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雨の中の昨日(過去編)8/?

「私たち記号ツリーツェはみんながみんな、善人じゃないのよ」


 そう語り始めた逢戸澗夜縁の真意を、高崎はすぐには掴むことができない。いまはただ、彼女の話の続きに耳を傾ける。


「キャラクターには悪役だっているでしょう? 生まれながらの悪役ってものが」


「生まれながらの悪役?」


「ホラー映画の殺人鬼や怪物を想像してみて。ああいうキャラクターって、言ってしまえば、人を苦しめるために生まれてきたキャラクターでしょう?」


「それはまあ……そうね」

 

 高崎はホラー映画に詳しくはないが、逢戸澗の言いたいことはわかる。


 あくまで全体のイメージとして、ホラー映画には、理解も共感もできないような悪人や怪物が登場する印象がある。もちろん例外もたくさんあるのだろうけれど、基本的には危険人物が登場するはずだ。そうじゃないと、ホラーとして成り立たない。


 しかしそれを『人を苦しめるために生まれてくるキャラクター』とまで言うだなんて。


「言いすぎじゃないわ。コメディやギャグのように、人を笑わせるために生まれてくるキャラクターもいれば、人を苦しめるために生まれてくるキャラクターだって、確かにいる。……役割なのよ、全部」


 逢戸澗は「やるせないわよね」と呟いた。良いでも悪いでもない。悪役が生まれてくることについて、彼女はただ「やるせない」とだけ評した。


「私たち記号ツリーツェと呼ばれる存在は、“協会”という組織の元に、共に助け合って生きていけている。でも、そういう組織に馴染めない者だって当然いるわ。人を苦しめるために生まれてきたキャラクターは、助け合って生きていくということができない。本能的に無理なのよ。実際に、これまでの協会の歴史の中で、大問題を起こした人物は一人や二人ではないわ。そしてそういう問題のある人物はね、ホラー出身の者がダントツで多い」


「そうなんだ」

 

 と、相槌を打った瞬間に、高崎はあることに気づく。


「ちょっと待って、逢戸澗ちゃんはたしか……」


「そう、私はホラーの出身よ」

 

 逢戸澗は微笑んでいた。どこか自虐的に。


「だから私も最初は“協会”の先輩たちに疑われていたわ。要注意人物として、監視されていた時期もあった。いまだって、私のことを密かに煙がっている連中はいるでしょうね」


「それって――」


「いいのよ、別に。だって、テーコクさんのように私を信じてくれた人だっていたんだから。嫌な先輩もいたけれど、いい先輩のほうがずっと多かった。どうせお手本にするなら、いい先輩を真似したいじゃない?」


 逢戸澗は再び笑う。そこにはもう、先ほどまでの卑屈っぽさはない。


「テーコクさんが私のために動いてくれたのと同じように、私は後輩ちゃんたちのために動く。上の世代からいただいたものを、今度は私が下の世代に渡してあげる。これはね、私なりの恩返しなの」


「……そっか。そういう事情だったんだ」

 

 逢戸澗が後輩たちのために献身的に働く理由。それは協会への――より厳密に言えば、協会の信頼できる先輩たちへの恩に報いるためだったのだ。

 

 高崎を助けることが、五人の少女たちの精神を守ることに繋がり、回りに回ってテーコクを助けることに繋がる。

 

 逢戸澗の今回の行動の根本には、そんな思惑があったのだろう。


「ええ。だから環南さん、あなたは死んじゃだめよ。後輩ちゃんたちのトラウマになっちゃうから」


 あくまでも、“あなたのためではない”という言いかた。


 たぶん、嘘ではない。だがそれが逢戸澗の胸中のすべてを表しているとも思えない。 


 純粋に組織のために行動するつもりなら、もっとほかに効率的な仕事があるはずなのだ。逢戸澗が高崎に何週間も付き添うことで、協会にどれほどのプラスがある?


