爆笑王決定トーナメント 6/7
ピストルの音が鳴った。勝負がフリートークからパン食い競争へ移行した合図だ。
しかし朱音も栃ノ木も、パイプ椅子の上で正座をしたまま、動こうとしない。
――そう、正座。
二人はわざわざ椅子の上で正座をしているのだ。
試合が始まる直前のこと。栃ノ木が「正座部の部長が正座をしないわけにはいかないですね」と、椅子の上で正座をし始めた。それを受けて朱音が「それならこっちも正座するしかねえな」と、栃ノ木の真似をしたのだった。
そしてフリートークを終えたいま、二人は椅子の上でプルプル震えたまま、まったく動こうとしない。
「まさか二人とも……足が痺れちゃったの……?」
春心は恐る恐る尋ねたが、朱音も栃ノ木も、不自然なほどに目を合わせてくれない。
「おいおい、姉御よ。まさか足が痺れてんのか? 春心に心配されてっぞ」
「そういう朱音さんこそ、足が痺れているように見えますが?」
「私はいいだろ。でも正座部の部長とあろう者が、正座して足が痺れました~なんて、情けないと思わねえのか?」
「どうやら勘違いをされているようですね。正座とは、足が痺れるまでがセットなのです。痺れた感覚をも味い、愛するのが、真の正座好きというものですよ」
「ふっ、そういうことにしておいてやるよ。……なんてな。茶番はここまでだ。いい加減、下に降りるとしようぜ」
「そうしましょうか」
「なあ姉御、椅子の上で足が痺れたときって、どうやって降りるもんなんだ? 椅子の上だからよ、正座がうまく崩せねえんだ」
「えっ」
「えってなんだよ」
「いや、その……わたくしにも、こんなときにどうやって椅子から降りたらいいのか、わからないので……」
「まじかよ」
「はい」
「う、嘘だろ……? どうすんだよ……じゃあ、このまま一生……椅子の上……?」
「…………」
「…………」
「ふえ」
「ふぇぇ……」
「ふぇぇん……」
「ふぇえええん……」
「お、降りれないよ~う!」
「ふぇぇぇえ~ん!」
情けない声を上げながら、椅子の上でプルプル震え続ける二人。
「ちょっと審判、ターイム! あのバカ二人、一旦回収したほうがいいと思いまーす!」
春心の申し入れにより、試合は一時中断。なぜか幼児退行をし泣いている二人を椅子から降ろすことになった。
『というわけで、仕切り直しといきましょー! パン食い競争から再開します! それでは、よーい、スタート!』
なんとか朱音と栃ノ木を椅子から降ろし、試合再開。
だが、二人ともまだ足が痺れたままのようで、とてもじゃないがパン食い競争どころではなさそうだ。いちおう互いに笑みを浮かべてはいるものの、目元が完全に引きつっている。虚勢を張っているのがバレバレだ。
二人揃って、一歩足を踏み出すごとにうめき声を上げながら、のたのたとパンが吊るされているほうへと歩いていく。
「なあ、昔のヤツはなんでこんなに足が痺れる座りかたを“正座”なんてものにしたんだよ。全然正しくねえじゃねえか。急に地震とか来たらどうすんだよ。足が痺れて動けないなんて不便すぎんだろ。あぐらでいいじゃねえか」
「ふふ、逆に考えたらどうでしょう。ほかにこんなに痺れる座りかたがあるでしょうか? ありませんよね? 正座だけが、ここまで足を痺れさせることができるのです。それは唯一無二の個性というものです」
「個性は個性でも、イロモノ枠だそれは。少なくとも正しい座りかたじゃねえよ」
「正しさとは、本来人の手に負えるものではないのかもしれませんね。心を麻痺させなければ、人は正しくあり続けることができない……正座で足が痺れる現象の裏には、そんな深い意味が隠されているのかもしれません」
「そんな正しさ捨てちまえ」
二人の口はよく回るが、歩みがとにかくぎこちなく、遅い。そのせいで、お喋り好きのゾンビみたいになってる。
それでも剣道場はそこまで広くはないため、二分ほどで吊るされているパンの前まで到達した。
『さあ~、両選手とも、あんぱんの前まで辿り着きました~! ここから先は手を使ってはいけませんよ~! 口でくわえて取ってくださいね~! カモーン!』
安定しないことで逆に安定している森林の口調。
あんぱんは、手を使わずに取るのならば、そこそこ本気でジャンプしないと届かないくらいの絶妙な位置に吊るされている。ちなみに栃ノ木は朱音よりも身長が一センチほど低いのだが、それくらいなら誤差の範囲だろう。
