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余白の居住者 2/5

『はるちゃんたち、いま大変な目に遭ってなーい?』


 圏外となっているはずのスマホに、突如かかってきた逢戸澗おうとまからの電話。助かるチャンスはここしかないとばかりに、春心は彼女の言葉に食いついた。


「遭ってる! なんかすんごい怪奇現象に遭ってる! 高崎さんたちはいなくなっちゃうし、わけわかんないのが家の中にいるし、どうしたらいいか全然わかんないの!」


『そうねぇ、簡単に言うとねぇ、はるちゃんたち、ちょっとだけ違う世界に来ちゃったのよ』


 メーベルがとんとん、と春心の肩を叩いた。逢戸澗がなにを喋っているのかを知りたいようだ。


 春心は電話をスピーカー通話に切り替え、逢戸澗との会話を続ける。


「逢戸澗さん、私たちが違う世界に来ちゃったって、どういうこと?」


『座標がずれたというか、周波数が変わったというか……ごめんなさいね、その辺の説明は私にはできないのよ~』


 本当はできるんだけどねぇと、おっとりとした口調で掴みどころのないことを言う。


『それよりはるちゃんたち、なにかよくないものに触ったりしなかった? たとえば、そう――鏡とか』


 いきなり正解を当てられて、春心はどきりとした。


 勘がいいなんて次元じゃない。電話がかかってきたタイミングといい、逢戸澗はどこかから春心たちのことを見ているのではないかという気がしてくる。


 ――そういえば、例の鏡は?


「その鏡なんだけどね……どこかに消えちゃったの……」


 しづくが困り顔で言った。落としたとかなくしたとかではなく、消えたらしい。


『あー、それはその辺を探しても見つからないと思うわあ。いいわ、それは私のルートで回収しておくからぁ』


 逢戸澗は先ほどからずっと、謎めいたことを言い続けている。


 とはいえ、それで春心は彼女のことを不審に思ったりはしない。


 春心たちと逢戸澗の付き合いは長く、深い。高崎が体調を崩したとき、代わりに春心たちの面倒を見てくれるのは逢戸澗だし、そうでなくても定期的に家事の手伝いをしに来るくらいなのだ。春心たちと高崎が初めて出会い、一緒に暮らせるようになるまで、裏でサポートをしてくれたのも彼女だった。


 逢戸澗がミステリアスなのはいまに始まったことではない。そのことを春心はよく知っている。


「逢戸澗さん、どうしたらここから元の世界に戻れますか?」


 春心に代わって、メーベルが直線的な質問をぶつけた。いま必要なことは、ふわっとした情報ではなく、具体的な解決策だと言いたげに。


 逢戸澗はすんなりと答えてくれた。


『これから私の家に来てちょうだい。そうしたら元の世界に帰してあげられるわ~』

 

 そんなことでいいんだ、と春心は思った。もっと難しい条件があるのかと心配していたのだが。


『ごめんなさいね~。本当は直接助けに行ってあげたいんだけど、私にもいろいろとしがらみがあってね~』


「いえ、するべきことがわかっただけでも大きいです。逢戸澗さんの家に行くにあたって、注意すべきことはありますか?」


 メーベルの質問に無駄がない。現状を脱するために必要なことを要領よく尋ねている。その冷静さが頼もしい。


『私からいくつか忠告をするなら……そうねぇ……。まず、街の様子がいつもと違うと思うけれど、あまり気にしないこと。こっちの世界の住人と関わりを持たないこと。寄り道をしないこと。食事をしないこと。そんなところかしらねえ。要はまっすぐ私のところ来なさいってことね~』


「わかりました。ありがとうございます」


『どういたしまして~。それじゃあ、そろそろ出発なさい。急がないと、夜が来てしまうわ』


「そうします。それではのちほど」


 メーベルに続いて、春心としづくは一旦別れの挨拶を述べる。


「ありがとね、逢戸澗さん!」


「おーとまさん……またあとでね……」


『はぁい。はるちゃん、しーちゃん、ベルちゃん、気をつけてね~』


 そして通話がぷつりと切れた。もう一度電波の状態を確認してみたけれど、やっぱり圏外のままだった。


 朱音と別ベクトルで常識外れで、ルシアと別ベクトルで不思議な力を使う。それが逢戸澗おうとま夜縁よみちという人物なのだ。


「やることも決まりましたし、さっそく家を出ましょう」


「うん……!」


「そうだね!」


 三人の声に覇気が戻っていた。やるべきことがわかったというだけで、精神的に全然違う。


 さっそく出発しようと、三人は立ち上がり――


「……っ!」

 

 春心は息を飲んだ。


 いた。


 振り返ったすぐ先に、灰色のコートを着た知らない人間が立っていた。おそらく、一階をうろついていた“なにか”だ。


 大人の女性――だろうか。服装や体つきは女性のようだけど、本当は女性ではないのかもしれない。わからない。


 どうしてそんな歯切れの悪い表現になってしまうのかと言うと、その人間にはあるべきものがなかったからだ。


 その女らしきなにかには、顔がなかった。


 ――お水、どこぉ?


 顔のない女は、子供の声でそう呟くと、春心の首元に向かって両手を伸ばし――


「あばああああああああああああッ!? 顔あれよッ!」

 

 春心は巨大なハリセンで女をぶん殴った。驚きすぎて。


「はるこおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 メーベルの両目が飛び出していた。


 春心に殴られた顔のない女は、ズシャアアアアアアア! というダイナミックな音をまき散らしながら、高崎家の廊下を頭から滑っていく。勢いが良すぎて、廊下に放り出してあったカゴやダンボールを巻き込み、薙ぎ倒していた。これではまるで人間ボウリングだ。いや、この場合は幽霊ボウリングだろうか。どうでもいい。


「なにやってんですか!? なにやってんですか!?」


「ごっ、ごめん! なんかパニクりすぎてツッコミ入れちゃった!」


「こういうこと、やっていいんですか!? 殴るのってありなんですか!? て言うか、そのでかいハリセン、どこから出したんです!?」


「なんか出た!」


「なんか出た!?」

 

 殴った張本人である春心がテンパり、それを見ていたメーベルもテンパり、冷静なのはしづくただ一人だけだった。


「それより二人とも、いまがチャンスじゃない……?」

 

 顔のない女は廊下の隅まで飛んでいき、未だ立ち上がれずにいる。いまなら邪魔されることなく家を出られそうだ。


「しづくちゃん、ナイス!」


「いい判断です!」


 三人は一階まで駆け降りると、目についた靴に足を突っ込んで、玄関を飛び出した。


 太陽が沈み始めている。


 先ほど窓越しに見た夕焼けは、闇と混じりあうことでより禍々しい色合いに変わっていた。この夕闇の中に居続けたら、自分がどこから来て、どこに帰ろうとしているのか、どうでもよくなってしまうのではないか。そんな恐ろしい妄想をしてしまうほどに、美しい夕陽だった。


「急ぎましょう。この夕焼けも不気味ですが……夜が来ることのほうが恐ろしいです」


「そうだね。逢戸澗さんの家が近くてよかったよ。急げば十分くらいでつくよね?」


「ええ」

 

 しづくが、いま出てきたばかりの高崎家の玄関を振り返る。


「さっきの、ついてきてないよね……?」


「だといいのですが……。どちらにしても、先を急ぐしかないですね」


 メーベルの言う通り、ここで立ち止まっている理由はない。春心たちは逢戸澗の家へ向けて歩きだした。

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