雨の中の昨日(過去編)3/?
「じゃあさ、みんな、うちに来なよ」
やはりと言うべきか、高崎のその突発的な提案は、少女たちにとっては意外なものだったらしい。彼女たちの表情には、大なり小なり驚きの色が浮かんでいる。
金髪の子が、戸惑いを見せながら訊いてきた。
「いいんですか? いきなり押しかけて」
「きみたち、行くとこあるの?」
「ありませんけど……」
「じゃあ来なって。きみたちは命の恩人だから、ちょっとくらいお礼させてよ。どうせ私んち、部屋が空いてるし」
金髪の子は他の四人の少女を振り返り、相談を始めた。
高崎は特別耳をそばだてようと思ったわけではなかったけれど、距離が近いせいで、ぽつりぽつりと、少女たちの会話が断片的に聞こえてくる。
――あの人、信用できますかね。――悪い人には見えないけれど。――こんな天気の中で野宿は嫌だぜ。――結局どうするの?
言われてみれば、自分の言っていることは不審者のそれなのではないかと、高崎は急に不安になってきた。「うちに来なよ」だなんて、勢いに身を任せ過ぎたかもしれない。
「もしも不安なら、私の家じゃなくてもいいよ。一緒にどこかに相談に行ってあげようか?」
高崎がそう申し出ると、金髪の子が反応した。
「どこか、というのは?」
「えっと、警察とか、きみたちを助けてくれる施設とか……?」
確かに、“どこか”というのはどこのことなのだろうか。こういうとき、具体的にどの施設や組織に相談するのが正しいのか、高崎は自信を持って答えることができなかった。大人として情けない気分になる。
金髪の子が、幼い顔をしかめてみせた。
「どうでしょうかね。私たちが公的機関に行ったところで、話がこじれるだけだとは思います」
公的機関に言っても話がこじれるだけ――やはり、よほどの訳ありらしい。
「どうすべきでしょう……お姉さん、もうちょっと待ってください」
そうして少女たちは再び話し合いを始めた。と言っても、意見が対立しているような様子はない。彼女たちは最後の確認を取るかのように、手短に言葉を交わすと、金髪の子が代表して話し合いの結果を高崎に伝えた。
「すいません、ここは先ほどのお姉さんのお言葉に甘えさせていただけませんか?」
「それは、うちに来るってことでいいの?」
「はい。お願いします」
金髪の子が頭を下げると、残りの四人の少女たちも真似をするように頭を下げた。
しっかりした子たちだ。
特に金髪の子は、言葉使いといい、立ち振る舞いといい、相当大人びているように見える。
しかし高崎にとっては、それは必ずしも心地いいものではなかった。気味が悪いとまでは言わないし、むしろ好ましいものではあるのだが、確実に違和感もある。見た目の年齢の割に、人格が完成されすぎているというか……。
「ねえ、そんなにかしこまらなくてもいいよ。なんか調子狂うっていうか……別にタメ口でいいのに」
「いえ、そういうキャラなので。気にしないでください」
それがどういうニュアンスの発言なのか、高崎にはわかりかねた。若い子のあいだで流行っている言い回しだろうか。
まあ、なにはともあれ、彼女たちを自宅に招くことになった。となれば、早めに移動を開始したほうがいい。彼女たちに深く話を訊くのは後回しだ。どうせ一言で説明できるような事情ではないのだろうし。
いま問題なのは、この台風の中、屋根のないところに突っ立っているということだ。これではみんな風邪を引いてしまう。
と考えたところで、高崎はふと気づいた。
いつからだろう、雨風がほとんど止んでいる。いや、正確に言えば、全然止んではいないのだ。なのに、なぜか雨が身体に当たらない。まるで雨風が高崎のことを避けているような、奇妙な感覚。雲の切れ目に入ったのだろうか。それにしては、頭上の雲は相変わらず分厚いままだけれど。
「変な天気ね……」
高崎が呟くと、銀髪の少女が言った。