 彼女の偽悪的な言いかたが、一種の優しさだということに気づけないほど、高崎だって若くはない。


「ありがとうね。逢戸澗ちゃん」


 高崎がストレートに感謝を告げると、


「え……どうも」

 

 逢戸澗は色白の肌をほんのり赤くさせ、高崎から微妙に視線を逸らしてしまった。


「照れてる?」


「照れてない」

 

 言いながら逢戸澗はよりいっそう顔を逸らす。


 珍しい。彼女が焦るところを、高崎は初めて見た気がした。いつも飄々《ひょうひょう》としている彼女にこんな一面があったなんて。

 

 逢戸澗は照れをごまかすように、早口気味に話題を変えてきた。


「それより、いちおう言っておくけど、死んだって楽になれるとは限らないわよ。死んだあと、人はどこに行くと思ってるの?」


「え?」


 耳を疑った。


 人は死後にどこへ行くかなんて――照れ隠しでする話題にしては、強すぎない?


「なに? 逢戸澗ちゃん、それ、知ってんの?」


「まあ、ホラーのキャラクターだから、多少はね」


「知ってるんだ」 


 死後の世界。


 人類がずっと悩み、畏れ、想像し続けてきたその問題の答えを、目の前の彼女は知っている。


 ――知りたい。


 軽々しく知っていいことではない気もするけれど、その答えによっては、もしかしたら亡くなった夫と子供にもう一度会えるんじゃないかという淡い期待があった。

 

 恐る恐る、高崎は尋ねる。


「ねえ、逢戸澗ちゃん。それ、訊いていい?」


「いいわよ。死んだあとにどうなるかっていうとね――」


 逢戸澗は軽い調子で続けた。


「その人によるわ」


「…………」


「人それぞれよ」


「ええ……」

 

 なんて身も蓋もない。


「いやいや、本当よ。死後の世界がひとつだなんて思うからおかしなことになるのよ。この地球上ですらたくさんの国や文化があるのよ。死後の世界だって無数にあるに決まってるじゃない」


「そういう感じなの?」


「ええ。天国へ行く人もいれば、地獄へ行く人もいる。黄泉の国や浄土に行く人もいるでしょうね。別の人間に生まれ変わる人もいるし、同一人物のまま異世界へ飛ばされる人もいる。人間以外の動物や虫に生まれ変わる人だっているわ。特殊な例を言えば、神様になる人や、過去の時代の人間に生まれ変わるパターンもあるみたい。そしてもちろん、無に帰る人もいる。永遠に安らかに眠り続ける人もいる。……例を挙げていたらキリがないわ。それくらい、死後の世界は広いの」

 

 逢戸澗はそこで一度言葉を区切ると、心配そうな眼差しを高崎に向けながら、忠告するように言った。


「環南さん。死ぬことで楽になる可能性は否定しないわ。でも、事態がいまより悪化する可能性があることも忘れないで」



 ※



 お昼はピザパーティをした。と言っても、パフェのときのように手作りでいちから仕上げたものではなく、一般的な宅配ピザだ。今日の目的はゲームをすることであって、凝った料理を作ることではないとのこと。

 

 逢戸澗曰く、ゲームをするときの食事はピザと炭酸ジュースじゃないといけないという決まりがあるらしい。絶対嘘だ。

 

 でも楽しそうな嘘だから乗っておいた。

 

 高崎にとって宅配ピザは数年ぶりだったので、メニューを選ぶ時間からして楽しかった。


 逢戸澗曰く、たまに食べるジャンクフードは世界一美味しいらしい。なるほど、それはたぶん嘘じゃない。



 ※



 ピザパーティを終えたあと、逢戸澗が何気ない口調で尋ねてきた。


「環南さん。あなたはどうするつもりなの? あの子たちのこと、引き取るつもりはあるの?」


 楽しい食事の直後だったので油断していた。ついにその話題が来たかと思った。


「私は……」


 テーコクは言っていた。本気であの子供たちの力になるつもりがあるのなら、一か月後に協会関東本部に来いと。


 そしてその期限はもう、来週に迫っている。

 

