雨の中の昨日(過去編)2/?
舞込春心。
繰田朱音。
海羽しづく。
メーベル・ベルナール・レオンハルト。
ルシア・リフレイン。
あどけなさが色濃く残る五人の少女たちが、天からゆっくりと降下してきて、激しい雨が打ちつける橋の上へと降り立った。
彼女たちは一様に、気味が悪いほどの純白のワンピースを着ている。いまだ俗世に染まっていない、作り物のような雰囲気の彼女たちは、実写映画の中にアニメのキャラクターが紛れているのと同じくらい、この世界から浮いているように見えた。
「おい、いま人が落ちたよな!?」
と、朱音が言った。橋から人が落下したのを、彼女は確かに見ていた。
「やっとこっちの世界に来れたってのによ、いきなり目の前で飛び降りられちゃあ、後味が悪すぎんだろ!」
朱音は助走をつけて橋の欄干を乗り越えると、そのまま激流と化した川の中へ一直線に飛び込んでいった。
「待って朱音ちゃん! 私も行く!」
春心があとに続いて、迷いなく川へ飛び降りていく。
「二人とも、なにやってるのッ!?」
ルシアが悲鳴に近い声を上げた。大荒れの川に飛び込むだなんて、彼女の感覚からすれば自殺行為でしかなかった。
落ち着いてください――と、メーベルが言う。彼女はルシアと対照的に、動揺ひとつ見せていない。
「ルシアさん。あの二人はギャグのキャラクターです。川に落ちたくらいでは死にはしないでしょう。……が、絶対はありませんからね。万が一のことも考えて、私たちはフォローに回りましょう」
「……そうね。どうすればいいかしら?」
「ルシアさん、空、飛べますよね?」
「ええ、箒があれば。ちょっと待って、荷物の中に箒があったはずだけれど」
そう言って、ルシアは辺りを見回す。だが、彼女が求めているものは見つからないようだ。
「あれ? 私たちの荷物……もしかして、来てない?」
「いや、いま来たようですよ」
メーベルの視線の先、先ほど彼女たちが降りてきた空の割れ目から、真っ白なトランクケースが落下してきて、橋の上に乱暴に叩きつけられた。
「まったく、“あの人”は雑ですね」
メーベルは呆れたように呟く。
白いトランクケースは、空から落ちてきたというのに、破損はおろか、傷のひとつもなかった。
ルシアがケースを開け、中から箒の形をしたキーホルダーと、魔法の杖を取り出す。
「うん、これがあれば飛べる」
「よかったです。それでは――」
次に、メーベルはしづくに話しかける。
「しづくさん、あなた、腕を伸ばせましたよね? なんかこう、ばーんって」
「…………」
どこに焦点が合っているのかわからない虚ろな目のまま、しづくはゆっくりと頷いた。
「それではルシアさん、しづくさんを乗せて川の上を飛んでください。水面に上がってくる人がいたら、片っ端からしづくさんに腕を伸ばしてもらって、救出していきましょう」
「わかったわ! しづくちゃん、後ろに乗って!」
ルシアが杖を振ると、箒の形をしたキーホルダーは、たちまち本物の箒へと変化した。
「…………」
しづくは無言で頷くと、ルシアと一緒に箒にまたがった。
「私は走って追いかけます。二人は先に行ってください」
「うん、メーベルちゃんも気をつけて」
ルシアは箒を浮かせ、空に舞い上がる。雨風が酷いが、風避けの魔法を張っているので、問題なく飛べた。
誰であっても見逃さないよう、ルシアは水面を注視しながら川の上空を飛行する。しかし雨のせいで、思っていた以上に視界が悪い。
「…………」
つんつんと、ルシアの背中をしづくがつついた。
「どうしたの?」
「…………」
しづくが無言のまま、川の下流の方を指さしている。その先に――人がいた。
春心と朱音が、誰かを抱えた状態で、水面に上がってきていた。
「しづくちゃん、さすがね! ありがとう!」
ロボットだけに、人間よりも遥かに視力がいいのだろう。しづくはルシアよりも早く、春心たちを見つけてくれた。
ルシアは急いで川の下流へ向かう。どうやら救出は間に合いそうだ。
※
高崎は、自分が咳き込む音で目が覚めた。
息苦しい。頭が痛い。寒い。身体に力が入らない。なんだこれ。
うっすら目を開けると、五人の女の子が、高崎のことを覗き込んでいた。
「……?」
状況が把握できない。
高崎は、川に落ちたときとその前後の記憶が抜け落ちていた。ゆえに、まったく現状の意味がわからなかった。
知らない女の子たちに囲まれて、自分は土手の上で――寝ている? なにこれ? どうしてこんなことになってるの?
銀髪で、エメラルド色の綺麗な瞳の女の子が、ほっとしたように言った。
「よかった。目を覚ましたのね」
「どういう……こと?」
弱々しい声で、高崎は聞き返す。だが返事を聞く前から、嫌な予感しかしなかった。
デジャヴを感じる。
高崎が交通事故に遭って、意識が戻った直後と、いまの状況が似すぎている。
直近の記憶がなく、いつの間にか寝かせられていて、身体は動かなく、周囲の人間が心配そうに自分を見つめているという、事故後に病院で見た光景と、いま見ている光景がほとんど一致しているのだ。
だから、どうせろくなことにはなってはいないのだろうと、高崎は覚悟した。
「川の中に落ちたんです」
銀髪の子がそう言った途端、びりっと、高崎の脳内に電撃が走った。
川に落ちた前後の記憶はまだ戻らないが、自分が自殺をしようとして川へ向かっていたことははっきりと思い出せた。
それなら、どうしてこんな状況に陥っているのか、簡単に推察できる。
自分は死ぬために、川に飛び込んで、そして――
(助けられたんだ。この子たちに)
人を巻き込んで自殺をする人の気持ちが、わかったつもりでいた。
しかし実際に他人を自殺に――しかも子供を――巻き込んでしまったとなると、心苦しいどころの話ではなかった。
「ごめんなさい」
高崎が口にしたのは、感謝ではなく、謝罪の言葉だった。
もしもこの子供たちが、高崎の自殺に巻き込まれて死んでしまっていたら、どうなっていたことか。子供たちの未来は? 残された家族はなにを思う?
