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地表の下 4/4

「夏目さん、悪いがあんたの過去は調べさせてもらった。あんたがかつて共に行動していた男のこともな」


 荒月こうづき沙杏さなんが、魔法生物を利用して東京を襲撃しようとした事件。


 その裏で複数の人間が暗躍していたことが、捜査の進展によってわかってきた。


 現在、容疑者の有力候補の一人に、夏目と深い関係がある人物が浮上している。いや、正確には、かつて夏目と関係が深かった人物。


 だから、狩欺は夏目を訪ねてきたのだ。彼女が協力してくれれば、捜査はさらに進展するだろう。


 だが――


「……“あいつ”のことが訊きたいなら無駄だよ。三十五年前に喧嘩別れして、それっきりさ。なんの音沙汰もない。本当に知らないんだよ。あのバカがどこでなにをやってるかなんて」


 夏目の声は不機嫌そのものだった。


「“あいつ”のことを訊きに来たのは坊やが初めてじゃない。これまであたしを訪ねてきたやつは何人もいる。その度にあたしはこう言ってんのさ。『話すことはない、帰んな』ってね」

 

 捜査協力には素直に応じてもらえそうにない。

 

 しかしこうなることは、狩欺は最初からわかっていた。これまで幾人もの人間が夏目のもとを訪れ、その度に無視、あるいは追い返されてきていることを、事前情報で知っていた。

 

 夏目はもう、“あいつ”と関わることを拒絶している。


 彼女の説得は、困難を極める。


 それを知っていて、それでも狩欺はここへやってきた。


「たしかに、もうあの男と夏目さんは無関係だろう。だが、あの男がなにを考えているのか、なにをしようとしているのか、あんたなら、理解できるんじゃないのか」


「…………」


 夏目は黙り込んでしまった。

 

 ならばと、狩欺は別の方向から切り込む。


「なあ、夏目さん。ギャグ漫画ってのは滅茶苦茶だよな」


「……なんの話だい」


 話を唐突に変えたことで、夏目の興味を多少は引けたようだ。もっとも、ガードが崩れた雰囲気はないが。こいつはいきなりなにを言い出すんだと、警戒されているようにも感じる。


 だが、黙り込まれるよりはよっぽどましだ。


 狩欺は話を続ける。


「メガネが割れてもすぐに直る。爆発してもアフロになるだけで済む。そんでもって、当たり前のように死人が生き返る。ギャグ漫画ではよくあることだ。だが、現実はそうじゃない。爆発に巻き込まれりゃ怪我をするし、死んだ人間は生き返らない」


「なにが言いたいんだい」


「夏目さん。もしもギャグの力を、“笑い”以外の目的のために使用できるとしたらどうだ? ギャグの力を、人の死すら乗り越える力を、悪用できるとしたら……?」


「そりゃあ、世の中が大変なことになるだろうが――」


 そこで一度、夏目の言葉が途切れた。狩欺の突拍子もない発言に困惑しているようにも見える。


「――その仮定は成り立たないんじゃないのかい、坊や。ギャグの力ってのは、一種の幻覚だというのが定説じゃないか。現実に干渉することができない、運命を決定することができない――それがギャグの力の縛りだったはずだよ」


「そう、そのはずなんだ。だが先月の事件で、ルシア・リフレインは、その縛りを乗り越えた」


「なんだって?」


「より細かく言うなら、舞込春心からギャグの力を借りることで、ルシア・リフレインは新たな力を生み出した……らしい。本人もよくわかっちゃいないようだったがな。だが、ギャグの力が戦闘に使用されたことは確かなようだ。リフレインのやつは、ギャグの力の未知の可能性を引き出しちまったんだよ」


「それが本当なら……世界がひっくり返るね」


 と、夏目が驚嘆の声を上げた。


 狩欺だって、ルシアから事の顛末てんまつを聞いたときは驚いた。ギャグとファンタジーの力を融合させるだなんて、聞いたことがない。

 

 ギャグの力は、人を笑わせるために許された滅茶苦茶なのだ。それが、戦いにも利用できるとなったら――必ず、よからぬ輩が動きだすだろう。どの世界にも、便利な技術を悪用しようと企むバカは湧いてくる。

