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地表の下 1/?

 夏休みも後半に入ったころ、海羽しづくは、夏目フミノの家――の真下にある、地下施設へと向かっていた。夏目から「ある人物の話し相手になってほしい」と頼まれたのだ。

 

 世間はいま、お盆休みの期間に入っていた。しづくには会いに行くような親戚なんていないし、所属しているテニス部の練習もなかったので、夏目の頼みは二つ返事で引き受けた。

 

 しづくが家を出たのは昼過ぎだった。太陽が青空に居座って、暴力的な熱波を放っている。真夏の一番暑い時間帯だ。

 

 しづくはロボットなので、暑さは関係ない――とも言えない。生身の身体だろうと、機械の身体だろうと、高熱に弱いことには変わりはないからだ。


 しづくの身体には、擬似的に“温度を感じる”機能が搭載されている。しかしそれはOFFにすることも可能なので、その気になれば真夏でも不快感なく屋外で活動することができる。できるけれど、「あんまり暑いところにいたらよくないんだろうなあ……」というぼんやりとした危機感はどうしても残ってしまう。


 その危機感すらもOFFにすることは理論上は可能なのだろうけど、そこまで行ってしまうと、もはや『海羽しづく』ではなく、人の形をしただけの機械になってしまいそうで、少し怖い。そこは越えてはいけないラインだと、しづくは思っている。


 ロボットだからこそ、感じることは大切にしたい。


 とは言え、今日はやっぱり暑すぎる。


 住宅街の往来に、しづく以外の人の姿は見当たらなかった。みんな家に閉じこもっているのかもしれない。


 太陽が頭上で大威張りをしている。セミが大合唱をしている。目の前を大きな蜂が勢いよく横切っていく。こうして見ると、この暑さに参っているのは人間だけなんじゃないかなという気がしてくる。


 ――と思っていたら、しづくの向かい側から、黒い着物を着た女性が歩いてきた。その女性の髪色が綺麗なすみれ色をしていたので、しづくは見た瞬間にそれが誰だかわかった。


「おーとまさん、こんにちはー……」


「あら~、し~ちゃ~ん。この前は大変だったわね~」

 

 しづくが話しかけると、その女性は両手を振りながら、小走りで寄ってきた。


 彼女の名前は逢戸澗おうとま夜縁よみち。ホラーのボツキャラクターで、近所の寺に住んでいるお姉さんだ。先日は、しづくと春心とメーベルを、ある怪奇現象から助けてくれた。


「この前はありがとうございました……」


「いいのよ~。しーちゃんは、今日はおでかけ?」


「うん……なつめ先生のところに行くの……」


「あ~、あのおばあちゃんのとこね~」


「おーとまさんもおでかけ……?」


「私はこれから出張のお祓いなの~」

 

 と言いながら、逢戸澗は両手を合わせる仕草をした。彼女は寺に住まわせてもらっている代わりに、その寺に舞い込んでくる厄介な仕事を引き受けているのだ。


「そっかぁ、がんばってね……」


「お盆にお祓いっていうのも、ちょっと意味ありげよね~。裏がありそうで嫌だわ~」


 嫌だと言っている割に、逢戸澗の表情は楽しそうだ。ここでしづくは、彼女がこの真夏にしては不自然なほどに汗をかいていないことに気づいた。


 まあ、汗をかかないのはロボットであるしづくも同じだけれど。


「ところで、しーちゃん。モグラさまって聞いたことある?」 


「モグラさま……?」


 どこかで聞いたような気がするなあ、と思った。


 しづくは普段はロボットとしての力をセーブしているけれど、やろうと思えば、いくらでも正確に記憶を引っ張ってくることができる。


 しづくは【モグラさま】をキーワードに、自身の記憶データを参照した。


「あった……」


 探していた記憶はすぐに見つかった。ほんの数日前、朱音が路地裏で怪しい人たちと戦ったという話をしていたのだ。その話の中に【モグラさま】という単語が出てきた。


 しかし朱音はそのとき、どんなふうに戦ったかという話に重点を置いていて、モグラさまの概要については触れていなかった。いくらしづくでも、ない記憶は引っ張ってこれない。


「なんかあかねがね、最近その話してたよ……。詳しいことはわかんないけど……」


「そう。じゃあ、今度あかね氏とお話ししなきゃいけないわね~」


 逢戸澗は普段、朱音のことを「あかね氏」と呼ぶ。「あーちゃん」だと可愛すぎて恥ずかしいと、本人からクレームがあったらしい。


 ……そんなことより。


「ねえ、おーとまさん、モグラさまってなに……?」


「最近ね、そういう名前の、強力な怪異の噂を聞くのよ」


 しばらくは暗い道に気をつけたほうがいいわ――と、逢戸澗は言った。





 逢戸澗と別れ、しづくは夏目の自宅兼駄菓子屋にやってきた。

 

 外壁が赤茶色のトタンでできた、どこかノスタルジックな木造の平屋建て。色あせた飲料自販機とガチャガチャが並んでいて、「だがしのなつめ屋」という、塗装が一部剥げた看板が掲げられている。 

 

 表には「休業中」という札がかかっているが、しづくはお構いなしに中に入った。


 電気の消えた駄菓子屋に、人の気配は一切ない。


「なつめせんせー……?」

 

 と、声を出してみるも、夏目が店の奥から出てくることはなかった。その代わり、彼女の声だけが、どこからともなく響いてくる。


『よく来たね。しづちゃん。悪いけど、下まで降りてきてくれるかい?』


「わかったー……」


 駄菓子屋のどこを見渡しても、カメラもスピーカーもマイクも見当たらない。何度ここに来ても、しづくには見つけることができない。でも、どこかには確かにセットされているのだろう。なつめ先生はすごいからなぁ……というだけの理由で、しづくは納得している。