家族を失うことの痛みを、高崎はこれ以上なく知っている。だからこそ、彼女は謝ることしかできなかった。
「ごめん……。きみたちのこと、巻き込んじゃったんだよね。本当に、ごめんなさい」
「ほんとだぜ、命は粗末にすんなよ」
シャープな目つきの、黒髪の一部に赤色が入った女の子が言った。彼女は不機嫌そうに高崎に顔を近づけながら、
「つーかさ、なんであんなとこに立ってたんだ? もしかしてあんた、飛び降り――」
「朱音ちゃん、やめなって! このお姉さん、目が覚めたばっかりなんだよ?」
黒髪の、ぱっちりとした瞳の女の子が話を遮った。目つきが鋭いほうの女の子が、小さな溜息をつく。
「わかってるよ。でもよ、せっかく助けたのに、また飛び降りられたらどうすんだよ。春心だってそれは嫌だろ」
「そうだけどさ、いまその話するの?」
言い合いの最中、金髪の小柄な女の子が割って入ってきた。
「まあまあ、そこは春心さんの言う通りですよ。いまする話ではありません」
そう言って、金髪の子は高崎の方へ視線を移す。
「お身体のほうはどうですか。痛い場所や、動かない場所はありますか?」
「えっと、それは――大丈夫みたい」
高崎は身体を起こして、全身を確認する。服が一部破れているくらいで、怪我も骨折もしていないようだ。頭は若干ぼんやりしているけれど、それも徐々に治まってきている。
金髪の子が頷いた。
「そうですか。実は、あなたには少し特別な処置をさせていただきました。特に後遺症も残らないはずです。が、いちおう病院には行ってくださいね。私たちは医者じゃないので」
「……は、はい」
金髪の子の落ち着き払った口調に、高崎は呆気に取られてしまった。見た目は小学校低学年くらいの子なのに、まるで大人と喋っているかのようだ。
高崎は改めて、五人の少女たちを見た。
全員がお揃いの白いワンピースを着ていて、荷物はこれまた白いトランクケースだけ。どことなく浮世離れしている雰囲気がある。
姉妹だろうか。それにしては、身長に顔つきに髪色に、まるで一貫性がない。
しかし、こんな台風の日に、彼女たちはなぜ雨具も持たずに川の近くにいたのだろう。いや、そのおかげで高崎は助かったのだけれど。
助かるつもりなんかなかったとは言え、死ぬために川に飛び込んだとは言え、彼女たちが命の恩人であることに変わりはない。
「ごめんなさい。それと、助けてくれてありがとう」
高崎がお礼を言うと、少女たちは各々違った反応を見せた。微笑んでくれた子もいれば、無表情の子もいる。目つきの鋭い子は「もうこんなことすんなよ」と呟いた。
耳が痛い。
高崎はその呟きを、聞こえなかったことにしてしまった。
もう自殺はしないかと言われたら……わからない。軽々しく答えることはできそうもない。いまはまだ、先のことを考えたくなかった。
「きみたち、小学生かな? もしよければ、親御さんにもお詫びと、お礼を言いたいんだけど……」
自殺について追及される前に、高崎は話を進めた。子供たち相手に誤魔化すような真似をするのは後ろめたい。でも、彼女たちの親にお詫びをしたい気持ちは本当だ。
ところが、返ってきた言葉は高崎が予想もしていないものだった。
「いないよ」
誰がそう言ったのか、高崎にはわからなかった。
少女たちの誰か一人が言ったのかもしれないし、全員が言ったのかもしれない。ただ、恐ろしく冷たい響きがしたことだけは確かだった。
「いない……って?」
高崎が聞き返すと、黒髪の、瞳の大きな女の子が言った。
「私たち、捨てられたから」
「え?」
「いないの」
高崎は助けを求めるように金髪の子を見た。この中で一番大人びているらしい彼女に、事の真偽を問いたかったのだ。
金髪の子は、淡々とした口調で言った。
「ええ、事実ですよ。私たちは全員、親に見捨てられました」
「……なに……それ、本当なの……?」
やはりそれが事実と信じられず、高崎は少女たち全員を順々に見つめる。
少女たちはみな、無言で見つめ返してきた。このとき、彼女たち全員の目の奥が死んでいることに、高崎は初めて気づいた。これが演技や冗談でやっていることだとは、とても思えない。
(本当……なんだ……)
この少女たちが相当の“訳あり”だということを、高崎は悟ってしまった。
「ふざけんなよ……」
無意識のうちに、高崎の口から出た言葉がそれだった。
それはもちろん、目の前の子供たちに言ったのではない。
子供たちを捨てた親に対しての言葉だった。
高崎は、自分の子供を産むことができなかった。その前に死んでしまった。産みたくても、産めなかったのだ。
それなのに、世の中には逆に、子供を捨てる親なんてものがいるなんて。
――ふざけんなよ。
高崎は瞬間的な怒りでおかしくなってしまいそうだった。
さっきまで自殺に向かっていた、自暴自棄でヤケクソな、膨大な負の感情が、目の前の少女たちを捨てた親への憤りへと変わっていく。
もうどうにでもなれと、先のこともよく考えずに高崎は言うのだった。
「じゃあさ、みんな、うちに来なよ」