 

 狩欺は、改めて夏目に頼み込んだ。


「夏目さん、捜査に協力してくれないか。ルシア・リフレインがギャグの力を使った事実は、ほぼ確実に“やつら”にも伝わっている。あの家族は……高崎家は、遅かれ早かれ狙われることになるだろう。そうなったら、あんたが大事にしている海羽しづくにまで危害が及ぶことになる。それは、あんただって望んじゃいないだろう?」

 

 夏目は嘲るように笑った。


「いい度胸だね、坊や。しづちゃんを使ってあたしを脅そうってのかい。そんな挑発には乗らないよ」


「脅しじゃない。妥当な推測だ。あんただって他人事じゃない。本当はわかってるはずだ」


「話にならないね。さっさと帰んな」


「夏目さん、あんた、いつまで逃げるつもりなんだ?」


「――逃げる?」

 

 夏目の声の温度が、急激に下がった。

 

 モニターの光だけが暗闇を照らすこの薄暗い部屋の中に、凶悪な怪物がそっと放たれたような、そんな感覚がした。

 

 しまった、踏み込みすぎたかと、狩欺は自分自身に対して舌打ちをしたくなった。「いつまで逃げるつもりだ」なんて。およそ説得に来た人間とは思えない煽るような言い草に、我ながら呆れそうになる。


「逃げるだって? ……立ち場をわきまえていない小僧が。ひとんちに上がり込んで、ずいぶん勝手なことを言うじゃないか。話の聞きかたってやつを教えやろうかい?」


 部屋の中に、うっすらと煙のようなものが漂いだした。


 狩欺は警戒を強める。なにかが燃えているようには見えない。ならば、この煙のようなものは、夏目の能力か、兵器である可能性が高い。


 突然、狩欺の頬に痛みが走った。手を当ててみる。すると、温かくて湿ったものに触れた。暗くてよく見えないが、どうやら血が流れているようだ。


「夏目さん……本気か?」

 

 これまで手を出してこなかった夏目が、ついに一線を越えてきた。頬の怪我はだいぶ浅いが、それでも怪我は怪我だ。

 

 狩欺は身構える。


「――いいっすよ、狩欺さん。そのために俺を呼んだんでしょう?」

 

 と。


 蓮華京れんげきょうが言った。


 白スーツを着た、どこか胡散臭い金髪の男。ここまで無言で狩欺の背後に控えていたはずの彼はいま、夏目の真横に立っていた。

 

 音もなく。気配もなく。

 

 いつの間にか、夏目のこめかみに拳銃を突きつけていた。


「魔法だSFだなんて、俺から言わせりゃ余計なもんですよ。そんな大層な力がなくても、人は簡単に死にます」

 

 銃を向けられていてなお、夏目の声には余裕があった。


「やってみな。その前にあんたの頭が粉々になるだろうがね」


 にわかに高まっていく緊張。


 この状況を放置すれば、数分後には誰かは死んでいるのだろう。

 

 こののっぴきならない局面で、狩欺は――


「頼む、夏目さん」

 

 床にひざまずき、額を床に付けた。


 土下座をした。


「先月の魔法生物の事件では、ガキどもが傷ついたんだ。被害者も、加害者も、両方だ。もうあんな事件は起こしちゃいけねえ。どう考えたって、俺たち大人同士でいがみ合ってる場合じゃねえだろう! そうなる前に、夏目さん、力を貸してくれ」


「……そこまでするかい。調子が狂うじゃないか」

 

 高まっていた緊張が、ふいに弛緩していく。


「俺だって引けない。意地を張ってる場合じゃねえんだ」


「意地を張ってる場合じゃない……ねえ。なるほど」

 

 夏目は誰に言うでもなく、「そうかい、そうかい」と繰り返し呟いた。


「しかし子供のために働けってのは、ちょっとあざとい誘い文句じゃあないかい? 坊や、子供好きには見えないよ」


「子供が好きっつーか、大人が嫌いだったんだよ。力を持ってるのに、体面だの派閥だのを気にして、肝心な時に役に立たない大人が、昔から嫌いだった。そんな大人にだけはならねえと、俺は昔、妹と約束したんだ」