「悪いが、一発で決めさせてもらうぜ。こういうのは得意なんだよ……なッ!」
朱音はダイナミックに跳び上がると、宣言通り、一回でパンをくわえ取り、勢いよく着地した。
彼女の全体重が、痺れた足にのしかかる。
「ギャアーッ!」
朱音は、悲痛な叫び声と共に崩れ落ちた。くわえていたあんぱんを床に落とし、悶絶しながら床の上をゴロゴロと転がり回る。
「足が! 足が~ッ!」
「ふふ、情けないですね、朱音さん」
栃ノ木が口元に手を当てながら、痺れに苦しむ朱音を哀れそうに見下ろす。
「わたくしが、正しい跳躍というものを、お見せしてさしあげましょう」
自信に満ちた表情で、栃ノ木は跳んだ。彼女の長い黒髪が宙にたなびく。まるで織姫が天の川を背景に舞い踊っているかのような、優しく、しなやかな跳躍だった。
それでいて、彼女は正確にあんぱんをくわえ取る。
たった一度きりでパンをキャッチするという点においては、朱音と同じだ。だが栃ノ木は、ここからが違う。
――ふわり、と。
翼が生えているかのように、栃ノ木は柔らかく着地を決めてみせた。そして――
「ノ゛ォーッ!」
断末魔を上げながら、地に沈んだ。結局駄目だった。ちょっと着地の仕方を工夫した程度で消える足の痺れではなかったらしい。
「いや、思ったけど、二人とも足弱すぎない!? 別にそんなに長い時間正座してなかったじゃん! なんでそんなことになってんの!?」
そんな春心のツッコミも、おそらく二人には聞こえていない。
『さぁさぁ、このパン食い競争は、パンを完食しないといけないんですぜぇーッ!? さあ、食いなせえ! さあ食いなせえ! ハイヨーッ!』
もうキャラの原型がない森林。
「甘ぇ……甘えぜ……このあんぱん、甘え……!」
「まさに、甘イジングですわね……」
「はは、ケッサクだな……」
「ふはっ……」
足の痺れでおかしくなったのか、朱音と栃ノ木が虚ろな目で笑っている。
いつの間にか、女子高生二人が武道場の床に寝転がりながら、壊れた表情であんぱんをかじり続けるという、いろんな方向から怒られそうな絵面になっていた。世界一しょぼい地獄絵図だ。
『――ハイ! どうやらお二人とも、あんぱんを完食したようですねッ! それではこの勝負もいよいよ大詰め! 最後に、座右の銘を言っていただきましょう!』
ここまでに色々ありすぎて、もうだいぶわけがわからないが、このフリートークパン食い競争は、最後に面白い座右の銘を言ったほうが勝ちという、たしか、そういう競技だった。
じゃあいままのではなんだったのか、という話になってくるけれど……。
とにもかくにも、次に言う座右の銘こそが最も大事な部分だ。
終戦は近い。
『それでは、準備はいいですか!? 座右の銘、お願いしますッ!』
「浅い川も深く渡れ」
と、栃ノ木。
「起きて半畳寝て一畳」
と、朱音。
『ゲームセッッッ! 試合しゅウ~りょ~ッ! お~疲れさまでしたァーんッ! 激・戦! 激・戦! だ~い激戦でしたぁーッ! 見てるこちらも汗だくで~す!』
「ねえ、そんなテンションになるほど盛り上がってた?」
この最終戦、最初から最後までいったいなにを見させられていたのか。これ、企画が失敗しているんじゃないのかと春心は思う。
あと汗だくになるのはいまが真夏だからだよ。
『それではこれより校長先生に、審査に入っていただきましょう!』
「いや、その時間は必要ない。私の中ではもう、勝者は決まっている」
校長は腕を組み、険しい顔をしながらも、はっきりとそう言い切った。
『え~、なんということでしょう! 勝者がもう決まってるんですって~! ねえみんな聞いた~? すごいね~!』
やはり森林の口調は安定しない。もうお前誰なんだという感さえある。
どういうつもりでそんなにキャラをコロコロ変えているのかと、春心がふと森林のほうを向いたとき――気づいてしまった。
森林の表情に、影が差していることに。
(もしかして……森林先輩、フリートークパン食い競争が失敗してることを、自覚してる?)
その考えに至った途端、森林の異様なハイテンションの理由がわかった気がした。彼はせっかくの最終戦が白けた空気にならないよう、必死で道化を演じているのではないだろうか。だとすれば、なんだか泣けてくる。
春心はギャグのキャラクターだから、よくわかる。楽しいはずの場が白けたときの悲しさが、虚しさが、どれほどのものか。
――決めた。森林先輩に協力しよう!
