地表の下 3/4
『オマチシテオリマシタ、カリノギサン』
電気の消えた薄暗い駄菓子屋に、銀色の蝶の姿をしたロボットが現れた。
「……どうも」
夏目本人ではなく、ロボットによる出迎え。狩欺を警戒しているのか、それともナメているのか……考えたところで、答えは出ないだろう。ならば、気にするだけ無駄だ。
「お前さんが、夏目さんのもとへ案内してくれんのか?」
『ハイ。ワタシガ、ナツメノモトニ、アンナイ、シマス。シカシ、ソノマエニ、ソチラノカタニハ、カエッテイタダキマス』
そちらのかたには帰っていただきます――と、銀色の蝶。
狩欺ではなく、狩欺が連れてきた蓮華京に向かって言っているのだ。
『ヒトリデ、クルトイウ、ヤクソクデス』
「そうだったか?」
狩欺はとぼけてみせたが、こうなることは想定済みではあった。蓮華京を連れてくることは、事前に夏目に言っていないからだ。
『ヒトリデ、クルトイウ、ヤクソクデス』
「どうやら連絡に行き違いがあったみたいだ。悪かった。次から気をつけよう」
狩欺はシラを切りつつ、適当に話をかわそうとするが、銀色の蝶は機械的に――と言うか、機械そのものだが――同じ台詞を繰り返す。
『ヒトリデ、クルトイウ、ヤクソクデス』
「一人増えるだけだ」
『ヒトリデ、クルトイウ、ヤクソクデス』
「今回は大目に見てくれねえか?」
『ヤクソクデス……ヤクソクデス……ヤクソクデス……ヤクソクデス……ヤクソクデス……ヤクソクデス……ヤクソクデス……ヤクソクデス……』
蝶の羽が、赤く点滅しだした。
――警告だろう。
「ずいぶん喧嘩っぱやいな」
狩欺が身構えると、その横で蓮華京がささやいた。
「狩欺さん、気づいてます?」
「わかってる」
この駄菓子屋に足を踏み入れたときから気づいていた。電気の消えた店の隙間という隙間に、深く沈んだ影の中に、人形たちが潜んでいることに。
変身ヒーロー、動物のキャラクター、大きな目の子供の姿をした、たくさんのソフビ人形が、闇の中から狩欺たちを凝視している。場合によっては、いますぐにでもあらゆる方向から襲い掛かってくることだろう。
「ここは駄菓子屋じゃなくてお化け屋敷だったんですねえ」
「油断するなよ、蓮華京。見た目はおもちゃでも、中身は違うはずだ」
「わかってますって」
蓮華京は薄ら笑いを浮かべながら、白スーツの内ポケットに手を入れた。
『ヤクソクデス……ヤクソクデス……ヤクソクデス……』
銀色の蝶の周囲に火花が散り始めた。バチバチと、空気が弾ける音がする。電撃を操ることができるようだ。
子供の姿をしたソフビ人形が、笑いながら銃を構えている。動物の人形の頭が割れて、メスが飛び出してきた。
一触即発の空気。
狩欺は舌打ちをした。戦うことは本意ではない。
「なあ、夏目さんよ、聞こえてんだろ?」
ここにはいない夏目に向かって、語りかける。
「悪かった。押しかけてきてる俺がワガママを言える立場じゃねえことはわかってる。あんただって、わけのわかんねえ野郎共に家に上がられんのは嫌だろうよ。だが、はっきり言うぞ。俺はな、あんたが怖いんだよ。ここはあんたのホームだ。あんたなら、なんの痕跡も残さずに俺を殺すことだってできるはずだ。現にあんたはいま、武力で俺たちを脅している。そんなやつとはな、護衛の一人でもつけてなきゃ、話し合いなんてやってられねえんだよ!」
夏目からの返事はない。だが、聞こえていないわけがない。狩欺は続ける。
「ただ、仲間一人を連れていくってだけのことだ。それ以上のことは望まねえ。ここは怒りを収めちゃくれねえか? ……頼む」
やはり、返事はない。
だが、蝶の赤い点滅がぴたりと止んだ。暗闇に潜んでいた人形たちの気配がなくなった。
やがて銀色の蝶は何事もなかったかのように、抑揚のない電子音声でこう言った。