 高崎はどうするつもりでいるかと言えば――


「やっぱり断ろうと思ってる」


「どうして?」


「あの日、私はテーコクさんの質問に答えられなかった。『どうして会ったばかりの子供たちを簡単に引き取るだなんて言えるのか、なんの思い入れがあるんだ、覚悟はあるのか』って。私、なんで答えられなかったんだろうって、これでも考えてはいたんだよ。でも、ちょっと考えたら意外とすぐにわかっちゃって」


 高崎は深く息を吐く。思い当たる理由なんて、ひとつしかない。


「私ね、あの子たちを、いなくなった人の代わりにしようとしてたんだよ」


「……代わり、ね」


「私、なんで鬱っぽくなってるか、まだ言ってなかったよね?」


 高崎はまだ、逢戸澗に事情を話していない。「夫と子供が亡くなった」なんて、口に出して言いたくなかったのだ。それを言ってしまったら、すべてが決定的におしまいになってしまいそうな気がして、怖かった。


 それでも、逢戸澗は高崎になにがあったのかを大まかに察してはいる気がする。そのうえで、彼女はなにも言わずに三週間も付き添ってくれた。感謝しかない。


 だからこそ、いつまでも黙ってるわけにはいかない。いい加減、高崎の口から、事情を話すべきときが来たのだ。


 高崎は覚悟を決める。声が微かに震えた。


「好きな人とね、お腹の中の赤ちゃんが死んじゃったの。事故で」


 言ってしまえば、あっけないものだった。


 その言葉には、高崎が恐れていたほどの魔力はなかった。ただの空気の振動でしかなかった。なにひとつ、おしまいになんてならなかった。


 その虚しさが、意味のなさが、かえって高崎の胸を時間差でえぐってくる。


 逢戸澗は目を伏せて、「……そう」とだけ呟いた。


「なんとなくさ、気づいてたでしょ?」


「そうね。食器やベッドの数が、住んでる人の数と合ってないから、ここに本来いるべき人がいないんだろうなとは、思っていたわ」


「逢戸澗ちゃん。死んだ人と話す方法とか、ないよね?」


 高崎のその危うい問いに、逢戸澗は突き放すように応じた。


「ないわ」


「……そっか」


「ごめんなさい。少し口調が強かったわね。……でも、そこに希望を見出すのはやめたほうがいい」


「いいの。ありがとう」

 

 最初から期待はしていなかった。

 

 逢戸澗は高崎がどうして自殺したがっているのかを察していた。にもかかわらず、三週間のあいだ、この手の話題を一切出してこなかった。ということは、死者と話す方法なんて本当にないのだろう。


 期待はしていなかった。本当に期待なんかしていなかった。でも――夫や子供ともう二度と会えないという事実を、いまいちど思い知らされたような気分になった。


「で、あの子たちをいなくなった人の代わりにしようとしてるってのはさ――」


 高崎は話の焦点を強引にあの五人の少女たちへと戻した。そうしないと、泣いてしまいそうだった。


「三週間前、あの子たちが親に捨てられたって知ったとき、私がなんとかしなきゃって思ったの。あの子たちを家に上げて『お風呂に入れなきゃ』『着替えを買ってこなきゃ』『ご飯を作らなきゃ』なんて思ってるあいだは、辛い気持ちが少し薄くなってたんだよ。私、生まれてくる女の子にさ、『あかね』って名前を付けようと思ってた。そしたらあの五人の女の子たちの中に『朱音ちゃん』って子がいたんだよ。私、運命だって思ったよ。やっぱり自分が育てるべきなんだって思ったんだよ。バカみたいでしょ!? 笑っちゃうでしょ!? 偶然だなんてわかってんのよ! でもさ、やっぱりさ、なにかにしがみついてないと、私もう、だめなんだよ。生きる意味とか、そういうのがないと、もう――」