「なんだい、妹がいたのかい」


「いまはもういない」


「……なるほど、青臭いね。あたしから見れば、坊やだってまだまだ子供だよ」


 夏目の喋りかたが、心なしか柔らかいものになった気がした。


「魔法使いの坊や、そのケースの中身を見せてみな」

 

 狩欺は頭を上げ、言われた通り、アタッシュケースを持って夏目のもとへ向かう。部屋に立ち込めていた謎の煙は、いつの間にか消えていた。


 目が慣れたせいか、それとも単に夏目との物理的な距離が縮まったせいか、あれほど見えなかった夏目の表情が、いまははっきりと見える。

 

 白髪の、背の曲がった小さなおばあさん。


 人の良さそうな、孫に甘くしすぎて、息子夫婦から怒られていそうな、そんなどこにでもいる、普通のおばあさんだった。

 

 夏目は狩欺からアタッシュケースを受け取ると、その中身を――魔法生物・サーフィを育成するのに使用されていた装置の残骸を一瞥いちべつし、ため息をついた。


「これは確かに、あのバカが作ったものだよ」

 

 それからケースを閉じながら、夏目は言った。


「いいだろう。坊やたちに協力しようじゃないか」



 ※



 しづくとペンタトニックのいるクリーンルームに、夏目から「話がしたい」という通信が入った。来客対応はもう終わったらしい。

 

 話ってなんだろうという疑問はあったけれど、しづくもペンタトニックのトイレ問題について相談したかったので、ちょうどいいタイミングだと思った。

 

 夏目に指定された場所――モニターだらけの部屋に入った瞬間、しづくは微かに違和感を覚えた。どこが変とは言えないけれど、強いて言うなら、空気が重い。

 

 お客さんと、なにかあったのかな……?


「来たかい、しづちゃん」


 夏目は、椅子の上にこじんまりと座っていた。その背中がいつも以上に丸まっているように見えるのは気のせいだろうか。


「なつめ先生、お話ってなに……?」


「少しね、あたしの昔の話を聞いてほしいんだ」


「……?」


 ここでしづくの抱いていた違和感が確かなものとなった。


 あれ、やっぱりなつめ先生の様子がおかしい……と。


 これまで夏目は、過去の話だけはしてこなかった。しづくから質問しても、いつも軽くかわされていたのに。


「どうしたの、急に……?」


「まあ、なんだろうね。とりあえず聞いとくれ」


「うん、わかった……」


 事情を飲み込めないまま、しづくは頷いた。よくわからないけれど、きっと大事な話なのだろう。

 

 夏目は穏やかな口調で、淡々と語り始めた。


「しづちゃん。あたしにもね、この世界に一緒に来たボツキャラクターの仲間が一人いたんだ。しづちゃんにとっての、春心ちゃんやルシアちゃんのような存在がね。


 あたしもそいつも、SFのキャラクターだった。だからというわけじゃあないけれど、あたしらは意気投合してね、いつも一緒にいたよ。


 あたしらは若かった。SFの力で、世界を変えてやろうと息巻いていたのさ。当時、怖いものはひとつもなかった。やると決めたことはなんでもやった。いまにして思えば、ずいぶん無茶な実験もしていたよ。周りの人間に止められても、バカなあたしらは聞く耳を持たなかった。


 はっきり言ってね、思い上がってたんだよ。歪んでいたのさ。あたしらは。

 

 その歪みを放置したまま育ったもんだから、あたしらは年を重ねるごとにろくでなしになっていった。仲がよかったはずのあいつとも、次第に衝突することが増えていった。


 そうして、あたしらが三十過ぎのころ、あるひどい事件が起こってね……あたしとあいつの不仲は、決定的なものになっちまった。


 あたしはその事件をきっかけに、SFの技術を地下に封印することにした。もう、世界を変えてやろうだなんて思えなかった。便利すぎる技術は人を不幸にすると知ったんだ。


 だけどあいつは、研究をやめなかった。むしろ堂々と人の道を外れるようになっちまったんだよ。


 あたしはそれを知ってて、今日まで見ないふりをしてきた。あいつがいまもどこかで危ない研究を続けているとわかっていて、知らないふりを続けてきた。あいつとも、この世界とも、二度と関わりたくなかったんだ。