『ワカリマシタ。ナツメノモトニ、アンナイシマショウ』
狩欺は深く息を吐いた。
「なんとかなったか」
ヒヤリとはしたが、しかしそれでも、最初から二人で来ることを夏目に伝えておけばよかったとは、まったく思わない。
護衛として仲間を連れてくることを事前に知らせていたら、確実に対策をされていただろう。それでは護衛の意味はない。夏目の読みを外すために、わざと突発的に、魔法使いではない蓮華京を連れてきたのだ。
もちろん、夏目の信頼を損ねるという大きなデメリットはある。だが、最低限の命の保証もできない状態で臨む交渉に意味はないと、狩欺は考えていた。
「しかし、夏目さんがこんなに物騒なかただとはね。たしかに、昔はヤンチャだったらしいですけど……いまはもう、ただの人畜無害なおばあちゃんだと思ってましたよ」
「いや、その認識で合ってる」
「はは、冗談でしょう。本当に人畜無害だったら、ロボットをけしかけてきたりはしませんよ。それともなんです? 狩欺さん、あんた夏目さんに嫌われてるんですか?」
「そうかもな。……忘れたい過去って、あるだろ」
と、狩欺は言った。その言葉が蓮華京に響いたかどうかはわからないが。
「俺はこれから、夏目フミノの過去に触れることになる。過剰な反撃を受けても文句は言えねえだろうな」
※
一方、クリーンルームでは、しづくとペンタトニックが呑気に会話していた。
「で、ペンタトニック、どうしてこの時代に来ちゃったの……? もっと詳しく教えてよ……」
「オッケー! ステージの上にヒビがあってよ、顔を突っ込んだらグルグルど~んっつって、ここに来ちゃったんだよなァ! どうだァ!? 滑稽だろォ!?」
「それはさっき聞いたよ……」
「って言われても、俺もそれ以上はな~んもわかんねえんだヨッ!」
「まじ……?」
もしかして、これって、一大事?
ペンタトニックの陽気さで事の重大さが薄れかけているけれど、要は、彼は原因不明のまま、自分の知らない時代にたった一人取り残されるという状況に陥っているのだ。
「え、どうすんの……? 帰れなくない……?」
「やばば!」
「やばば、じゃなくてさ……。ほんとにやばいじゃん……」
「シヅクが行って帰ってこれたんだろッ!? じゃあ俺だって帰れるのが道理ってもんだろォ!」
「そうかもしれないけど……」
「クヨクヨしててもしょうがねえぜッ! こういうのはなるようにしかならねえもんだしなァ! それに、悪いことばっかりじゃねえ! シヅクと再会できただろォ!? これ僥倖ォ!」
ペンタトニックのメンタルの強さに、しづくは驚いた。
しづくだって原始時代に飛ばされたときは平然としていたものだったが、あれは夏目が救出に動いてくれていたことがわかっていたからだ。厳密に言えば、ペンタトニックとは状況が違う。彼には、技術的な面で、助けにきてくれる人はいないはず。
なのにこの落ち着き。いや、喋りかたは全然落ち着いていないけれども。でもこの状況で「なるようにしかならない」とは、なかなか言えない。
精神面が強いのか、飛び抜けて陽気なのか。きっとその両方だろうと、しづくは思う。
「ペンタトニックは、強いね……」
「そうさッ! おれはいつだってチョベリグなんだぜッ!」
「チョベリグって……」
ペンタトニックの言葉選びのせいで、緊張感が持続しない。ただ、これに関しては彼が悪いとは一概に言えない。
しづくからすれば、チョベリグは遥か昔の言葉だという気がするけれど、さすがに原始時代から存在していたわけではないはずだ。
それをペンタトニックが話すということは、狂っているのはしづくの翻訳機能のほうだと考えることもできる。もともと原始人と話すことを想定して作られた機能ではないのだろうし、翻訳の過程でバグが発生していても全然おかしくはない。