 

 言葉が詰まる。我慢しようとしたのに、結局泣いてしまった。目元を手で抑えても、涙が止まってくれない。呼吸のリズムが滅茶苦茶だ。


「笑わないわ」

 

 逢戸澗が傍に来て、高崎の背中を優しくさすった。


「いまのあなたを笑える人なんていないわよ」


「…………」


 ありがとうと言いたいのに声が出ない。返事の代わりに、高崎は逢戸澗の言葉に何度も頷いて応える。


「無理しないで。ほら、テッシュ使いなさい」

 

 逢戸澗がテーブルの上のテッシュボックスを、高崎の目の前に寄せてくれたらしい。高崎は手探りでテッシュを掴み取ると、雑に自分の顔に押し付けた。


「はぁ」

 

 高崎が呼吸を整えているあいだも、逢戸澗は背中をゆっくりとさすってくれていた。不思議なもので、たったそれだけのことで気持ちが楽になってくる。

 

 ややあって、昂ぶりが多少落ち着いたところで、高崎は再び口を開く。


「わかってんのよ。あの子たちを、私が生きるための道具にするわけにはいかないって、だから、断ろうと思ってて」

 

 高崎の背中越しに、逢戸澗の声が返ってくる。


「それに悩める時点で、私はむしろ、今回の件はあなたが引き受けるべきだとすら思うわ」


「でも、それって私のためでしかないじゃん」


「そうかしら。無償の愛は美しいって言うけれど、親だって神様じゃないのよ。やることをきっちりとやれるのなら、胸の内で、子供になにかを求めること自体は――きっと、間違いじゃない」

 

 逢戸間は、高崎に同情して、フォローのつもりで言ってくれているのだろうか。それとも本心で言ってくれているのか。

 

 もしも本心だとしたら。


(私にあの子たちを引き取る資格が、あるのかな)


 高崎は自分がどうしたいのか、自分自身に問いかけ――


「いや、でも、だめだって、やっぱり。どんなに心の整理をつけたところで、私の都合だけで決められることじゃない。あの子たちが私を受け入れてくれなきゃ意味ないよ」

 

 するとなにが変だったのか、高崎の背後で逢戸澗が「え?」と戸惑いの声を漏らした。


「ねえ、もしかして環南さん、忘れてる……? 少なくとも春心ちゃんって子は、あなたを指名していたじゃない」


「あっ」


 そうだった。受け入れるもなにも、舞込春心という少女だけは、高崎に『お母さんになってほしい』とはっきり言ってくれていたのだ。


 だが、その発言が出てきた春心の心理的な背景が、高崎にはまったくわからない。想像もつかない。


「なんであの子、私を選んでくれたんだろう」


「それを知るためにも、一度、協会本部へ行くべきよ」

 

 逢戸澗が高崎の肩をぽんぽんと叩いて、再び高崎の正面にやってきた。


「テーコクさんも言ってたじゃない。相談に来いって。相談よ、相談。いきなりすべてを決定する必要はないのよ。これからのあなたのこと、春心ちゃんたちのこと、どうするのが最善なのか、みんなで話し合ってくればいいのよ。引き受けるのも、断るのも、それからだって遅くないわ」

 

 みんなで話し合う。

 

 結局のところ、あの少女たちと正面から言葉を交わさない限り、事態は進展しないのだ。

 

 これ以上、一人で悩んでいても答えは出ない。


 だがそれは、もう高崎が一人で抱え込む必要はないという意味でもある。


「そっか、そっか……」

 

 逢戸澗は、暗闇の底で首をくくらずに済む道を示してくれた。


 高崎が、いま、彼女に応えられることは。


「逢戸澗ちゃん、私――」



 ※



 一週間後、高崎環南は協会関東本部へ向かった。

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