「風避けの魔法を張ってるので、少しのあいだは大丈夫だと思います」
「まほう……?」
高崎は首を傾げた。
(魔法って、あの魔法? 急にどうしたんだろう。……ああそっか、そういうことを言いたいお年頃なんだ)
私も魔法少女に憧れた時代があったっけ――と、高崎が懐かしい気持ちに浸っているあいだに、金髪の少女が、銀髪の少女の腕を叩いた。
「ルシアさん、ちょっとストップ!」
「どうしたの、メーベルちゃん」
「なんとなくですけど、この世界は、魔法が一般的じゃない世界の可能性がまだあります。あまり魔法のことは言わないほうがいいかと」
「あ、そっか」
銀髪の子は口元を押さえると、高崎に向かって言った。
「なんでもないです! いまの魔法とかっていうのは、えーと……嘘です!」
※
川から十分弱ほど歩き、オートロック式のマンションに到着した。かつて夫と一緒に暮らしていた3LDKの部屋に、高崎環南はいまも住んでいる。
マンションを出るとき、玄関の鍵は閉めてこなかったし、財布も携帯も置いてきた。計画性のない突発的な自殺だったので、なにも考えずに全部放り出してきたのだ。
いまとなっては、それが幸運だった。もしも戸締りをしっかりして、貴重品を持ち歩いたまま川に飛び込んでいたら、きっと家の鍵を無くしてしまって、玄関の前で立ち往生することになっていただろう。
「みんなさ、まず一回シャワー浴びよっか!」
五人の少女を家に上げたものの、全員がびしょ濡れで、それをなんとかしないことには、ゆっくり話をするような状況ではなかった。
高崎は少女たちを浴室へ連れていって、大事なことを忘れていたことに気づく。
「そう言えば、きみたち着替えは? ……ないか! そっか! じゃあちょっと買って来るから、そのあいだに適当に入ってて! あ、お湯の出しかたわかる? こっちひねれば出るから……うん、そう。……えーっと、それとお風呂なんだけど、残り湯でよかったら浸かっていいよ! いま沸かしてるから! 昨日一回しか入ってないから、あんまり汚くないと思うけど……。いや、新しくお湯張ったほうがいいかな、でももっと時間かかっちゃうもんね、ごめんね。あとシャンプーとかタオルとか……あとドライヤーね、勝手に使っていいから! ……服? 脱いだ服はね、そこのカゴの中に入れておいてくれればいいよ!」
高崎はひととおり浴室の説明をすると、寝室に財布を取りにいってから、玄関へ向かった。急いで少女たちの着替えを買ってこなければ。多少自分の衣服を貸すことはできるけれど、さすがに下着だけはどうしようもない。せっかくお風呂に入ってもらっても、服がないせいで湯冷めさせてしまったら、結局風邪を引かせてしまう。
高崎は全身濡れた格好のまま、再び台風の中へ飛び出した。
数分ほどで、高崎はマンションに戻ってこられた。
幸いなことに、最寄のコンビニに女物の下着が置いてあったのだ。バリエーションはないに等しいが、贅沢を言っている場合ではない。
高崎は玄関からまっすぐ脱衣所へと向かい、扉をノックする。返事はない。
「あっ、ごめん!」
誰もいないと思って扉を開けたら、青みがかった髪の少女が、タオルを身体に巻きつけた状態で立っていた。彼女は高崎をちらりと見たが、声は発さない。
「もう上がったの?」
高崎が尋ねると、青髪の少女は無言でこくりと頷いた。
「ほかのみんなはまだ入ってるの?」
「…………」
青髪の少女は、やはり無言でこくりと頷いた。
残りの四人は入浴中らしい。一般的な広さの浴室なので、窮屈な思いをさせているだろう。
「いちおう下着は買ってきたんだけど、サイズが合うかなぁ……。とりあえず急場しのぎってことでよろしくね」
「…………(こくり)」
「あと、私の部屋着を持って来るから、着れそうなのあったら着てね」
「…………(こくり)」
