雨の中の昨日(過去編)9/?
テーコクに教わった“協会”関東本部の住所に足を運んでみると、都心部のとある雑居ビルの前に辿り着いた。
場所が合っているのかどうか、高崎は一瞬不安になりかけたけれど、ビルの入口にテーコクが立っていたのですぐにピンと来た。
彼は袴姿のうえに緑色の髪をしているのでとても目立つ(街中なので、さすがに木刀は所持していなかったが)。周囲の通行人たちも、彼にちらちらと視線を送りながら通りすぎていく。
とは言え、ちょっと見られるだけで済んでいるというのは、ある意味都会のすごさなのかもしれない。多少見た目が派手なくらいの人間は、東京の真ん中では騒ぐほど珍しいものでもないのだろう。
「よお、高崎さん。一か月ぶりだな」
テーコクは高崎に気づくと、その幼い顔立ちに不釣り合いな、どこかおしゃまな笑みを浮かべた。
高崎は軽く会釈をする。
「どうも、お久しぶりです」
「ここに来たってことは、前向きに考えてくれてるってことでいいんだな?」
「はい」
「そうか。じゃあついてこい。本部に案内しよう」
テーコクはくるりと踵を返すと、雑居ビルの中へと歩きだした。
ところで、このビルというのが見るからに古い。なんというか、周囲の建物よりも彩度が低いのだ。空から大量の埃を思いっきりぶちまけたんじゃないのかと思うくらいに壁の色がくすんでいるし、小さなヒビのようなものさえ見える。テナントが入っている気配もなく、活気がない。今月中に立て壊されると言われてもなんの違和感もないほどの廃れ具合だ。
高崎は勝手に、協会に対して立派なイメージを持っていたのだが……意外と財政が厳しいのだろうか。
「こっちだ」
テーコクの案内で、高崎は入口から入ってすぐのエレベーターの前に通された。二人を待っていたかのように、ジャストのタイミングで扉が開く。籠内に乗り込むとすぐに、エレベーターが上昇を開始した。
※
そしてかれこれ、エレベーターは一分以上上昇を続けている。ビルの外観はせいぜい五、六階しかなかったはずなのに……。いったいこのエレベーターはどこに向かっているのか。ガラス張りになっているタイプの籠ではないので、外の様子が見えない。古めかしいビルだけに、なにかの不具合なのではないのかと不安になってくる。
「逢戸澗があんたのこと、信用できると言っていた」
「えっ、あっ……、そうですか」
エレベーターのことで不安になっていたところで、急にテーコクに話しかけられたので、生返事っぽくなってしまった。
その反応をどう受け取ったのか、テーコクは弁解するように付け足した。
「おっと、おいらは逢戸澗になんの指示も出してないかんな。あいつは自発的に高崎さんのところに行ったんだ」
「そうだったんですか。逢戸澗ちゃんには、ものすごく助けてもらいました」
「ならよかった。できるなら、今後も仲良くしてやってくれ」
「仲良くって……逢戸澗ちゃんとってことですよね?」
「ああ」
「向こうがいいなら、私はもう全然……こっちからお願いしますって感じです。なんかこの一か月で普通に友達になっちゃいましたし」
「そうか」
テーコクがふっと口元を緩める。親が子に向けるような、優しい微笑みだ。高崎は、逢戸澗とテーコクの関係性のほんの一端を覗いたような気がした。
ここで唐突に会話が途切れてしまった。考えてみれば、テーコクと会うのは二回目だし、一対一で喋るのはこれが初めてだ。まだ距離感が上手く掴めない。
高崎はとりあえず無難に質問で会話を繋げてみた。
「このエレベーター、どこまで昇るんですか?」
「心配すんな。もう少しでつく」
「はあ」
答えになっているような、なっていないような。でも、機械に不具合が起こっているということではないらしい。
「…………」
ここでまた会話が途切れてしまう。やっぱりテーコクとの距離感が難しい。エレベーターの製造会社は、微妙な間柄の人と二人きりでエレベーターに乗ることになったときのことを想定して、なにか場を湧かす機能を搭載しておいてほしい。面白クイズを出すとか。
なんてバカなことを考えるくらいには心に余裕はある。実際、高崎は無言の空気がそこまで苦手ではない。
まあでも、どうせまだ時間があるならと、ずっと疑問に思っていたことを口にした。
「テーコクさん、あの子たちって、ボツになったキャラクターだって言ってましたよね?」
「ああ、そうだ」
「だったら、作者がいますよね。私が言うのもなんですけど……親代わりの人を探すなら、どうして作者の人に頼まないんですか?」
キャラクターにとって作者とは、親代わりどころか親そのものだろう。なぜ協会は、その作者を無視して別の親代わりの人間を探すのか。
テーコクはちょっと困ったように眉を寄せた。
「それな。ややこしい話なんだよ」
「ややこしいんですか」
「ああ。作者はいる。だが、この世界にはいない」
「はい?」
「パラレルワールドだよ」
と、テーコクは言うが、高崎にはまったくわからない。作者はいるけど、いない。禅問答?
