛事情は、今や混沌の様相を見せつつあるらしいが、その事を初めて聞いた時は、そこまでの人気者になっているとは思わなかった。


 中学校までも同じ学校で、彼と遊ぶ事も少なくはなかった。

 三つ上の兄がいて、現在については県内の大学に通いながら、動画サイト上で投稿者としても活動している事、そこが愛奈が通っている所とはまた別の大学である事は知っている。

 


 どういうわけか、私の視線は、その笠岡くんの方を向いていた。


「おはよう、衣奈。 どうした?」

「……なんでもないです。 おはようございます」

 私の目の前まで歩いてきた彼と、わずかながら言葉を()わす。

 一瞬だけひきつった顔になったが、それ以外はどうともない。

 これもまた、『いつも通り』ではない事だ。


 それからしばらくすると、『右隣の席の人』が、同じクラスの女子一人と一緒にやってきた。

 暗い紫のようにも見える、黒の腰までの長い髪、釣り気味の赤紫色の瞳、(どう)体に対して少し長い足。


 彼女の名前は、「井原(いはら) さのり」。

 母はかつて有名だったアイドルグループの元中心メンバー、父は有名な実業家の親族と、かなり恵まれている家庭に生まれた彼女は、学内では早くも『次期生徒会長候補』との声があるくらいには有名な人だ。