 でも、ツケってのは払わないといけないもんだね。あいつの作ったものが、回り回って、ルシアちゃんを傷つけちまったらしいんだ。


 あたしは、あのバカを止めなきゃならない」


 しづちゃん、あたしの言ってること、わかるかい――と、夏目は言った。


 しづくは曖昧な表情で、首を横に振った。


「えーっと、ごめん、ちょっと複雑だった……」

 

 話が長くて途中で眠たくなった。空気が読めなくてごめん。


「でもね、悲しいことを言ってるのはわかるよ……」

 

 夏目の話を、しづくの立場に置き換えると。要は、大人になってから、春心や朱音たちと決別するのと同じことなのだろう。

 

 夏目はいま、かつての仲間と、二度と埋められないほどの溝ができてしまっている。

 

 それは、とてもとても、悲しいことなんだと思う。


「しづちゃん、じゃあはっきり言うよ。これからは最低限の用事以外、ここに来ないほうがいい。しづちゃんを危ないことに巻き込みたくはないんだよ」


「えっ……」

 

 と、しづくは言葉を詰まらせてしまった。


「待って、なつめ先生……。危ないことするの……?」


「まあ、否定はできないね」


「なにそれ、嫌だよっ……!」

 

 しづくが叫ぶと、夏目はなだめるように言った。


「安心しな。あたしになにかあっても、しづちゃんのメンテナンスはできるようにしてあるからね」


「違うよっ、そんなことじゃないよっ……! 危ないことなんてしないでって、言ってるのっ……!」


「そうも言ってられないんだ。悔しいけど、あの魔法使いの坊やが言っていた通りだね。あたしはずっと逃げてたんだ。そのけじめをつけるときが来たんだよ」


「だったら、危ないことなら、なつめ先生の代わりに私がするよっ……! 私なら、ロボだから、壊れたってすぐに直せば――」


「バカなこと言うんじゃないよ!」

 

 と、夏目が声を荒らげた。

 

 予想もしていなかった激しい口調に、しづくは思わず口をつぐんでしまった。夏目に叱られるのは、いったいいつぶりだろう。

 

 一転して、夏目の声が優しくなる。


「駄目だよ、それは。一番言っちゃいけないことだよ。それを言ったらおしまいなんだよ。ロボットだからこそ、自分の体を雑に扱っちゃいけないんだ」


「だったら、なつめ先生だって同じだよ……」


 しづくの目から、涙が零れていた。


 涙が出る機能。


 ロボットにはまったく必要のない、製作者のお遊びでつけられたような、おまけの機能。


 ONとOFFで区切れてしまう、ただのシステム。


 それなのに、しづくの意思では、どうしても涙を止めることができなかった。


「自分のこと、大事にしてよ……。なつめ先生がいなくなったら、私、怒るからね……?」

 

 しづくが言うと、夏目も泣きそうな顔をして――すぐに微笑んだ。


「しづちゃんに怒られるのは嫌だねえ。わかったよ、あたしはいなくならないからね」


「約束だよ……?」

 

 しづくが小指を差し出す。


 夏目はにっこりと笑って、指切りに応じてくれた。



 ※



 一方その頃、クリーンルームでは。


「おいっ! シヅクはまだかッ! やべえぞやべえぞ! このままじゃ俺の便意がスタンダップコメディしちまうぜッ! どうすんだ!? 出るのか!? 出ないのか!? 勝つのか!? 負けるのか!? 勝つのか!? 負けるのか!? 勝つのか!? 負けるのか!? いいぜ、勝負だ、バトルだぜ! 地獄の番勝負! ここに開幕ッ! レディイイイイイイイイイイイイイイイイイイ……ファイッ! イェアッ!」

ペンタトニック、現代に残留。


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