「どうも作者とそのキャラクターってのは、同じ次元に同時に存在することができないらしい」
「ん? え、どういう……?」
「だからパラレルワールドだって言ったんだよ。いいか、たとえば、いまおいらたちが存在するこの世界をAとするだろ。そしてそれとそっくりの世界Bがあるとする。Aの世界で捨てられたキャラクターはBの世界に飛ばされ、Bの世界で捨てられたキャラクターがAに来ている。作者とキャラクターが二つの世界を交差するようにして存在している――という仮説があるんだ。まあ、証明しようがない仮説だがな。だが、おいらはもうこの世界に来て四、五百年は経つが、自分の作者に出会えたという記号の話は一度も聞いたことがねえ。この世界の真実がどうなっているのかは知らねえが、作者に出会うことができないということは、ほぼ事実だと見ていいだろうと、おいらは思ってる」
真実はテーコクにもわからないらしい。しかし長年の事実として、作者とキャラクターは出会えないようになっているようだ。
いない人間に頼みごとはできない。
だから協会は、作者とは別の、親代わりの人間を探すのだろう。
「作者に会えないって、どうなんでしょう。やっぱり寂しいことなんでしょうかね」
テーコクは難しい顔をしながら腕を組んだ。
「いいや、どうだろうな。自分を捨てた親に感謝するやつなんていないだろ。むしろ復讐に走るやつが出てきても不思議じゃない」
「ああ、そっか」
「だが、作者に会えないからこそ、怒りのやり場を失うという見方もできる。復讐する相手がいなければ、積もりに積もった怒りが、おかしな方向に向かっちまうこともあるだろう。“創作に携わっているすべての人間”とか、“この世界そのもの”……とかにな」
エレベーターの上昇が止まり、籠内の扉が開く。
「さ、難しい話はこの辺にしとこうぜ。本部に到着だ」
テーコクがさっとエレベーターを降りていく。会話の余韻なんてあったものじゃない。
高崎はあとに続いて、扉の外の、土の上に足を踏みだした。
――土?
「えっ?」
ビルの中のエレベーターに乗ったはずなのに、どうして土の上に出るのか。
いや、というか、土どころの話じゃない。
高崎の前方に、雄大な森が広がっていた。当然この場に、屋根なんてあるはずもない。
「ここってビルの屋上とかじゃ――ないですよね」
言いながら、高崎は自分の発言にバカバカしさを覚えた。眼前の森は、どう見ても『ビルの屋上を緑化してみました』というレベルではないのだ。
見渡す限りの大自然。
エレベーターの乗り場以外に、人工物はひとつも見当たらない。あるのは大地と空と、深い緑だけ。いったいここはどこなのか。
「ちょっとこっちに来てみろ」
テーコクは前方に見える森ではなく、エレベーターの降り口からすぐ右に向かって歩きだす。
その先は切り立った崖になっているようだった。地面が途中から、すっぱりと消えている。そしてその消えた地面の遥か下には、街が広がっていた。
「わかるか。下に見えてるのが東京の街並みだ」
「?????」
理解が追いつかない。
どうして? なぜ? 真下に東京が見える? じゃあいま自分がいるのは?
その疑問の答えを、テーコクが明かす。
「東京の上空に浮かぶ森。それが、協会関東本部だ」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
無限にクエスチョンマークが湧いてくる。森に『浮かぶ』なんて概念あったっけ?