春心は明るい声を作って、ルシアに話しかけた。
「うわ~、どうなっちゃうんだろう! どっちが勝ったのかなぁ! 気になるね!」
「え? あ……うん! そうね! 気になるわね!」
そのリアクションを見るに、ルシアも内心ではフリートークパン食い競争の尻切れ感に戸惑っているようではあるのだが、さすが彼女は優しいうえに頭の回転も速い。すかさず春心に合わせてくれた。
「ねえルシアちゃん。朱音ちゃんが勝つといいよね!」
「そうね! 結果発表、ドキドキするわね!」
作り物のテンションだって、盛り上がればいいのだ。作り笑いを続けていると、本当に楽しい気持ちになってくるとも言うし。
楽しい空気はみんなで作るもの。
「そうでしょ?」と、春心は森林に目配せをする。
すると、彼は真顔になってこう言った。
『あの、僕が喋ってるんでちょっと静かにしてもらっていいスか?』
春心は心の中で七千回舌打ちした。
もうこんなクソ大会、消えてしまうがよい。
『え~、それでは結果発表に参りましょう! 勝ったのは繰田朱音選手か、それとも、栃ノ木結善選手なのか! 校長先生、発表をお願いします!』
ついに、優勝チームが決まる瞬間がやってきた。
だけどなぜだろう。不思議と緊張しない。これが達人の境地というものだろうか。違うか。
「大変な熱戦でした」
と、校長は前置きをした。
「フリートークもパン食い競争も、完全に互角。しかし……座右の銘で、決定的な差が生まれてしまいました。『浅い川も深く渡れ』。素晴らしい座右の銘です。通常の大会であれば、優勝していてもおかしくはないでしょう。ただ、今回は相手が悪かった。その一言に尽きます。『起きて半畳寝て一畳』――最強の座右の銘です。これを越える座右の銘は残念ながら地球上に存在しません。『起きて半畳寝て一畳』の前では、ほかの座右の銘はゴミも同然! 存在する価値なし! よって、勝者は、繰田朱音選手! すなわち、ラフ&ピース部の優勝です!」
「やったーっ! 優勝だー! うわーい!」
春心は喜びを全身で表現するかのごとく、力いっぱい跳び上がり、
「って、茶番やないか~い!」
と、そのまま頭から武道場の床にダイブして、壁にぶつかるまでスライディングした。渾身のノリツッコミだ。それから、顔を上げて叫ぶ。
「いやいや、そもそも座右の銘に上とか下とかないじゃん! なに最強の座右の銘って!」
一見、春心のツッコミは正論だった。
座右の銘とは生きかたであり、生きかたに明確な上下なんてあるはずがないのだから。
だが、意外な人物が春心の言葉を否定した。
対戦相手の、栃ノ木結善だった。
「校長先生のおっしゃる通りです。『起きて半畳寝て一畳』が出てしまったら、敗北は免れません。むしろ最高の斬られ役となれたことを、わたくしは誇りに思いますわ。この試合を見てくださったすべてのかたに、最大級の感謝を申し上げます」
朱音が床に仰向けに倒れ込んだまま、清々しい笑顔で言った。
「感謝を言うのはこっちだ。実は私な、『起きて半畳寝て一畳』は実戦どころか、練習でも出せたことはなかったんだよな。でもこの決勝戦という大一番で出すことができた。それは姉御――いや、栃ノ木先輩という、最高のライバルがいてくれたからなんだ。ありがとう」
続けて森林が、涙を流しながらマイク越しに言った。
『まさか生きてるうちに『起きて半畳寝て一畳』が聴けるなんて……。この結果は、文句なしッスよ! 最高のフィナーレッスよ!』
さらに正座部の部員たちが、拍手をしながら口々に賞賛の言葉を口にした。
「すばらしい」「おめでとう」「全米が泣いた」「感動したよ」「姉さん、俺はマッハを越える!」「また全米が泣いた」
そして春心は――不安になった。
「え、なにその共通認識!? うっそ、私がおかしいの!? 座右の銘に上下なんてあるの!? え、ないよね!? ね、ルシアちゃん!?」
春心は必死になって、ルシアに救いを求めた。彼女はちょっと困ったように笑いながら、
「うん。私もちょっと、みんなの言ってること、わかんないかも……」
「ぁあ!」
春心は言葉に詰まり、号泣した。ルシアが救世主に見えた。常識を持つ人間が同じ空間にいるだけで、人はこれほど救われる気持ちになれるということを、いま初めて知った。
「よかったぁ~! ほんっとよかった! ルシアちゃんまで『起きて半畳寝て一畳』とか言い出したら、私、私……薄着で冬山にキャンプ行ってたかも!」
「ねえ、春心ちゃんもなかなかに様子が変よ?」
「いいの! 私はいいの! ルシアちゃん、生まれてきてくれてありがとうね!」
「ど、どういたしまして?」
まともな人がいてくれてよかった。春心は、心の底からそう思った。
ただ、客観的に見れば春心の言動もそれなりにおかしいので、この場で本当に泣きたかったのは、ルシアのほうだったのかもしれない。