青髪の少女は無言で首を縦に振るばかりで、先ほどから一切口を開かない。しかし不思議なことに、高崎を恐れているようにも、人見知りをしているようにも見えなかった。
これはなんというか――虚無だ。
なにも思っていない、なにも感じていない。
高崎は、金髪の少女に抱いた違和感とはまた別の違和感を、この深い虚無を携えた少女から感じ取った。
この少女たちに、いったいなにがあったというのだろう。
彼女たちを襲った、なにかとてつもなく恐ろしいものの一端を、高崎は見てしまったような気がした。
「よし、じゃあご飯を作るか」
高崎はタオルで大雑把に身体を拭いて、適当に部屋着に着替えると、少女たちが風呂から上がってくるまでのあいだに、料理を作っておくことにした。
時刻はもう、夕方の六時を過ぎていた。きっとあの少女たちもお腹を空かしていることだろう。
冷蔵庫の中を確認して、高崎はカレーを作ることにした。少女たちの味の好みはわからないが、カレーで間違えることはほとんどないだろうと思ったからだ。
高崎は交通事故に遭ってから、ほぼ眠ってばかりの、廃人のような生活をしていた。それなのに、冷蔵庫の中に食材があって、部屋が片付いていて、浴槽にお湯が張ってあって、部屋着が洗濯されているのは、高崎の義母のおかげだ。
亡くなった夫の母が、いまにも狂ってしまいそうな高崎のことを気にかけて、三日に一度は様子を見に来てくれるのだ。血が繋がっていないのに、高崎を実の娘のことのように心配してくれる。義母のほうこそ、息子を亡くして辛いだろうに。
義母がいまの高崎を見たら、どう思うだろう。
知らない子供を家に連れてきて、ご飯を食べさせようとしてるだなんて――いよいよ本当に狂ってしまったのだと思うのではないか。
高崎自身、自分が馬鹿なことをやっているのは理解している。いまはただ、自殺未遂のせいで、気持ちが変にハイになっているだけなのだ。明日の朝には冷静さを取り戻し、自分の取った行動に頭を抱えていることだろう。
ろくに事情も聞かないまま、見知らぬ子供たちを匿おうだなんて、本当にどうかしている。
でも。
それでも。
自ら死を選ぶよりは、まだましなことをしているはずだと、信じたい。
具材を切り終わり、玉ねぎを炒め始めたところで、少女たちが五人揃って高崎のもとへやってきた。
「お風呂、ありがとうございました」
金髪の子が代表してお礼を言った。気づけば、彼女がすっかり少女たちの窓口役となっている。
「いいのよ、気にしないで」
高崎は火を止めて、少女たちに向き直った。
彼女たちは高崎の部屋着を身に着けているのだが、サイズが合っていないせいでかなり気の抜けた絵面になっている。でも、あの不気味なほどに真っ白なワンピースと比べたら、ぐっと親しみやすさが上がっていた。
「あのさ、まだ自己紹介してなかったよね。いまさらだけど、私の名前は高崎環南って言うの。みんなの名前も――もしよかったらでいいんだけど、教えてくれる?」
少女たちはもったいぶることもなく、口々に自身の名前を口にした。
舞込春心。繰田朱音。海羽しづく。メーベル・ベルナール・レオンハルト。ルシア・リフレイン。
その名前を聞いた瞬間、高崎は驚きのあまり倒れそうになった。
苗字が全員別々であることや、海外の名前が混ざっていることに――ではない。それ以外の、ある一点において、高崎は衝撃を受けたのだった。
呼吸が乱れそうになる。目の前の視界が狭くなっていく。
「お姉さん、大丈夫ですか?」
高崎の動揺が、顔に出てしまっていたのかもしれない。少女たちが不安そうにこちらを見上げている。
心配をかけまいと、高崎はあえて明るい声を作った。
「ううん、ありがとう、なんでもない! それよりいまご飯を作ってるから、みんなはリビングでちょっと待ってて!」
「え、食事まで……いいんですか?」
「もちろん!」
「すいません、なるべく早く出ていきますので」
「あー、いいよいいよ、ずっといても!」
※