 男子からも女子からも人気な彼女は、勉強も運動もできる事などから、『高嶺の花』という異名もある。

 十数人規模のグループを形成しているようで、学校ではほとんどの時間をその中の何人かと共にしている。

 自慢のような言い方になるが、そんな彼女とも小学校は同じだったし、何だったら笠岡くんたちと共に何回か家に遊びに行った事もあった。


 高校が同じになったと分かった時には、「また一人知り合いを見つけた」と安堵していた。

 しかし、現在はというと、当たり前のように無視されるくらいには、良いようには思われていない。

 彼女に直接、何か悪い事をした覚えはないはずなのに。


 この態度の変化が分かったのは、この学園に進学してきてからの事で、理由については何一つ掴めていない。

 こちらの感情に気付いて、態度を改めてくれる事を祈るしかないのが現状だ。

 その周りはどうなのか、というのは、まだ分からない。

 その中でも気になる人がいるというのが、私の中での判断を、より複雑にさせている。


「……おはようございます」

 そんな彼女だが、私から無視する事はできない。

 冤罪対策の意味もあると思い、近寄って挨拶する事は欠かさないようにしているが、大体こちらが無視される。


 それでも、事を余計に大きくしたくないし、これといった実害もまだ出ていないので、このような仕打ちについて、周りには言わないでいるのが現状である。



 その後、昼休み―――――。


 バッグから弁当を取り出した。


 赤地に白と黒の柄のバンダナを(ほど)けば、黄緑と茶色の丸みを帯びた四角い二段の弁当箱と、ケースに入れられた緑色の箸。

 蓋を開けると、片方はご飯、もう片方はさまざまなおかずが入っていた。

 キャベツだけを焼肉のたれで炒めたもの、ブロッコリー、サラダチキンを小さく切ってごまドレッシングと混ぜたものなど―――――。

 いつもは肉も魚も野菜も一つは入るが、今日は魚の要素がない。


 それでも私は、淡々と食事を進めていった。



「ごちそうさまでした」

 食べ終われば、整えた容器をバンダナでくるんで布バッグに戻し、一度辺りを見回す。

 特に何もないか、と思ったら―――――。

 井原さんの方から、蔑むような視線が飛んできた。

 周りに女子三人を囲ませていたのだが、彼女たちもまた、こちらを(あざ)笑うかのように笑みを浮かべていた。

 しかし、下手に彼女に怒ったりすればどうなるか、分かったものじゃない。

 基本口だけで手までは出さないので、まだいい方なのかもしれないが―――――。


 とにかく、今はまだ『こらえる時期』だ。

 こちらから手を出す事は、自分は彼女と同類だと言っているのとさして変わらない。

 真面目に接していれば、やがて『流れ』はこちらに向くと、そう信じ続けている。


 それから、放課後―――――。


「……あれ?」

 靴箱を開けると、中には一通の手紙があった。

 今どきそれくらい、SENNでどうにかなるだろう、というのは現実的すぎる話か。


『お伝えしたい事があるので、にじのまちの2階の書店付近まで来てください』

「んん……?」

 文章が少しだけで、差出人も宛先も書かれていなかった。

 いたずらか、誰かが間違えて入れたのか、はたまた本気で告白するつもりなのか。

 目的を問いたいので、指定された場所に行ってみる事にした。



 ピンクと白とグレーの壁の、大きめの商業施設「にじのまち」―――――。

 この中に入っている、書店の周辺。


 少し遅れ気味になってしまったか、と思い、散策していると―――――。


 見覚えのある人が、一人で立ち止まっていた。

 同じ制服、青いショートヘアに少し跳ねるように出ている頭頂部周辺の毛、黄緑色の瞳。

『普通より少し大きめ』だという身体―――――。


 彼女の名前は、「六島(むしま) 友希(ゆき)」。

 笠岡くんの幼馴染みで、住んでいた家も彼の家の真横に建っていた。

 付き合いの古い人達の中ではかなり仲が良い方で、私の事を「はしえな」と呼んでいる。

 こちらも小学校の頃は彼女の事を「むっちゃん」と呼んでいたが、すぐにやめている。


 彼女は人の事をあだ名で呼ぶ事が多く、笠岡くんの場合は「たっく」、井原さんの場合は「さのりん」と呼んでいる。

 また、自他ともに認める強い正義感の持ち主で、『悩んでいる人を無視できない事が悩み』という話は何回か聴いている。

 二つ下の妹がいて、大学に進むまでの愛奈はよく話を聴いてくれていたとか。


「あっ、はしえな! どうしたの?」

 少し右手を頭の上に上げて振ってみると、彼女は同じように手を振り、大きめの声で返事をした。

 これも、彼女の特徴だ。

 その姿のある方向へと歩き、向かい合う。


「よくわからない手紙が入れられていて……」

 肩にかけていたバッグから、左手で手紙を取り出した。


「それ、私だ……」

「えっ?」

 一度驚いた。

 その後もしばらく話をして、まず向かったのは書店の漫画コーナー。


「面白いんだよ、これ!」

 指を指してまで勧めてきたのは、『銃の狩人(かりうど)』という作品。


 今や名前を聞かない日は無いほどの話題となっている、有名な少年漫画雑誌「ホップ」で連載されていた漫画だ。

 敵や味方に登場頻度などを問わず作り込まれたキャラクター、独特な技などの言い回し、絶妙にマッチしたアニメの主題歌など、様々な特徴が挙げられている。

 作品とはあまり関係のない、周りの問題も様々だそうだが―――――。


「確かによく見ますよね……。 でも、何がどう面白いんですか?」

 話題や流行に対しては、一度は疑ってかかってしまう。


「敵がきっちり断罪される所とか、主人公と兄のストーリーとか!」

 要するに、『話が面白い』という事か。

 彼女の事を考えれば拒否する事はできないが、言葉を信じて買う事もまた、抵抗がある。 


「……もう少し、考えてからにします」

 間を取り、保留する事を選んだ。


「いいよ、別に。 買えとは言ってないし」

 反発も恐れたが、その返事からは多少の優しさを感じた。


「気になってるのって、あれだけじゃないんです」

「そうなんだ。 どんなの?」

 今度は何を探しているのかを訊かれたが、答えとなるはずの返事が出てこない。


「……ついてきてくれますか?」

 タイトルは云わず、その代わりとして同行する事を要求した。

 あっさりと受け入れてくれた。


 しかし、数ある本の中からいきなり欲しい作品を決めるというのは、とても難しい事だ。

 通うように店を訪れているならまだいいが、私がこの書店に行った事は、あまりない。



 店の中をただひたすら歩き回り、探していた作品を見つけたのは、おおよそ三十分後。

 漫画の置いてある場所をひたすら回って、三度(みたび)青年向け漫画のコーナーの棚の一つを見ての事だった。

 六島さんは内心呆れていそうで、帰ると言われても文句は言えない中―――――。


「これです」

 左手で本棚から取ったのは、「1042 一人脳内戦争の記録」という漫画。

 タイトルが気になった、というだけだった。

 実在する、巷で有名なMyMover(マイムーバー)を題材にした作品……らしい。


「へえ……でも、面白いの?」

「分かりません。 ネットで見かけて、そう思ったというだけなので」

 持っていない以上、断言は出来ない。

 適当な事を言おうともしたが、もしそれが全くのデタラメになれば、彼女の反応が怖い。


「じゃあ、読み終わったら、どんな話だったか教えてくれる?」

「分かりました。 また今度になるかもしれませんが……」

「すぐじゃなくていいよ。 とにかく、待ってるから」

 感想を求められた。

 慎重ともとれる返事にも、前向きに向き合ってくれている。


「……はい」

 思わず、返しが焦り気味になってしまった。



 それからというもの、私と六島さんは漫画を買った後、フードコートでクレープを食べていた。


「……そうだ。 もう言っていいかな、話したい事」

 そんな中、六島さんは食べるのをやめて、話を切り出した。


「良いですけど……」

「高校からのたっく、なんか変だと思わない?」

「そうですか?」

 内容は、笠岡くんへの不満だった。


「いつも知らない子といるのが気に入らない、っていうか……。 あとさ、私が小学校卒業する時に書いてた夢って、覚えてる?」

「『拓海のお嫁さんになる』、でしたっけ?」

「そう。 たっくと結婚して、幸せに暮らすんだって、そういう風に信じてたけど、もう馬鹿馬鹿しく思えてきて……」

 返事に困った。

 (はた)から見れば些細(ささい)な事のようにも見えるが、六島さんにとってはそれが深刻な問題だった。

 今までの愛情が、一気に意味のないものにされていくと思ったのだろうか。


「それでさ、はしえな。 手伝ってほしいんだよね、私がたっくと付き合えるように」

 その流れで彼女から言い渡されたのは、厳しい『頼みごと』だった。


 激しい争いになるという事もあるが、他人の人生にも大きく関わりかねない事で、何かを誤れば六島さんはもちろん、私までどうなっていくのかわからない。

 それに、私もまた、笠岡くんに好意を寄せずにいたわけでもないし、本人がずっと彼女の事を好きでいてくれるという確証もない。

 もしも私が彼女の事をよく理解している友達でなかったら、『ただのわがまま』とも言っていた事だろう。

 しかし、彼女の反応を考えると、無理だとも言いたくない。

 またしても、返事に時間をかけてしまう。


「考えすぎ。 どっちでもいいんだよ?」

 そして、彼女に促された。

 今はその『どっち』かで迷っているというのに。


 数分間考えていると、ある事に気づいた。

『どうなっていくのかわからない』というのは、六島さんだけでなく、私にも様々な『良い事』が発生する可能性がある、とも解釈ができない事もないと。

 内容によっては、の話にはなるし、悪い事ばかりになる可能性も、あるにはあるのだが。


「……わかりました」

 私は迷った末に、彼女の頼みを受け入れる事にした。

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