表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/165

余白の居住者 3/5

 逢戸澗おうとまの家を目指して、春心たちは住宅街を進む。


 街の様子がいつもと違うと思う――逢戸澗が言っていたその言葉は正しかった。


 通りに人がいなければ、車だって一台も通らない。もう辺りは薄暗いというのに、明かりの灯っている民家は一軒として見当たらず、この時間帯、普段なら各家庭から漂ってくる料理の匂いも、いまはまるでしない。住宅街から人の営みだけがすとんと抜け落ちている。


 大手チェーンのドラッグストアがあったはずの場所に、寂れた赤い屋根の小屋が立っていて、その中から、風船を割ったような音が繰り返し聞こえてくる。いつも通っている道の脇から、見たことのないこみちがさりげなく伸びている。


 よく知っているはずの街に溶け込む、見慣れない建物、道。やはりここは、春心たちが暮らす世界とは別の場所なのだろう。


 見覚えのないものに警戒を払いながら数分ほど歩いたところで、ようやく人間らしき影を見つけた。が、様子がだいぶおかしい。


 三十代ほどの男性だろうか。路地の片隅に腰を下ろし、血走った目で、一心不乱に電柱を爪で引っかき続けている。


「猫かッ!」


 春心はその男を、巨大ハリセンでぶん殴った。男は体勢を崩し、勢いよく路上に倒れ込む。


「はるこおおおおおおおおおおおお!? なんでぇえええええええ!?」


 メーベルの両目が再び飛び出していた。


「え、バカじゃないですか!? バカじゃないですか!? なんで刺激しちゃうんですか!?」


「ごめん、なんかつい……」


「なにがついですか! どの辺がついなんですか!」


 メーベルの容赦のない叱責が飛ぶ。確かに、まったく言い逃れができない。こんなに言い訳できないこと、ある?


 男がのそりと立ち上がり、充血した目を春心に向けた。


「ほら春心! 謝りましょう! 謝ったほうがいいです、絶対!」


「ごっ、ごめんなさい!」

 

 春心が謝罪すると、男は無表情のまま口をパクパクと動かし始めた。


『……は……さす……な……ん……』


 なにか言っている。でも声が小さくて、言葉が聞き取れない。


 なんて言っているのかなと、春心が前傾姿勢になった瞬間、男が突然腕を振り上げた。


「はるこっ……危ない……!」

 

 しづくが、春心を後ろに引っ張った。入れ違いになるように、春心の顔があった場所に男の腕が振り下ろされる。その爪先は、赤黒く染まっていた。


「二人とも……逃げようっ……!」

 

 しづくの声を合図に、三人いっせいに走りだした。

 

 逃げながら、春心は後ろをちらりと振り返る。男がしっかりと追いかけてきているのが見えた。


「うわああ、来てる!」


「うわああ、来てる! じゃないでしょう! 春心が殴ったんでしょうが!」


「ごめんってええええええええ!」

 

 走る。とにかく走る。もしあの男に捕まったら、今度は電柱ではなく、自分の身にあの爪を突き立てられてしまうのではないか――そう考えると、春心は恐ろしくてしょうがなかった。まあ、冷静に考えれば、いきなり殴りかかった春心も同レベルで恐ろしいのだけれど、そのことについては完全に棚に上げている。


「あれ、もう来てないよ!」


 数十メートル走ったあたりで、男が足を止めていることに気づいた。男は春心たちを怨めしげに睨みながら、元いた電柱の方へ引き返していく。


「もしかして、あの電柱に縛られてるんでしょうか」

 

 メーベルが息を切らしながら言った。地縛霊――という言葉が浮かんだが、いまの男が生きているのか死んでいるのか、春心にはわかりようがない。


「とにかく助かったよ。しづくちゃんも、さっきはありがとね」

 

 春心は、ほっと息をつく。いきなり全力で走ったせいで呼吸が苦しい。それはメーベルも同じようで――しづくは平気そうだけれど――ここでほんの少しだけ休憩することにした。


「それにしても、ほんとになんで殴ったんですか」

 

 メーベルが再び問いただしてくる。

 

 言い訳のしようがないことは認めるけれど、いちおう、春心なりの理屈はあった。


「それなんだけど、ほら、ギャグとホラーって結構似てるから、ついツッコミを入れちゃうんだよね」


「……ああ、なるほど。そういうことなら、わからないでもないです」

 

 なんと、意外なことに同意を得られた。


「わかってくれるの?」


「実を言うと、私、春心と朱音が怖くなるときがあるんですよ」


「え、うそだぁ!」


「本当ですって。これ実際にあった話なんですけどね。この前、洗面所で歯を磨いていたら、お風呂から朱音の声が聞こえてきたんです。『違う! トレビアーンじゃねえ! トレビアァ~ンだ! アーンじゃなくて、アァ~ン! お前の言いかたは平坦なんだよ! もう一回言ってみろ! ……いいや、だから違う! トレビアァ~ンだ!』って。でも、不思議なことに、朱音以外の声がしないんです。それで、いったい誰と喋ってるのかなと思って風呂場を覗いてみたんですよ。そしたら朱音、一人で喋ってたんです」