だとすると、しづくの言葉も、珍妙なニュアンスでペンタトニックに伝わっている可能性がある。
(それ、なんかやだなぁ……)
まあ、しょうがないんだけど。
「なあシヅクッ! せっかくだから明るい話をしようぜッ!」
と、ペンタトニックが言った。
「うん、そうだね……。明るい話、しよっか……。なにが聞きたい……?」
「そうだなッ! しづくの時代にはどんな食いもんがあるんだッ!? マンモスの肉はあんのかッ!?」
「マンモスは絶滅したよ……」
「ウッッッッッッッッッソだろォ!? オォイ!」
ペンタトニックは寝そべっていたテーブルからひっくり返り、床に落下した。
「あっっっっんな強いやつらが滅ぶのかよ!? でもって人間は生きてんだよなァ!? わっけわかんねえぜこりゃ、どうなってんだこりゃパーティピーポーだぜオォイ!」
「落ち着きなよ……」
「いやいや、こりゃびっくり滑稽びっくりだぜよォ! 強いマンモスが滅んで、弱い人間が生き残るなんて……摩訶不思議にも程があんだろォ! 程を知れ程をォ!」
「めっちゃ元気じゃん……」
「人類の息、長すぎだろォ!」
マンモスの絶滅がよほど衝撃的だったのか、ペンタトニックの息が信じられないくらい荒い。あと鼻の穴が膨らみすぎてブラックホールみたいになってる。
「じゃあ、じゃあ、マンモスがいないなら、いったいなにがあんだよッ!」
「クレープがあるよっ!」
しづくは即答した。人が変わったみたいに、歯切れのいい口調で言った。
「クレープがあるよっ!」
もう一回言った。
「クレープがあるよっ!」
さらにもう一回言った。
可能ならもっと言いたい。クレープをアピールしたい。布教したい。
嬉しいことに、ペンタトニックは狂ったように食いついてきた。
「なんだそれはアッ!? おい、なんだそれはァッ! それは……それはなんだァ!?」
「食べ物だよ……あっ、でも、歴史が変わることって、あんまりしちゃいけないんだったっけ……」
「レキシ? なんだそれ、クレープってやつとなんの関係があんだよォ!」
「そりゃクレープを食べたら、百パーセント自分の歴史が変わっちゃうからね……おいしすぎてね……」
「そんなにうまいのか!?」
「新しい自分に出会えるよ……」
しづくは愛を語る。教えを説く。
人類の三大発明はクレープです。この世に真実の愛があるのなら、それはクレープです。クレープには人を変える力があります。ようこそ、新世界へ。
「でも真面目な話、ペンタトニックだって、元の時代に帰るまでなにも食べないってわけにもいかないでしょ……? クレープくらい、いいと思うんだよね……」
「そうだなッ! オイラ腹ペコッ!」
「じゃあなつめ先生に相談してみるよ……。オーケーもらったら、クレープ持ってきてあげるから……」
「うおォ、よっしゃオラァ! あとウンコしてェ!」
「うえ……」
いきなりすぎるし、直球すぎる。
しづくはクリーンルーム内をぐるりと見渡した。
「この部屋、トイレないじゃん……」
仕方がないか。ここは本来、誰かを隔離するために作られた部屋ではないのだろうし。
「わかった……じゃあトイレのこともなつめ先生に聞いてみるから、もう少し待って……?」
「待つよ(イケボ)」
「ペンタトニックのキャラ、どうなってるの……?」
※
蝶のロボットに案内され、狩欺と蓮華京がやってきたのは、大小様々のモニターに囲まれた広い部屋だった。
照明が暗い割に、すべてのモニターが稼働しているせいで、部屋内の明暗の差が激しい。
狩欺はふと、十代のころに観たロボットアニメを思い出した。それに登場する秘密組織の司令室が、こんなモニターだらけの怪しい部屋だったのだ。
「よく来たねえ、魔法使いの坊や。それと、金髪の悪ガキもね」
そんな声がして、狩欺はようやく、夏目フミノの存在に気がついた。それだけこの部屋の視界が悪いのだ。