 

 勝手知ったる他人の家とばかりに、しづくは店の奥へとずんずん進む。実際ここはしづくにとって第二の家のようなものだ。

 

 レジカウンターの裏手にある客間に行くと、畳の下から、地下へと続く長いエスカレーターがすでに出現していた。ここから先は、昔ながらの駄菓子屋ではなく、秘密の地下施設だ。白と銀色が彩る、無機質の楽園。


 エスカレーターに乗っていちばん下まで降りていくと、夏目が通路に出てしづくを待ってくれていた。


「悪いねえ、しづちゃん。お盆休みに呼び出したりして」


「ううん、いーよ、暇だったし……。それより、頼みごとって……?」

 

 ある人物の話し相手になってほしい――という話は聞いてはいたが、それはもうほとんど事情を聞いていないのと同じようなものだ。

 

 夏目は言った。


「実はね、これからここにお客さんが来ることになっていてねえ、あたしはそのお客さんの相手をしなきゃなんないんだ。……それだってのに、ちょっと前に、珍客が来ちまってねえ。しづちゃんには、しばらくその珍客の相手をしていてほしいんだよ」


「ちんきゃく……」

 

 いったいなんの相手をさせられるのか。怖い――とは、しづくは思わない。面白そーだなぁとは思う。


「こんな使いっ走りみたいな真似、しづちゃんにはさせたくなかったんだけどねえ……でも、しづちゃんしか適任がいないのも事実なんだよ。頼まれてくれるかい?」


「もちろんだよ……」


「ありがとうね。助かるよ。それじゃあ、ちょいと移動しようか。事情を説明するよりも、きっと見たほうが早いだろうからね。……ついといで。クリーンルームに行くよ」


 そう言って、夏目は施設の奥へ歩きだした。

 

 この地下施設は六階層に分かれていて、しづくもまだ足を踏み入れたことのない部屋が数多く存在する。

 

 これだけ広大な施設がどういう経緯で作られ、なんのために利用され、どのようにして維持されているのかを、しづくは知らない。


 もちろん、それらの疑問を夏目にぶつけたことは何度もある。しかし夏目はその度に「若気の至りってやつだねぇ」としか答えてくれないのだ。しづくは次第に「あまり聞いちゃいけないことなのかな……?」と思うようになった。

 

 真っ白な壁に囲まれたどこまでも殺風景な通路を抜けて、エレベーターでさらに地下へと潜っていった先に、クリーンルームはあった。


「ここに、珍客がいるんだよ」


「ほええ……」


「しづちゃん、ここから先は一人で行ってくれないかい?」


「……? なつめ先生は来ないの……?」


「あたしはね、極力会わないほうがいいのさ。その点、しづちゃんは問題ない。いや、問題ないんじゃなくて、いまさら気にしてもしょうがないってところだね。まあ、行けば全部わかるはずだよ」


「そっかぁ……わかった……」

 

 夏目は部屋の中まではついてこないという。


 普通ならなにかを警戒すべきところなのかもしれないけれど、しづくは夏目のことを信用しているので、この状況に不安を覚えたりはしない。

 

 夏目がクリーンルームの電子ロックを解除した。扉が開き、しづくは中へ足を踏み入れる。しかしその扉は直接部屋の中に通じてはおらず、入ってすぐ前方にもう一つの扉が設置されていた。二重扉だ。しづくが入ってきたほうの扉が、静かに閉まっていく。


 現在しづくが立っているのは、扉と扉に挟まれた、細長い箱のような空間だ。壁にはたくさんの小さな穴が開いている。


『――洗浄を開始します』

 

 抑揚のない電子音声が、天井のスピーカーから流れた。直後に、同じスピーカーから夏目の優しげな声が続く。


『ちょいとびっくりするだろうけど、害のあるもんじゃないし、痛くもないから、そこでじっとしといてくれないかい?』


「おーけーおーけー……」


 ほどなくして、壁の穴という穴から、白い煙が勢いよく噴射され、しづくの全身を包んだ。なんだなんだと思っていると、今度は穴から強い風が吹き始めた。まるで全身をドライヤーで乾かされているみたいだ。

 

 しづくはふと、以前見たゾンビものの映画を思い出した。その映画に、消毒をしないと入れない部屋が出てきたのだ。だから、自分も同じように消毒を――洗浄をされているのだろうと想像した。実際に『洗浄を開始します』って言ってたし。


『――洗浄を終了します』

 

 というアナウンスののち、奥の扉が開いた。その先に、夏目の言う珍客がいるのだろう。


 ――異様なシチュエーションだ。


 しづくはあまり深く考えていないけれど、現状を客観的に見つめてみれば、ずいぶんと怪しい状況なのだ。この秘密の地下施設の、それも身体を洗わないと入れない部屋にいる客なんて、どう考えても一般人ではない。人であるかどうかすら疑わしい。


 果たして、扉の奥でしづくを待っていたのは――


「おおおうッ! シヅクッ! また会ったなァ! 来ちまったぜェッ! ルルルルル~ルル~ルル~ルルルル♪ ルルルルル~ルル~ルル~ルルルル♪」


「ええ……なんでいんの……?」

 

 日に焼けた、野性味溢れる筋肉質の身体。サングラスらしきものをかけた、ドレッドヘアーの大男。陽気な表情、声。


 クリーンルームにいたのは、しづくが五万年前のヨーロッパで出会った原始人、ペンタトニックだった。

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