高崎がカレーを作っているあいだ、五人の少女たちは、リビングで今後についての作戦会議をすることにした。
「いやー、助かったな。まったく“あいつ”よ、こんな台風の日に放り出すなっつーんだよ」
朱音はまるで自分の物かのように、高崎家の二人掛けのソファにどかりと腰かけた。そして春心が遠慮がちに隣に座る。
一方でメーベルは、他に椅子やクッションがあるのにもかかわらず、床に直接腰を下ろした。
「ありがたいですよね。ただ、正直言ってちょっと怖くはありますよ。なんであの高崎さんというお姉さんは、私たちのことを普通に受け入れてるんですかね」
「でも、悪い人じゃないと思うよ」
と、春心。
「だって、ずっといていいって、言ったんだよ。ずっといていいって……」
「……ああ、そうだな」
そう言って、朱音は春心の頭を優しく叩いた。
「しかし実際、ずっとここにお世話になるわけにはいきませんよね。“プロシア”が言ってたじゃないですか。私たちには迎えが来るって。でもこの家の中にい続けたら、迎えの人たちは私たちのことに気づけないかもしれません」
「プロシアさん、そのあたりの説明がざっくりしてたよね」
ルシアが苦笑いを浮かべている。彼女はクッションの上に腰かけていた。そしてしづくは、そのルシアの膝の上にちょこんと乗っている。
「とりあえずよ、一回テレビつけてみようぜ。情報収集だ」
朱音がテーブルの上のリモコンを手に取った。
「テレビってなんですか?」
と、メーベルが疑問の声を挟んだ。朱音が怪訝そうな顔をする。
「なんだお前、テレビ知んねえのか?」
「はい」
すると、ルシアも「私も知らないわ」と言った。
対して、春心としづくはテレビを知っていた。
「おそらくですけど、私とルシアさんは、テレビというものがない世界が舞台のキャラクターだったんだと思います」
メーベルの考察に、朱音が「そんなもんか」と気の抜けた返事をした。
「でも確かにお前ら、名前がカタカナだもんな。日本人ではねえのか。……いやでもお前ら、日本語ぺらぺらじゃねえか。そこはどうなってんだよ」
「私たちの魂の情報は日本語で書かれているとプロシアが言ってたじゃないですか。たぶんそれが関係してるんだと思います」
「魂の……え、なんだ? むずっ」
「私もよくわかってませんよ。まあ、いま考えてもしょうがないんじゃないですか」
「そうだな。とりあえずニュース見ようぜ、ニュース」
朱音がリモコンのスイッチを押すと、テレビに電源が入った。ルシアとメーベルが、画面を興味深そうに見つめる。
「すごい……箱の中に人が……?」
「なんだか映画に似ていますね」
「で、これはなにをしているところなのかしら」
「朱音さんが言うには、これがニュースらしいですが」
テレビ画面には、男の人が天井から降ってきたタライに当たって倒れるという映像が流れていた。近くにいた別の男の人が「いつの時代のお笑い!?」と声を張り上げている。
春心が小声で言った。
「これ、ニュースじゃないって」
※
一方、高崎はトイレで吐いていた。原因は身体的なものではなく、精神的な不調だった。急激に感情を揺さぶられたせいで、胃の中のものが逆流してきてしまったのだ。
きっかけは、少女たちの名前だった。
あの名前を聞いたとき、卒倒しそうになった。
朱音。
あかね。
それは、高崎が生まれてくる子供につけようとしていた名前だった。
――死んだ子と同じ名前の子が、私を自殺から助けてくれたっていうの……?
いや、それは単なる偶然だと、心のどこかでは気づいている。あかねなんて珍しい名前でもない。漢字の綴りだってたぶん違う。そもそも、つけようとしていただけであって、実際に本当に「あかね」という名前を娘につけていたかどうかはわからない。
こんなのはこじつけだ。
わかってる。
それでも高崎は、この偶然に意味を見出さずにはいられなかった。