夏目は部屋の奥で椅子に座っているようだった。しかしモニターの光が完全に逆光になっていて、その表情を窺うことはできない。
「夏目さん、さっきは無理を言ってすまなかった」
開口一番、狩欺は非礼を詫びた。意図的に約束を破っておいて誠意もクソもないが、それで開き直るのも少し違う。
暗闇の奥から、夏目の笑い声が響いた。
「ははッ! かまやしないよ。強かなやつは嫌いじゃない。……それより坊や、今日は昔の話がしたいんだって?」
「ああ、そうだ」
「いい度胸だね。他人の過去に首を突っ込むのがどういうことか、わかってんのかい? しょうもない話をしようってんなら」
――ただじゃあおかないからね。
ゾクリと、狩欺の背中に冷たいものが走った。胸の辺りにナイフを突き立てられているような、命の危機を感じた。
だが、現実にはなにも起こっていない。
ただの威圧感だ。
夏目から放たれるただの威圧感が、狩欺に幻影を見せたのだ。こんな駄菓子屋のばあさんがいてたまるかと、狩欺は内心苦笑する。
「さあ、さっそく本題に入っちゃくれないかね。あたしゃ忙しいんだ」
夏目の声は穏やかだが、場の空気は痛いほど張りつめている。
油断はできない。狩欺は最悪のケースを想定しつつ、慎重に言葉を発した。
「……手短に話そう。先月のことだ。ある人物が、木羽教授の研究所から、魔法生物を脱走させるという事件があった」
「で?」
「その事件の黒幕を追うのに、夏目さん、あんたの力がほしい」
「マヌケなこと言ってんじゃないよ」
と、夏目は吐き捨てた。
「それは、あんたらファンタジーの人間の仕事だ。身内のゴタゴタを、SFの人間に押し付けんじゃないよ。みっともない」
「ところが、そうも言ってられん事態になってきたんだ。これがわかるか?」
狩欺は、持参したアタッシュケースを夏目に向かって掲げた。相変わらず夏目の表情は見えないが、彼女が話に引き込まれる気配を感じた。
「なんだい、それは」
「サーフィと呼ばれる魔法生物に取り付けられていた装置の残骸だ。ネットを介して世界中から悪意を吸い集める装置らしい。いいか夏目さん、これは魔道具の類じゃねえ、あんたらSFの世界の産物だ。この事件はな、もうファンタジーの世界だけの問題じゃねえんだよ。SFの人間が関わってきてんだ」
「なるほど。だから、あたしにもあんたらに協力する義務がある……と、言いたいんだね? だとしても、あたしの“主義”は知ってんだろう? あたしは自分の知識や技術を、世の中のために使うことはしないと決めてんのさ。たとえ世界が滅ぼうが、知ったこっちゃあないよ。アドバイザーが欲しいなら、ほかの科学者にオファーするんだね」
「いや、夏目さん。あんたじゃないと駄目なんだ」
「いい口説き文句だねえ」
小馬鹿にしたように、夏目が笑った。
「年甲斐もなくドキっとしちまったよ。魔法使いの坊や、もしも好きな子がいるなら、それくらいストレートに言ってやるといい」
「夏目さん。真面目に聞いてくれ。俺は軽口を聞きにきたんじゃない。これを作ったやつの話を聞きにきたんだ」
刹那、夏目の笑い声が止んだ。
静寂が訪れる。どこか遠くから、ジー……という機械音が聞こえてくる。
「……もしかして、あたしを疑ってんのかい」
やがて発せられた夏目の声は、凍てつくほどに冷たかった。
肌がヒリつく。暗闇の奥から、狩欺がいまだかつて対峙したことがないほどの殺意を感じる。
応答を間違えれば、終わる。
狩欺は静かに、深く、息を吸った。
――夏目フミノは黒幕なのか?
いいや、そうではない。そうだと思っていたら、こんな少人数でここには来ない。
戦うべき相手は、夏目ではない。
狩欺は言った。
「違う。あんたじゃない。俺が疑ってんのは、あんたのかつての相棒だ」