「こわいって……」

 

 それ、本当に怖いエピソードじゃん。いないはずの人と喋ってたとしても、純粋なひとりごとだったとしても、どっちにしても怖い。


「でも、私の言いたいことって、ほんとそれ! ギャグとホラーってすごく近いときがあるの! あれ、これどっちだろう? みたいなことって、結構あって!」


「まあ、わかります」


「でしょ!? だからいまの状況もなんか逆に全部ギャグに見えてきちゃって……それでついツッコんじゃうんだよね」


「それもわかりま――いや、全部ギャグに見えてくるっていうのはやっぱりわかんないですけど、いや、でも、はい、わかりました。春心の主張はわかりました」


 若干諦められた感があったのが気がかりだが、とりあえず春心の言い分は聞き入れてもらえたようだ。


「ですが、だからと言って、むやみやたらにツッコミを入れるのはやめてください。逢戸澗さんだって言ってたじゃないですか。こっちの世界の住人と関わりを持つなって。実際さっきも危なかったですしね。どうしてもツッコミを入れたくなったら、心の中で呟くくらいにして、なんとか我慢してください。いいですね?」


「うん、ごめん。わかった。がんばってみる!」


「頼みますよ。いまは本当にふざけてる状況じゃないんですから。ねえ、しづく?」

 

 メーベルがしづくに話を振る。


「えっ……?」

 

 名前を呼ばれて、しづくが慌てた様子で顔を上げた。


「えっと、うん、そうだね……?」

 

 たぶん、尋ねられた内容もわからないまま返事をしている。まさに上の空、という感じだ。


「どうしたんですか、しづく? どこか調子が悪いんですか?」


「いや、そんなことないよ……」


「そうですか。でも、なんだか元気がないように見えますよ?」


 春心もそれは気になっていた。さっきからしづくの口数が少ない。でも、その原因はなんとなく察しがつく。


 しづくは目を伏せながら、申し訳なさそうに口を開いた。


「調子が悪いわけじゃないの……。ただ、その、ごめんなさい……。私が鏡なんて拾ってきたから……」

 

 やっぱり、思った通りだ。しづくは鏡を拾ってきたことをいまも気にしている。そんなに思い悩まなくてもいいのにと春心は思うが、その反面、もしも自分がしづくの立場だったら、やっぱり気にしてしまうだろうなとも思う。


「たしかに、物を拾ってくるのはよくないですね。改めたほうがいいです」


 メーベルの第一声がそれだった。そこだけ聞けば、少し冷たい言いかたに聞こえるかもしれない。けれど、彼女は続けてこうも言うのだった。


「でも、いまみたいな状況になったのは、私のせいかもしれません」


「え……? どういうこと……?」

 

 首を傾げるしづくを見て、メーベルは穏やかに笑った。


「ここでいつまでも立ち止まってるわけにはいきません。歩きながら話しましょう」



 ※



 小休憩を終えた三人は、再び奇怪な街の中を進んでいく。


「不思議に思っていたんです。どうしてあのタイミングだったのかなと」


 進行方向を見つめたまま、メーベルが言った。


「あのタイミングって……?」

 

 と、しづくが聞き返す。


「いいですか。私たちはしづくが持ち帰ってきた鏡によって、このおかしな世界にやってきてしまいました。でも、タイミングが変なんですよ。つまり、どうしてしづくは、春心の部屋に入ってくるまで無事だったのか、ということです。あの鏡が危険な物なら、しづくがそれを拾った瞬間になにかが起こってもおかしくなかったわけでしょう? それなのに、しづくは帰宅するまで無事だった。なぜでしょうか。わざわざ春心の部屋に到着するまで、鏡が待っていてくれたって言うんですか?」


 そう言われて、春心もようやく不思議に思う。たしかに、どうしてなのだろう。怪奇現象に理由なんてない、と言われたらそれまでなのかもしれないけれど。


「きっとあのとき、なにかトリガーとなる行為があったはずなんですよ。で、考えてみると、それらしき行為はひとつしか思い当たりません。私があの鏡を“怖がった”。そこに存在する恐怖を認識してしまった。おそらく、きっかけはそれでしょう」


「んー……? それってどういうこと……?」


「春心もしづくも、最初はあの鏡を怖がってなかったでしょう? 先ほどの春心の話をなぞるなら、春心としづくは、あの喋る鏡をギャグだと受け取った。対して私はあれをホラーだと受け取ったんです。思い返してみてください。耳鳴りがして、私たちがこの世界に迷いこんだのは、私があの鏡を怖がった直後だったじゃないですか。だから、こんな状況になったのは私のせいかもしれないと言ったんですよ」

 