高崎は混乱しながらも、改めて、眼下に広がる東京の街並みを眺めてみた。
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
なんだこれ。
エレベーターがやたらと昇っていくなと思ってはいたけれど、まさか空まで来てしまっていたとは。
いや、空って。
「なにこの、ワンダフル……」
「どういうコメントだ」
「すいません、ちょっと、びっくりして」
「あんまり端に行くなよ。落ちたら普通に死ぬからな」
「気をつけますけど……」
高崎はため息をつきたくなった。それは驚嘆から来るものか、呆れから来るものか。
とにかく、見たものをそのまま信じていいのなら、どうやら本当に森が大地ごと東京の上空に浮いているらしい。ここ一か月で不思議な現象にはずいぶん慣れたつもりでいたけれど、さすがにこれは……。
「じゃあ、さっきのビルはなんだったんですか」
「カモフラージュだよ」
と、テーコクは言った。
「記号ってのは、この世界と国に住まわせてもらっている以上、やっぱり政府と無関係ではいられないんだよな。かと言って距離が近すぎると、政治や戦争の道具にされかねない。ちょうどいい距離感が大事なんだよ。首都のすぐ傍にありながら、簡単には来れない場所――ってことで、空に本部を構えたってわけだ」
「だからって、こんなことができるんですか? 空に森を浮かすなんて……」
「ちゃんと言ってなかったかもしんねえが、記号ってのは特殊な能力を持っているやつらが多いんだよ。力を合わせれば、空に拠点を作るってのも――まあ、できなくはない」
「はあ」
言われてみれば、逢戸澗も高崎の家の鍵を無視して部屋の中に現れたりしていた。
特殊な能力――か。
いまさらながら、すごい世界に来てしまったのかもしれないと、高崎は思う。
「さて、おいらたちの本拠地は森の中にある。そろそろそっちに移動するとしよう」
現在地がわかったところで(森が浮いている原理は結局全然わからないけれど)、高崎は再びテーコクの後ろについて、森の中へ足を踏み入れることになった。
エレベーター乗り場の数十メートル先からはもう、大小様々の木々が連なり、深い森が形成されている。しかしそのちょうど中央に、遊歩道のような地面の均された道があるので、移動するのに苦労はしなさそうだ。
「ほう。そやつが新しい“協力者”か」
森の出入口に差し掛かった瞬間、渋い男性の声と共に、頭上から白猫が降ってきて、高崎の目の前にすたんと着地した。
「え、猫……? え、でかッ!?」
その白猫の体長は三メートルはありそうだった。ライオンやトラよりも大きい。なのに、見た目は完全に普通のイエネコなので、見ていて遠近感がおかしくなってくる。
そしてなにより――
「よく来たな、ニンゲン。遠路遥々、御苦労であった」
「うん、喋るよね!? この猫、喋ってるよね!?」
このでかい白猫、当たり前のように喋る。しかもダンディーな声で。
これについては、テーコクが解説してくれた。
「こいつも記号だよ。おいらの仲間だ」
「あ、この猫も? 人間以外もいるんだ」
「そりゃキャラクターってのは、人間だけとは限らないだろ」
「たしかに……」
考えてみればそうだ。世の中には、動物をモチーフにしたキャラクターだってたくさんいる。記号には人間の姿をしている者しかいないと思うのは先入観だ。
彼(彼女?)も、根本的には春心や朱音と同じ存在なのだろう。
となると、高崎は目の前の白猫に対して、ちょっと失礼な態度を取ってしまったかもしれない。「でかッ!?」「喋ってるよね!?」とか。
「ごめんなさい、変なこと言ってしまって」
「なに、気にするでない」
白猫は余裕たっぷりの態度で非礼を許してくれた。
「私、高崎環南と言います」
「うむ。我輩は猫神だ」
「猫神……」
その風格漂う落ち着きよう。立派な体躯。知性のある瞳。純白に輝く美しい毛並。猫神というのは、彼にぴったりな名前だと高崎は思った。
テーコクが小声でぼそりと付け加える。
「こいつの本名、猫神じゃなくて、ビタみンAだけどな」
「ビタミンA!? ビタミンA!?」
「ビタみンの“み”が平仮名なのがポイントな」
「どんな名前! それほんとなの!?」
「本当だ。ボツキャラクターなんだから、ぞんざいな名前のやつだっているよ。こいつはたぶん、絵の上手い幼稚園生とかが考えたキャラクターなんだろうな」
猫神――もといビタみンAが、抗議の声を上げた。
「やめろテーコク! その名を教えるな! 我輩は猫神だ!」
「名前を捨てるのは唯一のタブーだろ。それにいつかはバレることだ。あと自分で神とか言うな」
「なにを~! プンスカだぞ、プンスカ!」
さっきまでの余裕ありげな態度はどこへ行ったのか。ビタみンAは露骨に不満げな顔をすると、近くの木の枝にぴょんと跳び乗った。
「覚えておくがよい、テーコクよ。貴様にはいずれ猫神の鉄槌が下るであろう」
「今度めちゃくちゃでかい寿司を作ってやるよ」
「やめろっ! 我輩を誘惑するなッ! やめろッ! 悪魔めっ! 我輩は負けんッ! 寿司には負けんッ! とりあえず貴様は腹を下せッ!」
ビタみンAは威厳の欠片もない捨て台詞を吐くと、木々を身軽に跳び移りながら、森の奥へと消えていってしまった。
一連のやり取りをぽかんと見つめていた高崎に、テーコクが苦笑しながら言う。
「こんな感じで、いろんなやつがいる」
「はあ」
とりあえずビタみンAのノリはなんか苦手だなあと高崎は思った。