 まあ、実際どうだったのかはわかりませんけどね――と、メーベルは話を締めた。


 あの鏡が力を発揮したのは、メーベルが恐怖という感情を抱いてしまったから。


 なるほど。春心はその推理にある程度納得がいった。けれども、違和感もある。


 なんというか、メーベルの推理がふわっとしている気がするのだ。詰めが甘いというか。


 しかも「わかりませんけどね」で話を終わらせた。そこも不思議だった。いつもの彼女なら、もう少し真実を追い求めようとするはずなのに。


(もしかして……メーベルちゃん……)


 と、春心はある考えに思い至った。それを確かめるために、ちょっと不意打ち気味に言ってみる。


「メーベルちゃんって、優しいよね」


 するとメーベルが「な、なに言ってるんですか急に!」と不自然なほどに声を大きくした。畳み掛けるように春心は言う。


「いまの、しづくちゃんのために言ったんでしょ」


「いやいやいや、違いますから! なんでそうなるんですか! おかしいですよ!」

 

 そう言うメーベルの顔は真っ赤だ。わかりやすい。その反応で春心は確信した。

 

 さっきの推理は照れ隠しだ。おそらく、メーベルには最初から真実を言い当てる気はなかった。本当はただ、「気にしなくていいよ」としづくに言いたかっただけなのだ。


 だけど、それをストレートに言えないから、推理風の会話を装った。照れ隠しのために理屈を切り貼りしてしまうあたりがメーベルらしくて、思わずにやけそうになる。


「そんなわけだからさ、しづくちゃんは気にしないでいいんじゃない? 私もそうだし、メーベルちゃんも全然怒ってないから。見ればわかると思うけど」


「はるこ……」


 メーベルの歩幅が急に大きくなって、春心としづくを置き去りにするように歩きだす。


「ほら、さっさと行きましょう。無駄話をしていてもなんの得にもなりませんよ」


「メーベルも、ありがとうね……」


「はいはい」


 ぶっきらぼうに答えているのが、動揺丸出しという感じで微笑ましい。


 しづくの表情が明るさを取り戻しつつある。これならメーベルの照れ隠しも報われそうだ。


 とにかく、しづくが元気になってくれてよかった。あとは何事もなく逢戸澗の家に辿り着くことができれば万事解決だ。


 何事もなく――そんな都合よくはいかないのだけれど。


 先を急ぐ春心たちの前を、犬が横切っていく。胴が長くて足が短い。コーギーだ。ただし、顔は年老いた男性のそれだが。

 

 人面犬だ。


「普段なに食べてるんだよ!」


 春心は人面犬を巨大ハリセンでひっぱたいた。秒でいった。助走もつけた。


「はるこおおおおおおおおおおおッ!」

 

 お約束になりつつある、メーベルの叫びが背後から聞こえてきた。今回のは心なしか驚愕というよりも怒声に近いニュアンスだけれども。

 

 ハリセンで叩いてから――というかこのハリセン、春心自身も、どこから出してるのかわからない。都合よく手元に出現して、都合よく消滅する――春心はしまったと思った。


 これではさっきと同じだ。また追いかけられてしまう。


 春心はとっさに身構える。しかし、先に逃げだしたのは人面犬のほうだった。「なにこのニンゲン……怖っ」とでも言いたげな怯えた顔で、風のように走り去っていく。


「ご、ごめんねっ!」


 自然と謝っていた。人面犬とは言え、自分よりも小さな動物に対して殴りかかるなんて、なんだか自分がとんでもない悪魔のように思えてくる。


「いや、実際悪魔なんですよ! なんで見境なくいくんです!? いまの春心を一言で言い表しましょうか!?  “通り魔”!」


「ごめん! ほんっっっとごめん!」


「もう、やめてくださいって言ったじゃないですか! 冗談じゃなく危ないんですよ!?」


「わかってるの! でも、言い訳させて! 体が勝手に動くの! ツッコミのスイッチが入ったら、自分でも止められなくて!」


 言い訳であると同時に事実でもあった。本当に春心に悪気はないのだ。勝手に手が出てしまう。これはツッコミ属性の性だ。こればっかりは意思の力ではどうにもならない。


 謝り倒す春心に、しづくが手を差し伸べてくれた。


「メーベル、許してあげようよ……。しょうがないよ、はるこはこういう人だから……」


「しづくちゃん。それ、ポジティブな意味で言ってる? ネガティブな意味で言ってる?」


「…………」


 しづくは無言で、最高の笑みを浮かべた。


「あ、わかった! 諦念ていねんね! 諦念のほうね! わかった! ありがとう!」


「そのありがとうはおかしいでしょう」

 

 メーベルの顔に疲労か滲む。もう誰がツッコミ役かわからない。


「しかし、こういう人間だ……というのは真実かもしれませんね。ギャグのキャラクターの本能ってやつですか。本人の意思でどうにもできないなら、春心を責めたって仕方がありません。こうなったら、春心がツッコミを入れられないよう、物理的になんとかするしかないでしょう。とりあえず、両腕を縛っておきますか」

 

 いきなり物騒なことを言いだした。え、両腕を縛る? なにそれ。こわっ。


「……ん、“怖い”?」


 まさか、この感情……!


 春心は閃いた。


「そっか。これがホラーってやつね☆」

違う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